2005年 9月30日 ああ疲れた

 秋学期初日、身も心もまだ夏休みモードから抜けきれず、どうしても「流す」感じになってしまった(^_^;)。例年だと、9月に入ったぐらいから仕事をしたくてウズウズするようになり、学期開始前の教務委員会あたりから完全に仕事モードに切り替わるのだが、んー、今年は原村で草むしりや薪割りをして暮らす日々が長すぎたのかも。隠居のジイサンみたいな暮らしだったもんなあ(^_^;)。
 しかし、金曜一日だけ出て、それから週末というのはいかにも間抜けな日程ですわな。今年の学年歴を作成するとき、オレは26日スタートを強く主張したのだけど、もう一つのキャンパスのほうで30日スタートを決めてしまったため、それにあわせてしまったんだな。なんでも30日スタートの根拠は、学則では原則として10月1日が秋学期初日であり、それに沿えば今年度は10月3日開始とすべきであるが、そうすると祝日の関係で金曜の授業回数が不足してしまうため、30日スタートとするのが妥当、というもの。
 だけど、時間割は週をサイクルにして組んでいるのだから、月曜を初日にするほうが自然に決まっている。原則10月1日スタートといったって、昨年度も一昨年度も9月の最終月曜が開始日になっているんだから、むしろ今年度のようなパターンのほうが変則的なわけだよ。まあ、現場のことを知らない人が決定しちゃったらしいんだけどね。  秋になると、来年度のカリキュラム編成のシーズン到来である。こういうパズル的な仕事は好きなので、着任した最初の年から原案づくりを買って出ているのだが、来年度は学部改組の関係で、最後のチューニング作業に時間がかかりそう。

2005年 9月29日 風邪とPowerPoint

 ノドが痛いときは、襟巻きをまいて寝るのが一番っすね。一昨日から終日襟巻きをし、寝るときもそのまま。おかげで今日はノドの痛みがすっかりとひきました。
 明日から(ようやく)秋学期がスタートなので、今日は授業の準備を少々。ただ、明日の分は昨年にほぼ完全なプレゼン・ファイルを作っておいたので、ちょこっと手直しするだけですみました。最大の修正は、エディタで作成したhtmlファイル(それをwebブラウザで提示しておりました)の内容をPowerPointに移植したこと。「使わずにすむならMSのソフトは使わない」ポリシーのもと、PowerPointの使用は避けていたのですが、考えてみたら、htmlファイルを提示するのにExplorerを使うようになったので、もはやこのポリシーも貫徹できぬのです。
 むかしはAldus Persuasionを使っていたのだけど、このソフト、AldusがAdobeに買収されたとき、なくなってしまったんですかね。使いやすかったんだけど。
 htmlファイルだけでは細かなレイアウトを詰めきれないときは、Mac Draw II(その後はAppleWorks)を使ってました。ドロー系ソフトはプレゼン用のスライド機能がちゃんとあるので、けっこう便利なんす。おまけにMac用のドロー系ソフトは操作が楽だし。ただまあ、さすがにPowerPointのほうが編集は楽ですねえ。まあ、Officeのオマケに付いてくるので、多少は使うことにしましたわ。

2005年 9月28日 ホントに大丈夫なの?

