「月刊Ellery Queen's Mystery Magazine」(光文社)
1998年9月号pp.064-065掲載
江下雅之
6月16日、南仏ヴァール県の重罪院で、三人の被告に判決が言い渡された。罪状はヤン・ピア議員の殺害。実行犯のリュシアン・フェリ被告および首謀者と目されたジェラール・フィナル被告には無期懲役が、フェリ被告をバイクに乗せたマルコ・ディカロ被告には禁固二十年の刑が言い渡された。被害者の尾行を行ったオリビエ・トマソンヌ被告およびロマン・グレスレ被告、暗殺を幇助したステファーヌ・シアリソリ被告ら共犯者たちにも、禁固六〜十五年という判決が下された。いずれも6月11日にピエール・コルテ次席検事からなされた求刑がほぼ通った厳しい内容である。
しかしこの事件、背後にマフィアや大物政治家の関与が取り沙汰されていた。
疑惑の追及を始めたのは、フランスのスキャンダル紙カナル・アンシェネ(直訳すれば「鎖につながれたアヒル」)である。この週刊新聞は幾多の政治疑惑を追及し、最近ではミッテラン政権末期の盗聴事件をすっぱ抜いた。スキャンダル紙といっても、もっぱら政治家の汚職を追求している。当然ながら訴訟沙汰も絶えないが、ここに記事を書くジャーナリストは、フランスでは同業者からも最も尊敬されている。
このカナル・アンシェネ紙に、暗殺事件を担当したティエリー・ローラン予審判事の捜査方法に関する問題点を指摘する記事が掲載された。96年9月25日には、名前こそ明示しなかったものの、南仏を地盤とする二人の大物政治家が事件の黒幕であるという記事を掲載したのである。いずれもアンドレ・ルージョ記者による署名記事だ。そして同年10月8日付のユマニテ紙によれば、暗殺されたヤン・ピア議員は、二人の政治家が土地売買に関連して賄賂を受け取ったことを告発する書類を作成していたという。
しかし、ローラン予審判事は政治家の関与を否定し、フェリ被告のみが首謀者であると証言した。裁判で陪審員はこの証言を重視し、政治家黒幕説は退けられたのである。
事件の被害者ヤン・ピアは1949年に生まれ、1988年には極右政党FN(国民戦線)の代議員となった。しかし党首ル・ペンと意見が対立し、翌年には党を除名される。その後1993年には保守・中道連合陣営から国民議会(日本の衆議院議員に相当)議員選挙に立候補する。
ヤン・ピア議員が暗殺されたのは、1994年2月25日のことである。彼女は道を歩いているところ、ディカロ被告が運転するバイクに乗ったフェリ被告により射殺された。これは暗殺の実行犯とされるフェリ被告が、今年の6月4日に行った最新の証言でも認めている。争点となっているのは誰が射殺したかではなく、誰が本当の首謀者なのか、ということだ。
ピア議員の地元ヴァール県は、ときあたかも「新フロリダ」を目指すリゾート開発が盛んになり、インフラ整備として国際級の空港整備の計画が持ち上がる。初期予算は3〜6億フラン(75〜150億円)と見積もられた。
一方、この地域は経済マフィアの抗争の激戦地となっていた。大親分ジャン=ルイ・ファルジェットが健在の折りは、一種の中立地帯を形成していた。ファルジェットが93年に亡くなると、ピア暗殺事件の首謀者とされたジェラール・フィナルがナンバーワンの位置に上がる。しかし、フィナル自身は抗争の標的にされることを恐れ、積極的にボスの地位につこうとはしなかったという。そして94年に入り、ヴァール県は空白地帯となり、レストランの放火や構成員の殺害などの抗争が頻発するようになる。
リゾート開発にともない、マリーナやレストラン、ディスコなどの建設が進む。その利権をめぐり、マフィアの活動が活発になる。そしてヤン・ピア議員は公共事業がどのように配分されるかを知るや、マフィアとの対決に立ち上がる。しかしそれは、所属政党のUDF(ジスカールデスタン元大統領率いる政党)の支持は得られず、まったくの孤立無縁な闘いだった。
フェリ被告はこう語る。
「フィナルは首謀者ではないが、これ以上のことは言えない。自分が牢屋にぶちこまれるのは構わないが、家族に危害が及ぶのが怖い」
「ヤン・ピアは(殺される)一年前から標的にされていた。起こるべくした起こったことだ。おれがやらなければ他のやつがやっていたはずだ。首謀者はゴロツキと政治家だよ」
カナル・アンシェネ紙上で事件を追求したアンドレ・ルージョ記者は、その後、フリージャーナリストのジャン=ミッシェル・ベルヌ氏とともに、事件の暴露本を刊行した。このなかで、真の黒幕として二人の政治家を糾弾している。文中でこそ「encornet(ヤリイカ)」「Trottinette(スクーター)」という呼び方をしているが、文脈から誰を指すのかが読者にはあきらかだった。すでにマスコミに名前が登場した二人の元閣僚は、もちろん疑惑を否定している。
この暴露本に対しては、当局の不十分な調査、とくにヤン・ピア議員が残したはずの汚職告発書類の行方、ワープロでタイプされた文書の元データがろくに調べられてないといったすっぱ抜きに称賛の声があがる一方、高級夕刊紙ル・モンドのように、独自の調査結果が終わるまで論評を控えると表明するところもある。
(注)以上の内容は、96/9/25付Canal Enchaine紙, 96/10/8・98/6/11付Humanite紙、L'Evenement du Judi誌98/6/11-17号、L'Hebdo誌97/10/16号などを参考にした。
図版:暴露本とヤン・ピア議員
隔月誌、光文社/発行
1978年創刊
翻訳ミステリーの著名な雑誌だが、1999年で休刊となった。
なお、もともとEQMMは1956年に早川書房より創刊された。これは米国の《Ellery Queen`s Mystery Magazine(EQMM)》誌の日本語版である。巻頭には江戸川乱歩の翻訳による「魔の森の家」(カーター・ディクソン作)が掲載されている。この雑誌は1966年に《ハヤカワ ミステリーマガジン》と改称され、1977年にはEQMM誌との特約契約も解消された。
早川書房がEQMMとの特約を解消したすぐ後に光文社のEQMMが創刊された。創刊号の巻頭には、エラリー・クイーン自身のメッセージ(の日本語訳)が掲載されている。長らく、本国版EQMMの翻訳を独占的に担ってきたが、翻訳権交渉の更新がまとまらず、1999年に休刊となった。