巴里の秘密[15] 禁煙席

「月刊Ellery Queen's Mystery Magazine」(光文社)
1998年3月号pp.222-223掲載
江下雅之

もらいタバコ

「一本、持ってないか?」
 となりのテーブルに座っていた男が、タバコを口に運ぶような仕草で尋ねてきた。
「残念だな、ぼくは吸わないんだ」
 と応えると、男はぼくの正面に座っていた友人に「ムッシュウ?」とかいいながら目を向けた。友人が苦笑いを浮かべながらタバコのパッケージを振る。一本のマールボロライトが飛び出ると、男は礼をいいながらそれを取った。 「火ももらえるかな?」
 友人は百円ライターを点けてやった。
 パリは隣人に冷ややかだといわれるが、不思議とタバコに関しては見知らぬ人どうしで「もらいっこ」することがおおい。夜のカフェではわりと頻繁に見かける。バス停やサン・ミッシェル広場のような待ち合わせ場所でも同様だ。こちらが見るからに外国人であっても関係ない。
 その三十分後、反対側のテーブルに座っていた女が「一本、持っていない?」と聞いてきた。灰皿のそばに、ひねりつぶした空のパッケージが置かれていた。友人はこのときもまた苦笑を浮かべながらタバコを一本取り出して彼女に渡す。タバコをせびる方も、くれそうな人をきっちり見分けるらしい。
 彼女はタバコを受け取るとき、友人の手をいきなり両手で握りしめて礼を言った。目が据わっている。表情はどことなく気怠げだ。自分のライターでタバコに火をつけてから、しきりに話しかけてくるものの、ろれつがまわっていない。時間はすでに深夜零時過ぎ。どこかでしこたま呑んできたのか、あるいはクスリでもやっていたのか。 「ねえ、お友だちになりましょうよ」
 タバコを持っていない方の手で友人の肘のあたりをなぞり始める。酔っぱらいならともかく、クスリでラリっていたとすれば厄介だ。
 数分後、カフェのマネージャーらしき人がやってきた。彼女を睨みつけながら、おまえ、シラフじゃないんだろ、というようなことを言う。興ざめしたのか、女はマネージャーが去ったあとに千鳥足でカフェを出ていった。

灰皿が置いてある禁煙席

 アメリカでは禁煙・嫌煙の動きが広がっているものの、ヨーロッパはけっしてそうではない。そんなことは個人の趣味の範囲内、という思いが強い。禁煙強制の流れは、セクハラ問題と同様、アメリカ人のヒステリックな反応とするマスコミ論調も多い。ちなみにクリントン大統領のセクハラ疑惑がスキャンダラスに取りあげられたとき、フランスのプレスは「そんなことを問題視してたら、フランスでは誰も政治家や経営者になれなくなる」といった揶揄もあった。セクハラではないが、ミッテラン前大統領の隠し子「騒ぎ」のとき、記者会見でその点を質問されたミッテランは、「で、それがなにか?(Et alors ?)」と聞き返したものだ。
 ヨーロッパでもタバコを取り巻く監視は厳しくなってはいる。フランスでは九四年にエヴィアン法という喫煙場所制限法が成立した。駅構内や病院などの公共施設は原則禁煙となり、カフェやレストランなどは一定比率以上の禁煙席を設けなければいけなくなった。法律の施行後、しばらくは駅構内でも喫煙者は多数いたが、ここ二年ほどは禁煙がかなり徹底されている。
 しかし、カフェの禁煙席では、ギャルソンに灰皿を頼めばちゃんと持ってきてくれる。たいてい1、2台置かれているピンボールゲームのあたりはヘビースモーカーのたまり場で、一日中紫煙がたちこめている。そんなところに禁煙席を置いても実効性はほとんどない。タバコの煙が苦手な人は、外の席、それも風上に座るしかない。
 レストランでも庶民的なところはカフェと同じで、禁煙席でも灰皿を頼めばたいていは持ってきてくれる。多少気取った店でも風下の客がデザートを終えるようなタイミングなら、禁煙席でも喫煙オッケイということが多い。もちろん、禁煙席ではタバコを吸わない人に優先権があるので、「ご遠慮ください」と主張すれば禁煙が守られるが。

喫煙率に男女差はなし

 初冬のある日の午後、風邪で一週間ほどくずしていた体調もなんとか回復したので、近所にある行きつけのカフェまで本を読みに行った。まだ喉が痛かったので、いちばん客の少ない午後三時頃をねらう。期待どおり席はガラガラ、毎日午後じゅうずっとトグロを巻いている老婦人三人組がいるだけだった。いちばん奧のテーブルに腰掛ける。顔馴染みのギャルソンがテーブルを拭き終えて戻ろうとするときに、「Un creme」と告げる(カフェ・オ・レの気取った注文の仕方)。
 本を読み始めてから十分もすると、次から次へと客が入ってきた。最初に入ってきたグループは女子大生風のカルテット。テーブルにつくや、全員が一斉にタバコを吸いはじめる。次にカップルが一組。こちらもテーブルにつくやすぐにタバコ。続いて男女のツーペア。男の片方はうちの隣りにあるスパゲティ屋のギャルソンだった。彼らも座ったとたんタバコを吸いはじめる。
 いきなり十本のタバコが煙をあげはじめる。病み上がりのノドにはさすがにはつらい。一五分ほどでカフェを退散する。店の前の横断歩道では、赤ん坊をベビーカーに乗せた女性が一人、うまそうに一服吸っていた。


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Ellery Queen's Monthly Magazine

隔月誌、光文社/発行
1978年創刊
翻訳ミステリーの著名な雑誌だが、1999年で休刊となった。
なお、もともとEQMMは1956年に早川書房より創刊された。これは米国の《Ellery Queen`s Mystery Magazine(EQMM)》誌の日本語版である。巻頭には江戸川乱歩の翻訳による「魔の森の家」(カーター・ディクソン作)が掲載されている。この雑誌は1966年に《ハヤカワ ミステリーマガジン》と改称され、1977年にはEQMM誌との特約契約も解消された。
早川書房がEQMMとの特約を解消したすぐ後に光文社のEQMMが創刊された。創刊号の巻頭には、エラリー・クイーン自身のメッセージ(の日本語訳)が掲載されている。長らく、本国版EQMMの翻訳を独占的に担ってきたが、翻訳権交渉の更新がまとまらず、1999年に休刊となった。


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