「月刊Ellery Queen's Mystery Magazine」(光文社)
1995年7月号pp.158-159掲載
江下雅之
「これが地下におりる階段の入り口の鍵ね」
あとで封筒にでもしまって、管理人用の郵便ボックスにいれておけばいい、ともいわれた。合い鍵をつくれってことなのか。
借りた鍵をつかって、さっそく階段のわきにあるえんじ色の扉をあける。なぜかフランスの鍵はすべて二度まわして、さらにとどめのひとひねりで扉がひらく仕掛けになっている。最後のだめ押しを知らないと、鍵が壊れていると勘違いしてしまう。
いま住んでいるアパルトマンの契約をするとき、大家さんから地下にカーヴがあると知らされていた。フランス語でカーヴ cave というと、「酒屋」「地下室」というふたつの意味がある。この場合、もちろん後者のほうだ。パリのアパルトマンならたいてい各室ごとに専用の納戸が地下にある。実際に「ワイン蔵」としてつかっているひともいる。
第二次大戦中のナチ占領下では、地下室がユダヤ人の隠れ家につかわれるところもおおかったそうだ。フランソワ・トリュフォーの映画『終電車』には、その様子がくわしく描かれている。大家さんからカーヴのことを聞いたとき、この映画にでてきた雰囲気がまだ残っているかどうかを確かめたくなった。
いまでも隠れ家ではないが、仮眠所や調理場につかっている店はおおいようだ。たとえばうちのアパルトマンは一階にサンドウィッチ屋がはいっている。以前、店のおやじが見あたらないので呼んでみたら、地下からいきなりあらわれた。ほんの畳半畳ほどの戸を持ち上げるところなどは、隠れ家の余韻がまだ残っているようだった。
扉を手前にひく。階段が左にカーブしながら下に続いていた。ちょうど階をのぼりおりする螺旋階段を、そのまま地下に延長させたような位置だ。扉をひとつへだてただけで、ステップがワックスのきいた木から、うすよごれたコンクリートにかわる。
扉のすぐ右手にミニュットリーがあった。フランス人のケチとものぐさの妥協の産物だ。電灯のスイッチなのだが、ミニュットリーはオン専用である。オフがない。そのかわり、一定時間経過すると、電灯は自動的に消える。
普段は便利なシロモノだ。いちいち切る手間が省けるのだから。
しかし、おおきな荷物を運んでいるときや、前に誰かが灯したあとなどは、これがえらく腹立たしい。灯っているときに押しても継続扱いにはならないのだ。最初に押した時点から時間が計算される。だから、荷物を運んでいる途中、いきなり真っ暗になってしまうことがあるのだ。
公共の建物のなかには、トイレにもこのミニュットリーだ。あまり長時間ふんばっていると、大の途中に真っ暗の個室に密閉状態となるのだ。あらかじめ紙の位置だけは確かめておいたほうがいい。
ミニュットリーをオンにしてから、階段をゆっくりと降りてみた。あちこちに電球がぶらさがっているため、なかはかなり明るかった。
おりたら右、つきあたりがぼくのカーヴである。
映画のとおりだ、と思った。階段が終わると、舗装もタイル貼りもしていない湿った土の床となった。階段のおりぐちから左右に通路が延びる。壁の部分は、おおきめだが磨耗したり削ったあとのあるブロックが積み上げられている。階段正面の部分は先の通路との出入口になっている。かなり隙間のおおきな木の扉の閉まった納戸がふたつ見えた。
通路を右にむかう。三メートルほど先で突き当たりになる。左側の壁には脚立がたてかけられていた。足下にはおおきな缶がある。ペンキかなにかだろう。
カーヴの扉は、幅が一メートル半ほどあるおおきなものだった。まんなかあたりに丈夫そうな鍵がついていたけれども、まったく使いものにはなりそうになかった。雌側をつけるべき壁の部分が、なにかで深くえぐりとられていたのだ。
扉のまわりを点検していると、いきなり真っ暗になった。すぐ横にミニュットリーのだいだい色の光が見える。手を伸ばして押す。ふたたび地下室じゅうの照明がともった。
懐中電灯のスイッチをいれてから扉をあける。蝶番はまだあたらしいようだ。きしみもせずに開いた。
すこしのあいだ、なかの気配をさぐる。誰かが隠れているとは思わなかったが、ネズミならじゅうぶんにすみついていそうだった。数秒後、物音ひとつないのを確かめてから、なかに足を踏み入れた。
思っていた以上に広い。二坪以上はありそうだ。
代々の住民の「置きみやげ」がかなり残っていた。扉の右手にはほこりをかぶったテーブルが置かれていた。奥のほうには壊れた椅子や机の残骸が積まれていた。そのうえに、まだわりとあたらしいマットレスがよりかかっている。ひょっとしたら、本当に誰かが住んでいたのかもしれない。
なかの壁もおおざっぱなブロックでおおわれている。表面はすでにはげ落ち、こまかなカスが床に落ちていた。だれかが土をきらったのか、下にはベニア板がしかれていた。
天井までは二メートルほどだった。納戸にしては十分すぎるほどだが、もともと天井のたかい部屋にくらべると、これでも圧迫感を感じるほどだ。
この日は簡単な探検だけで終えた。
三日後、スーツケースや空の段ボールなどをしまおうために、ふたたびおりていった。たまたまほかの住民も用があったらしく、こんどは地下への扉があいていた。電灯もついたままだ。
階段をおりると、左手のほうにひとの気配がした。やはりスーツケースをしまっているところだった。
荷物をひきずりながら自分の納戸まで進む。扉をあける。テーブルの上にミネラル・ウォーターのペットボトルが置いてあった。サンドウィッチの包み紙のようなものも捨ててある。
誰かのごみ捨て場にされているらしい。荷物を運び入れると、すぐに近くの工具店から錠前を買ってきた。そうでもしないと、粗大ゴミ置き場にもされかねない。
ときおり地下のほうから、うつろな音楽がきこえるアパルトマンもあるらしい。時間帯は昼がおおいそうだ。場所によってトランペットの音だったり、バイオリンの音色だったりする。それも毎週、ほぼきまった時刻にはじまり、きまった時刻に終わる。
……といっても、べつにホラーがらみのはなしではない。パリのアパルトマンはどこも騒音にうるさい。楽器の練習をするひとは、地下室で練習することもおおいのだ。
隔月誌、光文社/発行
1978年創刊
翻訳ミステリーの著名な雑誌だが、1999年で休刊となった。
なお、もともとEQMMは1956年に早川書房より創刊された。これは米国の《Ellery Queen`s Mystery Magazine(EQMM)》誌の日本語版である。巻頭には江戸川乱歩の翻訳による「魔の森の家」(カーター・ディクソン作)が掲載されている。この雑誌は1966年に《ハヤカワ ミステリーマガジン》と改称され、1977年にはEQMM誌との特約契約も解消された。
早川書房がEQMMとの特約を解消したすぐ後に光文社のEQMMが創刊された。創刊号の巻頭には、エラリー・クイーン自身のメッセージ(の日本語訳)が掲載されている。長らく、本国版EQMMの翻訳を独占的に担ってきたが、翻訳権交渉の更新がまとまらず、1999年に休刊となった。