「国会月報」1996年11月号(新日本法規出版)掲載
江下雅之
無言電話が執拗に何度もかかってきた、電柱の陰から何時間も部屋を覗かれた、駅からひたひたと尾行された――こうした経験の持ち主は、けっして少数ではないだろう。
1992年、アメリカのカリフォルニア州では、他の地域に先駆けて「反ストーキング法」が成立した。「ストーク(stalk)」とは、もともとは「忍び寄る」「後をつける」といった意味である。同意語に「stride」「march」といった単語もあるが、「stalk」という場合には、「意図的に」というニュアンスが強い。冒頭にあげた例は、いずれも反ストーキング法の対象となる可能性のある行為だ。そしてこのストーキングは、インターネットなどの情報通信ネットワークが介在することで、きわめて大きな社会不安をもたらす危険性がある。
今回のレポートでは、反ストーキング法成立の背景、その内容と問題点を解説してみたい。最後にまとめとして、情報化社会、とりわけネットワーク化が進む現在において、どのような危機が実際に考えられるかを考察してみたいと思う。
ストーキング行為とは「つきまとうこと」と表現するのが適切であると思われるが、はたしてどのようなものが、犯罪として対処すべき対象となるのか。尾行や無言電話が社会的に許容されるものではないにしても、実際のところ、「つきまとうこと」は日常生活のさまざまな側面で見出すことができる。たとえば芸能人の一部には、いわゆる「追っかけ」という熱心なファンが存在する。放送局やスタジオに網をはるようなグループもあれば、宝塚歌劇団やウィーン少年合唱団のように、どの舞台にもかならず見に行くといった人たちも少なからずいる。これらの行為もことばは悪いかもしれないが、「つきまとうこと」と表現できなくはない。また、報道陣が政治家に夜討ちや朝駆けをかけること、取材のために待ち伏せることも、ある意味では「つきまとうこと」に他ならない。テレビのワイドショーのレポーターなども、かなり執拗な「つきまとい」をやっているように思われる。
アメリカでは1990年に、まずカリフォルニア州で反ストーキング法が成立した。その後わずか2年のうちに、13州で反ストーキング法が成立した。96年6月現在、48の州およびコロンビア行政区がこの法律を施行している。唯一、メイン州だけが特別な立法をおこなっていないものの、この州でもストーキング行為に対しては、威嚇に対する法が適用できるという規定を定めている。これら反ストーキング法では、ストーキング行為を「意図的で、悪意があり、かつ繰り返されたつきまとい及びいやがらせ」と規定している。合意なきコミュニケーション行為もストーキングに含められ、州によっては待ち伏せや監視もストーキングと見なしている。
アメリカでストーキングが注目されるきっかけとなったのは、カリフォルニア州で発生した5件の女性殺人事件(いずれも相互の関係はない)であった。そのうちの1件、1989年の女優レベッカ・シェーファー殺害事件は、トークショウ司会者デビッド・レターマンに対するファンの継続的ないやがらせとならび、最も衝撃的なストーキング事例と見なされている。また、元ビートルズのジョン・レノン殺人事件も、現在ではストーキング事件と見なす意見があるし、O.J.シンプソン事件もストーキングの一種と考えられている。
ではなぜ既存法の強化ではなく、あえて反ストーキングというあたらしい法体系が必要になったのだろうか。これまでにあげた簡単な例から、ハラスメントを連想した人もいるだろう。また、脅迫行為との関連から、ストーキングという行為そのものを、暴力(terrorize)の範疇でくくれるのではないか、という意見もあるだろう。実際のところ、侵入(criminal trespass)、暴力的脅し(terroristic threat)、いやがらせ(harassement)の取締法との併用をおこなっている州が多い。この場合、「侵入」とは「居所、建物の中、あるいは地所の上に、注意に反して侵入あるいは居残り、故意にかつ非合法的に攻撃を加えること」と規定されている。ハラスメントの禁止の対象となっているのは、攻撃的な身体接触、侮辱的な言動、中傷行為となる意図的ないやがらせ、あるいは脅しなどである。また、「暴力的脅し」とは一般に、「相手を切迫した死への恐怖に置き、脅迫が実行されると信じるに足る状況に追いつめて殺害の脅しをかけること」を指している。
ところが、ストーカーが「つきまとい」までに至る理由は、被害者と知り合いになりたいというものから、嫉妬、怒り、公憤など、さまざまである。ストーカーによっては本心から憤りを感じ、世間になりかわって「警告」の電話をかける場合もある。また、有名人と知り合いになりたいばかりに、いろいろな贈り物を届け、それを無視されたことで暴力的な行為におよぶ者もいる。
