1日に人と会う約束がいくつかあるので、夜中、横浜に戻ってきました。このところの長距離移動は、インターを午前0時ちょい過ぎに通過するように時間調整をしています。おかげで高速では速度制限遵守の模範的運転ばかりなのですが、東名・名神とか中央で速度制限を守っていると、かえっておっかないですね。トラックにつっつかれまくりますから。over 10が安全速度という現実があるんだから、高速の制限速度はさっさと緩和してほしい。ヨーロッパの高速をさんざん走った経験からすれば、東名・名神は120〜130、中央は100〜130、常磐や東関東は130ぐらいが妥当だと思いますがね。制限80なんて、ドイツだったら一般道だっつーの。
午前0時過ぎを狙っているのは、0時〜4時にひっかかるような時間帯に高速を使うと、ETC搭載車は料金が3割引になるから。昨日も料金所のところで時間調整をしている車が何台かいました。だって、ほんの何分かの違いで3割も違うんだから、こりゃでかいわな。我がビートは軽自動車なので普通車よりも安いし、さらに3割引になると、ほんと、「割引」を実感できるってもんです。名神の京都東から中央道の諏訪までが3800円だったし、昨日は中央道の小淵沢〜相模湖が1600円でした。普通車の通常時間帯だと3000円ぐらいですからねえ。
首都高の料金だって、安くなっているんだよね。5パーセントだけど。ただ、かつては新区間が開通するたびに値上がりしていたのが、いまはそれがストップしている。小泉内閣になってから、中央環状王子線とか横浜の金沢方面が開通し、従来の常識だったら間違いなく料金は100円上がっていたはず。それと比べれば、料金を維持し、さらに5パーセント下がったというのは、実質的な値下がり幅は大きい。わたしのように首都高を端から端まで通勤で往復する者にとって、年間で数万円の節約になるのです。
小泉内閣では何も変わっていないと民主党などは批判するけど、こういう部分は正当に評価すべきだと思う。そりゃ抜本的でないという批判は正しいとは思うが、いまの時代、「まず着手する」ことがいちばん重要でしょう。抜本的改革の議論→やたら時間がかかる→議論が収束するころには環境が変化→別の抜本的改革が必要になる(=振り出しに戻る)という繰り返しだったもんね。その意味で、道路公団改革を「ギリギリ合格点」を評した猪瀬の主張はそのとおりでしょう。
わたしゃ正直なところ民主党支持者(枝野幸男のシンパなんす)なのですが、小泉内閣の「期限を切って議論をして結論を出す」スタイルは評価しますね。いままでこれができなかったのだからね。それに、改革が各論に入っているいま、全会一致の合意形成なんてできるわけないんだし、時間をかけて議論していたんじゃあ、キリがない。
昨日のNHKの報道番組で、民主党・岡田代表が郵政改革の将来ビジョンを語っていたけど、ちょっと考えてみれば、めちゃくちゃな内容だということがすぐにわかってしまう。要するに、将来的に郵便事業だけを国が維持すると言っているわけだが、電子メールの普及や宅配便の浸透で、郵便関係の市場は小さくなる一方なわけだから、岡田代表の主張に沿えば、国が膨大な赤字部門を抱えることが不可避になる。結局、郵便局ネットワークを最大限活用するには、さっさと民営化して事業の多角化を進めるっきゃないよね。もちろん、その過程で政府系金融機関や信金、農協などとの競合が生じるわけだが、それによってサービスが向上しコストが低下すれば、いいこと尽くめなわけですわな。
今回、いちばん失望したのは田中康夫。おめーはいつから攘夷運動を始めたんだ(笑)。外資脅威論は自家撞着に陥るはず。今後の年金の資金運用を考えたら、日本資本だって対外投資でじゃんすか儲ける必要があるんだしね。地元から改革と叫んでいるけど、その地元から見放されているわけじゃん。この人、むしろNPOとかの立場から関与したほうが本領を発揮できるんじゃないの、という気がするけどね。
webとはいえ、いや、webだからこそ、*この見出し*は誤解を招くと思うぞ。
タイトル・リストだけを見た人は、サントリーが排水を再利用してビールをつくるのか、と思うのでは。
この夏一番の冷え込み(というのも変な表現っすね(笑))であった。Tシャツの上に長袖のスウェット・シャツを着て、しかも布団をかぶって寝ているのだが、ぼちぼち毛布もいるかな、という感じである。下界が20度ぐらいだと、このあたりは10度ぐらいになるのだけど、ぼちぼちそのぐらいの最低気温になったのだろう。まあ、今朝は抜けるような青空の晴天なので、いっそう気温が下がったのだと思うが。
5月ごろにプチトマトのタネを蒔いたが、茎と葉っぱは勢いよく伸びまくっていたものの、一向に花芽が出なかった。標高が高すぎてあかんのかとあきらめていたら、昨日、二箇所で花が出ているのを発見。黄色い小さな花ですが、いやー、頑張ったんだな。
最後に、花はすでに終わったけれど、まだ茎が元気に粘っているベニイチヤクソウの写真も撮っておきました。
日が暮れて、たそがれ時もすぎ、ひさびさに夜の早い時間に星空を眺めることができた。透明度は、この近辺としては「まあまあ」といった程度だが、月明かりがないのでもちろん天の川は見える。晩飯後に双眼鏡を持ち出し、外灯の死角で空を眺めてみると、こと座が天頂をちょっと過ぎたぐらいの位置にあった。はくちょう座からたて座あたりまでを双眼鏡でなぞってみると、まあ、やっぱり銀河のいちばん綺麗なところなので、文字通り視界にスターダストが広がる。
残念ながら、西南の方角には雲が出ていて、星雲や星団が多々あるいて座付近は見えず。さそり座はすでに沈み、夏の終わりをシミジミと実感する。ああ、なんだか悲しい気分になってきた(笑)。まあ、星空の豪華さという点では、11月下旬から12月初旬がベストですけどね。
今日は午前中いっぱいかけて、コナシの木を整理した。この木、花は可憐で綺麗なのだけど、とにかく四方八方に枝を伸ばしてくるので、ほかの植物の生育を邪魔しよる。おまけにすこぶる生命力が強いので、ちょっと油断しているとあちこちで育ち始める。ふと気づくと、庭の五箇所ぐらいでけっこうな丈に育ち、うち1本はカオス状態である。
昨日までに小さな木は処分し、残すところカオスの1本。それが今日の宿題だったのだが、なにしろ土手の上部から枝を伸ばしまくる。幹の根元にたどりつくために、まずは枝を処分せねばならん。いやもう、枝を片っ端から切りまくり、ほとんど解体作業といっていい状態だった。なかにはいちど地面にもぐってから地上に出てくるような枝まであった。ほんと、蜘蛛の巣みたいな枝ぶりでしたがな。
