急ぎのゲラを仕上げるため、ひさびさに徹夜をしてしまった。たっぷりとコーヒーを飲んだおかげで、けっこう目は冴えている。ほんの数年前までは、月に一回は徹夜作業があったものだが、暢気なサラリーマン稼業に復帰してからというもの、徹夜とはあまり縁がなくなってしまった。
徹夜したおかげで、「風のハルカ」は3回見てしまった(笑)。今週の展開は予想通りえらく速い。今日までのエピソードだけで、たぶん、二週間分は引っ張れたのではないかと思う。ちょっともったいない感じだけど、終盤が速すぎると感じるぐらいのほうが、土曜に放映される一週間分の放送を見る楽しみが大きいのであるな。
webの全面更新を始めたのが2月18日だった。html2.0レベルの知識から一気にxmlまでの進化へと驀進しているのだが(笑)、こういう細かな作業が根っから好きなもんだから、ちっとも作業がはかどらない。どうでもいいところに凝ってしまう。しかし、センスがいまいちなので、凝ったところでたいして見栄えのいいデザインになるわけではない。わかっちゃいるけど凝るのがやめられない。だから時間ばかりかかってしまう。
webをデザインするのに、専用のソフトを使えば楽なのだろうけど、9年前に初めて制作したときからエディタでのタグ打ちが身に付いてしまったので、いまさら専用ソフトに乗り換えることはできない。感覚的に抵抗があるのだ。それに、タグを打ち込んで作ったほうが、細かなところまで制御できるような気がして、なんとなく安心できる。それよりもなによりも、ただの文字を打ち込むだけでビジュアル的な要素がガラリと変わるのが、なんとも神秘的で楽しいのだ(笑)。
blogもデザインしたいし、過去に書き散らした雑誌原稿もこの際だからひとまとめにしたいし、仕事でちょこまか収集した稀覯本の書影も整理したいし、やりたいことが多すぎる。だけど、もうすぐ春休みが終わってしまう。新学期からは講義関係の資料をすべてwebに掲示することにしているのだが、そのコーナーもまだ6割ぐらいしかできていない。早く夏休みにならんものか。
NHKのドラマ・ページを見たら、「ちゅらさん4」の制作が発表されていた。まあ、だいぶ以前から話には聞いていたので、なにをいまごろという感じもしたが、それはさておき、パート4まで制作されるというのは、朝ドラでは類がない。この調子で、朝ドラ史上初の「続ちゅらさん」を実現してほしいものである(笑)。
さて、現在放映中の「風のハルカ」だが、いよいよあと二週間を残すところとなった。話の進捗の雰囲気としては「残り四週間」ぐらいの感じなので、最後にどういう展開になるのか、細かなところが予想できない。かなり急テンポで話は進むだろうから、久々にビデオ録画でもするかな(笑)。
ヒロインの村川絵梨は、回を追うごとに感じが良くなってきましたね。最初のころは華がなくって、完全に真矢みきの宝塚臭に食われた感じでしたけど、途中から独特のテンポで存在感を発揮してくれたように思います。今回は演技が臭い役者が多かったので(ただし、臭さがそれぞれに違ったので、ハーモニーとしては悪くはなかった)、シロウトっぽさが新鮮に映ったのもよし。松岡充との組み合わせが正解でしたね。
オレの周囲では「風のハルカ」はそれほど評判はよくないのだけど、けっこういい部類だと思う。過去10年の朝ドラでは、「ちゅらさん」「あすか」「てるてる家族」の次ぐらいには挙げていいと思うのだけど。このまますんなりと終われば、という条件付きですけどね。「さくら」みたいに、最後でダレダレという可能性もまだ残ってはいるので、この評価はあくまでも現時点でのという限定付きです(笑)。
しかし、このドラマで藤竜也の認識がガラリと変わってしまった。どうしても「愛のコリーダ」とか「時間ですよ大正編」の印象が強かったのです。こんなにとぼけた田舎オヤジも演じられるんだ。
Intel Mac上でWindows XPを走らせるコンテストで勝者が決定したそうな。
もちろんVirtual PCを使ったエミュレーション・モードは前々から存在するが、今回の狙いは、Intel Mac上で「直接」Winを走らせることである。まあ、おなじIntelチップなら、というわけだ。