 次世代DVD規格をめぐり、ソニー&松下連合のブルーレイと、東芝などのHD-DVDとが対立している。つい先日、有力パソコン・メーカーがブルーレイを支持したと思ったら、こんどは*ウィンテルがHD支持を打ち出した*そうだ。
 規格をめぐる対立はめずらしくないが、メーカー側が協調を選択せずにガチンコ勝負に突入するときというのは、その市場の拡大に各メーカーが確信を持っている証拠である。市場がでかいと信ずるからこそ、優位なポジションを占めたいと考えるわけだし、いまは一番手とフォロワーとでは利益に雲泥の差がつくからこそ、「こりゃいける」と思う市場では、スタートラインが横一線になってしまう規格統一なんて作業を嫌うわけだ。
 してみると、日本の多くのメーカーは次世代DVDの市場性に確信を持っていると考えられるわけだが、はて、この確信の源はなんなのだろう。よくよく考えてみると、「すぐれた技術はかならず豊かな市場を開拓する」というナイーブな確信にすぎないのではなかろうか。  もともとDVD自体、技術はあたらしいが既存市場深耕型のイノベーションである。新規に創出された市場はない。構築的なイノベーションではないのだ。これまでにCDオーディオやLD、VHS、CD-ROMなどが使われていた用途に、DVDが技術的代替手段として侵入したわけである。
 んでは、次世代DVDになると、なにかまったくあたらしい市場がもたらされるのか。すくなくとも現時点では、次世代DVDのような用途を切実に求める用途が先行して存在する、というわけではなさそうだ。となると、既存市場の深耕という方向に進まざるをえなくなるわけだが、はて、現在のDVDでは「あかん」というコンテンツがどの程度あるんだろう。とりあえず思いつくのは、次世代DVDならシリーズもののテレビ番組が2枚組程度になって買いやすくなる(いまはでかいボックスですからねぇ)、というぐらいだ。
 たしかにハイビジョン映像ともなれば次世代DVDが必要かもしれん。がしかし、40インチぐらいだったら現DVDだって大きな不満はないし、かといって、各家庭に100インチ前後のミニシアターが一気に普及するとも思えない。結局、次世代DVDへの期待というのは、二十年前に挫折したハイビジョン信仰の呪縛なんではないか、という気もするのだ。
 そりゃハイビジョン映像に見慣れてしまえば、現在の画質に戻ることはできまい。でも、たかが高画質のためだけに映像環境を一新したい熱心なオーディエンスがいかほどいることか。いまどきの映像ユーザは、それほど熱心にコンテンツを眺めたりはせんでしょうが。
 まあ、そんなわけで、次世代DVDをめぐるメーカーのガチンコ勝負も、勝者なき消耗戦で終わってしまうように思えてならんのだな。

2005年 9月27日 軍用イルカ

 一瞬、「食用イルカ」に見えたのは、鯨食い民族だからか(笑)。それはさておき、いるもんなんですね、*軍用イルカ。 軍用カラスが登場する日も近いか(笑)。

2005年 9月26日 風邪かも

 23日に原村から横浜に戻り、その日はえらく暑かったので薄着モードに切り替えていたら、24日、一気に涼しくなったため、どうやら風邪をひいてしまったようである。親知らず痛のあとはノド痛とな。やっぱりメイド喫茶でお祓いをせよ、ということなのでしょうか(笑)。
 今月始めに買った株がまた上昇。うひひ……といいたいところだけど、先週買った株が三日続けて値を下げてしまい、トータル、チャラというところです。まあ、それでも定期預金よりかは運用利回りはいいんだけどね。それを考えると、定期預金がどれほど預金者をバカにしたものなのかがよくわかる。

2005年 9月24日 ソナタのペ・ヨンジュン

 このところ現代自動車のソナタのCFがテレビで流れているけど、そこに映っているペ・ヨンジュン、どうみても間抜けヅラにしか見えない(^_^;)。あの人の顔、「冬のソナタ」のなかでこそ映えるのであって、CFだと妙にのっぺりとしていて、一週間前に栓を開けたコーラみたいな印象しかない。「ヨン様ぁ〜」なオバサンたちには、受けているんでしょうかね、あのCF。

2005年 9月23日 さて、下山じゃ

 さすがに二ヶ月近く生活していたので、荷物がビートには乗り切れないほどある(笑)。

2005年 9月22日 朝からヤキイモ

 昨日、今日と、朝方はずいぶんと冷え込むようになってきた。たぶん、10度前後なんじゃなかろうか。今朝も暖炉で火をおこしたが、部屋の暖房だけではもったいないので、サツマイモをアルミ箔にくるんでぶちこむ。管理センターまで新聞を取りに行き、戻ったころにはヤキイモのできあがり。バターを付けて朝飯がわりに食った。
 気が付いたら、セミの鳴き声が完全に絶え(あたりまえだけど)、そのかわりに鳥のさえずりがよく聞こえるようになった。昨日はベランダで手すりの修理をしていると、近くの林からコンコンコンという音が聞こえてきた。キツツキが来ているんでしょうかね。
 外に出ていると、あいかわらずスズメバチが巡回しとる。外での作業や読書のときには強力ジェットの殺虫剤を手放せませぬ。


