研究成果経過報告
 新古書店研究
 はじめに
 第1章 古書流通の〈ニューウェイブ〉
  1. 新旧の古本屋
  2. マルチメディア・リサイクル店
  3. 郊外を拠点に広がる大規模古書店
  4. インターネットに広がる書店と古書店
 第2章 新古書店が標的にする市場
  1. 新古書店の覇権争い
  2. マンガ古書市場と新古書店(未完)
  3. 拡大するコンテンツ・リサイクル
    • 新古書店で売れる本・売れない本
    • 拡大する中古CDおよびゲーム市場
 第3章 新古書ビジネスの実像と将来
  1. 新古書店が投げかけた波紋(未完)
  2. 迎え撃つ新刊書店と古書店(未完)
  3. 過大評価されがちな新古書ビジネス(未完)
 第4章 新古書ビジネスの実像と将来
  1. 出版流通が抱える矛盾点
  2. 錯綜する競合関係と出版ビジネスの将来像


更新履歴

■2006年 4月2日
 新古書店研究を掲載しました。
■2006年 4月2日
 Laboページを制作しました。

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第1章 古書流通の〈ニューウェイブ〉の登場

1998-2001ごろ執筆(未完成・未発表)
江下雅之

1 新旧の古本屋

古書店「初体験」記

「古本屋さん」ということばを聞いて、どんなイメージが浮かぶだろうか。
 古文書や浮世絵などの「骨董品」を扱う店。
 学術書や文学全集が店舗内にびっしりと積み上げられた蔵のような店。
 ボロボロの文庫本をワゴンやスチール製書架に押し込んで安売りする店。
 ……いずれも実際の古書店の姿である。
 関東に住む人にとっては、東京の神田神保町が古書店の代名詞的な存在だろう。八〇年代のバブル期には地上げの標的になった地域だが、それでも古書店の伝統を守ろうとした店主や若旦那たちのおかげで、古書店街は二一世紀に入ってからも健在だ。
 横浜で生まれ育った私も、最初に利用したのは神田神保町の店である。昭和四三年十一月――当時は中学二年生だった――、たまたまテレビのニュースで神田古本祭りの光景を目にしたのがきっかけで、その翌日、話のタネにするつもりで訪れてみた。別になにか探している古書があったわけでもなければ、とりたてて本が好きだったわけでもない。ゴチャゴチャとしたお祭りの雰囲気に興味を惹かれただけだった。
 神田古本祭りは二〇〇〇年で第四一回を迎えたが、会場は何度か移動している。昭和四三年当時は、靖国通りと白山通りとが交差する神保町交差点の西北角の空き地――現在は東京三菱銀行神保町支店の入ったビルが建っている――で開催されていた。国鉄(当時)御茶ノ水駅から歩いて会場に向かうと、靖国通りにぶつかったところから神田神保町の古書店街が始まる。そのとき初めて、浮世絵がならぶ店、学術書・文学全集が山積みになっている店、洋書の専門店、カバーとてないボロボロの文庫本をテンコ盛りにして売っている店等々を見かけたのだった。
 会場近くのとある店に入ってみたら、どの棚もエロ本でいっぱい。そういうものには普通の中学生なみの興味は持っていたものの、さすがに何千冊もの量は刺激が強すぎた。あわてて店から出たのだが、そのとき入り口に「一八歳未満の方はご遠慮ください」という札があるのにようやく気がついた。神保町というところは、エロ本専門の古書店まであるのか!……と驚いたものだ。もっとも、アダルトビデオ市場が広がってからは、その種の店は実質的に中古ビデオ店に様変わりしたようだが。
 十四歳で古本屋「初体験」をすませたものの、中学・高校時代は利用する機会はほとんどなかった。定期的に古書店を利用するようになったのは大学に入ってからで、絶版の文庫本や誠文堂新光社の「天文ガイド」という雑誌のバックナンバーを探しに、神田神保町の〈文庫川村〉や〈明倫館〉などに通った。大学では理学部に進んだので、理工学書専門の明倫館には、テキスト代をかなり節約させてもらった。
 文庫川村にせよ明倫館にせよ、神保町でもかなり有名な古書店であるが、まったくの「初心者」にしてみたら、そんなことは知る由もない。どちらの店も偶然見つけ、ほしい本や雑誌がたまたま多く揃っていたから利用する機会が多かっただけのことだ。
 たとえば岩波文庫判の『三国志演義』をほしくなったとき、当時――昭和五六年――これは「品切れ再版未定」だったので、古書店で探すしかなかった。そのころすでに神保町の古書店街に何度か行く機会があり、国鉄御茶ノ水駅から古書店街まで行く途中、明治大学の近くに文庫本専門の古書店が一軒あるのを知っていた。小さいながらも文庫本しか置いていない特徴的な店だったので、入ったことはなくても店の存在だけは覚えていたのである。これが文庫川村なのだが、お目当ての『三国志』はすぐに見つかった。
 値段は全十巻揃いで五千円で、そのころの文庫本の価格に比べると、だいたい五割増しぐらいのプレミアである。五分ほど悩んでから結局買ったが、財布の中には千円札が一枚残っただけ。バイトの給料が出るまでの一週間、それで過ごさなければいけなかったが、そのころは学食のいちばん安い定食が一食二百円だったので、なんとか昼飯抜きにはならなかった。
 もっとも、食費を気にしてまで古本を買うようなことは、このときぐらいのものだった。年がら年中古本屋巡りをし、日々の出費の大半が古本代となるようになったのは、二十代の後半になって、マンガ古本を集めるようになってからである。