Macファンとしては、winに乗り換える気持ちなどさらさらないが、このところwinオンリーな利用環境があたりまえとなりつつなか、OS Xのmachカーネル上でWinが使えるようになれば、それなりに便利だと思う。
ホストになったわけではない(笑)。……って、なったところでそんなに稼げるわけはないが。
今日が一応、確定申告の最終日で、昨年に続き、最終日に申告をすませた。予定還付額を申告書作成に要した時間で割ると、ほぼ5万円になるわけである。やっぱり住宅の借入金控除がでかい。これがなければ時給は一桁下がる(笑)。
昨年から株の売買をおこなったので、今回はいつもと違い、第三表も作成しなければならなかった。税務署から送られてくるのは第一表・第二表だけだったが、国税庁のwebで申告書類を作成し、プリント・アウトした。便利な時代になったものよのお。でも、株の譲渡益課税は源泉分離だから(特定口座の場合)、この部分で還付が発生するとは思っていなかったのだが、申告すれば多少は戻る場合もあるのだな。ちょっと得をした気分ではある。
明日、Quincyが三本届く。昨夜、浜松のツルヤ酒店に注文したのであった。5本頼んだのだが、あいにくと在庫が3本しかなかったのだが、Quincyがあるというだけでこちらは満足である。
ネットで酒を注文することはときどきあるが、いつも楽天でシャンパーニュ、それも店頭では買える機会が少ないKRUGかAlfred Gratianばかりであった。今回、ナニゲにgoogleで「Quincy」を検索したところ、当然フランスのサイトばかりだと思っていたら、日本のがいくつか混じっていたのだ。あらためて日本語限定で検索した結果、いくつかの販売店にたどりつき、そのうちの一軒、ツルヤ酒店に在庫があった、というわけである。
周知のとおりオレは下戸であるが(えへん)、味わうのは好きな方である。パリ在住中も、じつはそれなりに味わってきたのだ。その期間中、最も「うんめぇ!」と思った白ワインがQuincyなのである。ロワール地方の比較的マイナーなワインで、白だけがAOCに指定されているらしい。
このワインを最初に勧めてくれたのは、当時住んでいたアパートの向かいにあったレストランのマダムだ。もう十数年も前のことだが、友人とこのレストランに入り、リストに載っていた適当な白ワインを頼んだところ、マダムから「今日はQuincyが入ったからこれにしなさい」と指導を受けたのである。で、素直に従ったところ、これがじつに透明感あふれるワインだった。雑味がなく、でもクッキリと果実の香りを伝える味わいで、下戸のこのオレがすいすいと3杯も飲んでしまった。
ある日、近所のヲタク系Caveでこれを発見して購入したところ、カミさんにも好評であった。以来、Quincyは我が家の定番白ワインとなった。それほど高くはないのだが(5年落ちで50 Frs=900円)、数が少ないのでパリでもなかなか手に入らなかった。見つけたときは、いつも5本ぐらいをまとめて買っていた。
日本では買えないとあきらめていたので、今回の発見は非常にうれしい。
マイケル・シューマッハがマレーシアGPでポール・ポジションを獲得し、通算PP獲得数で故アイルトン・セナの記録に並んだ。この結果、通算世界王者数、通算勝利数、世界王者連覇数をはじめ、ドライバーの栄誉ある記録のすべてでシューマッハが歴代一位となった。
シューマッハが卓越したドライバーであることを認めるにヤブサカではないが、個人的には、「なんだかなあ」という思いが強い。どれほどすごい記録を積み重ねようと、「だって、セナもプロストもマンセルもいないなかで作った記録じゃん」という目で見てしまうのだ。何度世界王者になろうと、「だって、競った相手がデーモンやミカやジャックでしょ」なのだ。そもそも最初に世界王者となった94年のオーストラリアGPなんて、自分のミスでコースアウトしかけ、それをあわてて抜こうとしたデーモン・ヒルと絡み合ってリタイヤした結果、選手権の決着がついたわけで、あまりの逆ドラマチックな展開に、やっぱりセナもプロストもいないF1は、それまでとは別のレースなのだと思わないではいられなかった。
