「国会月報」1995年4月号(新日本法規出版)掲載
江下雅之
通信網としてのネットワークが整備されることと、それが本当のネットワークとして機能することとは、まったく次元のことなる問題だ。日頃から機能するネットワークをどう育てるか、この問題意識を忘れるべきでない。
阪神大震災では、情報網の寸断によってしかるべき意志決定権限者の判断が遅れた、ということが伝えられている。たしかに複雑な構造を持つ現代社会では、適切な情報を欠いた行動は混乱を増幅する危険性が高い。「情報がなければ判断できない」というのは、けっして苦し紛れの言い訳ではないはずだ。
その一方で、とある広域暴力団や新興宗教団体の迅速な救援活動が、マスコミをつうじておおきく報道された。行政組織の任務は広範囲にわたっており、しかも法律によって行動のおおくがしばられている。それを無視して「暴力団組織のほうがよほど機能的だ」などと主張することは、あまりにも乱暴すぎるだろう。これらの団体は「いいとこどり」の活動が可能だからだ。
とはいえ、非常時のなかで豊富な物資の輸送を実現できた事実には、注目するだけの価値があるはずだ。要するに、平時から号令一つで行動できる体制にあったことが、大震災という状況でも迅速な行動を実現したのではないか。彼らにとって、生活物資を神戸に送るという行動は、日頃の活動の一貫としておこなえたのではないか。ここに、常日頃から独自のネットワークを持つものの強さを読みとることができるだろう。
小説家の菅谷充氏は、震災発生後の二週間あまり、海外からの安否情報照会に忙殺されたそうだ。菅谷氏ご自身は東京在住であるが、日本とアメリカのパソコン通信ネットワークを駆使し、神戸在住の在日アメリカ人の情報収集に明け暮れたという。一年前のロス地震のおりは、やはりパソコン通信をもちいて在留邦人の安否確認作業を仲介されたそうだ。
PC-VAN や NIFTY-Serve などの大手パソコン通信サービスは、震災当日から地震情報の専用コーナーを設けるなどの対応をみせた。また、インターネットに参加している各大学やNTTなども、時々刻々と詳細な情報を流しはじめた。
情報はいろいろなところにあふれていた。誰でも自由に引き出すことがでた。パリ在住の私ですら、一月十八日の航空機や鉄道の運行状況を知っていた。すくなくともこれらの情報源を知っていれば、情報不足で行動がしばられたり、いらだつことはなかったはずだ。むろん、接続のための設備や回線が機能していなければ利用のしようはないが。
自衛隊出動やヘリによる消火活動に関する議論についても、ネットワークの随所でさまざまな専門家が意見を開陳していた。これらを読んでいれば、素人知識ゆえの思いこみによるまとはずれな批判も、避けることができたはずなのだ。このような情報をみずからのネットワークに組み込んでいたひと、たとえば菅谷氏のようなひとは、現地に赴かなかったにしても、かなりの活動ができたのだ。ここにもネットワークがあることの強さをみることができるだろう。
たしかにおおくの情報は、ネットワークをつうじていとも簡単に入手できた。このような事実を知っている者からすれば、行政機関はなぜまっさきにインターネットなどを積極的に利用しなかったのか、と思うかもしれない。菅谷氏によれば、アメリカで災害が発生した場合、真っ先におこなわれるのが情報システムの確保なのだそうだ。その意味からすれば、今回の大震災でも第一に意志決定権限者が主宰するホストが開設されるべきであった。しかし、ハードウェアとしてネットワークというシステムはあっても、情報の所在、そして利用者は、まだ「点在」していたような状態だったのだ。これでは仮に情報システムが緊急設置されても、十分な効果はえられなかったかもしれない。
インターネットなどでは、交通機関、給水、風呂場、炊き出しなど、ほぼあらゆる情報がおおくのひとの手によって発信されていた。ところが、必要なひとにそれがゆきわたらない。結局、菅谷氏のようなひとが、仲介役をはたさざるをえなかったのだ。科学情報ジャーナリストの古瀬幸広氏は、実際に関西のとある自治体にファックスを送り、そこからの情報をパソコン通信ネットワークに転載していた。これなどもまさに仲介そのものだ。
ネットワークが本来の威力を発揮するのは、このような仲介を経ずに、点と点を直結することだろう。むろん、菅谷氏や古瀬氏の行動を否定するつもりはない。彼らの活動がおおくの成果をもたらしたことは事実は。問題は、菅谷氏のようなネットワーク上の活動基盤をもっているひとが、まだ少数にすぎないという点にあるのだ。
もしも病院どうしの交流がネットワーク上にあったなら、もしも行政担当者が地域の枠をこえたネットワークを持っていたならば、もしも語学教師の一種のコミュニティが、インターネットなどできずかれていれば……。医薬品の手配、救援物資のやりとり、通訳ボランティアなどの配置は、はるかに効率化できたかもしれない。
むろん、病院、行政、語学教師からの情報はあった。情報だけでなく、具体的なリクエストもあった。どこになにがほしいという情報が、インターネットやパソコン通信をつうじ、全国、あるいは全世界に流れたのは事実だ。しかし、情報を発信し、それを受けとめることができたのは、あくまでもネットワーク通信をすでに利用しているひとのだけだった。この点、ネットワーク・ユーザー人口は増えているとはいっても、まだまだ横の関係を十分につないでいるとはいいがたい。
重要なことは、線がどうはりめぐらされているかではなく、ひとのつながりがどれだけ維持されているかなのだ。災害時の対策として、通信ネットワークの役割が再認識されている。しかし、平時に機能していないものが、いざというときほんとうに役立つのだろうか。たとえ災害が対象であっても、ハードウェアの問題だけでなく、ソフトウェアの問題を忘れるべきではない。一時的な災害対策熱に浮かれるのではなく、専門家どうしの横のつながりを日頃から維持できるような活動内容、そして、緊急時にそれらをうまく組織できる習慣を考えるべきであろう。
■行動と思考のモデル化を考える
■ネットワーク・ライフ
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月刊誌、新日本法規出版/発行
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