2005年 12月31日 掃除は続くよどこまでも

 書庫の床下収納がフローリング貼りを除いて完了し、さっそく詰め込み作業を行った。あいた書棚に未整理の本や雑誌を入れているのだが、量が量だけに、今年中には終わりそうにない。まあ、一カ所動かし始めると、ドミノ式にあれこれ動かしたくなってしまうので、適当なところで妥協すればそれなりの時間で終わるのだが、こういうのはキッチリとやっておかないと、結局二度手間になってしまうのだ。
 だけど、こういうバタバタした年末は嫌いではない。学生時代、年末年始は白馬のペンションで過ごしていた。客としてではなくスタッフとして、だったので、大晦日は夜中の2時まで、元旦は全員早番で朝7時集合というハードなスケジュールだったが、これがけっこう楽しかったのだ。大晦日は夕食後に食堂で紅白を映し、その間、お客さんに年越し蕎麦をふるまい、年越しの瞬間を客・スタッフ全員がクラッカーで祝い、そのあと常連客とスタッフとで諏訪神社に行って御神酒を頂戴したものである。
 横浜の年末年始というと、越年は港の汽笛を聞き、元旦は大学駅伝見物である。かつて住んでいたところは「花の2区」(現在はコースが替わってしまったが)のコース沿いだったので、自宅の物干しから見物していた。これを見ると、ああ正月だ、と感じた。
 パリの年末年始は、一部の地区を除けばわりとひっそりとしている。トロカデロ広場とかエトワール、バスチーユに行けば大騒ぎになってはいるが(バスチーユあたりだとあちこちから爆竹が降ってくるので怖くてたまらん)、ホームパーティで過ごす人が多いようで、住宅地だと案外と静かなのだ。まあ、休みは元旦だけだし。
 さてと、掃除の続きをするか(^_^;)。

2005年 12月29日 「ぴあ」よりシティロード

 たまたま古書店で見つけた古いシティロードを買って、あらためて眺めてみたのだが、いまだになぜこのタウン情報誌が「ぴあ」に敗れ去ったのかがわからない。
 ぴあとシティロードが激しく競い合ったのは、昭和50年代の半ばである。読者層は、ぴあ派とロード派とに分かれいたやに思うが、まあ、中身が情報である以上、両方買うメリットはあまりないので、これは自然な展開だろう。ただ、おれの用途はほとんどが映画情報のチェックだったので、この点では明らかにシティロードのほうが見やすかったと思う。ぴあは映画館ごとに上映作品およびスケジュールを載せていたのに対し、シティロードのCine guideはチャートの形でみることができたので、映画館選びがえらく簡単だったのである。
 昭和50年代の後半以降、タウン情報誌に限らず情報誌(とりわけリクルート系)のジャンルは一気に広がり、読者の争奪戦も激化の一途をたどった。そうしたなかで、シティロードは破れ、ぴあはチケッティングにまでビジネスを拡大していったわけである。
 かつて渋谷公園通りに「シティロード」という喫茶店があった。いまはら四半世紀前(笑)、オレは平日、大学の授業をサボってNHKのVIP用駐車場(普段はただの空き地)でローラースケートばかりやっていたのだが、一汗かいたあとは、かならずシティロードに寄っていた。どこかの大学の放送研究会メンバーがDJをやっていたのだが、わりと雰囲気は良かったと思う。ここで一息ついたあとに、原宿か六本木のヘンリー・アフリカに、というのが当時のミーハーの定番巡回ルートであったのだ(笑)