考えてみると、シューマッハほど不幸な世界王者はいないかもしれない。「王者を倒せなかった王者」というレッテルが着いてまわるのだから。しかもそれはシューマッハの責任ではなく、倒されるべき王者が死んでしまったせいである。「たら・れば」は禁物だが、もしかりに94年のサンマリノGPでセナが事故死していなくても、年間王者はシューマッハとなっていたと思うのだ。95年はセナが巻き返しただろうが、おそらくシューマッハの偉大な記録というのは、セナが健在だろうと、プロストの引退が二年ぐらい延長されていよと、マンセルがずっとF1にとどまっていようと、大差なかったのではないか。まあ、ヒルやビルヌーブの記録は大幅に違っていただろうけど。
結局、シューマッハに対するオレの反発(?)も一種の感傷にすぎないのだけれど、でも、すべての記録が総ナメされ、いわば歴史が記録面で塗り替えられた事実を素直には受け入れられない。塗り替えられたのではなく、違う歴史を作っているということなのではないのかな。たぶん。
来年から日本でF1が2レース開催される可能性が出てきた。思えば94年も日本で2レース開催されたわけで、セナの日本でのラストランは英田サーキットでのわずかな周回で終わってしまった。今回はトヨタがバックについているので、1シーズン限りということにはならないのだろうが。
フクロウ騒動にはじまった今回の原村滞在より、さきほど帰宅。今朝方はパラパラと小雪が舞っていたが、地面をぬらす程度ですみ、道はノーマルタイヤ&ノーチェーンで問題なし。管理センター裏の池はまだ全面結氷しているが、原村もぼちぼち春である。
昨日はStar Warsのエピ1、エピ2、エピ5前半を鑑賞。全6作がそろったいま、Star Warsビギナーに対し、どういう見せ方をするのが最も印象的になるのかを考えた結果、4→1→2→5→6→アニメvol.2→3がベストなのではないか、と思う。エピ4はストーリーとして一応完結しているのと、初回作であるがゆえの撮影技術面の未熟さを感じるところがああるので、やはり最初に見た方がいい。さらに、4→1とつなげると、凶暴なダース・ベイダーを見てからリトル・アナキンを見るという落差が楽しめる。
7日、午後イチの会議を終えたあと、ゼミの学生を連れて原村に行く。首都高・中央道ともに順調に流れていたので、予定よりも早く諏訪南インターに着くことができた。そのまま富士見のA.Coopで買い出しをすませ、原村の山荘に。時間は午後7時半、まずは凍結防止用に水抜きをしたため、すべての水道栓を閉め直し、水道をオンにしなければいけない。一階の風呂場や洗面台の栓を閉めてから、水道コントローラのある二階リビングに行くと、そこは……。
ポットはひっくり返され、食器棚からは茶碗がいくつも落ち、花瓶は床で破片となり、あちこち布が食いちぎられた跡が。ふと暖炉を見ると、閉めたはずの扉が開いている。また小鳥が……と思ったが、室内の散乱状況から判断して、小鳥ではなくリスが煙突から落ちてきたのでは、と思った。もしもかなり前に転落したのなら、当然、どこかで死体になっているはず。慎重に、死体を探した。と、そのとき……。
なにか大きな鳥が天井から舞い降りてきた。そして鳥は、階段の踊り場に着地し、こちらを見た。そやつの正体が判明した。が……、
あくまでもつぶらな瞳でこちらを見つめるフクロウ。しかし、かなり衰弱した様子である。仕方がないので、綿入れをフクロウにかぶせ、抱きかかえるようにしてベランダに運び、そこで逃がしたのである。
気を取り直して室内を見ると、いたるところにフンが落ちている。こりゃ拭き掃除が大変だなと、台所に移動すると、またしても巨大な鳥が舞い降りてきた。
ううう、ここは原村、ホグワーツじゃねーぞ。
フンの拭き取りが終わったのは9時半過ぎであった。
早くも流行語大賞確実な情勢の「イナバウアー」であるが、今週発売の週刊誌には、やはりというか、次々とイナバウアーが使われていますね。今日発売の「サンデー毎日」では、「思わずのけぞるイナバウアーな人々」だし、誌名は忘れたけど、「逆イナバウアー」という見出しもあった。これは民主党の平身低頭を揶揄したもので、要するに前屈なわけですね。