反ストーキング法が連邦政府の司法委員会で論議されるなかで、ストーキング行為が徐々にエスカレートし、おなじ「標的」への攻撃が繰り返される点が注目された。しかしながら、ストーキングはおおくの行動の集積であり、初期段階の個々の行動そのものは、たいていの場合、合法的である。そして殺人にまで至る例があることから、総合的な見地から被害者への危険を判断する基準や法体系が求められるようになったのである。
アメリカの場合、家庭内暴力が深刻な社会問題となっている。とくに夫による暴力的な行動がしばしば女性の人権を踏みにじり、しかも司法手段による救済が十分になされない事例も多かった。実際に離婚調停中はきわめてストーキングが発生しがちであるが、その状況は日本でも類例が見いだせるものと推測される。連邦政府は1994年に「VIOLENCE AGAINST WOMEN ACT」を作成し、このなかで反ストーキングについても唱っている。
犯罪の立証には動機の確定が必要であるが、先の項目で示したようなストーキングの特殊性――初期の動機には脅しやいやがらせの意図がなくても、行動がエスカレートする危険性があることから、行動そのものが注目されることになった。その結果、ストーキングの認定には加害者による一連の行動をまずは立証する必要がある。そして一連の行動とはこの場合、「目的を保ったまま一定期間にわたって実行された連続行為」とされている。なお、多くの州では、通常の人なら脅迫されたと感じるに足る行動であれば、たとえ言葉として発せられなくても、ストーキングであると規定した。家族への脅迫をストーキングの証拠として採用する州もある。
ストーキングに対する刑罰は、軽微な行動と見なされたもので禁固一年以内、被害が重いものには3〜5年、州によっては10年あるいは20年の刑期も課している。また、ほとんどの州ではストーカーが武器を持っていたり、16歳未満の者が標的となった場合には、刑を加算できるようになっている。保釈についてはさまざまな条件が州によって決められたいる。犯罪の性格上、保釈は被害を繰り返す可能性があるからだ。ストーカーの行動が異常なものであっても、ストーカーが精神的な病気を持っているとは限らないが、現実に精神疾患に悩むストーカーがいるため、彼らを処罰すればストーキングの問題が解決するわけではない。反ストーキング法の調査委員会は、とりわけ確信犯的なストーカーへのカウンセリングの必要性を強調した。しかしながら、カウンセリングの専門家のなかには、このような処置に疑問を呈している。当の本人が自分にはなんの問題もないと確信しているとき、カウンセリングは効果がないというのだ。なお、北カリフォルニアでは1994年7月1日以来、ストーキング行為が確定された者から、DNAのサンプルを取るように求められている。
反ストーキング法の問題点は、いくつかの州における控訴審で提起された。そのひとつ、カリフォルニア州法廷における1992年のハイルマン事件では、「繰り返し(repeatedly)」という用語の曖昧さが追求された。カリフォルニア州では、ストーキングを「意図的に、かつ悪意を持って、繰り返しつきまとい、いやがらせをする……」と規定していた。これに対し法廷は、「意図的に、かつ悪意を持って」は「いやがらせ」を、「繰り返し」は「つきまとい」を修飾しているとの判断を示した。「いやがらせ」はそもそも一連の行動のまとまりであり、あえて「繰り返し」と表現する必要がない、というのである。
フロリダ州のパラス事件では、「いやがらせ」を規定する内容「甚大な精神的苦痛」が、被害者の主観的な基準でしかないという訴えがなされた。控訴審では「甚大な精神的苦痛」は一般人の基準を適用するものであるとの判断を示した。これらの事件以外にも、反ストーキング法で記述されている表現の曖昧さをめぐって、いくつかの控訴審がおこなわれた。
ストーキング対策としては、行動がある段階に達した時点で、ストーカーを保護観察下に置くという手段が有効と考えられる。しかしながら、そのような対策は常に人権問題とからむことがあって、効果的に実施できるかどうかは疑問が残る。その一方、いやがらせの被害者が、法的な解決を望まないというケースも十分に考えられる。アメリカの事例、とくに家庭内暴力にからむストーキング事件では、少なからぬ被害者が検察当局への協力に消極的であるという。
ストーキング問題は、切迫したテーマであるとはいっても、まだまだ多くの事例を収集し、繰り返し研究する必要がある。アメリカでは反ストーキング法が施行されているとはいっても、法案の審議委員会は再度の見直しの必要性をうったえている。そして証拠不十分な状況であっても、警察官レベルで地道に関連事例を収集することの重要性が指摘されている。
