巴里の秘密[12] 尻たたき

「月刊Ellery Queen's Mystery Magazine」(光文社)
1997年7月号pp.216-217掲載
江下雅之

ルソーの人生を変えたスパンキング

 一七二三年ごろ、当時一一歳のジャン=ジャック・ルソーは、ランベルシエ牧師の家に下宿していた。ある日、牧師の一人娘が彼を折檻する。二度、三度とルソーの尻をひっぱたく。そしてルソーはお尻たたきの虜になってしまったことを、『告白』なかで延々と述べている。
 ランベルシエ嬢のおしおきは二度だけで終わってしまった。折檻のつもりで尻をひっぱたいても、当のルソーは恍惚としてしまう。子ども時代のこの感覚が、ルソーのその後の嗜好を決定づけたという。横柄な愛人にひざまづき、その命令に従うこと、許しを乞うことが、ルソーにとっては甘美な喜びとなったのだ、と。
 フランスでは一八世紀にお尻たたきが流行した。鞭は快楽装置ともなり、サドの時代には、パリに「鞭と女性のクラブ」といったものまで登場した。メンバーたちはお互いの尻を「優雅に」ひっぱたきあった。

尻を鞭打つ行為

「お尻たたき」という行為は、「スパンキング」ともいわれる。これは英語spankingをそのままカタカナで表現したものである。しかし、おなじ「お尻たたき」でも、アングロ=サクソン流とフランス流とでは「作法」が若干異なるようだ。
 官能小説家の館淳一氏の指摘によれば、「spanking」は「掌、あるいは平たいものでお尻を打つこと」を意味し、たたく部位と道具とが密接に関連するとのことだ。spankingの場合、道具として用いられるものは、パドル状・ラケット状のもの、定規、ヘアブラシの背、スリッパ、丸めた週刊誌などである。傷がつくようなもの・行為はspankingとはいわず、その場合は別な担当語が出てくる。たとえば手を使っても拳固ならbeatingと表現する、ということだ。
 フランス語で「尻をたたく」に相当する単語は「fesser」であるが、これはもともと「手か鞭で叩く」という意味であった。その後、尻を意味するfesseに形が似ていることから、「尻をたたく」という意味に転じたと考えられている。
 かのカトリーヌ・ド・メディチは、尻たたきマニアでもあった。一五七七年五月、シェノンソーという地で開かれた祝宴では、美しい婦女子が多数雇われた。女たちは裸にされ、そして尻を激しくひっぱたかれた。なにか粗相をした娘たちは鞭でたたかれた。べつの機会には、女たちの服は脱がせなかったものの、下着をつけさせなかった。そして服をまくりあげ、尻を存分にひっぱたけた。いずれの場合も官能的な余興としてお尻たたきがおこなわれたのである。
 大革命期にも、修道女や富豪の娘をひっとらえては、鞭で尻をひっぱたくという行為が横行した。もちろん修道院のなかでは、おしおきの名目で鞭はさんざんお尻たたきに用いられてきたわけだが。なんにしても、フランスのfesserに鞭は欠かせない小道具だった。

アングロ=サクソン流とフランス流

 もっとも、フランスの好事家のなかにも、「むき出しの手でむき出しの尻をたたくのが正統派」と主張する者がいる。ジャック・セルギーヌは、尻たたきの作法を本にまで書いている(『Eloge de la fessee』、尻叩き礼賛)。
 セルギーヌによれば、尻を叩くのは愛情表現であるから、怒りの感情にとらわれているときにやってはいけない。できれば吉日を選んで厳粛に行うこと。セルギーヌは毎週金曜を「尻たたきの日」にしているのだそうだ。
 女の腹を自分の膝の上に乗せる格好が「正常位」である。
 下着にも気を配ること。なるべく肌の感触に近い生地でなければいけない。薄い布のほうが好ましいけれども、スケスケは興ざめである。無地の白が最高に官能的である。
 そして尻をたたくときに、このパンティをむしるようにはぎ取る。が、完全に脱がせきってはいけない。ここにストッキングやガーターベルトがからんでいると、なかなかオツな味わいが出る。
 こうした作法にもとづいて露出された尻を、一方から他方へ、上から下へ、左から右へ、横から横へと続けて叩いていく。やがて女は泣き始める。そのとき女がどういう声をあげるか、どれだけ体をふるわせるかで、その日の神聖なる尻たたきの成否がわかる。
 以上がセルギーヌ流である。彼によれば、アングロ=サクソン流――ヘアブラシの背を使うこと――は、官能的な要素を損なってしまうという。尻は手で叩くものなのだ。

モナ・リザの口元

 以上に紹介した話しは、フランスの文芸評論家ジャン=リュック・エニッグの著書『Breve Histoire des Fesses』(直訳すると「お尻の歴史」であるが、"Histoire des Fesses"には「猥談」という意味もある)に書かれているものである。そしてこの本のなかに、次のような記述がある。 「従来、モナリザの微笑は「右半身麻痺」のせいであるとか、コレステロールのとり過ぎによるものだとか、喘息の発作のせいであると信じられていた。それは違う。カナダ人のビデオ映像作家シュザンヌ・ジルーは、この謎の微笑は少年の尻を隠し絵にしたものだと断言している。90度絵を回転して、唇の微笑の部分だけをクローズアップすると、唇の中央線が背中の線に相当し、口の端には二つのぽってりと盛り上がった肉が見えてくる」
 尻たたきオタクのセルギーヌの真似はなかなかできないかもしれないが、モナリザの「尻」は画集でもながめてみれば確認できるだろう。

※『Breve Histoire des Fesses』は江下雅之、山本淑子の共訳で、六月に日本語訳がリブロス社より出版される予定。


Copyright(C) Masayuki ESHITA

Ellery Queen's Monthly Magazine

隔月誌、光文社/発行
1978年創刊
翻訳ミステリーの著名な雑誌だが、1999年で休刊となった。
なお、もともとEQMMは1956年に早川書房より創刊された。これは米国の《Ellery Queen`s Mystery Magazine(EQMM)》誌の日本語版である。巻頭には江戸川乱歩の翻訳による「魔の森の家」(カーター・ディクソン作)が掲載されている。この雑誌は1966年に《ハヤカワ ミステリーマガジン》と改称され、1977年にはEQMM誌との特約契約も解消された。
早川書房がEQMMとの特約を解消したすぐ後に光文社のEQMMが創刊された。創刊号の巻頭には、エラリー・クイーン自身のメッセージ(の日本語訳)が掲載されている。長らく、本国版EQMMの翻訳を独占的に担ってきたが、翻訳権交渉の更新がまとまらず、1999年に休刊となった。


関連リンク