2005年 12月28日 夜間営業のみ、がほしいぞ

 一昨日はセブン・アイによる西武百貨店の実質的な吸収合併がニュースとなったが、肝心のコンビニ・ビジネスがいよいよ転換期を迎えたようである。
 もともとフランチャイズ方式という仕組みは昔の地主・小作制度とおなじで、土地のかわりがデータとノウハウ、ブランドとなったにすぎず、どうあがいても「本部丸儲け」な構図になるわけである。オーナーの仕事はひたすらしんどく、若いスタッフはバイト学生ばかりとなれば、後継者難となるのは目に見えている。逆に、後継者難になったという事態そのものが、フランチャイジーにとっていかに魅力のない商売なのかを物語っている。おいしい商売なら、むしろ跡目争いが起きているはずだ。
 こうした「小作」制度がまかり通っていたのは、結局、次々とコンビニが増えていくことによって、既存の数々の商店の主にしてみれば、「廃業か、コンビニ化か」の二者択一を迫られた結果なのではないか。ここ数年は、フランチャイズ方式の業界どうしが競合していたため、この二者択一の問題点が見えづらかった。つまり、ローソンがいやならセブン・イレブン、どちらもいやならブックオフ、といった具合に、オーナー側にもいくばくかの選択肢があり、さらに業態によって発展期が異なるため、オイシイ商売であるかの幻想がそれなりの期間、維持され続けたのである。
 誤解してはならないのは、セブン・アイやローソンという企業にとっての顧客とは、店舗でおにぎりを買ってくれる人ではなく、店舗スペースを持つオーナーである、ということだ。フランチャイズ・ビジネスが多角的に展開していた時代であれば、それなりの選びようもあるだろう。が、結局はフランチャイズ・ビジネスそのものが商品としてそれほど魅力的なものではない、ということが露見したのである。フランチャイズという方式そのものが「本部まるもうけ」という構図を取る以上、後継者難にぶちあたるのは時間の問題だったのである。
 考えてみれば、もともとセブン・イレブンは、朝7時から夜11時まで営業している、という店舗だったのだし、24時間営業の店舗がいまみたいな数だけある必然性はない。コンビニが登場しはじめたときだって、世の中の人々のライフスタイルは、すでに夜型が定着していたはずである。夜間営業のみの店舗、デイタイムのみの店舗といったような棲み分けがあったほうが、よほど合理的・効率的だと思うのだが。
 やっぱり、自然淘汰や弱肉強食よりも、棲み分けのほうが自然の英知に満ちあふれている。ダーウィンよりも今西錦司のほうが偉大なのだぁ!と実感するのであった。

2005年 12月27日 なつかしき名称

 警察庁の情報&産経の報道という黄金タッグのネタなので、はいはいそうですかとは素直にうなずけないわけだが、ひさびさに見る「中核派」とか「過激派」という言葉に、ついノスタルジックな気分になってしまった。
 最後にナマ過激派を見たのは1980年1月のことだった。前年の駒場祭で社青同解放派の活動家数人が教室の一部を占拠し、「革マルを出せ!」と絶叫していた。まだまだ学生運動が残ったいたのかと嘆息したのだが、年が明けたら、その対立グループの革マル派が時計台前でアジ演説をおこなったのだった。
 何年か前に、重信房子もつかまり、過激派もすでに死語と化したものとばかり思っていたのだが、どっこい、まだ地道に活動していたのだな。

商品:☆ ソニー Hi8 高画質ビデオデッキ EV-BS2000 完動品 ☆(38) オークションID:f38905414 終了日時:12月 27日 23時 32分 落札単価:16,000 円

2005年 12月26日 ヘンな夢

 たぶん、高架のになっている駅の階段を下りている途中のことだと思うが、踊り場のあたりでカメラを落としてしまった。地上からの高さは10メートルほどである。この階段は鉄を組んだだけのところにあり、落としたカメラは地面に向かって落下した。そのときオレは、「ま、ニコンFだから大丈夫だろう」と思いつつ、カメラが地面で大きくバウンドする様子を眺めていた。
 階段を下りきってから、カメラを拾う。カメラはたいしたダメージを受けていなかった。くわしく調べてみると、底蓋の一部がさすがにゆがんでいたが、自分でも直せそうな程度である。さすがにニコンFはタフだよな……と思ったところで目がさめた。
 たしかにニコンFというカメラは持っている。しかも昭和34年4月製造という、オレよりも年長のカメラである(笑)。いまどきのエレクトロニクス満載のカメラとは違い、すべてメカニカルな動作だけで1/1000秒までのシャッター速度を実現するのだから、これぞ精密機械の傑作だと思うのだ。
 しかもこのカメラ、重いことは重いのだが(といっても、かつての一眼レフはオリンパスOM-1を除けば1キロがあたりまえ)、異様にタフなのだ。オレは山登りのときにかならずFを携帯していたのだが、なんど岩にぶつけたことか。というか、岩にぶつけるに決まっていたので、携帯するのはFと決めていた。
 あいにくと露出計が付いていないモデルなので、使用したフィルムはもっぱらトライXというモノクロフィルムであった。一時期、中古のパーツショップでフォトミック・ファインダを購入してはみたものの、やはりFのデザインにはあわない。なので、あらためてF2の中古を買い、以来、FはトライX専用、カラーリバーサルを使うときはF2、というように使い分けていた。
 撮影したトライXは、もちろん自分で現像していた。やや固い階調が好きだったので、いろいろと試行錯誤した結果、富士のミクロファインを22度で7分ぐらいで使って仕上げるようになった。天体写真を撮影するときだけは、増感が必要なので、パンドールを20度で12分ぐらいで用いた。増感現像はラボに頼むと割増料金を取られるので、天体写真をやるやつは、ほぼ例外なく自分で現像まで手がけたものである。印画紙だって5号を使ったしね。そういやこのころ天体写真をやる連中は、ペンタックス派とニコンF派とに別れていたような記憶がある。ペンタはたぶん単に安かったから、なんだろうな。
 しかし、なぜにいまさらニコンFを落っことす夢を見たんだろうか。このところデジカメばかり使っているので、Fが拗ねてしまったんだろうか。そういや、もう15年ぐらい、Fを使っておらんものな。