 じつは3週間ぐらい前からデイトレードを(ちびちびと)やっている(笑)。この間の運用利回りは3パーセントぐらい(手数料差引後)。銀行の定期預金よりもはるかに好成績である(笑)。
 日経平均は1.3万を超え、バブル期以上の大商いが連日続いているが、この株価、けっこう高い水準(2万円超)ぐらいまで上昇するのではないか、と思うのだ。理由は次のとおり。
 まず、現在は第3次オイルショックともいうべき状況となりつつあるが、先進国中最もエネルギー効率の高いのは日本なので、主要経済国のなかで最も強い立場にいること。それに、脱石油・省エネがビジネスで注目されることは間違いないので、ますます日本企業は有利になる。
 第2に、オイル高の結果、中東産油国やロシアに大量のカネが流れているが、日本に投資が流れ込む可能性が高いこと。エネルギーの大消費国となった中国、以前とは異なり原油輸入国となっているアメリカからは、むしろ投資資金が流出するんじゃなかろうか。とくに中国には過去数年で大量の投資が流入していたが、ここにきてカントリー・リスクへの見直しが進み、なおかつ市場経済と社会主義体制の歪み(土地や株式の所有の問題ですね)が無視できなくなっており、投資銀行の中国ビジネスが転換されつつあるという。その点、日本は多くの企業が業績に比べて株価が相対的に安いため、投資を呼び込む余地がでかい。
 第3に、個人投資家が一気に増加する可能性があること。今回の株価進展には個人投資家のマネー流入が大きいようだが、現在のデイトレーダーの主力はいわゆる「アーリー・アダプター」といえる層であろう。これらの層が一定の利回りを確保するとなると、「乗り遅れてはいけない」とアセる個人投資家が大量に発生するはずである。とりわけ団塊の世代が退職を迎えると、投資にはそれなりに興味があり、パソコン、インターネットもある程度使いこなせ、数百万ぐらいの余剰資金があり、郵便貯金や銀行預金に愛想を尽かした層が大量に発生する。これらの人々の一部が株式投資に向かうのではなかろうか。
 まあ、自分がやっていることには、えてして楽観主義をもちたくなるもんですが(笑)。それでも、株式市場に資金が流れる条件は揃いつつあるように思う。まあ、これで景気拡大がいっそう続くようになれば、余剰資金の有無が資産拡大に直接関連する以上、後生、「勝ち組景気」と呼ばれるでしょうね。
 さて、この予測、当たるか(笑)。

2005年 9月19日 ようやく脱出

 昨日はアスピリンをまったく飲まず。今日もいまのところ我慢できている。ようやくアスピリン漬けから脱出できそうである。まだ親しらずの痛みは残っているが、「ズキズキ」が「しくしく」程度に落ち着いた。ときたま「ズキーン」とくるが、そのときは頭をかかえて5分ほどうずくまれば痛みがひいてくれる。情けない姿だけど(笑)。

2005年 9月18日 人が少ない

 昨日から今年いちばんといっていいほどの好天で、しかも週末なのに、なぜか人が少ない。新聞を取りに管理センターまで行ったとき、人が少ないですねえ、とスタッフに話したのですが、やっぱりみなさん、不思議がっておりました。ほかの観光地にでも行っているんかいな。
 夜も綺麗に晴れ渡っているのですが、あいにくと満月前後なので星空が広がるというわけにはいきません。タイミング悪いなあ。月は嫌いじゃ。

2005年 9月17日 僅差の勝利

 前原誠司が民主党の新代表になりましたね。まずはめでたし。これで幹事長を野田佳彦か枝野幸男にすればいいんだけど。
 それにしても、たった2票差だと。無効票って、白紙だったんかいな。そうだとしたら、じつにドラマチックな展開ですねえ(笑)。もしかしたら、これこそ政権交代の転換点になる事件かも。