おまけにこの木、薔薇の棘まではいかないが、細かな枝芽が固く、それがつんつん突き刺さってきよる。枝もポキとは折れてくれないので、解体作業は剪定鋏やノコギリや鎌を枝の太さに応じて使い分けねばならない。結局、2時間ぐらいかかってカオス状態のコナシをなんとかすっきりさせられた。
しぶとさという点では、カラ松もシラカバもいい勝負なのだが、いちど育ってしまったあとの強さはコナシが一番でござろう。花は綺麗なんだけどね。しぶとくて花が綺麗といえば、ぼちぼち信州の雑草・コスモスがあちこちで見られるようになった。不思議なことに、うちの庭にはコスモスがつかんのです。庭師の人は、そんな雑草を植えなくても、と笑うのだが、オレはけっこう好きなんす(笑)。
朝起きて、テレビのスイッチを入れようとリモコンに手を伸ばしたとき、暖炉のなかからカサコソという音が聞こえてきた。ついで、扉の部分をコンコンと突っつく音も。どうやら煙突から鳥が墜落したらしい。
これまでにも三度ほど、暖炉のなかで灰まみれになった鳥の死骸を見つけたことはある。そりゃ煙突の中にちょこっとでも入ってしまったら、あとは墜落するしかないのだし、いちど暖炉のなかに落ちてしまえば、扉が閉まっているので脱出のしようがない。ただ、今回の鳥がラッキーだったのは、まだ生きているうちに発見されたことである。
さて、どうやって逃がすべ。つかまえるのがいちばん手っ取り早いと思い、軍手をはめ、暖炉の扉を少し開けてつかまえようとしたら、鳥さん、飛べるスペースを発見したとたんに勢いよく脱出した。しばし室内を飛びまくったあと、窓にとびかかる。これもときどきあることだが、鳥はガラスの存在などわからないので、「行ける!」と思って加速をつけた鳥が窓に激突し、そのまま逝ってしまうこともあるのだ。
仕方がないので虫取り網を持ち出し、鳥を追いつめながら窓に二箇所ほど隙間をあけた。あとはカーテンと網で追いつめながら、その隙間に追いつめ、3分ほどでなんとか逃がすことに成功した。めでたし。
あたしゃ鳥のことは詳しくないので種類はわかりまへん。雀ぐらいの大きさで、体の色はグレーの、頭はもう少し濃い色です。まあ、今回は鳥で良かった。以前はスズメバチがまぎれこんたこともあるんだよなあ。
さて、今日は台風が去ったあとのクリアな晴天である。昨夜も寝る前に夜空を眺めたが、天の川がうっすらと見える程度で、満天の星空というわけではなかった。まあ、下弦の月がすでに出てしまったせいもあるのだろうけど、多少、薄い雲がかかっていたのかも。でも、7時半に起きたときに見た青空は、高原らしいくっきりした青だった。ああ、これが夏の空の色なんだよな、もうシーズンも終わりだけど。気分転換に白馬村にでも遊びに行ってくるかなあ。
安田雪『ネットワーク分析』(新曜社、1997)を読んでいたら、次のような記述があった。
(略)そのネットワークが「建設的意見」にあふれたポジティブ・フィードバックにより成立しているのか、フレーミングとか「嫌がらせ」の応酬の繰り返しのネガティブ・フィードバックにより成り立っているのかということとは(以下略)
あれ?……と思ってしまった。フィードバックという言葉の使い方が、オレの認識とは異なるのである。googleでいくつか用例を調べてみたところ、どうやらシステム科学畑の人と組織論・広告論畑の人とで、フィードバックの言葉の使い方が異なるらしいことがわかってきた。
もともとフィードバックという言葉はサイバネティクスの用語であり、システムの制御システムを構成する仕組みの一部を意味する。つまり、システムと環境との関係を把握し、それによってシステムのダイナミズムを制御する仕組みだ。その制御がシステムの行動を「促進」させる方向に作用するのがポジティブ・フィードバック、「抑制」させる方向に作用するのがネガティブ・フィードバックである。要するに、いけいけどんどんが正、少し控えとこ、というのが負だ。
自然界にはどちらの現象もよくみられる。
プレート境界型地震は典型的なポジティブ・フィードバック現象である。より身近な例は、カードゲームの「大貧民」を想起するとわかりやすい。富める者がますます富み、貧しいものはますます貧しくなる。均衡を破る「革命」までもがルール化されている点など、「大貧民」は実にポジティブ・フィードバック的ゲームであるな。
高校の化学で習う化学平衡はネガティブ・フィードバックの典型だ。あるいは、自動車のアクティブ・サスペンション、エアコンのサーモスタットも同様のメカニズムである。
一方、組織論とかマーケティング関係の業界では、ポジティブ・フィードバックを「報酬としての情報」、ネガティブ・フィードバックを「罰としての情報」と捉えているようだ。この場合、フィードバックとは「反応」と言い替えてもよかろう。
まあ、それぞれの世界で使い分けがされていれば、それはそれでいいんじゃないかとは思う。数学の世界の用語など、俗世間とは相当異なっているけれども、とりあえずは混乱はなさそうだし。ただ、ネットワーク分析ではグラフ理論など情報科学的なアイデアをふんだんに使うのだし、上記の書籍は入門書という位置づけなのだから、フィードバックという用語はシステム科学のニュアンスで使うべきなんじゃないかと思う。
朝方は昨日とおなじく霧がかかっていただけなのだけど、9時ぐらいから雨が降り始め、さきほどから風が強く吹くようになりました。yahoo天気予報で天気図を見たら、台風のはしっこの雲が長野県にもかかっているみたいですね。
風が吹くと、庭の木がいっせいにゆれ動くので、窓から外を眺めているだけでも、けっこうスリリングです。まあ、ここはいままでに何度も台風が来ているところなので、木がバタバタと倒れることはそれほどありません。太い枝が落ちることはちょくちょくですが。
ただ、松の木は粘りがあるので多少しなっても大丈夫ですが、案外と脆いのが白樺ですね。まんなかぐらいでポキっと折れることがあります。薪割りをするとよくわかるのだけど、ある程度の太さのある松の木は、マサカリをど真ん中に命中させても一度では割れないことが多い(オレがヘタ、というのもあるけど(笑))。白樺だと、綺麗にぱかっと割けるんですわ。木の繊維のからみかたが違うのでしょうね。松のほうがしぶといっす。
ああ、また風が強くなってきた。
