パソコン倶楽部 連載
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「月刊パソコン倶楽部」(技術評論社/発行)1997年11月号掲載
江下雅之
86年にエプソンが世界初のラップトップ・コンピュータを発表した。製品としては非常に興味深いものであったが、同時に「これは売れない」と思ったのもたしかである。
価格が50万円を超えていた。今日、50万円以上もするノートブックはそれなりに市場で支持されているが、それはパソコンをめぐる消費者の認識が変化した結果と考えるべきだろう。
当時、課長クラスならパソコンは仕事に使えると認識していたが、部長クラスの説得はけっこうやっかいだった。そして大企業では課長のハンコで買える範囲が20万円まで。しかも資産計上をしないですむため、電卓の購入とおなじような手続で導入できるのである。ならば、個人の専有を想定したパソコンは、20万円未満で実現するのが鉄則だとわかるはずである。
ラップトップ・コンピュータの発想が悪くなかった証拠に、直後に発表された東芝のDynabookは、日本でもアメリカでもヒットした。日本の狭いオフィス事情にもぴったりだったが(この点はエプソンの機種もおなじ)、それ以上に、20万円を切った定価が「これはいけるんじゃないか」という予感を抱かせたものである。
最近ではDVDに対して「これは売れない」という確信を抱いた。正直なところ、96年の年末商戦にメーカー各社が戦略商品として投入したという報道に接したとき、メーカーはよほどタマ不足なのではないかと思ったくらいである。
なるほど機能的にはすばらしい。応用可能性はアナログのビデオディスクよりも広範囲におよぶだろう。技術的に優れていることは間違いない。
にもかかわらず、「売れない」と思ったのはなぜか。
メーカー側には、技術環境さえ整えば、アナログはすぐにデジタルへと移行するという妙な楽観主義がありやしないか。技術的な優位性はよくわかる。CDはアナログレコードに取ってかわり、カセットテープ(Cカセット)の対抗商品として登場したミニディスクもすっかり定着してきた。デジタルカメラもヒット商品となっている。だからビデオが普及したらつぎはデジタルビデオ、ビデオディスクやCD-ROMの次はいよいよDVD……と考えたくなる気持ちは、理解できないことはない。
しかし、市場における代替現象と新規市場の開拓とは区別しないといけないし、おなじ代替現象であっても、技術的な世代交代と利用者側の習慣や環境の変化にともなう代替現象とは分けて考えるべきだろう。ややわかりづらい書き方をしたが、白黒テレビがカラーテレビに移行したのは、技術的な世代交代と見ていい。アナログレコードからオーディオCDへという流れも同様だ。新世代の機械が普及するにつれて、旧世代は市場から消えていった。
それに対しレーザーカラオケはおなじ代替現象(もともとカラオケはテープやアナログレコードを使っていた)とはいっても、カラオケの使い方そのものに変革をもたらした。単純な技術的交代で進んでいれば、オーディオCDのカラオケがもっと普及していたはずである。
他方、デジタルカメラは新規市場の開拓という側面がはっきりしている。単純な代替でないことは、通常の銀塩写真のカメラが市場を維持し、APSのような成長商品があることでもわかるだろう。デジタルカメラは従来のカメラとは異なる習慣によって支持されているのだ。
80年代後半には、電子スチールカメラという商品がいくつか登場した。ビデオフロッピーに記録するカメラである。学者やビジネスマンの一部から会議報告用で少し使われたほかは、たいした用途を開拓することもなく、いつのまにか忘れられた存在になってしまった。
写真を提示するだけであればスライドがあった。テレビやプロジェクタを使って見せるという用途では、むしろビデオムービーの方が注目されていた。電子スチールカメラは古い道具を代替するだけの利点も提示できなければ、あたらしい用途を開拓するだけの力もなかった。
その点、デジタルカメラは状況が違う。撮った写真をその場で見られるということは、遊びにあたらしい要素を加えた。パソコンで画像を処理したり、ネットワークでファイルを送ることが簡単になったおかげで、デジタルカメラは「安価な画像入力装置」という役割を発揮できた。こうした周辺環境が普及の素地を作った点を見逃すべきでない
これをDVDにあてはめて考えてみよう。映像ソフトを再生するだけなら、すでにビデオカセットやビデオディスクがある。画質や操作性などではDVDの方が上かもしれないが、レンタルビデオ店のような流通網がこれだけ整備されたなかで、DVDがどれだけ浸透できるのだろうか。マニア中心のセル市場にしてみたところで、彼らはすでにレーザーディスクを多数持っている。DVDでしか入手できない映像ソフトが続出しないかぎり、マニアのなかでもよほど好奇心の強い人しかDVDには手を出さないのではないか。
再生以外の用途となると、どうしてもパソコンということになるが、DVDがターゲットにする動画の世界は、技術面でも用途面でもまだまだ先の話といわざるをえない。ビデオのノンリニア編集のような用途は、プロの世界でようやく浸透しはじめた段階だ。マシンの性能にしたところで、まだモニタの一角にカラー動画が映るのを見て満足しているような状況である。
環境が熟していないという状況は、当のメーカー自身も認識していたのではないか。DVDに対する期待とは裏腹に、じつはメーカーの行動の随所にDVDに対する自信のなさを感じてしまう。
DVDでは規格のとりまとめに時間がかかった。DVD-ROMなどではまだ駆け引きが続いている。が、商品化のまえに規格化が進められるようなモノは、あまり売れないと考えた方がいい場合が多い。メーカーに自信がない証拠だからだ。
インテルはPentiumをIEEE規格にしたいと思っているか?