2005年 9月15日 サラリーマン金太郎@楽天

 甥がパソコン持参で来ているので、win環境でしか再生できない「サラリーマン金太郎」楽天バージョンの第5〜11話(最終話)を一気に見た。前にも書いたかもしれないが、この作品は最初からネット配信のために制作されたもので、提示の仕方にはいろいろな工夫がある。まあ、雰囲気的にはmacromedia directorのコンテンツに似た感じに仕上がっている。
 紙の上にコマ割りをして制作したマンガは、紙媒体で見るのがベストだと今でも思っている。たしかに手塚治虫DVD全集のようなコンテンツをパソコンにインストールしておけば、旅行先や出張先での気分転換に読むことはできるが、それはあくまでも副次的な読み方にすぎない。紙媒体という前提条件があったればこそ、読み手と作り手それぞれの作法や文法が成り立っているはずだ。
 とはいえ、この金太郎@楽天、コンテンツとしては十分に楽しめた。最終回の展開は作品的にペケだと思うが、それは内容に関すること。少なくとも、ネット配信を前提にした作り手側の文法は成立しうる、と感じたのは事実である。
 先日、ソニーが名作マンガのネット配信を決めたばかりだが、さて、紙媒体を前提とした文法で制作されたマンガが、ネット配信でどれだけの読者を獲得できるだろうか。もちろん、それを分析するには、そもそも「いつ・どこで・誰が・何を」読んでいるのか、を考えねばならぬわけだが。直感的には、「ほんの10分、15分の個人的な時間つぶし」というマンガの典型的な「読み」のスタイルは、ネット配信やiPodなどの携帯環境との親和性が高いように思う。もしかすると、アップルの次なる標的は iTunes Comics Storeだったりして。

2005年 9月15日 デルタ&ノースウェスト経営破綻

 アメリカのデルタ航空とノースウェスト航空が経営破綻をきたしたそうである。
 しかしこれは、いわゆる「chapter 11」の適用なので、これが認められれば、会社が解散するわけでもなければ経営陣が追い出されるわけでもない(結果的にに入れ替わる可能性はあるが)。要するに資金繰りがショートし、このままでは債権者の取立をくらい、十分な収益をあげる余地を残す事業に支障をきたすことになるので、裁判所の保護監督下に置かれるということだ。
 3年前だったか、やはりユナイテッド航空も破綻しているし、それ以前にコンチネンタルもパンナムも破綻しているので(持ち株会社のケースを含む)、これで米系航空大手は「全滅」したような印象を与える。でも、ユナイテッドもコンチネンタルもchapter 11だったはずなので、こちらも消え去ったわけではない。
 日本語で「経営破綻」とか「倒産」とかいうと、直感的に「殺到する債権者」とか「闇金に脅されて娘をソープに」とか「一家夜逃げ」とかを連想してしまう。しかし、日本にもchapter 11とほぼ同様の民事再生法があるように、破綻=倒産ではない仕組みがすでに存在する。こういうシステムは経営の失敗に対して寛容なのではなく、失敗を経験値として活かすための合理的な制度なわけである。
 だいたいゲームだろうが試験だろうが、一発勝負でうまくいくとは限らないので、失敗を再利用するメカニズムが存在するわけだ。それに比べると、投資とか企業経営には「全戦全勝」が要求され、結果的に投資家や経営者の層の厚みを損なっているように思う。だいたい全勝できるなんてこと自体がまぐれなのだから、そういう投資家や企業家の成功談が参考になるわけがないんだよね(笑)。

2005年 9月13日 10%差は大差

 完全小選挙区制の場合、理屈のうえでは得票率が50.1パーセント対49.9パーセントでも、議席数は100対0になりうる。まあ、確率統計的にそうなる事態はきわめて小さいので、現実に総得票率でどのぐらいの差があれば「大差」「圧勝」なのかというと、完全小選挙区制のフランスの場合、だいたい10パーセントの差がつけば、勝敗の決着は明白、ということらしい。
 今回の選挙、小選挙区に限れば自民と民主の総得票率差は13パーセントなので、自民の圧勝という結果になったのは数字の上では当然。ただし、自民の得票率は50パーセントを超えていない。それで圧勝という結果なのだから、これはハッキリ言って、与党「以外」の戦略のなさが致命的だということだな。これも数字の上だけの話だが、民主・社民・共産が政策協定を結んで選挙協力を進めていれば、これほどの小泉ブームのなかでも互角の結果が出た可能性があるわけだ。もちろん、この3党がタッグを組むことなど、現実には考えられないけど(笑)。
 シロウトなりに選挙戦略を考えるに、強固なハードコア層によって基礎票を固めたうえで、強烈なメッセージで浮遊層を獲得する、というのが、現制度では最も勝利の確率が高いように思われる。現与党の場合、自民と公明とでうまく分業できているわけだ。それを考えると、民主側から労組母体のハードコア層を支持基盤とする党が「独立」し、残る部分と政策協定でつながるという展開を進めた方が、結果的に二大会派というシステムに向かいやすいように思う。
 まあ、今回は民主が過半数を取ったところで参議院では少数派なのだから、もともと政権交代は起きようがなかったわけだ。以前より「政界再編は参議院から」と言われるのだから、ポスト小泉で自民が闘う2年後の参議院選挙が本当の転機になるような気がするのだな。