パトリス・フリッシー(Patrice FLICHY)『メディアの近代史 〜公共空間と私生活のゆらぎのなかで〜』(水声社、2005)
翻訳を始めたのは四年前の秋だったような。半年で終える予定が、伸びに伸び、結局、三年半かかってしまいました(^_^;)。いいわけはさておき、フリッシーの本を日本で紹介できたことは、個人的にはすごく誇りに思っています。その分、翻訳時のプレッシャーは大きかったのですが。
原書「Une histoire de la communication moderne - l'espace publique et la vie privee -」が最初に刊行されたのは1991年のこと。技術環境変化がめまぐるしいメディアに関する著作を、刊行から14年も経たいまになって出す意味があるのか、という疑問を抱く人もいるでしょう。それに対する反論は三つ。
その1、古典を刊行するのに「時代遅れだから無意味」という批判はそれほど実効性がない。この本はフランスのメディア研究者のあいだではもはや古典という位置づけに近く、いまだ多くの論文で引用され続けています(たとえばReseaux誌収録論文を見よ)。
反論その2、技術環境の変化と社会環境の変化を結びつけることなかれ。そりゃメモリやプロセッサの速度はムーアの法則の世界かもしれんが、社会はそうではない。本書が一貫して維持するスタンスは、19世紀以降の社会変化とテクノロジーの相互作用(著者の言を用いるならば、相互循環プロセス)です。ゆえに、社会生活の長期的な変遷プロセスとメディアの関係を知るうえで、本書は以前として重要な内容を提示し続けています。
反論その3、英米系研究者の書籍ばかりあふれた日本のメディア研究関連の文献にあって、本書はフランス系研究者の存在を知る手がかりとなること。現代思想ではやたらプレゼンスが大きなフランスですが、その先となると、なぜか系譜が途切れています。でも、無視していいはずがない。ジョジアンヌ・ジュエットとかフィリップ・ブルトンなどの研究も、機会があればぜひ紹介したいところです。
本書との出会いは、早くも12年前となってしまいました。当時、パリ大三大学(Sorbonne Nouvelle)の情報学・コミュニケーション学研究科に留学し、マイケル・パーマー教授に師事していたのですが、メディア史の講義で必読文献として進められたのが本書です。内容がすばらしいのはもちろんですが、せっかく労力をかけて読んだからには、なんとか元を取ろうという色気が出たことはいうまでもありません(笑)。
著者パトリス・フリッシーはCNRS(国立科学研究所:日本の工業技術院に若干似た組織)の研究員として、CNET(国立通信研究所:日本の旧電電公社の通研に近い位置づけ)でのメディア研究を主導しています。フランス語圏の主要なメディア研究関連の論文誌「Reseax」を主宰し、現在も編集主幹を務めています。前述マイケル・パーマー教授やジュエット氏、ブルトン氏らも編集委員に名を連ねています。フリッシーはいわばフランスのメディア研究における要に位置する人で、とりわけこれらの人々は科学史と社会生活史の双方に軸足を置いたメディア研究を主導しています。その点でいえば、東大の旧社情研の方向に近いですね。
本書は「私生活の変容」(50〜80年代が射程)で締めくくられており、90年代以降はおおざっぱな予測のなかで述べているにすぎません。したがって、サブカルチャ的な状況の分析が、当然ながらなされておりませぬ。他方で50〜80年代の社会分析では、オーディエンス研究的な記述が多いため、いまひとつ消化不良的な読後感があります。とりわけカルチュラル・スタディーズ(CS)に足を突っ込んでいる人には、ちょっと物足りなさを感じるでしょう。そのあたりは、「だってぇ、この本、91年に書かれたものだしぃ〜」とケツをまくるしかないんですが(^_^;)。
そんなわけで、フランスでのCSの状況がわかる本がないかと、昨年末にパリを訪れたとき、メディア研究関連書籍の専門店TEKNE(パリ5区警察署の裏にあります)で本を探してみたのですが、入門書以外はみかけられませんでした。もともとフランスの研究者は単行本をそう頻繁には刊行しないので、もう少しあとにならないと出てこないのかもしれませんね。
本書は、近代国家と長距離通信の誕生から始まっており、最初に記述されるメディアは「視覚信号伝送(telegraphe optique)」、すなわちシャップ式腕木通信です。このメディアについては、次の書籍に詳しく記述されているので、あわせて読むと全体像がつかみやすいと思います。
中野明『腕木通信 ―ナポレオンが見たインターネットの夜明け―』(朝日新聞社、2003)
その他、フリッシーの本に関連する書籍は多々あるのですが、折をみて紹介していくつもりです。ロバート・スクラーの『アメリカ映画の文化史』(上下2巻、講談社学術文庫)、ローランド・ジェラットの『レコードの歴史』(音楽之友社)は必読ですが、後者はいま、入手困難なのが残念です。
公式発表はありません(笑)。以下、すべて推論でござる。
あのウォークマンで市場開拓型イノベーションを見事に達成したソニーだが、アップルのiPodに対しては、すべてが後手にまわっているように見受けられる。かつて「ソニーはモルモット」と揶揄されもしたが、逆にそれはソニーが先駆者であることを裏返した表現でもある。そのソニーが、なにゆえオーディオ・メーカーでもないアップルに先手を打たれたのか。いや、なぜソニーはiPodをみずから生み出せなかったのか。
答えは簡単、ソニーは携帯プレイヤーの製品開発を合理的に進めていたからこそ、iPodなど生み出しようがなかったのだ。いや、じつはソニーだけではない。いまだ多くのメーカーはiPodがどういう商品なのかを読み誤っているのではないか。それは、「iPodのライバルは?」という単純きわまりない問いかけをしてみれば露顕することである。iPodのライバルはウォークマンでも携帯MDプレイヤーでもない。システム・コンポそのものなのである。より正確に言えば、個人のオーディオ環境そのものの姿をめぐる競争が、じつはiPodが持ち込んだ新しい競争次元なのである。
