ネットワーク・ライフ(1)
情報通信ネットワークの特徴と普及に必要な環境を考える

「国会月報」1993年10月号(新日本法規出版)掲載
江下雅之

前回は情報通信ネットワークが、新しい社会的活動の手段となる可能性を示した。この問題についてはさらに細かい考察が必要と考え、今後数回に亘り歴史的経緯も踏まえた展開を試みたい。今回はネットワークの普及のために必要な環境整備を考えてみた。

「通信」と「放送」

 私は国際データ通信回線経由で日本のパソコン通信サービスを利用している。通信社のニュース速報のおかげで、今回の総選挙から政権交代に至る過程は、パリにいながら同時進行的に知ることができた。これなどはパソコン通信の便利さを示す例であろう。

 メディアの世界では「通信」と「放送」は明確に区別され、前者が特定個人間の情報伝達を担うのに対し、後者は情報提供者から不特定多数への一方向的情報伝達を行う。機能だけでなく、規制の点でも区別されている。パソコン通信は「通信」でありながら、多分に放送的な機能を備えている点で、現実的には両者の境界に位置するメディアと考えられる。

 ここでは通信社のニュース速報を指して「放送的」と言っているのではない。類似のサービスはファクシミリでも受けられる。テレホンサービスなどは昔から存在する。パソコン通信で最も注目すべき機能は、電子会議室(BBS)である。ここでは利用者が自由にメッセージを残すことができる。メッセージ量は通常数行から長いもので百行にも及ぶ。特定利用者宛の私信もあれば、不特定多数に向けたものも多々ある。利用者の中には本職のジャーナリストもおり、政治改革問題に関する「論説」を読むこともできる。小説の連載を行っている作家もいる。

 パソコン通信は利用者登録した者だけが利用できるメディアであるため、不特定多数への発信を基本とする「放送」とは明確に異なる。しかし、利用者間であれば、コミュニケーションはほぼ無制限に行える。大手のパソコン通信サービスであれば、個人で数万人規模にメッセージを発信できる。この規模は放送・出版、それもマスメディアでなければ実現できなかった。

 パソコン通信では相手の反応を即座に知ることができる。パソコン通信の発達した米国では、ある法案に対する反対の呼びかけが電子掲示板上でなされ、それに呼応した陳情が即座に議員まで寄せられることもあるそうだ。このスピードは、新聞や週刊誌には真似できない。わずかにテレビやラジオの視聴者参加型生放送がそれに類することを実現できるが、技術的制約はパソコン通信よりも大きい。

「ニューメディア」との違い

 今から10年ほど前にニューメディア・ブームが起こった。地域開発の機運とも結びつき、ニューメディア・コミュニティ構想(通産省)、テレトピア構想(郵政省)等の国家プロジェクトが提唱された。

 東京一極集中は複雑な要因が絡んで生じた問題であるが、その一つは「情報の一極集中」と言われている。人の集まる所に情報は生まれ、情報の生まれる所に人は集まる。かくして東京への集中は、情報の面でも加速されたと言うのである。情報過疎に対する恐れは、特に地方中核都市の行政担当者の危機意識を煽ったようである。80年代前半に地域レベルで起こったニューメディア・ブームの背景は、このような点にもあったと考えられる。

 ここではニューメディア関連政策の是非を論じるつもりはない。ただし、ニューメディアが必ずしも期待通りには普及しなかった一因は、今回のテーマでもあるネットワークの環境整備にあったと考えられる。当時のニューメディア論議では、既存メディアに対する機能面での優位性が強調されがちであった。他方、普及の土台となるべき環境整備を読み誤り、メディアの利用スタイルを十分に提案できなかったと考えられる。使い易い、便利、機能が豊富というだけでは、利用者を説得できなかったのだ。

 パソコン通信の場合、端末となるパソコンやワープロが「いつの間にか」普及したことで土台が形成された。さらに「ネットワーク・ライフ」と呼ばれる地理的制約のないコミュニティ活動が形成されたのである。

メディア普及の条件

 それではなぜ環境整備が進み、新しいスタイルを提案できたのか?
 環境整備に関しては、過去の例で見ると、多くの場合会社が重要な役割を果してきた。家庭と企業で何か新しいモノ、サービスを導入する際、決定的に違う点は、それに対する必要性である。「あれば便利」と「なければ困る」の差が決定的に現われる。例えば、電話やファクシミリは、業種によってすぐに不可欠な道具となった。業務に有用であれば、例え高価なものでも採算が取れれば投資されるのが企業論理である。企業が導入する過程で機器の低価格化が進み、サービスや利用ノウハウも発達した。細かい相違や特殊要因はあるものの、電話、ラジオ、テレビ等は概ねこのような経緯で認知を進めたものと考えられる。パソコンやファクシミリも認知過程にあると考えられる。今家庭には、会社でパソコンやファクシミリを使っている(あるいは使っていた)お父さん、お母さんが増えている。

 ライフスタイル提案という点では、写真やビデオなどに典型的な例を見ることができる。写真は旅行や子供の成長の記録を残すという習慣を育てた。無論、歴史的に肖像画を残す習慣が一部とはいえ存在したが、一般的には写真によって初めて普及した習慣といえよう。最近ではビデオムービーが写真のシナリオを辿ろうとしている。ビデオの場合、家で映画を見る習慣を提案した。余談ながら、これは米国でCATVが普及した要因でもある。

 むろん、新しいスタイルが瞬時に定着したわけではない。ここでは金持ちやマニアの役割を見逃せない。「始めは有用性を認める企業が導入、やがて金持ち(買える人)、マニア(どうしても欲しい人)が求め、最後に一般家庭に至る」というシナリオである。サービスの開拓という点では、一種のマニアの存在が先駆者、さらには牽引車としての役割を果している。

 次回では、先駆者が果たす役割とメディアの普及シナリオとの関連を考察してみたい。


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