2005年 12月24日 これも一種の穀潰し?

 ソニーの故・盛田昭夫がソニーの経営にともなって残した盛田家の資産が倅の事業失敗でおおはばに減少したようである。
 スキー場の経営失敗やら、F1関連事業の失敗やら、まあ、老舗若旦那の典型的な失敗そのものですね。本業の酒造りは順調だというのだから、番頭さんたちはしっかりしているのでしょう。
 おなじ大盤振る舞いでも、薩摩治郎八とは偉い違いですね。もっとも、現在の通貨価値で数百億円を散在したバカ旦那なんて、明治時代にはゴロゴロいたわけだけど。

2005年 12月23日 ぼちぼち準備せねば

 昼間で爆睡したせいで、首がこった。これだけ寝だめをしたのも久しぶりのこと。いやー、すっきり。  午後、注文しておいた板材が届く。床下の構造の仕様を変更したため、先々週入手した分だけでは大幅に不足することになったのだ。みなとみらいのセキチュウでも買えるのだが、送料が案外と安いので、往復の手間を考えるとネット通販のほうが手軽なのである。ちなみに、いつも利用しているのはこのお店。谷田部にあるDIY店である。
 通販で頼むと、普通の車では輸送できない12フィート材を入手できる。加工のときにちょい邪魔だし、6フィート材2枚分と値段はかわらないのだが、細かく切り出すときのトータルの無駄が少ないので、オレはわりと12フィート材を使う。
 さて、明日から大工さんであるな。

2005年 12月22日 仕事が終わったー(脱力モード)

 今日が年内最後の授業&学科会議。授業では、ポジティブ・フィードバックの原理をレイザーラモンHG風に解説したところ、えらく受けてしまった(^_^;)。さすがに授業中に「ふぉ〜」は若干恥ずかしいのですが、まあ、勢いっす(笑)。
 学科会議では来年度のゼミ希望者の割り振り。いろいろなシステムがあると思うのですが、わが学科では、学生に希望先教員名を2名調査票に書かせ、それをもとに教員側で調整をおこなうシステムになっています。当然ながら、学生があまりエントリーしてこない教員もいるのですが、そりゃ仕方ありまへん。

2005年 12月21日 今日もストップ高

 ジェイコムの株価が今日もストップ高を記録し、2,220,000円の買い気配で止まったままです。上場初日、ご発注後に付けたストップ高の値が770,000円ぐらいだったはずだから、それから3倍になったわけですね。
 これってバブルのときも見たような雰囲気だよな、と思ったら、NTTの株がそんな感じでしたわな。104万が300万を超えたわけで、「一気に三倍」を達成したジェイコムは、「バブルの夢よ再び」というバブル乗り遅れオヤジたちの夢を一身に背負っているのかもしれません。
 今日の日経平均は16,000円寸前まで行って、やや値を下げています。んー、6月時点でオレは16,000円までは一気に上がると予想していたけど、まさか年内に来るとは思っていなかった。なので、この先の動きも皆目見当がつかない、というのが正直なところ。こういうときは25日移動平均の乖離率を頼りにするしかありませぬ(笑)。