携帯プレイヤーとして見た場合、iPodはオーバー・パフォーマンスであることは言うまでもない。であれば、価格競争力でも機能の点でも、既存の携帯プレイヤーに大きく劣るはずだ。現に、携帯プレイヤーに限定すれば、現在日本で最も売れているのは小型のフラッシュ・プレイヤーである。(MDやカセットと比べても)十分すぎる容量、これ以上小さくしようがない大きさ、バッテリー寿命など、ソリッド・ステイト・メモリーならではの利点が十分に発揮されており、価格面でもHDDプレイヤーよりも優位である。しかし、iPodは携帯プレイヤーではないので、こうした比較は意味がないのだ。おそらくはソニーも、携帯プレイヤーとして比較したうえで、HDDプレイヤーには意味がない、という合理的な判断を下したはずである。
見落としてはいけないのは、iTunesというソフトの存在である。
これこそがiPodの「実体」であり、iPodという装置はiTunesが構築するオーディオ環境を外部に持ち出すための道具にすぎないのだ。ソニーの問題は、iTunesとういオーディオ環境を構築できなかったところにある。じつはiTunesこそ、CDが先鞭をつけたデジタル・オーディオの(ひとつの)到達点なのだ。CDを開発したソニーは、デジタル化という技術が機能面でアナログに優るとしか見ることができず、それがもたらす新たな次元を認識できなかった。その新次元とはもちろん、バーチャリティである。
我々の伝統的なオーディオ環境とは、CD/MDプレイヤー、カセットデッキ、FMチューナー、アンプ、スピーカーなどの装置類に加え、CDやカセット、MDなどのパッケージで構成されている。この状況はじつは、CDの登場以前も本質的にはかわりがない。我々が店で購入するモノが直径30センチのLPレコードから12センチのCDにかわり、ナガオカの針がついたターンテーブルからCDプレイヤーに替わっただけだ。
こうした状況を根本から変えたのがiTunesである。最初のバージョンからiTunesには、プレイヤー、チューナー、イコライザの機能が装備されていた。前述の装置類がiTunesのなかですべて「実質的に存在」していたのである。そしてこれらの機能を限定的ながら外部化した道具がiPodであるわけだ。
もともと我々にとって、音楽コンテンツの実体は塩ビやプラスチックの円盤ではなく、記録されているデータそれ自体である。保存媒体がなんであろうと、再生装置がなんであろうと、データが音に変換されさえすれば十分なのである。たしかにアナログ時代には、再生、複製などのプロセスで複数の装置が必要だったかもしれない。しかし、データそれ自体がデジタル化されたいま、どこかでDA変換する装置が一つだけあれば十分なのだ。もちろん、ディスクやカセットという音楽コンテンツを記録し運搬する媒体も不要である。
iPod/iTunes、さらにiTMSが加わったいま、最も打撃を受けるであろう市場はミニコンポだろう。むろん、パソコンが個人の隅々にまで浸透しきっていない以上、まだまだミニコンポにも優位性はある。しかし、アップルのMac miniは、ミニコンポ市場に対抗可能なパソコンが登場しうることを示した。そして、iPod/iTunes/iTMSの成功がより鮮明になれば、めざといマイクロソフトがミニコンポ市場を狙った競合ソフトを出さないとも限らない。もしかしたら、「XBox tunes」のような専用機を持ち出してくるかもしれない。
ソニーがいますぐやるべきことは明かである。マイクロソフトにやられる前に、「PS tunes」を作ることだろう。アップルだけが相手なら、まだ巻き返しの余地はあるかもしれない。しかし、アップルとマイクロソフトを相手にするのはかなり厳しい。それどころか、もたもたしていると、アップルとマイクロソフトがタッグを組んでソニー潰しにかかってきたらどうなるのか。ビジネスはスピードである。iTMSへの楽曲供給拒否などをしているヒマなどはないのだ。
朝方は小雨が降り、昼ごろには薄日がさす天気だったが、夕方になって霧が出てきた。この夏初めてじゃないのかな。まあ、白樺林に霧の組合せは、けっこう絵になるのだが。そういや今年はすこーんと抜けるような晴天が一日しかない。天の川も一度しか見ておらんな。あまり夏らしい夏ではなかった、ということだ。8月第一週に行った万博会場はめちゃ暑かったんだけど、思えばあの時期が暑さのピークだったのだな。
ソニーが携帯電話での*マンガ配信ビジネス*に参入するそうな。
インターネットを使ったマンガの配信では、数ヶ月前に楽天で『サラリーマン金太郎』の「書き下ろし」がおこなわれた。以前にも書いたが、この配信作品は予想に反して十分に楽しめた。途中からWin環境のリーダーでしか読めないコンテンツしか配信されなかったので、マジで楽天にクレームを付けようと思ったくらいである。
ただし、これは最初からネット配信を前提に製作されたコンテンツであり、ソニーが計画しているのは、80年代に本の形で刊行された名作を焼き直すというものだ。
このビジネスが成功しようが失敗しようが、マンガのオーディエンス研究のうえで大きな事例を提供してくれることになる。その点だけでも注目したい。もともと紙の上の二次元的配置という「文法」で描かれた作品をコマごとに再編集することの問題、携帯電話という端末を操作する時間構成に与える影響(とりわけメール入力に割いている時間への影響)、このコンテンツを含めたマンガを読む時間帯や場所の変化など、チェックしてみたい切り口はいろいろとありますね。
ただなあ、最近のソニーは空振りが目立つからなあ(^_^;)。
宮田加久子『きずなをつなぐメディア 〜ネット時代の社会関係資本〜』(NTT出版、2005)
ここ数年注目が集まっているソーシャル・キャピタルがオンライン・コミュニティにおいていかに形成されるのか/されないのか、発展の要件は、オンライン/オフラインの相互作用のメカニズムは、といった疑問点を実証的に論じた本です。
一言でいえば、「さすが」です。問題提起と仮説、検証の流れについて、わたくしごときが理論面で突っ込める余地などございませぬ。長年、オンライン・コミュニティを主宰してきた者としても、直感的に認識していた事柄、経験的に把握していた法則性が、見事に理論化されていることに、感動すらしました。
書き方という点でもすばらしい。主要な論点がセクションやパラグラスの冒頭に提示され、読んでいて「ここはちょっと問題なのでは?」と思うところも、きちんと後で指摘して論証/反証しているところなど、じつにきめ細かな内容だと思います。ソーシャル・キャピタルとオンライン・コミュニティの問題をこれから論じようとする人にとって、この本は乗り越えねばならない基準を引いたといっていいんじゃないでしょうか。
