研究成果経過報告
 新古書店研究
 はじめに
 第1章 古書流通の〈ニューウェイブ〉
  1. 新旧の古本屋
  2. マルチメディア・リサイクル店
  3. 郊外を拠点に広がる大規模古書店
  4. インターネットに広がる書店と古書店
 第2章 新古書店が標的にする市場
  1. 新古書店の覇権争い
  2. マンガ古書市場と新古書店(未完)
  3. 拡大するコンテンツ・リサイクル
    • 新古書店で売れる本・売れない本
    • 拡大する中古CDおよびゲーム市場
 第3章 新古書ビジネスの実像と将来
  1. 新古書店が投げかけた波紋(未完)
  2. 迎え撃つ新刊書店と古書店(未完)
  3. 過大評価されがちな新古書ビジネス(未完)
 第4章 新古書ビジネスの実像と将来
  1. 出版流通が抱える矛盾点
  2. 錯綜する競合関係と出版ビジネスの将来像


更新履歴

■2006年 4月2日
 新古書店研究を掲載しました。
■2006年 4月2日
 Laboページを制作しました。

共同研究の申し出歓迎

共同研究の申し入れ、単行本化のリクエストは常時歓迎いたしますので、public@fbook.com宛にご連絡ください。あるいは、TOPページに掲載しました連絡先宛にご連絡いただくのでも結構です。