2005年 12月20日 元祖ビールマン・スピン

 浅田真央の技でいちばん見とれてしまったのは、トリプルアクセルではなくて片手ビールマン・スピンなのであった。軽やかでしたねえ、あれは。伊藤みどりがやっても似合うとは思えなかったし(^_^;)、安藤美姫もいまの体型ではいまひとつの感じがあるけど、浅田真央の片手ビールマン・スピンは、そよそよという感じで華麗という言葉がぴったりでござった。
 元祖ビールマンがいつごろのスケーターだったのかと思い、ちょい調べたところ、1980年のレイクプラシッド五輪で四位だったのね。んで、翌年の世界選手権では優勝しとる。ビールマン・スピンの披露は1977年の東京世界選手権だそうだ。このころだと、日本の女子フィギュアは渡部絵美の時代か。そういや、まだ規定が残っていたころだから、フリーが得意な選手には不利な時代だったよな。
 ビールマン・スピンを見たときの驚きはなんとなく覚えているのだけど、正直、ドニーズ・ビールマンという選手はあまり記憶に残っていない。それもそのはず、1980年のレイクプラシッド五輪といえば、男子アルペン二冠王のインゲマル・ステンマルク、女子アルペン準三冠王(滑降のみ銀)のハンニ・ウェンツェル、男子スピードスケート五冠王のエリック・ハイデンと、超が付くスーパースターが目白押しの大会でしたがな。しかも、女子フィギュアにはその後、1984年サラエボ、1988年カルガリを二連覇したカタリーナ・ビットというスーパーヒロインが登場しちゃったわけだしね。
 うーん、これじゃあさすがにかすむ。オレの記憶のなかでも、女子フィギュアといえばビットだな。まあ、ビット引退後――といっても、アルベールビルで復帰し、昔日の面影なく7位に散ったのは痛かった――、なんとなく圧倒的存在感のある女王がいなくなったという気がする……というか、ビットの存在感がでかすぎたのかな。

2005年 12月19日 すごい雪ですねえ

 八方尾根スキー場の積雪情報を見たら、ぬわんと240センチ。たぶん、兎平だと思うのだけど、クリスマス前のこの時期で200センチ超というのは、ちょっと記憶にない。あの56豪雪(1980-1981年)のときでさえ、クリスマス直前のドカ雪で160センチ程度でしたからねえ。こりゃすごいわ。
 最低気温がしかも-8度の予想ですよ(20日)。23日なんて、最高で-6、最低で-14だもんね。たしかに兎平近辺は標高1,000メートルを超えますから、村よりもだいぶ気温は低いけど、12月でこの気温は、ちょい信じがたい。あんまり低温だと、雪がスキー板に吸い付く感じになるので、ていねいに乾雪用のワックスを塗っておかないと、まるですべらなくなってしまいますわな。
 久々にスキーをしたいよなあ、八方で……って、オレはスキー歴の大半は八方尾根だから、スキーをする=八方尾根で滑る、なんだけどね。

2005年 12月18日 数字上はあり得ることだが

 ジェイコムの株で20億円をもうけた個人投資家がいたというので驚いたが(現物取引で数十億円の元手があること自体が驚異的)、その人、ネット・トレードを始めた数年前当時の元手は100万円程度だったのだとか。
 現在の資金が60億円だとすると、六年間で6,000倍である。こんなんアリかいな、と思ったものの、6年×12ヶ月×4サイクルで根を取ってみると、これがなんと1.0307なんである。つまり、一週間の取引で元手を3.07パーセント増やす――この「地味」な取引を六年間続ければ、たしかに6,000倍になるのだな。
 いまのデイトレにハマっている人は、一日に何度も売買を繰り返しているが、この人は数日周期で取引しているらしい。最近は週明けに多くの銘柄が2パーセント前後上がるので、週に3パーセント増という運用は、それほど難しくはない。もちろん、それを六年間続けるのは奇跡的幸運だが、それを差し引いても、一週間ぐらいのサイクルでじっくり取引した方が、トータルでは資産を増やせる、ということを示しているように思う。
 でもなあ、やっぱ週3パーセント増はすごいよなあ。月に12.8パーセントだからねえ。それが六年続いたんだからねえ。真似しないようにしよっと(^_^;)。