ただ、非常にすばらしい著作であるという点を認めたうえで、違和感を感じた点が三つあります。
まず第一に、論証を企図した本であるはずなのに、結局は「社会にとっての望ましい方向」というイデオロギー色がにじみ出てしまっている点。こういうジャンルの著作だと、どうしてもそういう方向を排除しきれないのだろうけど、個人的には気になってしまう。まあ、これは著者の責任ではありませんが。
第二、ソーシャル・キャピタルをミクロレベルで論じるのであれば、タイムバジェットを意識する必要があると思うんだけど、そういう視点からのチェックは本書にかぎらずあまりないような気がする。個人が社会ネットワークを拡大し、維持する過程では、当然ながら時間の問題は一つの制約条件となるはずですよね。
第三、コミュニティのダイナミズムという視点が抜け落ちているように思います。これが本書に対するわたくしの唯一の突っ込みどころですかね。コミュニティに対するメンバー側のコミットメントとその変化は論じられていますが、コミュニティ自体は一種安定した定数のように扱われ、その興亡が考慮されているとは思えない。複数回調査での結果の矛盾を参加コミュニティの違いに帰着させていますが(たとえばp.120)、むしろコミュニティのダイナミズムに由来する問題ではないかと思います。
オンライン・コミュニティを「離陸」させ、そしてコミュニケーションの維持に奮闘してきた経験からすると(とりわけ、すがやみつるさんのような先駆者の行動を目の当たりにした者として)、オンライン・コミュニティを形成するのは狂人的なエネルギーが必要であるし、そうやって形成させたコミュニティも、いずれは賞味期限が切れて廃れるもの、という認識があります。参加者の側から見れば着脱の自由度が高いということは、コミュニティ側から見れば、興亡がめまぐるしいということでもありますね。この点がリアル・コミュニティとの違いでしょう(ただし、ネットワーク型組織であれば、相対的に短い賞味期限が織り込まれている場合もある)。
これに関連して思ったのは、p.97「……、匿名性が高くコミュニティへの関与が全体的には低く対等の立場でコミュニケーションをしているオンライン・コミュニティでは、開放的で弱い紐帯が形成され、そこでは当該コミュニティを超えた一般的な互酬性の規範が形成されている」という主張は、わたしはむしろ逆だと考えます。つまり、一般的な互酬性規範を強く持ったコアメンバーがいてはじめて、かようなオンライン・コミュニティが形成されるのだ、と。
なんにせよ、社会調査を駆使して論証を積み上げ、多くの法則性を検証した点は、繰り返しになりますが、非常に大きな価値があると思います。わたくしが指摘した点は、クリニカルな、あるいはエスノグラフィックな立場からの調査を積み上げていかねば解決できないことですから、今後は本書とは違うアプローチの研究を積み重ね、本書で論じた内容と統合する作業が必要となる、ということでしょう。
例の片山さつきさん、「元ミス東大」という肩書き(?)で紹介されているが、あの時期、東大にミスコンなんてあったんだろうか? 片山さんとオレとは学部こそ違え在学期間は3年重なっているが、んー、記憶にないぞ。
当時だと、どこかの雑誌社か広告代理店が主催した「○○大学のモナリザ」というのが(単発的ではあったが)あり、いろいろな広告にモデルとして登場していたと記憶している。サークルの3年先輩の大石圭子さんが「東大のモナリザ」に選ばれたので、たまたま知ることとなったが、これだってそんなに話題になったわけではない。
話題性の大きさという点では、和田秀樹氏のアイドル・プロデュース研究会(通称「アイプロ研」)が主催したアイドル・コンテストであろう。たしか第一回グランプリは多岐川裕美だったんじゃなかろうか。で、第二回は一般の女子高・中学生から公募し、当時13歳の武田久美子がグランプリを獲得した。余談だが、アイプロ研が調査した「次のアイドル」でトップだったのだ、あの杉田かおるであったような。
アイプロ研のイベントは、婦人問題研究会(というサークル、通称「婦問研」)が「論争」を挑んだことがあって、どちらかというと、婦問研のメンバーの形相のほうが印象に残っている。まあ、あのころはミスコン・バッシングがまだ激しくなかった時代なので、それなりにインパクトが強かったわけだが。
元モデルというのも片山さんの「形容詞」となっているけど、70年代末から80年代にかけては女子大生ブームのまっさかりで、JJだけでなく、Miss HeroとかCanCanなどの雑誌が一般の女子大生をモデルにじゃんすか使うのが普通であった。で、そういうところのモデルになった子というのは、わりとツテをたどって引っ張ってくる例が多かったのでは。で、ツテの使われたのがテニス系、スキー系のサークルだった。
東大卒でミスなんたらという「ブランド」付き女性といえば、やっぱTBC研究所の手塚圭子所長(第9回ミス日本)が代表的でござろう。いや、だからどうだっていうわけでもないんだけど。
MLBナショナル・リーグの順位というか勝率がちょっとした「異変」ですね。
西地区首位のパドレス(大塚の所属チーム)、じつは勝率が5位に満たない。よーするに、この地区所属の全5球団が負け越しているわけ。逆に、東地区は最下位のメッツですら勝率が5割を超えているんですねえ。詳しくは*こちら*(参照したのは8月20日現在のもの)
単純に考えると、このままシーズンが終了すれば勝率5割に満たないパドレスがプレイオフに進出し、ワールド・チャンピオンになる可能性があるわけだ(プレイオフ進出の条件に勝率5割以上、という制約があるのかどうかは不明)。
今年の西地区、ドジャースとジャイアンツがいまいち不振なので、それでこんな状態になっているんでしょうね。パドレスの勝率自体は、むしろ健闘している部類だし。
比喩ではなく文字通り、である。
コスズメバチの駆除から日も経ち、戻りバチの心配もほぼなくなったのと、今日は庭師の人が来てくれたので、駐車場入口の野バラを片づけた。が、棘の痛いこと。野バラといっても、ここ十数年でずいぶんと枝が広がり、小枝からやや太めの枝までもがあちこちで絡み合っているのである。一、二箇所切断したぐらいでは、びくとも動かない。棘がひっかかるので、引っ張ってもすぐにどこか別のところに引っかかる。仕方がないので剪定鋏で細かく切り刻むしかない。結果、棘だらけの枝の破片が山となるわけである。
