「月刊Ellery Queen's Mystery Magazine」(光文社)
1997年3月号pp.222-223掲載
江下雅之
96年12月3日、パリでまたしても爆弾テロがあった。
現場は郊外電車のポール・ロワイヤル駅。夕方のラッシュアワーに発生したため、数十人の重軽傷者、4名の犠牲者が出た。
駅近辺はリュクサンブール公園の南端で、東京でいえば原宿に相当するところだ。我が家から徒歩8分、3年前は週に2回利用した駅でもあった。
テレビや新聞の報道では「メトロの駅」と伝えていたが、メトロと郊外電車とでは、市民の利用方法から路線の数にいたるまで、大きく違っている。もしも本当にメトロで爆破がおこなわれたら、いっそう深刻なパニックが生じていただろう。
パリ市内には現在14路線の地下鉄(メトロ)が運行し、2路線が建設中である。ニッポンのような路線名はない。すべて番号で区別されている。
駅と駅の間隔は東京の地下鉄よりも短い。平均して3分の2程度の距離だ。ダイヤは始発と終電が決まっているだけ。年がら年中、突発的なストや技術的なトラブル、そして決して少なくない飛び込み自殺(フランスの自殺者数は交通事故の犠牲者数よりも多い)、が発生し運行がストップするので、細かな時間割を決めても意味がない。
時間帯によってはえらく混雑する区画がある。代表はメトロ1番線のジョルジュVとシャトレ駅の間だ。市街地をほぼ横断するこの1番線を、ぼくは「パリの銀座線」と呼んでいる。夕方の帰宅ラッシュの時間帯は、実際に銀座線の虎ノ門・銀座間なみに混雑する。ここで爆破テロがおこなわれたら、犠牲者は100人を下らないだろう。
メトロの夏のラッシュは東京の地下鉄以上に苦痛だ。パリの気候は東京よりも涼しいし乾燥もしている。メトロの車輌には当然クーラーは装備されていない。路線の換気もよくない。人間の体から出る体温や汗の湿気がどんどんたまる。
夏にいちばん気温があがるのが午後4〜5時ごろなので、ラッシュアワーは二重に苦痛だ。トーキョーの苛酷な通勤の風景はフランスでもときおり放送されるが、メトロ1番線の夏に限っていえば、かなりいい勝負をしていると思う。
おまけにパリは人種のサラダボールである。メトロの中にはいろいろな民族の「芳香」がブレンドされている。鼻の敏感な方。とりあえずの対策はドア近辺でうずくまっていること。もっとも、このポジションは乗降時にいちばんスリに狙われやすいところでもあるのだけれど。
郊外電車、正確にはRER(Reseau Express Regional)は、ニッポンの首都圏でいえば、東横線、小田急線のような私鉄路線、あるいは京浜東北線や総武線などの旧国電(E電ということばはまだ生きているのだろうか?)に相当するようなものだ。
ただしメトロとの相互乗り入れはおこなわれていない。そもそもメトロは自動車とおなじく右側通行だが、RERはニッポンの電車とおなじ左側通行だ。ヘタに乗り入れたら、運転士の方向感覚がおかしくなるだろう。
最近はパリでもドーナッツ化現象が加速しているので、朝夕はけっこう混雑する。利用者が最も多いRER A線のド・ゴール駅(凱旋門の地下です)とシャトレ駅では、「ヨーロッパの駅にはない」といわれる駅員のアナウンスがガンガンかかる。内容はニッポンとおなじ。「降りる方が優先です」「一歩ずつ中ほどにおつめください」「ドアが締まりますのでご注意ください」等々。
混雑のピーク時間にはバイト学生風の職員が、「押し屋」のようなこともおこなっている。もっとも、実際はドアが締まる直前にとうせんぼをするだけだが。ラテン民族は押されるのを待つほどほどヤワではない。自分から強引に体をねじ込んでいくだろう。
パリおよびその周辺地域の環境は、ニッポンにあてはめてみれば、東京の環状八号線の外側に軽井沢を持ってきたようなものだ。市街地は建物の間にほとんど隙間がないくらい密集している。しかし、環状道路の外側は、いきなり広々とした丘陵や森が広がる。
RERのターミナル駅は、田園風景のさらに先にある新興都市にある。そうしたところは夜になると駅から人の姿が絶える。通過区間も夜になると真っ暗だ。実際のところ、早朝や夜遅い時間にRERのパリ市外区間に乗るのは、けっこう怖い。
そのRERのなかでも、どの時間帯でも比較的人が絶えない路線、それが爆弾テロにでくわしたRER B線だった。
RER B線はフランスの二つの主要空港――国際線のド・ゴール空港、国内線のオルリー空港を直結する。バスよりも移動が速く、ダイヤも比較的正確なので、旅慣れた人は市内に出るのにけっこうこの路線を使う。昨年の7月に爆弾テロがあったのもRERだったが、そのときは C線の駅だった。このC線は国会議事堂のすぐ近くを通過する。爆破の被害から復旧したのは、今年の7月だった。
テロ実行犯と見なされているアルジェリア系イスラム原理主義のグループは、依然としてテロ続行を予告している。フランス政府も議会も妥協には応じないことを表明している。単純に考えれば、利用者が最も多いRER A線が残されている。
隔月誌、光文社/発行
1978年創刊
翻訳ミステリーの著名な雑誌だが、1999年で休刊となった。
なお、もともとEQMMは1956年に早川書房より創刊された。これは米国の《Ellery Queen`s Mystery Magazine(EQMM)》誌の日本語版である。巻頭には江戸川乱歩の翻訳による「魔の森の家」(カーター・ディクソン作)が掲載されている。この雑誌は1966年に《ハヤカワ ミステリーマガジン》と改称され、1977年にはEQMM誌との特約契約も解消された。
早川書房がEQMMとの特約を解消したすぐ後に光文社のEQMMが創刊された。創刊号の巻頭には、エラリー・クイーン自身のメッセージ(の日本語訳)が掲載されている。長らく、本国版EQMMの翻訳を独占的に担ってきたが、翻訳権交渉の更新がまとまらず、1999年に休刊となった。