「月刊Ellery Queen's Mystery Magazine」(光文社)
1996年3月号pp.210-211掲載
江下雅之
チャールズ・リンドバーグは、本当に巴里の灯を見たのだろうか?
現代の日本やアメリカの大都会ならば、たそがれゆく空の下で、見渡すかぎり光のカーペットが広がる。人工的な灯が、かえって生き物のようにうごめいて見える。
ニューヨークの夜景は、エンパイヤ・ステート・ビルの屋上から見ても、ブルックリン橋からながめても最高だ。東京でも13号埋立地のあたりには、まだ隠れた夜景のビューポイントがいくらでも残っている。
ならば巴里の夜景も、どれほど素晴らしいことか……。
市街地の北はずれに、モンマルトルの丘がある。その頂きにあるサクレ・クール寺院あたりからは、街のほぼ全景をみわたすことができる。
しかし「巴里の歌舞伎町」ともいわれるこの界隈は、夜の治安がけっしてよくない。全体を一望できるとはいっても、たえずまわりの気配をうかがっていては、なかなかロマンティックな気分にはひたれない。ところどころにいるアベックも、熱愛中の恋人どうしというより、夜のビジネス・パートナーかもしれない。
エッフェル塔にのぼるという手もある。ここは当然眺望はいいはずだし、上に行ってしまえばそれほど治安を心配する必要もない。
ただし、エレベータに乗るためには、二時間ほどの行列に我慢しなければならない。冬なら途中でトイレに行きたくなってしまいそうだ。
いちばんの穴場は凱旋門だろう。
起伏のおおい巴里のなかで、比較的高い所に位置している。建物自体は高層ビルほど背は高くないにしても、見晴らしはかなりいい。そして凱旋門のあるエトワール広場を中心に、シャンゼリゼをはじめ十二本の大通りが放射状に広がっている。そこを走る車のヘッドライト、そしてテールランプは、きっとうつくしい光線の軌跡をつくりだしてくれるはずだ。
門の展望台にのぼれるのは午後七時までだが、日没の早い冬ならば、十分夜景に出会えるはずだ。
十二月になると、クリスマス・デコレーションで通りは一層きらびやかになる。街路樹一本一本に小さな灯りや白綿が添えられ、通りの上にもサンタクロースのイルミネーションが飾られる。シャンゼリゼのなかでも、エトワール広場からルーズベルト広場までは、光の帯がびっしりとつらなる。
四方からライトアップされた夜の凱旋門。その内側にある狭いら旋階段を昇る。一気に駆け上がれば、五分ほどで最上階だ。
展望台に着くと、だれだって真っ先にシャンゼリゼ通りの方角を目指したくなるだろう。そこからは、華麗な夜景が見物者を魅了する……はずだった。
通りの光はたしかに彼方へと続いている。しかしそれは、真っ暗な建物の間をぬった、頼りない「筋」にすぎない。放射状の広がりは、深海にくたっとへばりつく発光性のヒトデのような姿をさらす。
なかには負け惜しみではなく、こころから「パリの夜景は素晴らしい」というひとがいるかもしれない。各人それぞれの好みもあるだろう。思い入れもあるだろう。
しかし、一度でもニューヨークや大阪の夜景を見たことのある者には、パリに夜景を期待してはいけないと言っておこう。
考えてみればわかりきったことだ。夜景の「素」になる灯がほとんどない。
巴里のオフィスで午後五時以降も働いている者は、せいぜい外資系企業の日本人かアメリカ人くらいのものだろう。ほとんどのオフィスは、「夜景の時間」になると人が去り、電気は消されてしまう。
アラブ人経営の個人商店は、夜遅くまであいていることがおおい。しかし、そんなにいくつも軒をつらねているわけではない。
アパルトマンだって、照明はたいてい間接照明だ。冬の夜になれば、鎧戸をしめてしまうところもおおいだろう。窓から漏れる灯は乏しい。
街灯の数はそれなりにあるとはいえ、道を照らすにすぎない。
モンパルナスやサン・ミッシェルのブラッスリーやレストランなら、夜遅い時間まで営業している。このあたりには映画館がおおく、金曜や土曜などは、夜中の二時頃まで人が絶えない。
だいたいレストランの混雑ピークが午後九時に一回あり、そのつぎには十一時ごろにもやってくる。「夕食を取る」はフランス語で「d馬er」というが、もともとは貴族たちが夜のお遊びをする前におこなう食事を指していたそうだ。遊び後の軽食は「souper」だ。遊び疲れた胃にスープを流し込む、ということなのだろうが、現代人は深夜でも平気で分厚いステーキを食らっている。
話はすこしそれたが、街によってはけっこう「夜景の素」はあるのだ。
しかし、洒落たアパルトマンの一階に構えるカフェやレストランは、街並みのなかに見事なほど溶け込んでいる。おかげで夜景の素まで溶け込んでしまっている。
昼の巴里のことごとくが、夜景には裏目となっているのだ。
大通りを歩いている限りなら、光の洪水を経験できるだろう。ところが巴里の通りはロータリーを中心にして、放射状に広がっていることがおおい。そして通りにはさまれた扇のなかには、たいていアパルトマンがつまっている。
挟み込む通りが広がりはじめる区画になると、通りには面することのない、中庭内のアパルトマンがはいりこんでしまう。せめてここに小径が入り組んでいれば、街灯だけで複雑な夜景になったことだろう。
リンドバーグが見た巴里の灯は、巨大な闇のなかに点在する、ほんのわずかばかりの街灯だったのだろうか。
隔月誌、光文社/発行
1978年創刊
翻訳ミステリーの著名な雑誌だが、1999年で休刊となった。
なお、もともとEQMMは1956年に早川書房より創刊された。これは米国の《Ellery Queen`s Mystery Magazine(EQMM)》誌の日本語版である。巻頭には江戸川乱歩の翻訳による「魔の森の家」(カーター・ディクソン作)が掲載されている。この雑誌は1966年に《ハヤカワ ミステリーマガジン》と改称され、1977年にはEQMM誌との特約契約も解消された。
早川書房がEQMMとの特約を解消したすぐ後に光文社のEQMMが創刊された。創刊号の巻頭には、エラリー・クイーン自身のメッセージ(の日本語訳)が掲載されている。長らく、本国版EQMMの翻訳を独占的に担ってきたが、翻訳権交渉の更新がまとまらず、1999年に休刊となった。