2005年 9月12日 それにしても静ちゃん

 とことん勝負勘が悪いというか、肝心なところで及び腰だからアカンというか。小泉に負けた総裁選当時にしても、今回の選挙にしても、静ちゃんの戦法というのは、いつも「キャスティングボートを握る」ことが中心で、正攻法で組み合うことがない。それでは大勝負には勝てませんわな。
 選挙前に与党がほぼ間違いなく勝ちそうな情勢だったので、某金融株を買っておいたのですが、案の定、今朝は取引早々に5パーセント以上値が上がりました。郵政改革で資金が民間に流れることの期待があるから、とりあえずは業績の手堅い銀行、不動産、それと景気回復を背景に中間財メーカーあたりが狙い目かな、などと思っています。

2005年 9月11日 かける言葉もない

 いたたまれない通夜だった。遺族には、文字どおり、かける言葉が見つからない。
 いろいろと漏れ伝わってきたところによると、出張先の北京にて心不全で亡くなったとのこと。すでに一ヶ月ぐらい滞在していたそうだ。出張前は準備のために連日徹夜作業だったらしい。なまじっか体力のあるヤツだったので、無理を重ねてしまったのだろう。
 入社直後に所属部署の部長に言われた言葉を思い出した。「自分の健康は自分で守るしかない。いざというとき、会社は何もしてくれない」と。ほんとだよね。監査部門にいる同期の話によると、労災がおりるかどうかも、現時点ではわからないそうだ。

2005年 9月9日 ネクタイ業界よ

 お願いだから、奇妙なネクタイを開発するのはやめてくれ。いくらクールビズで売上げが落ち、ウォームビズでもカジュアル路線が見えているからといって、ここで奇をてらった、かえって客離れをおこしてしまうぞ。頼むから「最初から結び目のある着脱容易なネクタイ」だの「Yシャツ着たままで脱げるネックウォーマー(という単なるちぎれたTシャツ)」なんかをマジでやってくれるな。
 もともとネクタイなんて実用性のないアクセサリーなのだから、機能なんぞを考えたら自己矛盾をさらけ出すにきまっている。「だったら付ける必要なし」となるのが当然の帰結である。ならば、徹底して「洒落っ気」というこだわりを主張すべし。
 ひとつ提案なのだが、このさいネクタイ業界とYシャツ業界がタイアップし、男性向けのシャツ&ネクタイ専門店を広げたらどうだろう。ニッポンの場合、女性向けやワカモノ向けのブティックはカジュアルからセミ・フォーマルに至るまで充実しているのに、30代以上の男性向けとなると、ブランド系とデパートっきゃないんだわな。まあ、裏を返していえば、オジサンたちがいかに普段のファッションに無関心であるか、ということだが。
 東京のファッション水準はパリやNYと比べてもなかなかのもんだと思うが、オジサン向けの店となると、彼我の差はあまりにも大きい。たとえばパリだと一流半〜二流どころのシャツ専門店とかが充実しているのだな。
 オレは「Cafe Cotton」というchemiserie(シャツ屋)が気に入っていて、パリ在住中はもちろん、日本帰国後もパリに行く機会があるときは、ここでシャツをまとめ買いしている。で、そのとき買ったシャツにあうネクタイをかならず買っておく。soldeだとシャツが1枚3000円程度、ネクタイも2500円程度で買えるので、そういうちょっとしたゼイタクができちゃう。これが一流半〜二流どころのありがたさであるな。
 ネクタイ業界も奇をてらうんじゃなくて、こういう空白部分をなんとか埋める努力をするべきなのでは。クールビズによってスーツという「制服」が転換されようとしているのだから、業界にとってもいいチャンスだと思うのだが。

