「月刊Ellery Queen's Mystery Magazine」(光文社)
1998年5月号pp.218-219掲載
江下雅之
舞台はニューヨークのとある喫茶店。大柄のドイツ人がテーブルにつくや、コートのポケットからパラフィン紙の包みを取り出した。彼は注文もそこそこに包みを開き、白い粉を神経質に、けれども手慣れた手つきでパラフィン紙の端に寄せ始めた。そして紙を注意深く持ちあげ、白い粉を鼻から吸い込んだ。
粉をすべて吸い込んだあと、唖然とした表情を浮かべながら見つめる周囲の視線に彼は気づいた。そして一言申し訳なさそうに、
「ちょっと風邪をこぎらせてしまってね」
と弁解した――というのは、ドイツには鼻から吸収する風邪薬が多いことをネタにした有名なジョークだ(フランスでは座薬が多いので、こういうエレガントな展開にはできない)。
日本では芸能人の家族が麻薬を吸っただけで、連日ワイドショーが取りあげ、女性週刊誌が大々的な特集を組むが、ヨーロッパではそういう騒ぎになることはマレだ。国によっては大麻やマリファナは合法化されている。その是非を論じるつもりはないが、日本よりも麻薬が身近な存在であることは間違いない。
パリのカフェでも、夜遅い時間になると、どう見てもハシシでキメてきたとしか思えない客が入ってくることがある。べつに治安が特別悪い地域でなくてもそうだ。街娼やそのヒモが多いストラスブール・サンドニ通りのサン・ドニ門近辺は、昼でも目つきが怪しい連中がフラフラしている。
麻薬に対してEU内で最も寛大な国はオランダだ。1976年以降、「軽い」麻薬と「重い」麻薬が区別されるようになり、一人についき5〜30グラムの大麻あるいはマリファナは自由に売買できるようになった。これらを売っている店は「Coffee-shop」と呼ばれる。「重い」麻薬についても、5グラムを越えない量の所持は黙認されている。麻薬に対するこうした取締の緩さが、EU統合では争点になった。人や物の移動を自由化すると、自国内で麻薬の取締を厳しくしようにも、オランダ経由で簡単に流入してしまうからである。
スペインでは1983年以降、個人的な麻薬の消費は違法ではなくなった。しかし、販売や保持といった行為は禁止されている。その結果、大麻およびヘロインの使用はわずかながら減少したが、覚醒剤が増加した。
イタリアでは1990年に厳しい取締法を導入したが、1993年4月18日におこなわれた国民投票を経て廃止されることになった。それまでは、麻薬を使用すると投獄され、医師も消費量をその都度チェックしなければならなかったし、麻薬を投薬した患者の氏名を警察に届け出なければならなかった。取締緩和以降、麻薬の使用は犯罪ではなく病気と見なされるようになっている。
ドイツでも見直しがおこなわれた。1994年4月より、個人による少量の消費に限り、大麻あるいはマリファナの使用が取り締まりの対象外となった。ただし、「少量」の線引きをめぐって議論が分かれている。30グラムまでは許容範囲とするグループもあれば、1グラムが限度とする陣営もいる。他方、麻薬の販売および取引、大量の保持は違法であり、懲役五年以内の罪に問われる。
他方、イギリスでは、ブレア政権が麻薬に対して断固たる取締の姿勢を示している。麻薬の使用は全面的に禁止されている。他方、大麻の合法化を求める声が高まり、世論調査によれば、45パーセントのイギリス人は末期医療における大麻使用の合法化を望んでいるという。マスコミの一部からも、個人的あるいは医療における使用の規制緩和を求めるキャンペーンがおこなわれている状況だ。
フランスでは約700万人が大麻を吸った経験があるか、常用しているという調査報告がある。彼らは政権が大麻を合法化するよう、さまざまなキャンペーンを展開している。1993年9月、当時のバラデュール政権(保守派)は大麻の保持に対し、対決姿勢を鮮明にした。1995年には規制を強化している。シラク現大統領も規制賛成派だ。保守派の国会議員のなかには、「交通事故の18パーセントは大麻が原因だ」「大麻取締はネオナチ対策並みに重要なことだ」と主張する者もいる。
しかし、現実には多数の常用者が存在する。麻薬問題の専門家の一人、ロドルフ・アンゴールド博士が3000人を対象に面接調査を行ったところ、1100人が常習あるいは吸った経験があるという結果が出た。大麻を吸った人の範囲は高校生から企業管理職にいたるまで、あらゆる階層に渡っている。9割前後が自宅または友人宅で吸うと答え、また、5割以上が公共の場でも吸ったことがあると回答している。
大麻を吸ったときの状況は、「パーティーで」という回答が多いほか、「セックスの前に」「眠るため」という回答が男女ともに4割前後に達している。数時間は夕方が圧倒的に多い。ほとんど「仕事の後の一服」という感覚なのだろう。そして大麻購入の平均支出額は月560フラン(約12000円)だ。
EU統合が規制の一本化をもたらすのであれば、フランスでも大麻規制は緩和される方向に進むだろう。ドイツではすでに5億マルク(約400億円)の大麻市場が存在する。
図版:大麻の規制緩和を求めるグループのポスター
隔月誌、光文社/発行
1978年創刊
翻訳ミステリーの著名な雑誌だが、1999年で休刊となった。
なお、もともとEQMMは1956年に早川書房より創刊された。これは米国の《Ellery Queen`s Mystery Magazine(EQMM)》誌の日本語版である。巻頭には江戸川乱歩の翻訳による「魔の森の家」(カーター・ディクソン作)が掲載されている。この雑誌は1966年に《ハヤカワ ミステリーマガジン》と改称され、1977年にはEQMM誌との特約契約も解消された。
早川書房がEQMMとの特約を解消したすぐ後に光文社のEQMMが創刊された。創刊号の巻頭には、エラリー・クイーン自身のメッセージ(の日本語訳)が掲載されている。長らく、本国版EQMMの翻訳を独占的に担ってきたが、翻訳権交渉の更新がまとまらず、1999年に休刊となった。