街の小さな古本屋さん

 神田神保町の古書店街が学校の近くにあった学生時代と違い、会社勤めになってからは、ふたたび古書店からは足が遠のくようになった。ただ、自宅最寄り駅の二つ先にある駅前に小さな古本屋が一軒あり、会社からの帰り道に、いつもなんとなく目にとまっていた。〈麒麟堂〉というその店だけが、夜遅くまで明かりがついていたからである。
 ちなみに当時、帰宅途中に近所のコンビニに寄っては、新刊のマンガ雑誌をざっと読むのが習慣のようになっていた。かならず読んでいたのがビッグコミック・オリジナル誌(小学館)連載の『釣りバカ日誌』(北見けんいち/画、やまさき一三/原作)とビッグコミック・スピリッツ誌(同)の『美味しんぼ』(花咲アキラ/画、雁屋哲/原作)で、単行本も第一巻から少しずつ買いそろえていった。
 これら青年コミックは、八〇年代末の時点で一冊だいたい五百円だが、この値段、はたして高いだろか、安いだろうか?
 文庫本でも新書ノベルスでも、当時すでに五百円前後していたことと比較すれば、とりたてて高くはない。その後、新書ノベルスなどが六百〜八百円になったのに比べれば、コミック本はおおむね安いといっていい価格だ。九〇年代末でも青年コミックは五百二十円が平均的な価格水準だった。
 ところが、小説なら全五巻もあれば相当な長編だが、マンガなら五巻どころか十巻以上のシリーズものがめずらしくない。『釣りバカ日誌』『美味しんぼ』とも長期連載作品で、いずれもその時点で三十巻を越えていた。既刊全巻を一度に揃えようと思ったら、両シリーズあわせて三万円もかかる。新刊を定期的に買うだけなら、感覚的に大きな出費ではないのだが、過去に出た長編をまとめてそろえるのは、サラリーマンの小遣いには厳しい出費となってしまう。そんなわけで、帰宅時のマンガ購入は「ほどほど」に抑えていた。
 ある日、ほんの気まぐれから麒麟堂に行ってみた。べつに『美味しんぼ』を安く買おうと思ったのではなく、まったくの思いつきである。古本屋で漫画を安く買えるという予備知識はまったくなかった。ところがその麒麟堂、ほんの三坪ほどの狭い店舗のなかに、漫画の単行本がびっしりと詰まっていた。その日は大和和紀の『はいからさんが通る』全七巻プラス別巻を買った。八冊でわずか千円ちょうど。これには目から鱗が落ちるような思いがした。
 好きなものの出費というのは、値段が半分だから出費を半減させるのではなく、おなじ出費で倍買ってしまうものだ。いや、倍ではすまなかった。なまじ家からすぐに行けるとなると、ついつい足繁く通ってしまう。その後、東京の高円寺に引っ越したが、近所には小さな古本屋が二軒あり、さらに漫画古本のメッカ〈まんだらけ〉も歩いて行ける距離だったので、古本屋通いのペースは一気にあがったものだ。
 古本屋のイメージとして、「古文書や浮世絵、専門書などを扱う店」と書いたが、街中で見かける小さな「古本屋さん」の扱う本は、もっと雑然としている。埃をかぶった文学全集も棚の上に乗っているが、圧倒的に多いのは、マンガ、文庫本、新書ノベルス、実用書、写真集などだ。アダルトビデオやゲームソフトを置く店も多い。要するに、娯楽関係のものは、たいがい扱っている店なのである。
 なかにはいわゆる「ブルセラショップ(女性の使用済みの下着やセーラー服を売っている店)」を兼ねているところさえある。ブルセラショップが取り締まりを受けるとき、たいていは古物商の鑑札を所持していないことが問題になるのだが、古書店なら鑑札を持っていないはずがない。横浜伊勢佐木町近辺も、九〇年代にはすっかりとファッション・ヘルス街と化した地区だが、その近辺にある古書店のいくつかは、アダルト雑誌のバックナンバーに加え、「大人のおもちゃ」――さすがに新品なのだろうが――も売っている。古本屋とて商売、売れるものならいろいろと取り扱っているのである。