2005年 12月16日 今年の卒論締切ドラマは……

 なにもなく、平穏に終わってしまった。約2名、締切の時間を勘違いし、始末書とともに提出となっただけである。
 三年前は、プリンタを3台続けて壊し(自宅のプリンタ→カレシのプリンタ→友人のプリンタ)、泣きべそをかきながら締切一時間前に学校に来て(もちろんアッシー[死語]付き)、仕方がないので教務課のプリンタを借りて出力した、という学生がいた。
 二年前は、締切二分前に教務課窓口にあらわれるも、表紙・裏表紙用の厚紙も綴じ紐も持参していなかった学生がいた。結局、学生に手続き書類を書かせている間に、オレが本体の穴開けなどの製本作業をおこない、同僚の教務委員が売店で厚紙と綴じ紐を買ってきて、教務委員二人がかりでその学生の卒論を製本した。
 昨年は、教務課の窓口前にプリンタ付ワープロ機を持参して作業をギリギリまで続けた学生がいた(結局、締切には間に合わず)。
 今年はあまりにも平穏すぎて、むしろ後が怖い(^_^;)。

2005年 12月15日 まだ亡くなる年齢ではないのに

 元オリックス監督の仰木さんが亡くなったそうです。 享年70才、まだまだ召されるような歳ではないですよね。
 この人が初めて監督に就任したとき、キャンプで選手と麻雀ばかりしていて、こんな監督じゃあダメだとスポーツ新聞がバッシングしまくったのを鮮明に覚えています。あのころは広岡・森流管理野球が賞賛されていましたから、正反対の仰木流は、古き良き西鉄野武士集団の残滓のごとく見なされていたのですね。
 好きなキャラだったんですよねえ。ああ、本当に残念。プロ野球界からまた一人、「大人」がいなくなってしまいました。

2005年 12月14日 アマゾンのギフト券

 amazon.co.jpから500円のギフト券がメールで届いた。今年二度目である。じつはこの仕組みのことをあまり深く考えたことがなかったのだが、メールの中身をよく読んでみたら、和書・洋書・音楽の購入額が月間で5,000〜10,000円なら250円分、10,000円以上なら500円分が還元されるのだとか。
 専門書の類をたびたび買う機会のある人なら、いちどの購入で10,000円を超えることは珍しくない。にもかかわらず、なぜオレはギフトをもらった機会が二度しかないのか、と疑問に思ったのだが、そうか、いつもまとめ買いするからアカンのか。10kだろうが50kだろうが、ギフトの額はおなじだもんな。
 10,000円に対して500円なら5パーセントの割引だから、率としては悪くない。日経平均に換算すれば750円の大幅上昇に等しい数字である(笑)。つーことは、まとめ買いをするにしても、月の終わりと始めとにわけて注文し、請求が別々になるようにすりゃええってことですわな。

甘い生活 29 (29) 2005/12/14 音楽未来形―デジタル時代の音楽文化のゆくえ 2005/12/14

2005年 12月13日 実効性があるとは思えない

 いわゆる第三者評議会的な組織を設置すれば、公益性・効率性というなかなか相容れない性質をもつ要素を、うまく調査できるという一種の「幻想」がある。
 しかし、監査とか評価というのは、チェックする側とチェックされる側との緊張関係のうえではじめて成立するもの。こういう評議会にかり出される「民間有識者」とやらは、はたして本業でもない業務にそこまでコミットできるんだろうか。
 もちろんこの種の人たちがイイカゲンな仕事をしている、と糾弾したいのではない。チェックされる側は、それこそ自分たちの生活の存在基盤や面子がかかっているわけだから、相当な気合いを持って評価の臨むはず。評価が本業ではない人たちに、それと対峙するだけの気概を持てというのは、どだい無理のある話だと思うのだが。事がある程度予定調和的なシナリオで進展するのが自然の流れだと思うのだな。
 なのでオレは、いわゆる「第三者評価」なるものを基本的に信用していない。大学にだって第三者評価があるもんな(笑)。
 以前、日経メディカルが医療機関の三次元評価を実施したことがある。第三者評価機関による評価、同業者内の評価、そして患者の評価を比較したものだが、この企画自体に第三者評価機関はおかんむりだったそうだ。自分のところの評価は客観的なものだから、他との比較は無礼千万、といったところらしい。
 しかしねえ、この第三者評価機関の評価内容って、たとえば「医療事故対策を実施しているか」という評価項目に対しては、対策委員会が設置されていればOKであって、その委員会がどう機能しているかには踏み込んでいないんだそうだ。だいたい客観的評価というものは、しょせんは形式が整っているかどうかに注視せざるをえませんわな。機能性をチェックしようにも、せいぜい定期的な委員会が開催されているか、とかね。
 この種の評価パターンって、結局多くの第三者評価にあてはまっているんじゃなかろうかね。大学の第三者評価ってのも、そんな内容だったように思うのだが。