マイクロソフトはWindowsのISO規格化を目指しているか?
任天堂やソニーはゲーム用メディアのフォーマット統一を考えているか?
いずれも「ノー」である。インテルにしてもマイクロソフトにしても、任天堂あるいはソニーにしても、そうすることのメリットがまったくない。国際規格にならなくてもいくらでも売れる。そもそも規格化に時間を取られたら、たいせつな先行者利益が得られなくなってしまう。メーカーが製品に自信があるときは、さっさと商品化して市場の席巻を目指すはずだ。
ソフトの戦略的重要性が注目されたのはVHS対βのビデオ戦争のときである。ビデオゲームでも人気ソフトの奪い合いは壮絶だ。DATの停滞が音楽ソフト不足のせいだとすれば、DVDの成否をにぎるのはソフトであるといっても間違いではないだろう。
しかし、こうした考え方はハードウェアメーカーからの視点にとらわれすぎている。ソフトを供給する立場からすれば、ハードはなんだって構わない。プラットフォームにあわせた制作が必要なビデオゲームは例外だが、映像でも音楽でも、器にこだわるいわれはない。特定のフォーマットに肩入れするメリットはない。投資効率を考えたら「勝ち馬」に乗ればいいだけであって、フォーマット戦争など傍観の対象にすぎないはずだ。
ソフト供給側は規格統一が好ましいと表明するかもしれない。彼らが恐れるのは、いらぬ混乱によってハードウェア市場の立ち上がりが遅れることだ。本音のところは、なんでもいいからさっさとハードをばらまいてくれ、規格統一によって各社一斉に発売してくれるもよし、自信満々の一社が大胆に市場を切り開いてくれるも可、といったところだろう。ハードウェア供給者は、こうした「つれなさ」をあらかじめ考慮しておくべきだろう。
いまはパソコンに装備されてあたりまえのCD-ROMドライブも、市場の立ち上がりはけっしてスムーズではなかった。CD-ROMのような仕掛けが必要になるまで、ハードウェア、ソフトウェア環境の変化、それに平行して進展した利用者の認識の変化を待たねばならなかったのだ。
DVDもこのような普及シナリオにならざるをえないのではないか。映像の再生機という方向では、レーザーディスクとのハイブリッド機という形で代替を進める。パソコンにおいてはCD-ROMドライブの延長という方向を目指す。じょじょに普及度が高まり、同時にパソコンそのものの基本性能が動画をあつかうのに適したレベルになり、それに加えて利用者の気を引くきっかけが生じれば、代替シナリオから新規市場開拓に転換できるかもしれない。
いずれにしても、技術的な話題はかしましく交わされても、肝心の市場の方は、当分のところ地味な展開になるだろう。
■業界無常識論
■フランスのパソコン事情
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月刊誌、技術評論社/発行、1992年創刊
一般個人向けのパソコン雑誌だが、その後リニューアルされた。
技術的な解説よりもむしろ、パソコンやネットワークを生活や仕事に活用するノウハウ記事、先駆的な利用者のインタビューなどの読み物が充実していた。
月刊誌、技術評論社/発行、1983年創刊
パソコン雑誌のなかでは古株の一つだが、惜しまれつつ休刊となった。
誌名よりも「ざべ」の略称で親しまれていた。パソコンがまだ一部の人の趣味的な世界のことに創刊された雑誌で、「bit」や「日経バイト」とは違った意味でパソコン誌を代表する雑誌であった。