あたらしいタイプの古書店

 ブルセラショップ兼業の古書店はともかくとして、街中をつぶさにさがしてみれば、「街の小さな古本屋さん」の一軒や二軒は見つかるものだ。電話帳のタウンページにも、案外と多くの古書店が掲載されている。そういう店は、たいてい間口が二間程度で、狭い店内にスチール製の書架がぎゅうぎゅう詰めになっている。店内は薄暗いし、空気は埃っぽい。潔癖性の人には苦手な環境かもしれない。
 ところが九〇年代半ばごろから、郊外の街に「本のリサイクル店」とでもいうような古書店が目立つようになった。店内の雰囲気や店構えは古書店というよりもコンビニに近い。良くも悪くも「古本」の雰囲気を醸していたカビ臭さがない。書棚もおおむね背が低く、店内の見通しがいい。照明も明るく、昼は大きな窓から外の光が入ってくる。
 もともと本は太陽光線が苦手なので、古書店は薄暗いのが普通だ。神田神保町の古書店街でも、店のほとんどは靖国通りの南側に連なっている。北側(南向き)にあると、日中、太陽光線が入ってきて、本を傷めてしまうからだ。
 本は場所を取るし、新刊書店と違って古書店は自分のところである程度まとまった数の在庫をかかえないといけない。倉庫を別に持つ店も多いが、扱う本が雑多なために、どうしても店内は本で充満した状態になってしまう。値を決めるのには年季がいるために、バイトや新入りが店を切り盛りすることはない。見るからに「本の虫」という雰囲気の店主や店員がいるものだ。
 しかし、こういう「常識」がリサイクル店には通用しない。店内は明るく、空間にもゆとりがある。店員の雰囲気はコンビニかファーストフードとおなじで、客への声のかけかたは歯切れがよく元気だが、どうしてもマニュアル臭さを感じさせる。
 もちろん、それが「悪い」とは言わない。そうでなく、おなじ古本を扱っている店とはいっても、従来の古本屋とはまったく違った型の店が目立って増えてきた、ということなのだ。
 リサイクル店とはべつに、もう一種類、九〇年代に入ってから目につくようになった古書店が登場した。そのタイプの店は、たいてい駅からは離れたところにある。
 本を扱う店であれば、普通は駅前とか商店街の中が条件的にベストだ。駅に近ければ通勤通学の途中に立ち寄れる。買い物のついでにも行ける。これは新刊書店だろうが古書店だろうがおなじことだ。
 ところが、もう一種類の新型古書店は、郊外都市の住宅地のなかに、売り場面積が百坪以上、店によっては二百坪を越える巨大な店舗を構えている。専用駐車場があり、本を売りにくる人も買いに来る人も、周辺の住宅地から車かバイク、自転車でやって来る。五十冊、百冊という量をまとめ買いする人が少なくない。書店というよりも、酒や食品のディスカウント店のような雰囲気がある。
 広大な店舗には、書棚が百、二百という単位で並んでいる。マンガ、文庫本、新書、雑誌など、品揃えの構成は「街の小さな古本屋さん」と違わないが、店頭に置いてある在庫の量がけた違いだ。街中の零細古書店ならせいぜい一万冊といったところだが、郊外の大規模店だと十万冊はあたりまえ、最大級の店舗になると、五十万冊以上も置いてある。もちろんバックヤードにはその何倍もの在庫があるわけだ。

