巴里の秘密[2] 西 日

「月刊Ellery Queen's Mystery Magazine」(光文社)
1995年9月号pp.204-205掲載
江下雅之

 午後九時半――
 窓から強烈な西日が射してきた。ただでさえ熱気のこもる屋根裏部屋から、居所が完全になくなる。窓を閉めたら風が入らない。空調など巴里のアパルトマンにあるはずがない。あと一時間、向かいの建物の背後に太陽が落ちるまで、我慢するしかない……。
 三年前に住んでいた部屋は、屋根裏だった。唯一の窓が西向きだった。場所はポンピドー・センターの近く。正面広場へのアプローチ途中の小径を入ったところだった。巴里でいちばん観光客のおおい場所なので、夏の午後は人でごった返している。
 それでもちょっと小径にはいっただけで、驚くほど静かだった。向かいの建物とはほんの数メートル隔てているだけだが、外から住民の会話が聞こえてくることもあったくらいだ。こちら側とあちら側とで、窓越しに早口でなにか喋っているひともいた。
 ポンピドー・センターの最上階は、巴里最高のビューポイントだ。
 市内の全景を眺められる場所としては、エッフェル塔やモンパルナス・タワー、凱旋門、そしてモンマルトルにあるサクレ・クール寺院前広場が名所だ。しかし、巴里の建物は高さがほぼ一定で、高いところからみると、のっぺりしていて案外とつまらない。その点、ポンピドー・センターはほんの頭一つ飛び出ているだけなので、微妙な起伏や小径の入り組み具合まで見て取れる。
 高さ一定というのが、屋根裏住民にとってクセモノだ。西日をさえぎってくれる障害物が、ほとんどないことを意味するからだ。
 夏至の前後になると、日没は午後一〇時過ぎになる。サハリン中央とほぼおなじという緯度のせいでもあるが、標準時間の基準となる子午線が、フランス国土のかなり東側にあるためだ。巴里市内だと、太陽の南中が午後二時過ぎだ。東京なら午前一一時半ごろなので、これだけでも単純に日没は二時間以上もあと、ということになる。
 慣れないと、これで暑気当たりしてしまう。日本にいるあいだ、ぼくはずっと横浜と東京に住んでいた。だから、一日でいちばん暑いのは午後二時ごろ、夏に西日が襲ってくるのは午後五時ごろ、という感覚が身にしみついている。午後の一〇時ともなると、涼しい風を期待してしまうのだ。
 巴里の夏ではすべてに裏切られる。日中でいちばん暑いのは午後五時ごろだ。二時ごろに「もうピークが過ぎたな」と油断すると、その後三時間の気温上昇が、じわじわと体力を摘むんでいく。
 夕食時でもまだ日は高い。この時間になると、どのカフェのテラスも満席だ。みな午後九時の西日をあびながら、ぬるいビールをちびちびあおっている。暗くなるまでねばっていたら、終電車がなくなってしまうかもしれないだろう。
 午後一一時半――
 汗でTシャツがぐったりしてきた。上半身はだかになってしまう。入り口は三ヶ所の鍵で厳重に締められているし、部屋のドアもぴっちり閉ざされている。たったひとつの窓からは、風ひとつはいってこない。部屋にこもった熱気も出ていかない。
 仕方がないので、上半身はだかのままソファーベッドで横になる。どうせ道に面した最上階、泥棒がのぼってくる心配もない。
 そう思って窓を全開にしようとしたら、向かいの建物の一階下の住民が、やはり上半身はだかで窓を開けているところだった。
 とっさに窓の陰に身を隠す。べつに覗き見をしたわけではないが、トップレスの女性が一般住宅で丸見えという状況は、それなりにドギマギするものだ。
 再び窓に向かう。ショーツ一枚の後ろ姿が、部屋の奥に消えて行くところだった。
 午前六時――
 寒さで目が覚める。日中の最高気温が三〇度を越えても、明け方ごろは一五度ちかくまで下がる。夜はバスタオルでも腹にかぶせてれば十分だが、朝は毛布がほしい。窓を閉め、ついでにTシャツを着て寝直す。
 午前八時――
 着替えて外に出る。緑色のユニフォームを着た清掃婦が作業をしている。もっとも、掃除といってもゴミを端によせ、潤沢な水で下水に流しておわりだ。だから、巴里の朝方は、あちこちで水が噴き出ている。暑ければ打たせ水の役割を果たすのだろうが、朝の気温では、すこし寒気を感じる。午前中の外出ではサマーセーターが欠かせない。
 午後五時――
 街中に紫外線があふれかえる。サングラスなしでは歩けない。まぶしいのではない。空中に紫外線の破片がただよっている気分だ。裸眼のままでいると、それがあちこちから突き刺さってくる。太陽はまだ高い。きっといまごろは、そこいらじゅうの屋根裏住民が、非常口から屋根に出て、日光浴でもしていることだろう。ぼくの住んでいたところでは、残念ながら戸口がロックされていたが。
 ポンピドー・センターにむかう人混みからそれ、アパルトマンに向かう。四桁のコード番号を入力して門をあける。その先はまったく日の入らないスペースなので、一日じゅうひんやりしている。郵便受けを確かめてから、内扉の鍵をあける。
 螺旋階段をのぼっていくと、三階あたりから温度が変化していることい気づく。最上階はもうかなり熱がこもっていそうだ。
 ふたたび鍵の束を取り出す。門の鍵、内扉の鍵、そして入り口の鍵が三ヶ所。郵便受けとあわせ、いつも六つの鍵を持ち歩かなければならない。トイレに行きたいときは、これが無性に面倒くさい。おまけに熱がこもると、隣人の飼っている犬が残したション便がきつい臭気を発する。ドアのいちばん下の鍵をあけるとき、これがまともに鼻をつく。
 厳重な防備を解放したあとは、真っ先にシャワーだ。とにかく汗を流して、四時間後に襲ってくる西日に備えないと。


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Ellery Queen's Monthly Magazine

隔月誌、光文社/発行
1978年創刊
翻訳ミステリーの著名な雑誌だが、1999年で休刊となった。
なお、もともとEQMMは1956年に早川書房より創刊された。これは米国の《Ellery Queen`s Mystery Magazine(EQMM)》誌の日本語版である。巻頭には江戸川乱歩の翻訳による「魔の森の家」(カーター・ディクソン作)が掲載されている。この雑誌は1966年に《ハヤカワ ミステリーマガジン》と改称され、1977年にはEQMM誌との特約契約も解消された。
早川書房がEQMMとの特約を解消したすぐ後に光文社のEQMMが創刊された。創刊号の巻頭には、エラリー・クイーン自身のメッセージ(の日本語訳)が掲載されている。長らく、本国版EQMMの翻訳を独占的に担ってきたが、翻訳権交渉の更新がまとまらず、1999年に休刊となった。


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