巴里の秘密[6] 街 娼

「月刊Ellery Queen's Mystery Magazine」(光文社)
1996年7月号pp.212-213掲載
江下雅之

ある「交渉」風景

「平均年齢は44.5以上、最近は後継者がほとんどいない」
 これは、3年前にとある調査機関がおこなった、巴里の街娼(fille des rues)に関する実態調査の結果だ。曰く、「高齢化が進んでいる」。
 巴里を代表する(?)妖しげな街は、モンマルトルの丘のたもとだろう。とくに「巴里の歌舞伎町」ともいわれるピガール広場近辺には、ストリップ劇場やセックス・ショップが集中している。が、モンマルトルの丘は巴里市内随一の観光地であもあるため、ふもとも日中は観光客でごった返している。家族連れがあふれかえる通りでは、街娼も商売にならないだろう。夜になればポン引きのあんちゃんの姿はちらほら見かけるものの、fille たちは建物のなかだ。
 むしろ、リヨン駅やサン・ラザール駅のようなターミナルからちょっとはずれた通りのほうが、客との交渉姿などを見かける機会が多い。ぼく以前、こんな光景を見た。
 真っ赤なボディコン超ミニで、やたらヒールの高い靴を履いた若い(ように見えた)女性が、道ばたに停車したルノー・クリオに乗った男と話し込んでいた。女は右手に煙草を持ったまま体をかがめ、男の方はおおげさな手振りでなにやらうったえていた。
 女が車から離れる。ルノーは女を置いて走り始めた……が、二〇メートルほど進んで停車し、バックで戻ろうとした。ところが、女の立っていた場所にはすでに次の車が停まっていた。女はふたたび身をかがめ、運転席の男となにやら話し始める。間もなく女は車の前をまわりこみ、助手席へと滑り込んだ。後に残されたルノーのなかには、肩をすくめて照れ隠しをする男がひとり。

サン・ドニ通りの女たち

 昼日中から街娼を見かける場所は、巴里市内ならおそらくサン・ドニ通り沿いだろう。ぼくはかつて三ヶ月ほど Forum des Halles とよばれる巴里中心部のショッピング・センター近くの屋根裏部屋に住んでいた。ここをかすめるようにしてサン・ドニ通りが走っているのだが、アパートから最寄りのメトロの駅までいくのに、この通りの端っこを通らざるを得なかった。
 朝7時半ごろ。まだ人通りも交通量もそれほど多くなく、清掃車が道を水浸しにしている傍らで、場違いな衣裳を着た女性複数が建物にもたれかかり、所在なげな様子で煙草をふかしている。場違いな、とはいっても、場所がサン・ドニ通り沿いなのだから、もともとは彼女たちのテリトリーだ。もたれかかっていた建物には、ストリップ劇場が入っている。駅までの近道を行くには、彼女たちの間を突っ切らなければならなかった……。
 巴里市街は妖しげな区画とアパート街、オフィス街が、モザイク状に入り組んでいる。高級住宅街とかオフィス街といわれる地区はあるが、たいていは500メートル四方のブロック単位でいろいろな「街」が隣接しあっていると考えていい。
 Forum des Halles の北側、サン・ドニ通りの西側にあたる一区画は、街娼たちが昼から客待ちをしている姿がごく日常的な景色となっている。3年前の夏のある日、ぼくは滞納になっていた先住者の電気料金を払うべく、最寄りの電力公社事務所に向かった。地図をよくよく調べる、ある区画を斜めに突っ切れば近道ができることがわかった。ルーブル美術館から伸びる大きな通りを渡り、人通りをかき分けながら進み、地図で見つけた番地のあったところで左側の路地に入る。
 ほんの10メートル進んだだけで、街の雰囲気が一変した。かき分けるほどの人混みが、まったく絶えた。ときおり男の姿を見かけるが、足どりがみなおぼつかない。そして、通りすぎる建物の入り口には、必ず女が一人立っていた。遠くからはわからないが、近くになるとはっきりその存在がわかる派手な服装と化粧姿で。もっとも、この光景を見たときに、数日前新聞で見かけた「街娼の高齢化」という記事を思い出したものだが。
 このブロックを早足で過ぎると、5分ほどでスーツをぴっちりと来たビジネスマンやOLたちが闊歩する大通りに抜けた。そこかしこの大きな建物の入り口には、派手目な女ではなく、がっしりした守衛が立っていた。

靴と娼婦

 ところで、「男を誑{たら}す女」を演ずるフランス人女優といえば、ブリジット・バルドー、ジャンヌ・モロー、そしてカトリーヌ・ドヌーブの三人がすぐに思いつくだろう。『素直な悪魔』で男をひっかきまわす自由奔放な女を演じたバルドー。『死刑台のエレベーター』で部下と不倫した挙げ句、夫を殺害させる社長夫人を演じたモロー。そしてドヌーブはフランソワ・トリュフォー監督の『昼顔』で、破滅的な娼婦役を演じた。この三人のなかで、ドヌーブには高級娼婦のイメージがつきまという、といわれている。
 カトリーヌ・ドヌーブが世界的な女優であるのは誰もが認める事実であるし、本国では現代フランスを代表する女性の一人とも評価されている。それらの名声と同時に高級娼婦の姿が重ねられている理由は、代表作『昼顔』での名演ではなく、ドヌーブ個人の靴へのこだわりだと考えられている。
 巴里の娼婦は、履いている靴でランクが分かるという。街娼は街娼らしい靴、高級娼婦は高級娼婦にふさわしい靴を履いている、というわけだ。売れっ子になればなるほど靴へのこだわりが増し、粋人はその符丁をちゃんと解読するものだという。
 女を誉めちぎることはナンパの鉄則だというが、フランスではヘタに靴のことにはふれないほうがいいかもしれない。相手が本職ならともかく。


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Ellery Queen's Monthly Magazine

隔月誌、光文社/発行
1978年創刊
翻訳ミステリーの著名な雑誌だが、1999年で休刊となった。
なお、もともとEQMMは1956年に早川書房より創刊された。これは米国の《Ellery Queen`s Mystery Magazine(EQMM)》誌の日本語版である。巻頭には江戸川乱歩の翻訳による「魔の森の家」(カーター・ディクソン作)が掲載されている。この雑誌は1966年に《ハヤカワ ミステリーマガジン》と改称され、1977年にはEQMM誌との特約契約も解消された。
早川書房がEQMMとの特約を解消したすぐ後に光文社のEQMMが創刊された。創刊号の巻頭には、エラリー・クイーン自身のメッセージ(の日本語訳)が掲載されている。長らく、本国版EQMMの翻訳を独占的に担ってきたが、翻訳権交渉の更新がまとまらず、1999年に休刊となった。


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