一万円で百冊買える店

 リサイクル店でも郊外の大規模店でも、取扱量が多い本はマンガと文庫本、新書ノベルスだ。それも専門古書店が扱うようなマニア向けの絶版本ではない。新刊書店でも売っていそうな、比較的あたらしい本が中心だ。状態も新刊に近いものが多い。
 値段はといえば、だいたい百円から三百円の範囲である。新書判のコミックスと文庫本のかなりは百円の値がついている。年末セールのときなどは、一冊十円、二十円という本さえ少なくない。かといって状態が悪いわけではない。さすがに新刊本よりもくたびれている本が多いけれども、読む障害になるほどではない。小さな汚れさえ気にしなければ、本を定価の七割引、八割引で買えるといってもいいくらいだ。だからこそ、新刊書店はこうした新古書店を警戒する。
 リサイクル店のような古書店があるということを、私自身は新聞記事から偶然知った。九五年の秋に、日経産業新聞で〈ブックオフ〉というチェーン店の特集記事が掲載されていたのである。
 ここの本部は神奈川県相模原市にあり、直営店の多くが相模原市近辺で営業していたのだが、当時、私はその隣の海老名市に住んでいた。とはいっても、九五年ごろは、まだまだあちこちに見かけるといった状態ではなかった。存在は知っていたけれど、具体的にどこにあるかは知らなかったし、わざわざ行ってみたいとも思わなかった。ある日、車で買い物に出た帰りに道を間違え、Uターンしようと思って車を寄せたところが、たまたまブックオフ直営店の前だった――というのがリサイクル店との最初の出会いである。
 じつはその日、東京都八王子市に住む学生から、〈ブックセンターいとう〉という古書店に案内してもらっていた。これは郊外型大規模店の代表格で、中央大学八王子キャンパスのある丘のふもとに本店がある。はじめてこの店に入ったときは、一瞬、体育館に書棚を並べているのかと思った。書架の数から推計するに、少なくとも三十万冊の本が店頭に並んでいた。それでも店内は「本でびっしり」という感じではなかった。
 店頭在庫が二十万冊とか三十万冊といっても、図書館を頻繁に利用する人でもなければ実感できないかもしれない。たとえば家庭にある幅九十センチの本棚は、一段につき文庫本や新書を四十〜五十冊ぐらい並べられる。高さが百八十センチの書架なら八段まで取れるので、書架ひとつで収納できる新書判の本は四百冊ぐらいだ。店頭在庫が三十万冊というのは、書架七百五十本ということである。幅九十センチであれば、横一直線に並べれば六七・五メートルにもなる。
 もちろん、大規模店で使う書架はもっと段数が多いので、実際に並ぶ書架の数はもうすこし少ない。それでも、ひとつの店舗だけに何百という数の書棚が余裕を持って並んでいる。街の小さな古本屋さんなら、二十ぐらいの書架がひしめき合っている。神保町の専門店とて規模は大差ない。店頭在庫量に関しては、郊外型大規模店はけた違いなのだ。
 大規模店もまた、取り扱いの中心は文庫本とマンガで、かなりの数が一冊百円で買える。ブックセンターいとうを最初に訪れたときは、まだ控えめに五十冊程度を買うぐらいだったが、その後この種の店を頻繁に利用するようになってからは、百冊前後を買うのがあたりまえになった。京都のとある店では、一度に三百冊以上をまとめて買ったこともある。車で行くからこそ、そして一冊百円程度で買えるからこそ、こんな買い方ができる。新刊なら一万円で新書判コミックは二十数冊しか買えないが、新古書店でなら一万円で百冊買えるのである。

