巴里の秘密[9] 小児愛(ペドフィリー)

「月刊Ellery Queen's Mystery Magazine」(光文社)
1997年1月号pp.218-219掲載
江下雅之

行方不明の先には

 巴里のとあるブティックに、日本人の新婚カップルが買い物にやってきた。店員にすすめられた服を着るために、奥さんは試着室にはいった――が、まったく出てこない。店員に試着室まで案内してもらったが、誰もいなかった。旦那さんはすぐに警察に届けたが、捜査はまったく進展しない。やがて行方不明として捜査を打ち切られてしまう。しかし数年後、東南アジアの売春宿で、麻薬漬けにされた奥さんが保護された――。
 これは一般に『オルレアンのブティック』といわれる「都市伝説」である。60年代にオルレアンを発端にして広がった、それ自体は架空の話しだ。
 しかし96年8月、ベルギーで起きた事件は現実のものだった。

ベルギーの「恐怖の館」

 96年8月19日、南ベルギーのマーシネルで39歳の男が逮捕された。男の薄暗い家にはワイン庫が隠され、なかから二人の少女が保護された。別の棟には餓死した少女二人の遺体が。そして逮捕の週の終わりに、犯人が所有する5つのアジトのうちのひとつの近くで、三人の遺体が発見された。このときの捜査では、イギリスで「恐怖の館」事件を担当した刑事も協力にあたった。
 89年、マーク・デュトルーは、五件の少女誘拐暴行犯の罪で禁固13年の刑を科せられた。彼は模範囚として服役し、3年後には釈放される。そしてすぐに「少女狩り」を始め、何人かに「少女を連れてくれば千ドル払う」と持ちかけた。
 95年6月、ベルナール・ヴァインシュタインとミッシェル・ルリーブルがこれに応じる。彼らは橋で遊んでいた8歳の少女二人――ジュリーとメリサ――を誘拐する。少女たちが連れてこられると、デュトルーは6畳ほどの広さの隠しワイン庫に監禁した。中には二つのマットレスがあっただけだ。
 犯人逮捕後、少女たちの両親の代理人は、警察の捜査ミスを非難した。95年7月には、ワイン庫について聞き取りがおこなわれている。じつは警察は93年末の時点で、隠しワイン庫が少女たちの監禁が目的で造られたことを、十分に察知できたはずだったのだ……。
 95年夏、デュトルーは海水浴帰りの17歳と19歳の少女――エフェとアン――を誘拐した。彼女たちの遺体は発見されていない。捜査当局によれば、二人は東欧の売春宿に売られてしまったのではないか、と見ている。そして彼女たちが誘拐された後も、警察はデュトルーの家を捜査しているのだった。
 95年12月、デュトルーは窃盗で逮捕され、刑務所に入れられる。3月に釈放されて戻ってみると、ジュリーとメリサは餓死していた。食事の世話は共犯者のルリーブルとヴァインシュタインが託されたことになっているが、実際はまったく与えられなかったのだ。デュトルーはこれを裏切と解釈し、ヴァインシュタインを麻薬を使って殺害し、二人の少女の遺体とともに埋めた。
 この月も、警察は詳細な捜査をおこなった。ある新聞によれば、警官は子どもの泣き声を聞いたものの、あれは自分の子どもだというデュトルーの説明に納得したという。
 96年3月、12歳の少女サビーヌが自宅からさらわれた。そして8月9日、14歳の少女レティーシャがプールの近くで誘拐された。これが結果的に犯人逮捕のきっかけとなり、一週間後、デュトルーは逮捕される。
 14歳の少女と母親は、その後テレビのインタビューに応じた。母親によれば、少女は一週間のあいだにさんざん麻薬を打たれ、3度暴行を受けたという。12歳の少女もほぼおなじ虐待を受けた。
 ベルギー全土が震撼した。

謎が残る捜査

 ロイター通信は8月27日、「child sex gang leader」という表現を用い、事件の詳細を世界に打電した。
 捜査はチェコやスロバキアにまで伸びている。ベルギーのマスコミは国際警察機構の情報として、スロバキアから10人以上の少女がデュトルーの画策でベルギーに連れ込まれたことを告げている。ポルノに出演させるのが目的だ。彼女たちは、すべて麻薬漬けにされ、詳細な記憶が失われているという。そしてデュトルーの足どりは、チェコ、ハンガリー、オーストリアまで伸びている。捜査によれば、少女たちは一人あたり15,000から20,000ドルで売買されていた。
 9月11日付のAFP通信によると、デュトルーを首領とする少女売買シンジケートの容疑者23人があらたに逮捕された。そのなかには彼の二度目の妻も含まれる。一味は自動車の盗難、麻薬の密輸などをおこなっていた。
 そして逮捕者のうち、11人は警官であった。査察官コネロットはシャルルロワ市南の警察署の強制捜査を命じた。その結果、他に拠点が14ヶ所あり、少なくとも14人の少女がこの組織の犠牲になっていることが判明する。犯罪組織が警察から「保護」を受けるかたちで活動していたことが、これで明かされてしまったのである。 「ミスター清潔」コネロットは、一躍国民のヒーローになった。彼は子どもを守る会が主宰する夕食会に列席し、参列した被害者の親を慰労した。保護された少女には万年筆をプレゼントした。
 しかし10月14日、ベルギーの最高裁はコネロットをデュトルーの捜査からはずすことを決定する。

(写真)
インターネットでのデュトルーへの抗議活動と、犠牲になったジュリー・ルジュヌとメリサ・ルソーへの献花を求めるホームページ。


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Ellery Queen's Monthly Magazine

隔月誌、光文社/発行
1978年創刊
翻訳ミステリーの著名な雑誌だが、1999年で休刊となった。
なお、もともとEQMMは1956年に早川書房より創刊された。これは米国の《Ellery Queen`s Mystery Magazine(EQMM)》誌の日本語版である。巻頭には江戸川乱歩の翻訳による「魔の森の家」(カーター・ディクソン作)が掲載されている。この雑誌は1966年に《ハヤカワ ミステリーマガジン》と改称され、1977年にはEQMM誌との特約契約も解消された。
早川書房がEQMMとの特約を解消したすぐ後に光文社のEQMMが創刊された。創刊号の巻頭には、エラリー・クイーン自身のメッセージ(の日本語訳)が掲載されている。長らく、本国版EQMMの翻訳を独占的に担ってきたが、翻訳権交渉の更新がまとまらず、1999年に休刊となった。


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