この調子だと、やはりAV化は時間の問題であると確信しないわけにいきません(笑)。さらに、随所で「イナバウアー・プレイ」も登場するに違いない。
いまが12月だったら、あちこちの忘年会場で「いなばうあ〜」とかってのけぞって女の子のスカートを覗こうとするオヤジが続出したであろうに。いまから8ヶ月後では、ちょっと旬を逃してしまいますね。そういうアホな光景を見られないと思うと、残念で仕方がない(笑)。
クーリエ・ジャポンの最新号を読んでいたら、インドの大富豪の記事が載っていて、娘の結婚披露宴に6000万ドルを使った、というエピソードが紹介されていた。6000万ドルって、日本円で70億円じゃねーか(^_^;)。まあ、ベルサイユ宮殿を借り切ったのだから、それぐらいの額になっちゃうのだろう。ああ、娘一人になんてすごいカネをかけるんだ……と思ったのだが、資産との比率で計算すれば、それほどでもないことに気がついた。
この大富豪、世界第三位の資産家だそうで、推定資産は約3兆円である。70億円相当を使ったところで、資産の0.23パーセントにすぎない。3万円の貯金を持っているおとーちゃんが、そこから70円、娘にあげたようなものなのだ。なんだい、ケチじゃん(笑)。それに比べれば、名古屋の親はすごい。たぶん、資産が5000万円ぐらいの人でも、嫁入りには500万円ぐらい使うのだろうから、じつに資産の10パーセントを娘一人に捧げるわけである。
もしもインドの大富豪がおなじ比率を披露宴に使ったとすれば、その額は3000億円だ。これだけのカネを使う結婚披露宴となると、いったいどんな引き出物が出るのだろうか。3000億円もあると、会場費だって演出費だって、それほどバカ高くはならないから、使い切るためには引き出物で驕るしかない。招待客が2000人いるとして、一人に1000万円の予算を使うとしても200億円である。やっぱ1500億ぐらいは使わないとまずいだろうから、一人あたり7500万円ってことだ。特注のフェラーリでも付いてきそうである(笑)。
しかし、日本的習慣からすれば、引き出物の額ぐらいのご祝儀は包むだろうから、招かれる方も7500万円ぐらいはぽーんと積むってことだ。現金だと困るだろうなあ。みんな、ご祝儀袋ではなく、ご祝儀ジュラルミンケースに入れて積み上げたりしてね。あるいは、受付のところでクレジットカードで決済できるようにしたり。でも、7500万円の決済ができるカードなんて、アメックスのゴールド・カードだけじゃん。世界に三人しかおらんぞ(笑)。となると、結局小切手を切るか、銀行振込をして振込明細書を置くしかない、ということになる(笑)。まあ、ご祝儀だけで1500億円ぐらいが一気に集まるのなら、そのためだけに銀行の支店を開いても元は取れそうだ。
なお、インド人の結婚披露宴に引き出物の習慣があるのかどうか、インド人の金銭感覚に名古屋人的常識が通じるのかどうか、当方は一切関知しませぬ(笑)。
出会い系サイトで知り合った中学生とナニした東大助教授が懲戒処分を受けたそうである。
まあ、べつにこの助教授の肩を持つつもりは毛頭ないのだが、ただ、この記事に載っていた所長の「教育者としてのモラル」にはちょっとひっかかりを感じる。教育者という職業人としてのモラルと、大人としてのモラルとを、ごっちゃにしているんじゃないのか。というか、世間一般では職業倫理と一般道徳とを一体化する風潮があるような気がして、そういう事柄が採用にあたっての欠格事項に盛り込まれたりなんかすると、そういう制度は憲法が保証する幸福権の追求に反するのでは、とまで思ってしまう。
書き始めるとカッとくるテーマなので、ちょっと間をあけてから続きを書くことにしよう(笑)。
仕事をしている人にとっては、年末よりも年度末のほうが「年の瀬」という感じが強いだろう。確定申告もあるし、仕事の区切りをつけなくてはいけないし、人事異動による仕事の引き継ぎであちこちがバタついている。まあ、毎年のことではあるが、それでもやはりこの時期になると、一年間、なんとか無事に仕事が終わったという安堵感が湧いてくる。