大きめの枝の棘は、当然ながら枝の太さに応じてでかい。おまけに固い。絡み合ったなかから枝を引っ張ると、ほかの枝の棘が手の甲に容赦なく刺さる。いやー、まいったまいった。バラはきちんと育てるのでなければ、小さなウチに刈り取らないと面倒なことになる、ということが、よーっくわかった。
旧盆が過ぎて、滞在先近辺は一気に人が減りました。小さな子どもがほとんどいなくなりましたね。毎朝、管理センターに新聞を取りに行くのですが、それぞれの敷地に駐車している車の数も5分の1ぐらいになった感じです。路にはセミの死体がゴロゴロころがっているし、ああ、今年も夏の盛りは過ぎたのだと実感しています。昨夜など、ちょっと肌寒さを感じたので、長袖のスウェット・シャツを着て寝ました。下界が30度を切ると、このあたりは20度を切ります。
原村に来てからは、朝7時半ごろに起床、朝ドラを観てから管理センターに新聞を取りに行き、朝飯を食い、データ整理の仕事を軽く済ませてから庭の草刈りをやり、昼飯、読書と資料整理、晩飯、読書と資料整理というサイクルが続いています。健康的だなあ(笑)。健康的すぎて灰汁が抜けてしまい、いいアイデアが浮かばなくなるかもしれんて(^_^;)。
ヤフオクにてPowerBook G3(Pismo)の6倍速DVD-ROMドライブを5,000円で落札。これまでに装着されていたのはLG製だったので、Matsushita製のドライブ・ユニットがほしかったのである。
里中満智子の『アリサ』(若木ジュニア・コミックス)と『あした咲く花』(同)をついに入手!
昨日、駐車場の入り口付近の枯れた野バラの枝を処分していたところ、スズメバチが2、3匹、いきなり飛び出してきた。そのときは、たまたまブッシュにいただけだと思い、ハチをやりすごしたあと、ふたたび枝をガサゴソと取り出そうとしたら、またまたスズメバチが飛び出して来る。まさかと思い、飛び出してきたあたりを覗いてみたら、マーブル模様の薄茶色の塊にハチがごそごそ。またしてもスズメバチの巣である。
管理センターに連絡し、すぐに駆除を依頼し、今日の夕方、業者の人に来てもらった。5分ほどで駆除作業は終了し、巣を見せてもらったが、今回はコスズメバチだそうだ。小型だがオオスズメバチよりも凶暴だそうである。巣を持ち帰りますか、と尋ねられたが、あいにくとオレの体を流れる信州人の血は4分の1にすぎないので、丁重かつ断固としてお断りしたのであった。
2年ぶりに、八ヶ岳自然文化園の野外映画をムスメを連れて見に行ってきました。ここの野外ステージでは、夏休み期間中にかぎり映画上映をおこなっているのですが(雨天中止)、これがじつにいい雰囲気なんですよ。見上げれば満天の星空で、文字通り「スターダスト・シアター」です。8時に上映開始、10時ちょい前に終わるのですが、そのころには琴座が天頂付近に来て、はくちょう座付近の天の川が綺麗に見えるアングルに入ります。いやー、至福至福。
昨夜上映されたのは『名探偵コナン 〜水平線上の陰謀〜』です。今年はそのほかに、このエリアで撮影された竹内結子の『いま、会いに行きます』とか、『Mr.インクレディブル』など。明日も天気が良ければ行くかも。プログラムとか入場料、場所など詳しい情報は*こちら*
客席にあたる場所は石組みの段になっているだけですが、各段ども芝生のしかれたスペースが十分にあります。我らはござと毛布を持参し、石段によりかかるようにして見物しました。場面が暗くなるところでは星空が広がるんですが、この瞬間が「スターダスト・シアター」をいちばん実感できます。
監督:ピーター・ハイアンズ
出演:ロイ・シャイダー、ジョン・リスゴー、ヘレン・マレン
Laser Discノートリミング版
あの『2001年宇宙の旅』の「続編」ですが、この映画、監督よりも出演者よりも、SFX担当のリチャード・エドランドの名が響いていたような記憶があります。
ウロオボエの記憶ですが、「特殊効果」という言葉が「SFX」に置き換わったのは、『スター・ウォーズ』『未知との遭遇』公開の1977年ぐらいからで、それから『レイダース 失われた聖櫃』(1981年)、『ブレード・ランナー』(1982年)、『ポルター・ガイスト』(1982年)などで一気に注目されるようになったのではなかったか、と。1984年には『2010』以外にも、『ネバーエンディングストーリー』『グレムリン』『ゴースト・バスターズ』なども公開されていますね。で、そのなかでカリスマ的な特撮技術者がリチャード・エドランドとダグラス・トランブルだった、と思います。
80年代前半は、大型テレビ(25〜29インチ)、レーザーディスク、サラウンド・プロセッサ(ドルビー3ch)が普及しだした時期で、それにあわせてSFXを「売り」にした映画がビデオやLDでヒットしましたね。たしかLDなんかのセールでも、「SFXはリチャード・エドランド!」なんて煽りもあったはず。本来、裏方であるはずなのに、このころはすっかりと中心人物になっていましたね。ということは、この時期は映像づくりの一段転機であった、ということなんでしょう。
そういえば、NHKプロデューサの吉成真由美がSIGGRAPHで注目されたのって、このころだったんじゃないのかな。吉成さん、その後はノーベル賞受賞者の利根川進と結婚したけど、当時からCGに興味を持っていた者にとっては、利根川さんの方が「あの吉成真由美のダンナ」という感じでした(笑)。
リチャード・エドランドの手による『2010』のSFX、木星が太陽に変わる場面など、映画館公開当時に見たときにはけっこう興奮したのですが、現代の水準に慣れた目でみると、やはり子供だましに映ってしまう。木星大気圏でのエアブレーキの場面なんかも、ウルトラ・シリーズって感じですし。まあ、技術水準が違うのだから、仕方のないことなんですけど、逆に、数十年たっても色あせない『2001年宇宙の旅』の凄さを再認識させられちゃいますね。
ついでながら、エドランドが手がけたSFX映画でいちばん好きなのは『ポルターガイスト』です。
監督:ジャック・リベット
出演:エマニュエル・ベアール、ジェーン・バーキン、ミシェル・ピコリ
長かった(^_^;)。なにしろ239分ですからねえ。こんなに長い映画を観たのは、『風と共に去りぬ』以来……というか、ほかに4時間クラスの映画って、なにかあったっけ?