プロとして恥ずかしくないPhotoshopの大原則―正しいPhotoshopの使い方を知っていますか? 2005/12/13 プロとして恥ずかしくないレイアウト&配色の大原則 2005/12/13

2005年 12月12日 新聞のない月曜の朝

 今日は新聞休刊日なので、なんとなく手持ちぶさたである。なので、こんな時間から日記を書いている(笑)。朝の時間の過ごし方なんて、たいがいは惰性でプログラムされているので、朝ドラとか新聞が欠けた日はリズムが狂ってしまう。どうせ休刊にするなら日曜の分にすりゃいいのに、とも思うのだが。ニュース自体はインターネット版で読めるとはいえ、新聞は情報媒体ではなく読み物なので、やっぱペーパーでほしいっすな。
 フランスではヘリコプターを使った脱獄劇が起こったそうな。なんだか70年代の映画のようである。
 パリに住んでいたころ、近所にあのラ・サンテ刑務所があった。かのアルセーヌ・ルパンが何度かぶちこまれたところで、小説の設定では市街地からはずれた郊外に位置していることになっている。たしかにうちが面した通りはboulevardだから元々城壁だったわけで、その外側なんだから「街の外」なわけだ。
 先週、東京証券市場を騒がせたみずほ証券のチョンボは、どうやら強制現金決済で決着しそうだが、みずほが損した分、儲けた人がいるわけだから、いまの株式市場はやっぱり多空くじよりも確実性があるような気がしてしまう。しかし、あんな単純ミスをするディーラーもディーラーだが、そんなことすら防げないシステムが日々兆の単位の取引をこなしていることのほうが、もっと恐ろしいと思うのだ。
 今朝はえらく冷え込んだ。昨日は東京で初雪が観測されたそうで、平年よりも22日早いらしい。こういうパターンだと、年末あたりからかえって暖かくなることが多いのだが、今シーズンはどうなることやら。今日の横浜は最高気温が7度だとか。てことは、原村はマイナス3度ぐらいか。一日中、冷凍庫なみの気温ということだが、そう思うと、行ってみたくなってしまう。一日中氷点下の日の夜空は、それはそれはクリアなのだよ。一等星の粒の大きさが違うからねー。

2005年 12月10日 やっぱEIZOだわなぁ

 画面の大きな液晶モニタがほしくなった。CADやDTPをやっているわけではないが、MacのSystem 4.0/Multi Finder以来、アプリケーションは常時三つぐらいは立ち上げて同時並行的に作業をする習慣が身に付いてしまっているので、画面はでかければでかいほど使いやすい。Excelで数値シミュレーションをやるときなんかも、表示可能スペースの大きさは作業効率に直結する。
 しかしまあ、欲望は自己増殖的な拡大の(転落の)道をたどりまんな。最初のうちは、UXGA(1600*1200)でええわい、DELLの安物なら6万だぜー、などと思い、ほぼ発注するつもりになっていた。ところが、価格.comを再度ながめているうちに、いっそのことWUXGA(1920*1200)にしちまったらどうかのぉ、DELLなら8万ぐらいだから高くはないじゃん、という悪魔の囁きが聞こえてきたんである。気分転換にDVDで映画を観ることも多いので(先週はインディー・ジョーンズのシリーズを3本すべて観てもうたがな)、大画面のほうがいいよなー。
 ……という状態に陥ったのが月曜ごろのこと。以来、欲望はWUXGAの液晶モニタに固定され、ヤフオクの価格動向をチェックしたり、価格.comのレビューを参照したり。ここでまたあらたな欲望が。性能スペックや口コミをみるかぎり、NANAOの評判がダントツの良いのだな。そりゃ当然なんだけど、コントラストといい輝度といい応答速度といい、EIZOシリーズ、やっぱいいっす。うー、でも13.5万はちと厳しいしなあ。
 そこでふと思いついたこと。あと三ヶ月もすると、来年度の研究費予算の申請が始まる。そうか、べつにいますぐなくても困るもんじゃないんだから、来年度の予算で買えばいいんじゃん。
 ……というわけで、来年度は真っ先にFlexScanを買おうかと思っている次第です。このモニター、いいと思いません?