ストーキングは複雑な人間関係の錯綜する現代社会では、すでに無視できない問題となっている。これは日本とて例外ではない。小林信彦の小説『怪物が目覚める夜』では、カリスマ化されたラジオのDJに扇動されたファンが、放送作家にさまざまないやがらせをおこなう場面がある。作家のもとには無言電話、白紙ファックスが集中し、頼みもしない店屋物が繰り返し届けられるようになる。そして最後は、DJ自身が熱狂的なファンにつきまとわれ、刺殺されてしまう。このストーリーのなかで、DJはパソコン通信ネットを通じてアジテーションをおこなったり、「標的」の所在地を伝えている。今日、通信ネットワークはきわめて有力なコミュニケーション手段として認知されつつある。誰でもわずかなコストで世界中の人間と交流できる。また、個人の力で数百人、数千人にメッセージを発信できる。
脅迫状を千通送ろうと思ったら、それなりの労力とコストが必要だ。尾行をしようと思ったら、自分自身も時間に拘束されてしまう。ところが、通信ネットワークの世界では、コミュニケーションの可能性が広がったことにより、こうした行為がごく簡単にできるようになってしまった。電子メールなら複製コストはかからないに等しい。電子情報は繰り返し利用可能である。また、いつどうやってメールを送るかといったことも、簡単にプログラムできてしまう。メディアの発達は、ストーキングのような行動に対する脆弱性をいっそう深刻にしているのだ。
ハッキング行為が重なると、事態はさらに複雑になる。インターネットでもパソコン通信でも、実際にコミュニケーションをおこなっている「相手」の顔は見えない。本人の確認は、電子メール・アドレスやID番号といった「記号」でおこなわざるをえない。通常、各利用者はそうした識別記号を用いるとき、本人しか「知らないはず」のパスワードで自衛するようになっている。ところが悪質なハッカーたちは、他人のパスワードを破ろう(クラッキング)とする。そしてパスワード盗用に成功すると、かつては金品の被害がもたらされていた。しかし最近見られる多くの事例は、むしろストーキングの隠れ蓑につかわれる傾向があることを示している。
筆者が知っている事例でも、「姿の見えない」ストーカーは、ある「標的」に繰り返しいやがらせの電子メールを送った。文面の中には、「自分」の住所を明示し、「文句があればここまでこい! 相手にしてやる」といったことまで宣言したのだ。ここでは脅迫状を送りつけられた方も被害者ならば、メールを送ったIDの持ち主も被害者であることは間違いない。しかし本当の加害者をつかまえるには、電子メールの伝搬ルートを完全に把握しなければならない。そのためには、電話回線も含むあらゆる通信網のモニタリングが必要になってしまうのだ。
こうした隠れたストーカーは、確実にわれわれの社会生活に脅威を及びそうとしている。ところが現在の制度では、その対策とプライバシーの問題とが衝突してしまう可能性が高い。抜本的な対策をはかっていくためには、懲罰的な立法措置を取るだけでは不十分であり、社会秩序と個人の自由という根本的な問題から検討していかざるをえない、という結論になろう。
最後に、この原稿の作成にあたって、とくに参考になった資料を列記しておく。
"Regional Seminar Series on Implementing Antistalking Codes"
National Criminal Justice Association, June 1996
"National Institute of Justice Journal #230"
National Institute of Justice, February 1996
"Threat Assessment: An Approach To Prevent Targeted Violence"
Series: NIJ Research in Action, September 1995
いずれもインターネットを通じて入手可能である。次の URLにて原資料が公開されている。
http://www.ncjrs.org/txtfiles/
余談ながら、アメリカの有益な研究資料は、インターネットを通じてごく簡単に入手できるようになっている。日本の関係機関でも、さまざまな研究資料や事例報告を、誰にでも簡単に入手できるようにしてもらいたいものだ。それがひいては、ストーキングのような複雑な問題の解決に寄与するものと確信している。
■行動と思考のモデル化を考える
■ネットワーク・ライフ
|
月刊誌、新日本法規出版/発行
1974年より同誌の発行継承