第2章 新古書店が標的にする市場

1998-2001ごろ執筆(未完成・未発表)
江下雅之

2 マンガ古書市場と新古書店

出版市場に占めるマンガの重み

 出版業界は九〇年代後半に大きな不振を迎え、老舗出版社の倒産や伝統ある雑誌の休刊が相次いだ。本を読む人が減ったといわれて久しいが、この時期に多くの出版社がことさら苦難に陥ったような印象をもたらしたのは、マンガ市場の行き詰まりが直接の原因だという意見がある。それを象徴する出来事が、集英社のマンガ雑誌「少年ジャンプ」の売れ行きの不振だ。最盛期には毎週六〇〇万部以上も出荷されていたこの“お化け雑誌”が、大ヒット作の相次ぐ完結後には四〇〇万部台前半にまで減少し、ついにはマンガ雑誌の売れ行きトップの座を講談社の「少年マガジン」に譲ったのであった。
 もちろん、出版業界がいつごろからどんな理由で深刻な不況に陥ったのかは、噂や風説だけで軽々しく決めつけるべきではない。これ自体でひとつの研究テーマとなる問題である。しかし、厳密な検証を抜きにしても、こうした推測が出版業界側から出るということは、出版市場全体の●●パーセントを占めるマンガの売れ行きが、出版事業全体に巨大な影響を及ぼしていることを示している。
 古書市場のなかでマンガの販売がどの程度の割合を占めるかは、残念ながらデータがないので正確なことは論じられない。しかし、特定ジャンルに特化した専門書店を除けば、文庫本・新書、マンガなどの足の速い商品が多くの古書店で、重要な収益源のひとつになっていることは間違いない。
 新古書店の影響について、●●年に全国古書籍組合連合会は加盟店にアンケート調査をおこなった。その結果によると、加盟店の多くは当初、新古書店が経営に大きな打撃を与える可能性があると考えていた。ところが、期間を置いてあらためて調査した結果によると、絶版本など独自の市場があるため、新古書店の影響は限定的な範囲にとどまるという見方に変化している。
 たしかに新古書店があつかう商品は、古書全体を占める膨大なジャンルのごく一部にすぎない。絶版書籍など、付加価値の高い商品の比率は一般的に低く、MRSなどはむしろ除外さえしている。そうした点からすれば、従来の古書店と新古書店とは棲み分けが自然と進みそうなものだ。
 しかし、話はそれほど単純ではない。市場の棲み分けが進む過程では、当然ながら弱い部分が淘汰されてしまう。それは資本力のある新古書店系列が、零細の古書店を呑み込むことと言い換えてもいい。そして新古書店が比較的あたらしい本、それもマンガを中心に取り扱っていることから、おなじ商品への依存度が高い中小・零細規模の新刊書店への影響は、いっそう大きいことは明かである。単純に考えるなら、MRSの登場は、出版不況をもたらした一因といわれたマンガ市場の縮小を、いっそう進める結果にもなるということだ。
 出版関係の調査機関である出版科学研究所の調べによれば、コミック本(マンガの単行本および漫画文庫)の年間販売額は九四年に頭打ちとなり、九九年には対前年比で七パーセントも減少し、九三年の水準すら下まわってしまった。
 市場低迷の原因は、すでに言及したように新古書店に加え、都市部で急増したマンガ喫茶の影響によるものと推測されている。マンガ喫茶というのは、マンガ図書館に喫茶店を混ぜ合わせたようなサービスだ。時間あたり数百円という料金を払えば、店内にあるマンガは読み放題で、たいていはコーヒーやジュースなどを自由に飲める。首都圏では新宿や秋葉原などの繁華街に多く、サラリーマンが外出中に一服したり、あるいは深夜、終電に乗りそびれた人が始発までの仮眠や時間潰しに利用するケースが多い。
 マンガ喫茶には二万冊前後のコミックが置かれている。一見するとコミックの巨大な需要先のように思われるが、じつは新古書店のなかにはマンガ喫茶向けのセット販売を行っているところもあるのだ。マンガ喫茶を経営しようと思う方にしても、初期投資として一度に一万冊以上のコミックを揃えなくてはいけない。古書で買えば数百万円のコストが浮くのである。
 しかし、このようなことがおこなわれることで、新刊がいっそう売れなくなるという悪循環が発生してしまう。「金を払って本を(借りて)読む」という形式だけを見ると、昭和二〇年代から三〇年代に隆盛した貸本屋とおなじかもしれない。しかし、当時のマンガは現在の物価水準にあわせれば、一冊数千円もした高額な娯楽商品だったのである。また、貸本屋は出版社から本を仕入れていた。すくなくとも出版業界への経済的な還元があったのである。新古書店から仕入れているマンガ喫茶とは、書籍流通での位置づけが根本的に異なる。
 さすがに影響を無視できなくなった大手出版社は、九九年から低価格コミックを販売するようになった。小学館の「マイファーストビッグ」が典型例だが、同社の雑誌で長期連載されている作品を取り上げ、毎週三冊、コンビニエンス店に配本するようになった。内容はすでに単行本化されたものを使い、本にはカバーをかけずに雑誌とおなじ扱いとし、価格を三〇〇円に抑えるために広告まで掲載している。滑り出しは好調のようだが、まだまだマンガ市場のごく一部を占めるにすぎず、市場の低落傾向にどこまで歯止めをかけられるかは不透明な状況だ。

