「月刊Ellery Queen's Mystery Magazine」(光文社)
1996年11月号pp.216-217掲載
江下雅之
「ここに住む女子大生、最近見かけた?」
アパートの三階の踊り場で、管理人のフェレイラさんに尋ねられた。
「いや、ぜんぜん見かけませんよ」
7月に入ってから、一度も会っていない。それ以前はときおり道ですれ違うことはあったのだが。
「どうも心配なのよ。郵便物もたまっているし……」
「バカンスにでも出かけているんじゃないですか。ところでフェレイラさんは、今年はポルトガルに帰らないの?」
ややせわしげに首を横に振った。
「この夏はずっと巴里にいるわ」
フランスでは、アパートの管理人はポルトガル人が務めていることがおおい。夏になると、彼らは巴里からリスボンまでの長距離バスに乗って里帰りする。その間、管理人役はたいてい信頼の置ける身内の者が引き受ける。去年も一昨年も、夏の間はフェレイラさんの弟が臨時の管理人になっていた。
近くのスーパーで買い物をすませ、アパートに戻ってみると、門の前に人だかりができていた。頭上もなにか騒々しい。見上げてみると、消防署のはしご車が首の部分を旋回させるところだった。
「なにがあったの?」
地階で食料品店をやっているチュニジア人のおやじに尋ねてみた。
「レスキュー隊が来たようだ」
野次馬の輪を抜けて、アパートに入る。
階段の上からは、ドアを激しく叩く音が聞こえてきた。2階の途中から、ほかの住民たちが上の方を仰ぎ見ている。
ついさっきフェレイラさんと立ち話をしていた3階には、消防署員が二人詰めていた。彼らはさらに何度かドアを叩き、呼び鈴をしつこくならした。それから、トランシーバーで二言三言なにかの合図を告げていた。
ぼくは階段を急ぎのぼった。部屋に入るとすぐに窓から階下をのぞき込む。はしご車のモーター音が遠ざかると、下の窓からレスキュー隊員の叫び声が聞こえてきた。
「いたぞ!(Elle est la!)」
消防署に通報したのはもちろんフェレイラさんだった。巴里のアパートの慣例として、管理人は各部屋の鍵を一切持たない。盗難があったときに疑われてしまうため、預けようとしても、向こうから断るのが普通だ。だから、住民になにかがあったと思ったときは、警察か消防署に通報するしかない。
と、そのとき。
「助けて! 助けて! 助けて!」
女の悲鳴が聞こえてきた。
階下をのぞきこむ。悲鳴は3度だけで終わった。外にいた消防署員がぼくの方を見て、なんでもないよ、と言った。
少したってから、救急車がやってきた。階段の方から、担架を運ぶ音がひびいてくる。階下の住民は、結局運び出された。
5分後、救急車が去って行く。消防車の姿はすでになかった。
あとで聞いた話によると、3階に住む神経質な女子大生は睡眠薬で眠りこけていたらしい。無理矢理叩き起こされたら、目の前に見知らぬ男がいた、というわけだ。しかし、フランス人はこの薬を常用することが多く、なかには中毒症状に至る人までいるようだ。管理人さんは、昏睡状態にでもなっていたのではないか、と心配したらしい。
翌日から、レスキュー隊が突入した窓は、よろい戸できつく閉ざされた。その翌週には、電気の戸別検針があった。バカンスなどで不在の家の前には、電力公社の連絡通知が置かれる。彼女の部屋の前には、もう一ヶ月以上もそれが置かれたままだ。
95年10月3日、巴里のユネスコ本部に勤務する一人の日本人女性が殺害された。犯人は彼女の住むアパートの管理人の甥だった。
フランスの新聞やラジオの報道によれば、犯人は被害者から洗濯機の修理を依頼され、夜遅くに部屋に入ったという。そしてラジカセを盗もうとしたところを見つかり、見咎められたので殺した、と。被害者の不用心さを指摘する報道もあった。
しかし、被害者をよく知る日本人たちは、まったく違う見方をしていた。
被害者はその10日前に、うっかりとドアに鍵をさしたまま寝てしまった。友人たちから不用心だからと指摘されたこともあって、翌々日には大家さん立ち会いのもとで、扉の鍵はすぐに交換した。しかし、一緒の束になっていた車の鍵は、何者かに合い鍵を作られてしまったらしい。翌日から、駐車位置が変わっていたり、吸いもしないタバコの吸いがらが残るようになっていた。
10月3日、彼女はアパートの管理人と一緒に、車のことを警察に通報した。そして犯行は、同日の夜10時半過ぎに起こった。
このアパートでは、管理人がすべての部屋の鍵を管理していたのだという。管理人の甥は、各個に新聞を配る仕事を行っていた。
被害者をよく知る人は、彼女が夜10時過ぎに誰かを部屋に入れるなんてことは考えられないと証言している。そしてアパートでは管理人が鍵を管理していた。
甥は新聞を配るときに、ドアにささっていた鍵束を抜き取ることもできた。被害者の部屋の鍵はたしかに交換されはした。が、甥は管理人室の鍵を持ち出すことができた。
隔月誌、光文社/発行
1978年創刊
翻訳ミステリーの著名な雑誌だが、1999年で休刊となった。
なお、もともとEQMMは1956年に早川書房より創刊された。これは米国の《Ellery Queen`s Mystery Magazine(EQMM)》誌の日本語版である。巻頭には江戸川乱歩の翻訳による「魔の森の家」(カーター・ディクソン作)が掲載されている。この雑誌は1966年に《ハヤカワ ミステリーマガジン》と改称され、1977年にはEQMM誌との特約契約も解消された。
早川書房がEQMMとの特約を解消したすぐ後に光文社のEQMMが創刊された。創刊号の巻頭には、エラリー・クイーン自身のメッセージ(の日本語訳)が掲載されている。長らく、本国版EQMMの翻訳を独占的に担ってきたが、翻訳権交渉の更新がまとまらず、1999年に休刊となった。