カンヌ映画祭に出品された当時、ベアールのヌード場面が話題になりましたね。たしかに後半2時間はほとんど裸です。このときベアールは何歳だったんだろう。いやその、乳の形がすんげぇ良かっただな。正面から見ると、いわゆるロンパリ型の開き乳なんだけど、斜め前方から見た形状が抜群ですね。ツンと尖った感じといい、弾力の良さそうな張り具合といい、ええもん見さしてもらいましたわ。
ストーリーは、あってないようなもの。モデルと画家の「対決」場面ばかりですから。マリアンヌ(ベアール)がどうして突然モデルを引き受ける気になったのか、とか、老画家(ピコリ)がなぜ「美しき諍い女」なら描く気になるのか、とか、なぜかつてそれを断念したのか、とかを描写する場面もなし。
後半は、場面のほとんどがアトリエでの画家とモデルを描くものだったので、舞台を見ているような気分になりますね。
ちょうど半分が過ぎたぐらいで、ちょっと飽きてしまいましたが、一応、最後まで見ることができました。気まぐれで勝ち気なマリアンヌが終盤で文字通り「諍い女」になっていくところは、緊張感がありましたね。
この映画、デッサンを描く場面でスケッチブックがクローズアップされるところが多いのだけど、それをひきかくペンの音が神経質なまでに響きます。画家のしぐさもえらく神経質だし、マリアンヌもしじゅうタバコを吸っている。これらの神経質さが最初はいらだたしかったのだけど、逆に、画家が集中していく展開になると、こちらも知らず知らずのうちに集中させられてしまうので、まあ、一体感を引き出す効果になっているのでしょうかね。
モデルを演じるベアール、気まぐれで、突飛で、ちょっとタカビーで、スタイルがけっこう良くて、挑発的なんですが、これって20代のころの秋吉久美子だよな、なんて思ってしまいました。
昨日、台所の換気扇を回したとたんに、すさまじい羽音の嵐が発生した。網戸ごしに外を見ると、十匹以上の蜂が飛び回っている。どうやら、換気扇のダクトにこさえられた蜂の巣を、換気扇をまわしたときに開閉扉がつついてしまったようだ。いやー、すさまじい騒ぎでした。見た感じ、どうもスズメバチっぽい。ヘタに乱入されようものなら、マジ、命が危ない。とりあえず、開閉扉から侵入できる隙間はないので、換気扇をすぐに閉じ、家中の窓をキッチリと閉めましたがな。網戸だけだと隙間から侵入されるかもしれんので。
すぐに管理センターに電話する。スタッフの話だと、今年の夏は蜂が大発生しているとのこと。とりあえず、駆除業者に依頼してもらうことに。駆除作業は蜂が巣に戻ったあと、つまり、夜におこなうそうだ。ただ、連日あちこちで駆除依頼が入っているので、すぐにできるかどうか、あらためて連絡をくれるとのことだった。
で、今日の朝10時ごろ、管理センターの人が連絡がてら様子を見にきてくれた。台所の網戸から眺めたそのスタッフ、「地バチみたいですね」。ああ、よかった。攻撃的なスズメバチだと、駆除後の逆襲もちょい心配だったのだ。
そして夕方7時ごろ、駆除業者の一行が到着。まずは責任者が巣の位置と蜂の種類・数を確認するために台所に来る。しばし眺めたあと、責任者曰く、「スズメバチですねえ」。
げげ、話が違うぜ。
しかし、業者はじつに手際よく駆除を進めてくれた。宇宙服のような防護服を着込んだ作業スタッフが三人。一人が下から懐中電灯で巣を照らし、一人がハシゴをおさえ、そして一人が巣の駆除作業を実行する。ちなみにここの台所は二階にあり、しかも床の位置をかなり高くしているため、地面から巣の位置までは8メートルぐらいの高さがある。
駆除作業者はまず、でかいポリ袋で巣のあるダクトを半分ほど多い、ついで、発煙筒を巣にぶちこんで一気に蜂を麻痺させる。場所が場所なので、換気扇から煙が部屋に逆流してきた。花火の煙のような臭いであった。煙を焚いてから1、2分ぐらいで巣をかき出してポリ袋に入れ、口をしっかりと締めてから下に落とす。それからダクトのところに薬を噴霧して作業完了。全作業の所要時間は10分足らずであった。
なんでも、今日、この別荘地内だけで5件の駆除依頼があり、ウチが4件目だったそうな。すべてスズメバチだそうだ。
駆除した巣を見せてもらったが、だいたい4歳児の頭ぐらいの大きさであった。スズメバチの巣としては、それほどでかくはない。作り始めから、だいたい一ヶ月ぐらいではないか、とのこと。しかし、ある程度の大きさになってからは一気に蜂の数が増えるので、駆除がもう1週間遅くなっていたら、巣の大きさは4〜5倍になっていただろう、と。
いやー、しかし、怖かった。なにしろメシをつくりに台所に行くたびに、換気扇の向こう側からスズメバチの羽音が大量に聞こえてくるわけだ。ありゃ生理的に良くないっす。
この界隈で多い蜂がらみのトラブルは、雨戸の戸袋に巣を作られたのに気づかず、雨戸を開ける(つまり戸袋にしまう)際に巣を壊してしまい、腕を刺されまくる、というもの。今夏はすごく多いらしい。たしかに別荘地に建物は雨戸を閉めている期間が長いので、巣を作られやすいもんだわな。
いやしかし、「蜂の巣をつついたような」のオリジナル体験ができたのは、ちょっと儲けものっすね。無事だからいえるけど。
昨日の分もついでに。いずれもLaser Disc版です。
『レオン』リュック・ベッソン監督
ジャン・レノ、ゲリー・オールドマン、ナタリー・ポートマン出演
あの「パドメ」のデビュー作ですね。トチ狂った麻薬捜査官に家族を殺された少女(ポートマン)と、隣人にして街の始末屋(レノ)との共同生活と少女の復讐を描いた物語。ポートマンのデビュー作ですが、小悪魔的なませガキぶりが、優等生パドメよりもハマった感じですね。