お宝マンガブーム

 新刊のみならず古書の流通でも大きな影響力を持つマンガだが、そもそもマンガ古書の市場は、いつごろ、どのような経緯で誕生し、発展していったのか。
 マンガが古書としての存在価値を認められるようになったのは、じつは昭和五〇年ごろのことなのだ。もちろん、それまでにも古書店でマンガが売られることはあったが、あくまでも雑多な商品のひとつとして扱われていたにすぎない。もちろん現在でも基本的な状況はおなじで、出版のなかで巨大な販売額を占めるマンガとは、大量に印刷され、大量に販売され、そして大量に捨て去られる本でもあるのだ。こうした状況は文庫本や新書ノベルスも同様で、古書店では百円、二百円、場合によっては一山いくらという値段で叩き売りされる対象なのである。
 マンガがゴミ扱いされていた(現在でもされている)なかで、神田神保町の中野書店という古書店は、手塚治虫の『新宝島』の初版本に、二〇万円という価格を付けた。これが昭和五〇年代はじめの出来事だったのである。手塚の『新宝島』は昭和二二年に育英出版から刊行され、四〇万部も売れる大ベストセラーとなった。海賊版まで含めれば、八〇万部は捌けたという指摘もある。これだけ大量に刊行されたにもかかわらず、粗悪な紙と製本のために読み捨てられ、現存数はきわめて少ない。なかでも初版本だけは版型・紙質ともに増刷とは異なるため、昭和五〇年代以前から、マニア間では高値で取引されていたと言われる。
 中野書店が二〇万円の値を付けた『新宝島』はその後も値があがり続け、また、より保存状態のいい初版本が見つかったこともあって、九〇年代末には三〇〇万円にまで市場評価額があがっている。 「マンガの神さま」と呼ばれる手塚治虫は、戦後のマンガ出版の黎明期から大量出版が定着した時代に至るまで、ほぼ常に第一人者でありつづけた漫画家である。ファンの年齢層はきわめて広く、手塚が創造したキャラクターの多くは、手塚の死後に生まれた子どもたちにさえも人気が高い。親子三代の手塚ファンも珍しくはない。息の長い活動を続けた手塚だからこそ、マンガが黎明期だった時代の作品が伝説化すると同時に、マニアが血眼になって探し求めたのだろう。その結果が、古書としての評価をもたらした一因となったことは間違いない。
 手塚本の一部に高値がつくようになってからは、中野書店以外にもマンガ古本を古書として取り扱う店が登場するとともに、手塚本以外にも評価される作品が出てくるようになった。現在では、足塚不二雄(藤子不二雄の別ペンネーム)の『最後の世界大戦』(昭和二八年刊行、鶴書房)にも三〇〇万円、東真一郎(水木しげるの別ペンネーム)の『恐怖の遊星魔人』(昭和三〇年代初頭刊行、暁星)に二〇〇万円など、百万円以上の価格で販売されているマンガがいくつもある。こうした高値のマンガ古書がに知られるようになったのは、テレビ番組『なんでも鑑定団』が契機になった「お宝ブーム」の影響だと見なしてかまわない。