2005年 12月9日 よくわからんウソ

 諏訪の小学生失踪事件、食事を与えたと証言した女性がいましたが、じつはそれは創作だったのだとか。
 妄想癖のある人なんですかねえ。

2005年 12月8日 金曜だと信じていた

 ついさっきまで今日は金曜だと思いこんでいたため、木曜とわかったときのショックは大きかった。くー(涙)。  東京証券取引市場が300円も値を下げた。約2パーセントのダウンである。しかし、今週に入ってからの連日の値上がりぶりからすれば、今日あたりなにかのキッカケで墜落しそうなことぐらい、わかろうというもの。とくに銀行とか鉄鋼、流通の株価は年初来最高値を連日更新してたからね。んで、案の定、みずほ証券のちょんぼを契機にドドっと下がったわけである。まあ、みんな内心びくびくしてたんだろうな。
 オレは昨日のうちに一銘柄だけ残して売り抜いちゃったので、下落の直撃は受けず。まあ、こういう臆病な取引をやっているから、損もしないかわりに儲けもでかくないのでしょう。やっぱハイリスク・ハイリターンの世界だよね。ただ、いまの状況は定期預金がノーリターンに等しいので、定期に入れるくらいなら(ましてや「多空くじ」を買うくらいなら(笑))株をほそぼそとやったほうがマシですわな。配当利回りだけで1パーセントを超える安定銘柄なんて、いくらでもあるもんね。

2005年 12月7日 フィンガー・マウス

 Mac miniのスピーカーに続き、グリーンハウスのフィンガー・マウスが届く。Mighty Mouseに何の不満もないのだが、web画面を見ているうちに、ついほしくなってしもたのぢゃ(^_^;)。こういう感覚、木綿パンツのごとき実用性重視の窓な人たちには理解できまい……と、しばし悦にいる。Mighty Mouseと並べると、まるで親子ねずみである(笑)。

2005年 12月6日 試験問題どうしよう

 ぼちぼち秋学期科目の試験問題を考えねばならない。オレの方針は、「試験問題を事前に公表したうえで持込不可」にするか、「試験問題は未公表で持込可」のいずれかにしているのだが、「持込可」だと「ノートのコピーと本があればなんとかなる」という根拠なき楽観主義のあげく撃沈する者が多数出現するので、このところは「公表&持込不可」で行っている。公表といっても、問題候補を6問掲示し、当日はそのうち4問出題、3問に解答の小論文形式なので、事前に自分で一通り内容を練っておかねば対処できない。まあ、事前の「本気度」が如実にあらわれる形式なんではなかろうか、と。
 でもねえ、課題を6問考えるっつーのは、けっこうしんどいっすよね?>同業者
 まあ、重要な内容なら、「定番」でもいいんですけど、毎年同じってわけにゃあいかん。定年間際のジサマならともかく。
 さて、なんにしようかのぉ。

2005年 12月5日 強い冬型の日の朝は

 ベイブリッジ経由で職場に向かうことが多い。なぜかっつーと、富士山が綺麗に見えるから。ほんとの話、ベイブリッジから眺める富士山は絶景である。もちろん運転しながらなので、そうじっくりとは見られないのだが、ほんの束の間でも、十分に美しさを堪能できる。港の青い海、みなとみらいの高層ビル群、その遙か先の丹沢や高尾の山並み、そして雪化粧の富士山。海、港、山並み、富士山の組み合わせが一望できるようになったのは、ベイブリッジのおかげである。
 横浜の、それも神奈川区以南の富士山は裾野から見えるので、なおのこと美しい。東京だと丹沢が手前にあるので6合目以上しか見えないわけだ。横浜でも北部はおなじ。神奈川区以南の特権なのだな、裾野からの富士山の眺めは。冬型の気圧配置で風が強いときは、富士山を眺めるためだけに遠回りをする価値は十二分にある。
 夕方もタイミングが良ければ見事な影富士を見ることができる。いまごろだと午後6時ぐらいか。赤い空をバックにした紫色の富士山とMM21の夜景の組み合わせも、それはそれが荘厳な眺めであるな。とくに今年は宵の明星も見える。今日は三日月も美しかった……と日記には書いておこう。

