「月刊Ellery Queen's Mystery Magazine」(光文社)
1999年3月号pp.070-071掲載
江下雅之
風俗史の権威として知られる文学者ロミが、排泄物にまつわる文化史の著作を発表した。このなかの現代を考証する部分で、日本では若い女性の排泄物が売買されているらしい、という記述がある。また、ドイツのテレビ局が日本のアダルト・ビデオ制作会社を取材した際に、トイレの盗撮ビデオを見て「モラルに反する!」と激怒した。欧米にもポルノビデオ産業はあるが、こうした趣向はモラル的に受け入れられない、ということである。
……こんな話が、一二月の第一週に、フランスの日本語週刊新聞のコラムに掲載された。
コラム子は、日本のブルセラ嗜好が西欧の識者には理解しがたい特殊な現象と解釈しているようだ。しかし、そういう感覚の方がナイーブすぎるように思えてならない。
だいたい西欧といえば、フェティシズムの本場ではないか。フランスにはサドという名だたる「自由人」がいたくらいである。ポルノにしたところで、ドイツのフランクフルト空港にあるアダルト・ショップ(ヨーロッパでは最も安い店との評判)にあるポルノ・ビデオやポルノ雑誌など、日本で流通しているような生やさしいものなど比較にならない過激さだ。オランダやフィンランドの業者が開設しているインターネットのホームページなど、スカトロあり、近親相姦あり、下着マニアあり、足フェチあり、盗撮ありで、それこそ「なんでもあり」の状況である。
スパンキング(お尻叩き)やWAM(Wet and Messy)など、日本にはまだなじみが浅いフェティッシュ系ページも大量にある。身体毀損愛好家(?)のホームページには、縦裂きにしたペニスの画像まで掲載されている。真っ二つに別れたペニスの姿は、かつてゴジラの好敵手だった怪獣キングギドラの首が一つもげた状態を想像してほしい。
ことサブカルチャーやフェティシズムというジャンルに関するかぎり、その入れ込みぶりや濃さたるや、日本の比ではない。日本のブルセラや盗撮の存在ぐらいで西欧人が驚くはずはない。問題は、存在そのものよりもむしろ、「あり方」なのではなかろうか。
フランスでは四年前に「Qu'est-ce que c'est, "OTAKU" ?」(オタクとは何ぞや?)と題するドキュメンタリーが放映された。内容はというと、同人誌即売会コミック・マーケットのコスチューム・プレイや中野貴雄監督の女相撲、フィギュア愛好家の姿を一通り紹介しただけ。一応、心理学者やコラムニストなどのインタビューをまじえはしたものの、全体的に、奇異に映る映像を羅列しただけとの印象は拭いきれない。現象を社会的背景にいたるまで掘り下げようとした姿勢も見られない。その後もブルセラ現象やお受験など、映像としてわかりやすい現象を紹介するドキュメンタリーが何度か放映されている。しかしどれも、「オタクとは何ぞや?」の域を出るものではない。
番組がとくに大きな反響を呼んだという形跡も確認できていない。もともとフランスのマスコミに日本の経済情報以外が取りあげられることは少ないが、それでもオウム真理教の地下鉄サリン事件などは、全新聞が一面トップで速報したり、主要な週刊誌が軒並み特集記事を組むほどの注目を集めた。とりたてて日本に無関心なのではない。注目すべき現象は注目されている。
とはいえ、そこにはやはり、ヨーロッパ的な基準から見て注目にあたいするかどうか、というフィルターが介在することは間違いない。たとえば日本ではあれほど大騒ぎになった神戸市須磨の小学生殺人事件が、フランスでは一部の週刊誌がごく小さく扱ったにすぎなかった。変な話だが、ああした事件はヨーロッパではもはや「特殊」とはいいがたいのだろう。現にイギリスでは、ほぼおなじ時期にもっと陰惨な少年犯罪が起きていた。
ブルセラやお受験のドキュメンタリー番組にしても、フランス人に反響を与えたというよりも、むしろ日本人に変な心配を植え付けた面の方が大きいのではないか。件のコラム子の反応は、その典型であるように思われる。
パリには日本のアニメ系同人誌をもっぱら扱う書店が六店舗もあるという。いずれもソルボンヌの近くだ。日本の「まんだらけ」のような古書店が卸元になっているようである。それらがフランス人アニメファンを席巻している……とまでは言わないが、一部の愛好家たちに人気があることは間違いない。大学のアニメ・サークルがときおり開催する展示会では、セーラームーンのコスプレはお約束事のように登場する。
もちろん、フランスにも独自の濃い世界はある。フランスのそうした事情に詳しいSM作家の館淳一氏によれば、クレパックス、マナラ、セルピエリなど、フレンチ・コミックスの世界で巨匠と目されている人たちの描写たるや、日本のマンガ世界からは到底見出せない濃厚かつ精緻、そして執拗さである。
しかし、そうした特定の嗜好を持つ人のための世界は、けっして社会現象とはならないのである。個々人がやたら濃い趣味を持とうが、それは個人の趣味、個人の世界である。フェティシズムはそういう側面がとくに強い。ヨーロッパにもブルセラ趣味や盗撮趣味を持つ人がいないはずはない。が、それが表だった社会現象となることもまた、まずえりえないことである。趣味とは個人がひっそりと楽しむものであって、メディアでもてはやされるようなものではない。
隔月誌、光文社/発行
1978年創刊
翻訳ミステリーの著名な雑誌だが、1999年で休刊となった。
なお、もともとEQMMは1956年に早川書房より創刊された。これは米国の《Ellery Queen`s Mystery Magazine(EQMM)》誌の日本語版である。巻頭には江戸川乱歩の翻訳による「魔の森の家」(カーター・ディクソン作)が掲載されている。この雑誌は1966年に《ハヤカワ ミステリーマガジン》と改称され、1977年にはEQMM誌との特約契約も解消された。
早川書房がEQMMとの特約を解消したすぐ後に光文社のEQMMが創刊された。創刊号の巻頭には、エラリー・クイーン自身のメッセージ(の日本語訳)が掲載されている。長らく、本国版EQMMの翻訳を独占的に担ってきたが、翻訳権交渉の更新がまとまらず、1999年に休刊となった。