新古書店を利用する人

 書店のない街はほとんどないだろうが、新タイプの古書店となると、かなり目につくところもあれば、まだ一軒もない地区もある。売り場面積が百坪以上の大規模店になると、都心部では少ない。新タイプの古書店は偏在している。
 神田神保町の古書店街の常連客は、いろいろな分野の専門家やマニアが多いように思われるが、新古書店の方は、変な表現になってしまうが「普通の客」が中心だ。住宅地を中心に立地していることが多いので、制服姿の中学生や高校生の姿も目立つ。リサイクル店は中古CDや中古ゲームを扱っていることも多いので、それに応じた客層も集まる。
 営業時間や混雑のピークもこれまでの古書店とは違う。神田神保町の古書店街の店なら、第一・第三日曜や水曜が休みという店が多い。営業時間も夕方までのところがほとんどで、夜八時以降も営業しているところは少ない。
 リサイクル店や郊外の大規模店は、たいていは年中無休で深夜営業もおこなっている。混雑のピークも、平日なら夜十時ごろ、土日は夜七時ごろにやってくるという。商業地域にある古本街の店と、住宅地のなかにある新古書店とでは、こうした点がはっきりと違うのだ。新古書店は、夕食前後に出かける人とか、レンタルビデオ店やコンビニエンス・ストアに行くついでに寄る人が多いのである。レンタルビデオ店を兼ねているところもあり、従来の古書ファンのための店でないことがはっきりしている。
 これまで再三、新古書店の主力商品はマンガ、文庫本、新書ノベルスと書いてきたが、おなじマンガや文庫本でも、旧来の古書店と新古書店とでは、品揃えがずいぶんと違う。たとえば新潮文庫に収録されている三島由紀夫の小説や、文春文庫の司馬遼太郎の本などは、街の古本屋では定番商品の一つだ。『豊饒の海』や『竜馬がゆく』などの全巻揃いは、かならずといっていいほど置いてある。
 ところがリサイクル店では、こういうものをあまり見かけない。そのかわり、富士見ファンタジア文庫、講談社X文庫など、若い読者をターゲットにしたファンタジー小説やジュブナイル小説の文庫本が多い。こちらは逆に、老舗や街中の古書店ではあまり見かけない。郊外型大規模店でも、比率としては歴史時代小説やミステリーよりも、ファンタジーやジュヴナイルが多い傾向がある。
 コミック本にしても、絶版マンガ専門店が扱うようなプレミア対象の古マンガはほとんど置いていない。たとえば虫プロ商事の虫コミックスはコレクターに人気のあるブランドだが、リサイクル店ではまず見かけない。かわりに多いのが、集英社のジャンプ・コミックスやマーガレット・コミックス、講談社のモーニングKC、小学館のビッグコミックスなど、小・中学生や若いサラリーマンに人気のあるマンガを揃えたブランドである。もちろんそれらのなかにも、コレクターが血眼になって探す絶版コミックもあるが、新古書店に並んでいるものは、過去十年ぐらいに刊行されたものの比率が圧倒的に高い。
 もちろん、細かな傾向となると、系列によっても個々の店舗によっても、微妙な違いがある。大規模店のなかでもプレミア本を積極的に置く店もあれば、オジサン向けの小説や実用書を充実させているところもある。いずれにしても、特定のマニアではなく、店の周辺に住むごく普通の人たちがコンビニに寄るような感覚で買い物ができる店、という点では、ほぼ共通していると見て間違いない。