2005年 12月4日 書庫の第三期工事

 いや、べつに未完成状態で放置しているわけじゃないんですが、使っているうちに、やっぱりあちこち改良したくなっちゃうもんなんすね。そういうとき、すべて自分で作ったというのは、自由にいじくれるというメリットがあります。
 第三期工事の主目的は床下収納をつくること。もともと床から天井までが258センチもあるため、最上段は小型の脚立だとギリギリ手の届く高さになって、ちょっと使いづらいのです。そこで、書架と書架のあいだの通路部分を二重の床にしてしまおう、と。こうすると書架の最下段が床より低くなってしまいますが、当分そこは風通し用に開けておけそうなので、問題ないでしょう。床下に収納ができれば、以前の仕事場に置いてあった書類その他をしまえ、書架に余裕もできるし、18禁本も隠せる(笑)。
 さきほどSPF材の通販業者に必要な板材も発注しちゃいました。木の加工は好きなので、この段階ぐらいからワクワクしちゃうんですよねえ(笑)。ついでに二期工事の途中で手を抜いたフローリング張りも仕上げてしまう予定です。

2005年 12月3日 10才から始めるPhotoshop

 娘の前で、Photoshopを使って色の三属性を教えたり、フェザリングとかソラリゼーションなどの簡単な画像処理を見せたところ、えらく興味を持ったようである。今日はもう時間が遅かったので操作まではやらせられなかったが、明日、本格的に使わせてみるかいな。子どもにはいちばん楽しいソフトかもしれん。
 そういえば、3才のころに、使っていないMacにKidPixをインストールして使わせたところ、夢中になって使いまくり、親の知らない機能まで発見しておった。日本に帰国後、近くの幼稚園に年中から編入したのだが、そこはMacでKidPixを使わせるというじつに良心的な幼稚園で、ますますKidPixにのめりこんでいたような。10才ともなると、Photoshopの基本機能は十分に理解できるので(複雑な機能は親が知らない(笑))、AdobeもPhotoshop Jr.なんてのを出せば、けっこう売れるような気がするのだが。

2005年 12月2日 チャンスを逃した

 11月23日に「たまごっち」の新シリーズ「超じんせーエンジョイ!たまごっちプラス(エンたま)」が発売され、あっというまに完売となった。その日からYahooオークションでエンたまが続々と出品されている。その入札行動や落札価格の変化を昨日一時間ほどモニタリングしたのだが、これがまたじつにおもしろいんですよね。分析できそうなネタがわんさとある。23日からウォッチングしておけば、論文1本分のデータは十分に得られたのに。ちょっと悔しいっす(^_^;)。

2005年 12月1日 親が死んでも食休み

 今日は午後にひどい下痢に見舞われた。原因はおそらく、食後に動きすぎたことだろう。なにせ、昼休みから午後の頭にかけてやたら忙しく、パンを3個に牛乳1パックを胃に流し込み、そのあとあっちをバタバタ、こっちをスタコラという状態だったため、食い物を胃に消化させるゆとりがなかったのである。
 やっぱ、「親が死んでも食休み」とは、そのとおりですねえ。なにしろまだゲリタビッチ状態っす(^_^;)。


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書庫の改造

約2万冊のキャパがある書庫を改造した。床を二重化して収納スペースをつくる。そうすれば、大きな書架4本分の収納スペースが生まれる。
だいたい平面だけで考えていたら、我が家の書架のキャパはせいぜい数千冊止まりだろう。だから、頭の上はもちろん、足の下の部分も収納可能にする必要があったのだ。そのおかげで地震に強い構造にもできたわけだが。
しかし、改造は大仕事である。書架のなかにはすでに作業スペースはほとんどなく、しかも収納スペースが大きいということは、移動する荷物の量も多いということになる。ひとつつくっては邪魔な荷物を動かし、という感じで作業を進めたので、すぐには作業は終わらない。