「DAIFUKU NEWS」(ダイフク広報室/発行)
1996年no.149(3月8日)pp.42-43掲載
江下雅之
日本とフランスのサービス業を比較すると、日本人には日本の仕組みのほうが合理的に感じられるだろう。しかし、カネに関するサービスは、フランスのほうが機能的なように思われる。その差はインターネット時代には、いやでも目立つようになるだろう。
ネットワークの発展は、物流におおきな変化をもたらす。すでに80年代前半には、流通業におけるフランチャイズ・チェーンやボランタリー・チェーンの発達という形であらわれた。そしてインターネット時代には、一般消費者を対象にしたEC:Electronic Commerceだ。これを支える柱のひとつが決済手段の電子化であり、「キャッシュレス」は当然の前提になるだろう。
「キャッシュレス社会」というと、おおくのひとはクレジット・カードを想像するだろう。日本も膨大なカード発行枚数を誇っており、一見するとEC時代へとすみやかに移行できそうな印象をあたえる。しかし、フランスでキャッシュレスを促していたのは、カードの普及以前に個人小切手が一般消費者の決済手段として普及していた点を見逃せない。通信インフラ整備以前に、すでにキャッシュレスの社会的基盤があったのだ。
フランス社会では、税金や公共料金の支払いから個人どうしの割り勘にいたるまで、小切手が広く利用されている。税務署や電気会社から請求書が送られてくる。同封の伝票にサインをし、支払額分を記入した小切手と一緒に返送する――これで支払い完了だ。不動産手数料や大家への家賃の支払いも小切手でかまわない。アパートを借りるのに、数十万円もの現金を持ち歩かなければならない日本は、習慣という点でキャッシュ・レスからはほど遠い。
マイクロソフト社の「ウィンドウズ95」のおかげで、空前のパソコン・ブームがわきあがった。誰でもパソコンを持つ時代になり、いよいよ本格的なネットワーク時代が到来しそうだ。
現在のインターネット・ブームを見て、10年前の「ニューメディア・ブーム」を思い出すひともいるだろう。当時のニューメディア――ビデオテックスやVRS(Video Responce System)などとおなじ轍を、インターネットも踏むのでは、と。
たしかに最近のインターネット・ブームは過熱気味だ。個人的にも、「インターネット・バブル」といっていい状況だと思う。
しかし、ニューメディア・ブームでも、生き残ったメディアはある。パソコン通信、ファクシミリなどは、すでに「普通のメディア」となりつつある。インターネット・バブルは遠くない将来にはじけるだろうが、確実に次の時代に受け継がれ、普通のメディアとなる機能があるはずだ。
ひとくちに「インターネット」といっても、実際はさまざまな機能(あるいはサービス)の複合体だ。電子メール、World Wide Web(WWW)、NetNews、ftpなどがその代表的なものであるが、最近の傾向として、「インターネットを使う」といえば、おおむね WWW を指している。
アメリカではWWWがいわゆる「Small Business」で利用されている。WWWと電子メールを用いれば、独自の販売チャネルを持たない中小企業でも、世界を相手に商売ができるのだ。
たとえばぼくは磁気ディスクのような消耗品さえも、アメリカのテキサス州にある通販業者から購入している。WWWで業者のカタログを見て、電子メールで注文する。支払いはVISAカードでおこない、注文品はDHLで送られてくる。秋葉原よりも、安く、しかも早く手に入る。
このような商売を成立させる要素は三つだ――手軽な受発注および商品情報、簡単な支払い手段、迅速で安価な配送ルートである。支払いにはクレジット・カードが、配送には国際宅配便ネットワークがある。そして受発注および商品情報こそは、ながらく大資本が独自のネットワークを維持するほかはないところだった。インターネットはこの敷居を一気に引き下げたわけだ。
ネットワーク社会では、日本の零細企業でも、世界市場を相手に商売ができる。逆に、アメリカの零細企業に日本の顧客を奪われるかもしれない。この点、今後は最初から世界市場をにらんだビジネスが、あらゆる規模の企業で必要になるだろう。
ところが、日本の業者にとって、支払い手段の問題がおおきく立ちはだかる。通販でクレジット・カードを利用できるのは、その品目の売上げが年間二千万円以上ある場合だ。小切手取引が一般的ではないため、手数料が数千円もする海外送金を利用せざるをえない。これでは零細業者の一般消費者向け小口取引が成立しない。
ぼくはむやみに規制緩和を訴えるつもりはない。健全な市場育成には、必要な規制もあるだろう。しかし、カネの問題は、確実に進展する世界のネットワーク化の流れのなかで、日本を孤立させる危険があると考えていいだろう。