新古書店とファミリーレストラン

 新タイプの古書店の営業形態は、ファミリーレストランと共通する点が多い。
 飲食店にも料亭や高級レストランもあれば、街中の定食屋もある。数からいえば、圧倒的に零細規模の「飯屋」が多い。そうしたなかで、フランチャイズ・チェーン方式の店舗展開、業務の徹底したマニュアル化、集中的な食品センターからの配送による調理過程の合理化などによって、豊富なメニューを比較的安い料金で実現したのがファミリーレストランであった。
 新タイプの古書店もまた、最初は都市周辺部の幹線道路沿いに登場し始めた。広い店舗に駐車場が備わり、客は車で来店する。ほとんどの店が年中無休であり、深夜営業をおこなっている。これらの点もファミリーレストランとおなじである。
 もちろん、古書販売と飲食店経営とでは、サービス自体に共通点はない。しかし、客の行動という点から見ると、重複した要素がかなり読み取れるのである。
 まず第一に、客はその店にけっして凝った料理や職人技的なサービスを求めて訪れるのではない。ファミリーレストランであれば、そこそこ安くてそこそこ味わえるものが出てきさえすればいい。新古書店も同様で、マニアックな稀覯本ではなく、日常的に読む本を安く買えればいい、という消費者が最大のターゲットになっている。
 第二に、「そこそこ安くそこそこの水準」というサービスを実現するために、業務のマニュアル化が進められ、パートやアルバイトでも多くの作業をこなせる体制が取られている。調理や給仕でも古書の仕入れ・販売でも、いずれも「プロの仕事」をこなすには、相当の年季が必要だ。そういう従業員を養成するのは、相応のコストがかかる。ファミレスや新古書店ではその点、プロの最高レベルを追求するのではなく、「そこそこの水準」で割り切ることで業務の合理化を実現しているのである。
 第三に、店の立地条件がこれまでとは違う。ファミリーレストランでは車で訪れる人たちを最初から想定し、店には専用駐車場があり、都心部からは少しはずれた街道沿いから目立って増えてきた。新古書店もまた、古い学生街や駅前商店街のなかではなく、郊外の住宅地など、これまで古本屋があったところとは違う条件の場所で台頭してきた。バブル期に大都市圏の大学キャンパスが続々と郊外に移転したこともまた、ひとつの契機になっただろう。
 ファミリーレストランに対しては、いろいろなメニューがあるとはいっても、しょせんは薄っぺらな味――という批判もある。いかにもマニュアルどおりの接客態度は、パロディのネタになることもある。そうはいっても、ファミリーレストランが外食のあらたな需要を生みだし、大きな産業となったことは厳然たる事実だ。
 新古書店に対しても、古書業界や消費者からさまざまな批判がある。曰く、古書という二次市場の立場を逸脱したもの、「本の虫」の需要に耐えるだけの品揃えがない、値づけが大ざっぱすぎる等々。それらの指摘は一面の事実ではあるが、新古書店が短期間で大勢力となったのは、本の購入という消費行動に、これまでとは異なる流れをもたらしたからにほかならない。新古書店の役割を肯定的にとらえるにせよ、否定的に受けとめるにせよ、書籍流通に占める位置づけはきちんと把握しておくべきだろう。
 さらに、九〇年代半ば以降爆発的に普及したインターネットは、新刊、古書を問わず、書籍流通のあり方を一変させようとしている。この問題については、あとの項目であらためてふれることにする。


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古書店メモリー(2)

神保町の次に住みたいのが中野、それもブロードウェイのマンションである(笑)。理由はいわずもがなだ。毎日まんだらけの棚をチェックすれば、確実に掘り出し物をゲットできるはずである。良きにつけ悪しきにつけなにかと言われることの多い店だが、マンガ古書の在庫の潤沢さがダントツであることは、誰もが認めざるをえない事実だろう。
はじめてまんだらけに行ったときは、ブロードウェイ3階に本店とレディース店とがあるだけだった。本店スペースだって、いまの売場よりもふたまわりぐらい小さかった。あのころのまんだらけは、小さな新興古書店の一つにすぎなかったのである。

関連リンク