コミックが大量出版されるまでの経緯

 現在でこそコミックは大量出版時代の申し子といえる存在だが、最初からそうだったわけではない。週刊の雑誌という掲載媒体の登場、雑誌連載作品の定期的な単行本化など、いまではあたりまえの形式が定着したこと自体、昭和四〇年代半ば以降のことである。マンガ本の流通は、戦後、いろいろな変遷を経ているのだ。
 その経緯をざっと追いかけると、まず、戦後まもなくの昭和二〇年代前半には、「赤本」と呼ばれる粗悪な紙で製本されたマンガ本が露天で売られていた。この当時は紙が極端に不足していたため、業者によっては余った折{おり}をかきあつめ、無理矢理一冊の本に製本して売っていたりもした。このような本(マンガ古書業界では「ゾッキ本」という)は、ひとつの話がいきなり途切れ、その先はまったく別の話になってしまうのだが、それでも娯楽の少なかった時代だったので、片っ端から売れていったという。
 昭和二〇年代の後半になると、戦争のために休刊となっていた雑誌が復刊する一方、マンガを主力にした月刊誌の創刊が相次いだ。そして手塚治虫が関西から東京に引っ越してからは、赤本で稼いだ関西系の出版社が新人作家を積極的に採用した。この新人たちは「劇画」というマンガのあたらしいジャンルを開拓し、アクションものや時代劇などの短編を集めた単行本を貸本屋向けに書き下ろすようになる。そうした短編集はほぼ定期的に刊行されていたため、「貸本誌」と呼ばれている。
 昭和三〇年代前半には、後に巨匠とか大御所と評される漫画家たちが続々と単行本でデビューした。この時期、漫画家の「晴れ舞台」は『少年クラブ』(講談社)、『冒険王』(秋田書店)や『少年画報』(少年画報社)、『少年』(光文社)、『おもしろブック』(集英社)などの月刊誌であり、ここに連載ページを持てる漫画家がA級、それに対し、貸本誌に描く漫画家はB級といったランク付けがされていた。
 昭和三〇年代の半ばになると、『少年マガジン』(講談社)、『少年サンデー』(小学館)、『少年キング』(少年画報社)などのマンガ週刊誌が相次いで創刊された。ただし、昭和四〇年代の始めぐらいまでのマンガ週刊誌は、連載漫画が数本ほどしかなく、ページ数のうえでは、メカを解説したグラビアページ、スポーツ選手のノンフィクション記事、子ども向けの学習企画などの占める割合が多かった。内容的には子ども向けの情報誌といった性格が濃厚だったのである。
 マンガ週刊誌は創刊後に発行部数を次々と増やし、Aランクの漫画家の活動舞台は徐々に月刊誌から週刊誌へと移行していった。昭和四〇年代に入ると、人気マンガが続々とテレビアニメ化されるようになる。その結果、従来の月刊誌や週刊誌の主力漫画家の一部がアニメ制作に忙殺され、Bランク扱いされていた貸本漫画家が雑誌で活躍するようになった。『ゲゲゲの鬼太郎』でヒットした水木しげるは、そうした漫画家の典型といわれる。
 一方、貸本屋の数は昭和三〇年代後半から徐々に減少し、昭和四〇年代後半には衰退してしまった。その要因のひとつが、週刊誌の台頭である。月刊誌全盛の時代は、多くの子どもたちが奪い合うようにして人気雑誌を借りていた。しかし、一週間サイクルで最新号が出る週刊誌では、貸本で利益を確保できるだけの回転率を維持できないのである。
 他方、貸本誌に描いていた劇画作家たちは、青年誌とくくられる雑誌で活動するようになる。マンガの読者層が徐々に広がった結果、昭和四〇年代には青年を対象にしたマンガ雑誌が次々と創刊された。もともと月刊誌は子ども向けのマンガを主体にしたものであるが、劇画のグループたちは最初から青年を読者層に想定していたので、彼らが青年誌に向かうのは当然の流れである。
 昭和四四年から四五年にかけて、新書判サイズのコミック本が大手や中堅の出版社から次々と刊行されるようになった。ただし、当時の漫画業界では「稼ぐのは雑誌から」という意識が濃厚で、雑誌連載作品の単行本化には、雑誌の版元も漫画家自身も淡泊であったという。ところが、『あしたのジョー』(ちばてつや/画、高森朝雄/原作)、『巨人の星』(川崎のぼる/画、梶原一騎/原作)などの作品が、テレビアニメで大人気となっただけでなく、単行本も一千万部を越える大ベストセラーになると、出版社も自社の雑誌連載作品を自社ブランドの新書判コミックとして刊行する方針を徹底するようになる。この時期になってはじめて、雑誌のヒット作はアニメ化され、おなじ版元から刊行されるというパターンが確立したのである。
 月刊誌時代には、最も人気のある雑誌でも毎号数十万部が売れるにすぎなかったが、週刊誌時代になってからは、少年マガジンが早々に百万部を突破した。そして集英社の少年ジャンプに至っては、ピーク時に公称六〇〇万部が刊行された。これは一週間の量であるから、月間に換算すれば、二〇〇〇〜三〇〇〇万部もの雑誌が毎月世に現れたことになる。
 新書判コミックにしても、ヒット作は桁違いの部数が売れた。巻数が小説などよりも平均して多いために、単純な比較はできないが、小説なら百万部も売れれば空前の大ベストセラーと言われるが、コミックの世界では、百万部はささやかな到達点にすぎない。あだち充の『タッチ』全二六巻、高橋留美子の『うる星やつら』全三四巻、鳥山明の『ドラゴンボール』全三六巻、井上雄彦の『スラムダンク』全三四巻などは、いずれも合計で数千万部も売れた超ベストセラー作品である。

懐漫ブームとリサイクル時代

(未着手)


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古書店メモリー(7)

GEOでもマンガ古書を扱っているのを知ったのは、三重でMANYO系列店を巡回した帰りに偶然立ち寄った鈴鹿の店でのことだった。GEOイコール、レンタルビデオ店だとばかり思っていたのだが、完全な認識不足であった。
それにしても、愛知から三重にかけては、MANYOとGEO、そしてブックオフの各店舗が激しく競合しているが、東京圏や京阪神にくらべて人口が少ないというのに、果たしてやっていけるのかどうか。ここで心配しても仕方のないことだが。

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