2005年 9月8日 人生は突然終わる

 三菱総研時代の同期が一人亡くなった……というメールがさきほど入ってきた。海外出張中に亡くなったという以外に詳報なし。
 入社直後の研修でおなじグループだったこともあり、同期のなかでも仲が良かった。パリ滞在中に一度、出張の折にうちに泊まったこともあり、キャバレーLIDOに行ったものである。
 そやつの奥さんも同期で、こちらとも仲が良かった。
 身長が180センチ以上もある大男で、大学時代にはスキー山岳部に所属し、ヒマラヤの未踏峰チブリンに初登頂をしたり、南硫黄島の学術探検にも参加したり。登山家の故・加藤保男を尊敬していて、加藤が冬季エベレスト初登頂を目指したときには、ベースキャンプまでサポートをしていたという。
 人工知能関係のプロジェクトに長年かかわり、最近は金融工学の仕事をしていた。ここ数年、年賀状を送りあうぐらいのコンタクトしかなかったが、会えばバカ話に花も咲いたろうに。
 著書が一冊ある。ひょんなことから、エンロンの関係者と親しかった時期があったそうだ。
 まだ四十代。二人の子どもは高校生ぐらいのはず。
 しかし、オレの直接の友人・知人のなかには、十代で死んだ者も、二十代で死んだ者も、三十代で死んだ者もいる。だからどうだ、ということではないが、「人生は突然終わるもの」ということを、今回も実感しないわけにいかない。

2005年 9月8日 ヨーロッパ社会か米国社会か

 どこかのワイドショーで各党の討論番組をやっていて、コメンテーターとして出演したなんたら評論家とやらが、「結局、米国型社会を目指す自民党と、ヨーロッパ型社会を目指す社民勢力の争い」などとほざいていた。話の内容はわかりやすかったが、こういうわかりやすい話こそ疑うべし。何事も簡単に腑分けできるくらいなら、社会科学で苦労する者などおらんわい。
 たしかにヨーロッパ社会の多くは豊である。フランスに住んでみて、シミジミと実感したのは事実である。がしかし、あの豊かさって、17世紀から19世紀にかけての300年間、世界中から富を搾取しまくった結果が土台にあるわけじゃん。二度の大戦があったとはいえ、あのストックは無視できんわな。
 北欧も数字の上では豊かな国だが、あそこに住む人々の暮らしはじつに質素このうえなく(セックスぐらいしか楽しみがないので性の解放が早かった、という説も聞いたことがある)、ライフスタイル自体が低コスト構造なんだと。もっとも、付加価値税率はスウェーデンがEU加盟前で28.5パーセントだっけか。所得税も高い。
 つーことで、ヨーロッパ社会を選択しようたって、前提もメンタリティも違いすぎる以上、選択のしようがないんではなかろうか。んじゃあ米国社会がいいかっつーと、それも無理ですわな。移民をベースにしたアメリカの社会構造というのは、先進国と途上国のハイブリッドなわけだから、日本が真似できるわけがない。
 なんだかんだいって、日本人にとって日本がいかに住みやすい国であるかということは、外国に住んでみれば実感できると思う。だからといっていまのままでいい、とは言わないが、「捨てたもんじゃないぜ」という認識は持っておくべきなんじゃあなかろうか。
 まあ、社会の閉塞感を打破するには、なにか強引な制度変更も必要ではあろう。まえまえからのオレの持論は、「男女雇用均等法」の施行である。機会均等なんてなまぬるい(笑)。結果均等が徹底されれば、社会は根本的にかわりまっせ。まず、女性向け風俗産業が一大成長産業となるわけだな(笑)。

2005年 9月7日 投票行動

 今回の選挙でも、例によって無党派層の直前の行動が議席数を左右すると考えられている。
 しかし、以前、さる筋から聞いた話によると、某組織が世論調査や選挙当日の出口調査に協力しなくなったため、事前予測の信頼性が大きく揺らいでしまったそうなんである。実際、前回の総選挙では多くの報道機関が「民主党は200議席超の大躍進」と予測していたはずだが、実際には予測範囲のほぼ下限にとどまっていた(177議席)。自公が連立している以上、事前予測は民主に甘く出る傾向が出るわけである。
 その点で今回は事情が複雑である。事前予測で自公有利と出ているので、この例にそえば、自公の圧勝となる可能性がある、ということになる。しかし、事前予測で与党有利と出た場合に、そのアナウンス効果によって現実の投票では棄権とか野党に投票、ということにつながることもあるわけだ。さらに今回は郵政反対派の無所属に公明党が協力する選挙区もある。
 じつに多くの要因が絡み合っているこの選挙、どういう結果になるにせよ、さまざまなネタを提供してくれることは間違いない。ちなみにわたしは「節目は運命で決まる」というスター・ウォーズ的歴史観を持っているので(笑)、今回は小泉退陣という事態もありうるのでは、と密かに思っている。いやその、小泉の師匠、福田赳夫の「天の声にも変な声がある」というセリフ(自民党総裁予備選で大平に負けたときの名セリフ)をこのところよく思い出すんですわ(笑)。

