ネットワーク社会はどのように進むか?(2)

「国会月報」1994年3月号(新日本法規出版)掲載
江下雅之

ネットワークやネットワーク社会ということばは、さまざまな意味で用いられている。井戸端会議もひとつのネットワークなら、自営業者のボランタリーチェーンもまたネットワークだ。今回は、さまざまな意味で用いられるこのことばに、今後の基礎となるような定義を検討してみた。

ネットワークとネットワーク社会

「ネットワーク」とは網状の組織構造を意味する。八〇年代に世界各地で広がった市民運動「ネットワーキング」という用語も、市民が網の目状のむすびつきを実現したことに由来する。ネットワーク構造は「ネットワーク社会」の条件であることは間違いないが、かならずしもそれだけで定義できるとは思えない。後述するように、日本企業にみられるタテ型の組織形態も「ネットワーク」構造であるが、これをネットワーク社会と呼ぶのは抵抗がある。

 まず、ネットワークということばを社会構造に用いるときの条件を検証してみよう。一橋大学教授の金子郁容氏は、「ネットワーク」についてつぎのように述べている。

『本書でわれわれがネットワークというのは、それぞれ確立した「個」が互いの違いを認識しあいながらも、相互依存関係で自発的に結びついたもので、ある種の緊張を伴う関係の中で意味と価値を作り出していくプロセスである』(出典:中公新書「ネットワーキングへの招待」金子郁容)

 「タテ社会、ヨコ社会」を提唱した、社会人類学者の中根千枝氏の見解はつぎのとおりだ。

『ネットワークという概念は、社会学的には、本来、個人と個人を結ぶもので、ネットワークの網の目は個人であって、集団ではない』(出典:講談社現代新書「タテ社会の力学」中根千枝)

 いささか長い引用になったが、ネットワーク社会の第一の特徴は、あくまでも「個人」を単位としてきずかれる人間関係であることだ。

 一方、中根氏は著書「タテ社会の人間関係」のなかで、個人の「資格」の共通性、「場」の共有、それぞれにもとづく社会集団構成原理を提示した。前者が「ヨコ」の関係をきずき、後者がいわゆる「タテ社会」の原理となることを理論づけた。

 コンピュータや電気通信の世界では、「ネットワーク」はさまざまなトポロジーをとりうる。階層型の構造(木のかたちに似ているので、「ツリー型」ともいう)もあれば、スター型(中心の一点にのみ向かう構造)、文字通りの網の目型などがある。したがって、「場」の共有にもとづく「タテ社会」を、序列によって階層化されたネットワーク社会と呼ぶことも可能だ。中根氏も著作の中で「タテのネットワーク」ということばを使っているが、これは序列関係による構造を意味しているとかんがえられる。

 しかしながら、金子氏の主張に見られる「相互依存関係で自発的に結びついたもの」は、個人が特定の「枠」に拘束されることなく、それぞれが同列の存在であることを示している。これは中根氏のいう「ヨコ社会」を特徴づけるものだ。中根氏自身、「ネットワーク社会」ということばをヨコ構造にのみ用いている。ここから、ネットワーク社会の第二の特徴として、「ヨコの構造を持つ社会」をあげてよさそうだ。

ネットワーク社会参加の「資格」

 ところで、中根氏はヨコ社会を論ずるとき、「資格の共通性」を構成要件にあげている。この「資格」とはなにか? 前出「タテ社会の人間関係」によれば、『社会的個人の一定の属性』が「資格」だ。それには、氏や素性のような生得的な属性から、学歴、職業のような、社会生活の中で獲得する属性までがあてはまる。また、「資格の共通性」による社会として、インドのカースト社会(身分という「資格」)、アメリカやイギリスの学者社会(学位という「資格」)が例示されている。ここでいう「資格」は、「ある集団で認知され、なんらかの共感をもたらしうる共通性」といいかえることができそうだ。その中には、地縁・血縁的要素もあれば、社縁的要素もある。

 一方、テニエスの「共同社会:ゲマインシャフト」および「利益社会:ゲゼルシャフト」のかんがえにみられるように、社会のよりどころは社縁を中心にうつしつつある。現代日本では核家族化などで血縁集団が縮小し、都市生活者の増加に伴って、地縁社会も希薄化した。このような状況で「資格」の意味をかんがえるとき、「社縁」、とくに「利益をもたらす関係」を強く意識せざるをえない。ここでいう「利益」は、むろん経済的利益のみを意味するわけではない。アメリカの社会学者ターナーが述べるところの『社会的資源』、つまり、愛情、地位、情報、金銭、物品、サービスなどを総括したものだ。場への所属を特徴とするタテ社会では、場そのものがこれらを与えるシステムにもなっているとかんがえられる。場に所属することで、構成員は『社会的資源』をえるのだ。

 一方、構成員の同質が特徴のヨコ社会では、利益のやりとりは明確な「顔」をもったそれぞれのメンバーが供与しあう性質があるようにかんがえられる。ふたたび金子氏のネットワークに関する考察を見てみよう。『相互依存関係』とは、まさしくこの利益の供与関係を意味するものだ。このように眺めてみると、「何らかの共通する利益を求め、なおかつそれを与えあうこと」がネットワーク社会の求心力であるといえよう。同時に、「利益をあたえる」ことが、ネットワーク社会への参加資格とみることができる。

 さて、「利益」という条件を入れてみると、これまで「ネットワーク社会」と捉えられていた集団の多くが、実は社会と呼べるようなしっかりした構造を持たず、単なる寄り合い所帯にすぎないことがわかる。とくに電子メディア上に築かれている「社会のようなもの」に、その多くの例を見いだせる。また、構成員がえられる利益の重要性によって、社会の強さに差があるのは当然といえよう。ささいな関心事を知る程度の満足しかえられないネットワーク社会であれば、その分解も比較的容易であろう。

 次回では、このようなネットワーク社会の特徴や問題点を考察してみたい。


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