2005年 9月5日 7党首討論

 昨日は選挙期間中唯一の日曜とあって、午前中は7党首討論番組が3本続いた。最後の「サンデー・プロジェクト」では、司会の田原が「このテーマはついさっきNHKでもやっていたのでやめましょう」なんて言っておったな(笑)。
 正直言って、「民主党が共産党に喰われとる」という印象を強く受けました。岡田がなにを熱弁しようと、そのあとで志位がバッサリと「自民も民主もおなじ」と切っちゃう。これがまたけっこう説得力があるんだな(笑)。なので、今回の選挙、アンチ自民の票の多くは共産に吸収されるんじゃなかろうか、という気がしてきた。まあ、共産党自体が候補者を公明なみに絞り込んでいれば、とっくに政権交代していたのだから、ある意味、共産党は自民を支えているようなもんですね。「敵の敵は味方」という原理がこれほど鮮明なケースもなかろうて(笑)。
 民主党・岡田の売りのひとつに「ブレない男」というキャッチがあるが、ブレないことに関しては、共産党・志位のほうが上ですわな。徹底して非現実的だからこそのブレなさ、ではありますが(笑)。その点では社民・みずほたんも同様。だから、岡田程度のブレなさでは勝負ができない。
 深夜に安部とか管など幹部クラスの討論番組があった。自民に逆風が吹いているときの管の攻めキャラぶりは頼もしいのだが、そうでないときの管って、人の話を邪魔するだけのうざいオッサン(笑)。今回の選挙、キャラ的に民主の負けという感じがする。小泉はあいかわらずの役者ぶりだし。
 民主党も管とか小沢とか羽田とかを一掃し、野田佳彦とか枝野幸男、前原誠司あたりが前面に出ないとあかんのじゃないだろうか(枝野さん以外は松下政経塾出身というのも、ちょっといやーな感じではあるが)。

2005年 9月4日 奥歯がうずく

 アスピリンを飲んでも一時的に痛みがやわらぐだけで、2時間もすると、しくしくしくしくという痛みが生じてくる。奥歯の痛みは集中をそぎますねえ。たぶん、肩凝りとか腰痛とかと連動している現象なんだろうけど。まあ、虫歯じゃないので気長につきあうしかないですが。
 先日、落としてもらった枝の片づけに、ようやくメドがつきました。あるわあるわ、結局、2トン車一杯ぶんぐらいになった(^_^;)。最初は野バラとコナシだけにしようと思ったのですが、どうせ2トン車で運んでもらうのだからと、松の小枝や草刈りしたササなども集めたのです。
 しかし、今日も野バラの小枝をいくつか動かしたら、腕が傷だらけになりました。棘を指に突き刺すことに比べれば楽だけど、あちこちから血が出てます(^_^;)。
 昼ぐらいから雨が降り、これで今日の八ヶ岳自然文化園ナイトシアターも中止です。今日が最後だったので行こうかとも思っていたのですが。ペンション・ビレッジの朝市も終わり、原村も秋モードに入りました。

2005年 9月2日 News watching

その1.値下げに向かうコンビニ業界
 もともとコンビニが商品として売っているのは「利便性」。だから個々の品はスーパーに比べると若干高い。ところが最近は100円ショップが品揃えを増やして深夜営業をしたり、スーパーが遅くまで営業するようになり、「利便性」の競争が激化してるわけだ。実際、うちの近くでも24時間営業の100円ショップが品揃えを充実させたため、となりのローソンに閑古鳥が鳴き始めた。よって、「利便性」以外のところで価格競争が始まるのも当然でしょう。
 しかし、これでぶっ倒れるコンビニ・オーナーが続出するんじゃないのかね。フランチャイズ制って、結局は小作農家とおなじようなもんだからね。本部(=地主)丸儲けね。店としては、少しでも利益をあげるにはバイトを減らすしかない。必然的にオーナーは長時間労働を強いられますわな。小売業界も完全に消耗戦に突入っすかね。

2005年 9月2日 素朴な疑問

 新党日本が公約を発表したそうな。しかし、である。立候補者数からして新党日本が政権を取る確率はゼロである。さらに、他党と政策協定を締結していない以上、たとえ立候補者すべてが当選したところで、現時点では政権与党に属する可能性もゼロである。そんな党の公約に、いかほどの実効性があるんだろうか?
 思うに、公約の発表とか党首討論への参加というのは、確率のうえで与党になりうる可能性のある政党に限定すべきなんじゃないだろうかね。現時点でそれに該当するのは、自民党、民主党、公明党、共産党である。それでは少数政党が立ち行かないという批判もあるだろうが、総選挙が政権選択の性格を帯びている以上、公明党のように選挙前に政策協定を結び、あらかじめ連立の枠組みを示した上で選挙に望むのが筋なんではないか。選挙結果によって連立の枠組みが決まるような不透明な事態に比べ、枠組みそのものが争点になったほうが、よほど民主的だとオレは思うんだが。
 個人的には、日本には二大政党制よりも2プラス2プラス1ぐらいの枠組みのほうが適していると思う。だいたい二大政党制たって、主だったところで実現しているのは英米ぐらいのもんだよね。ただ、鮮明な対立軸がないと、結局のところ落ち着き先は、「政権与党+批評家的野党+夢想家集団」という3軸になってしまうんだろうが。

2005年 9月1日 やればできるじゃん

 一般道の制限速度が80キロに引き上げられる区間が登場する。
 だいたい、昔と今とでは自動車の性能が違うのだから、制限速度をずーっと据え置くこと自体、ナンセンスですわな。そもそも高速道路では制限速度を守っている車のほうが少数じゃん(もちろん渋滞区間は除くが)。一般ドライバーの認識として、表示された制限速度のプラス20〜25が目安になっているんじゃないのかね。
 こういうことをやっていると、規制に対する信頼感がなくなるわけだよね。その点はドイツを見習うべきだと思う。ドイツの道路での制限速度というのは、それ以上のスピードを出すと本当に危ない水準になっている。オレが見たかぎり、ドイツでは制限速度を守って走るのがいちばんスムーズなんだな。だったらたいていの人は守りますわな。
 一昨日、相模湖インターを降りて16号線に向かう途中、まあ、それなりの(笑)ペースで走っていたわけです。ところが津久井湖の手前あたりでやたらトロい車に追いついた。こいつ、制限速度ジャストで走っている。それも当然、パトカーだったから(笑)。でも、パトカーだってすいている道はプラス10ぐらいで走るもんだけど、こやつは徹底して40キロで走りやがる。またたくまに十数台のプチ渋滞ができましたよ。
 イラつくと、その分、事故を起こしやすくなる。制限速度を厳しくすれば安全なわけじゃないっすよね。信号だっておなじ。交差点に信号をつけりゃいいってもんじゃない。田舎の道なんて、ロータリーにすりゃいいと思う箇所がいくらでもあるもんな。「制限速度を引き上げる! 信号を減らす!」を公約にする候補者が出てきたら、オレはぜったいに支持するが(笑)。


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訃報に接し

メールで訃報が伝わってきたときは、信じられる・られないという感覚ではなく、「なんだこりゃ」という思考停止状態に陥ってしまった。最近でこそ年賀状を交換するぐらいの交流しかなかったが、前の会社に在籍していた当時、最も親しい友人であったことは間違いない。彼が細君に一目惚れし、猛烈なアタックをかけて結婚に到達するまでの過程も、ごく身近で眺めていた。
通夜も悲壮な雰囲気だった。逆縁の葬儀は「救い」がないのだ。老人の大往生なら、むしろその葬式がひとつの口実となって、めったに会う機会のない人たちが集う同窓会のような場となるものだが、逆縁となると、久々の再会をはしゃぐ気になれない。ただただ悲痛なだけだ。
故人もさぞや無念だったろう。いい父親だったと思う。残された家族も悲しく、そして辛いだろうが、おなじ父親の立場にある者として、妻子を残して逝ってしまう悔しさたるや、さぞ大きなものがあっただろうと思う。


初めての本格的長期滞在

今年ほど長期間、原村に滞在したのは初めてだった。ほぼ二ヶ月近い期間を原村で過ごしたわけである。その間、母親や甥っ子が滞在した時期もあったが、二週間以上は一人で過ごしたことになる。一階の和室を仕事場兼寝室に使い、午前中は薪割りや枝拾いをし、気ままな自炊を楽しんだ。いままでにない充実した夏休みを過ごすことができたと思う。