凄腕の始末屋なのに、毎日かならず牛乳を飲んだりとか、鉢植えの植物をやたらていねいに育てたりとか、タフガイではない雰囲気はいいっすね(笑)。シティ・ハンターの遼ちゃんみたいなもんだな。
ストーリー自体は「ありがち」なもので、展開も予想通りに進みますが、ラストの「マルチナの贈り物」の場面はなかなか。イカれた麻薬捜査官の「Shit !」のセリフが生きてます。
『エレベーターを降りて左』エドアール・モリナロ監督
エマニュエル・ベアール、リシャール・ボーランジェ、ファニー・コタンソン出演
人妻に恋した画家、隣人にして嫉妬狂いの画家、その恋人の「勘違い」の積み重ね……だけのストーリー。よくまあ勘違いネタだけで2時間もの映画にできるもんだわ(笑)。ベアールの「お色気」が売りの映画なんだろうし、まあ、けっこういい感じではあるのですが(笑)、ファニー・コタンソン演じる人妻の方がオレ好みです(笑)。勘違いの積み重ねは、見ていてけっこういらつくのですが(ということは、ストーリー的には成功している、ということ)、最後がそれなりの「一件落着」というのは、フランス映画としてはちょい不満。やっぱりどこか破綻してなきゃね(笑)。
それはビートルズのアルバムであり、高級アンプであった(aの有無の違いはあるが)。
どちらもたしか、アップル@ジョブズがオーディオに進出しないことを条件に、登録商標が通ったんじゃなかったっけ。しかし、いまやオーディオで「マッキントッシュ」といえば、Macintoshだよねえ。かえってMcintoshがパチもんに思えてしまう(^_^;)。
かつては憧れましたよね、マッキントッシュのアンプのあるオーディオ環境に。
今日、二度目の万博見物に行って来ました。結局、日立やトヨタなど人気パビリオンはすべて挫折し、企業パビリオンはガス館のみで、グローバル・コモン巡りが中心となりましたが、それでも十分に楽しかったですよ。まあ、一種のお祭りですからね。不満を言い出したらキリはないんですが、一昨日は10時間、今日は11時間、敷地内にいたわけだけど、時間の無駄という感じはいっさいありませんでしたね。
今日はまず、スコール体験を目当てにシンガポール館に行ったのですが、ここ数年のヒートアイランド現象による局地的豪雨のおかげで、「スコールって、この程度?」ということがわかったのが成果です。シンガポール館のあとは、タイ、ラオス、カンボジア、マレーシアなど東南アジアのパビリオンを巡回しましたが、一昨日のアフリカと違い、物産展に徹していなかったのがちょっと不満です(笑)。んー、それとオレはベトナムのフォーとかラオス料理が好きなので、ちょっと期待していたのだけど、レストラン・スペースが小さすぎてメニュー少なすぎ。フォーは量が少なすぎるのと種類が一つしかなかったのが残念。やっぱもっと物産展に徹してほしかったぞ。
その後、友人たちと合流してシンガポール館2Fで昼食を取り、食事後、整理券をゲットしておいたガス・パビリオンに移動。ここの目玉は炎のマジック・ショーなんだけど、うう、これはお子ちゃま向きですね。4歳ぐらいの幼児は楽しめるでしょうが、大人にとってはややお寒い内容です。帰り際に見たメタン・ハイドレードの燃焼デモのほうがおもしろかったかも(笑)。
ガスのあとは近くの中東系のグローバル・コモンに移動。サウジ館は前国王の追悼があったのか、午後5時まで臨時閉館となっていたので、隣のカタール館から巡回を開始しました。まあ、さすがに金持ちの国とあって物産展モードではなく、民族の日常生活や歴史の紹介が中心でした。
このエリアではインド館がけっこう楽しめる。ええ、2階が物産展モードなんですわ(笑)。1階は休憩所に使えますね。香をたきしめられた暗いエリアに座り込んで、ぼーっとできますので。そこを通過して回廊を使い上の階にあがると、そこはミニ商店街となっているんですねえ。19年前に訪れたオールド・デリーの商店街を思い出しました。掛け値をふっかけてくるところもインドのまんま。ある意味、生のインドを味わえます。
そのあともちょこまかと巡回しましたが、最後の締めは長久手日本館です。結論……70分待ったけど大満足。少なくとも、TDLで「カリブの海賊」に1時間待つよりも価値は大ですね。あの360度画面の迫力はぜひ体験すべし、でしょう。あたしゃー、ジョージ・ルーカスにぜひとも観てほしいと思いました。そうしたらきっと、10年後ぐらいにスター・ウォーズの360度バージョンが出来ることでしょう。オレ、入場料2万円ぐらいなら出してもいいと思うぞ、ホントに実現したら。それぐらい迫力がありますね。
日本館から出てからは友人たちと再合流し、中南米共同館で軽い食事を。はい、ワニサンド、食いました。ワニの肉は15年ぶりぐらいかな。
食後、そのまま帰るつもりだったのですが、なんとなくカナダ館の呼び込みにつられて待ち時間ゼロのカナダ館でラスト見物をしました。まあ、ここも映像を使った日常生活風景の紹介が中心でしたが。
いろいろと思うところもある万博見物でしたが、とりあえず家族で楽しめたのは事実です。こんな地味なテーマでもおもしろいと思えるのだが、万博それ自体にいろいろな集客の仕掛けがある、ということなんですね。
ヤンキースの松井が二試合連続でサヨナラにからんだこともあって、ヤンキース公式ページFan Forumの掲示板で松井賞賛の声が高まっている。なかには「昨夜、松井が他のチームに所属し、ヤンキースと闘っているという悪夢を見た。起きたときにはベッドが汗びっしょりだった」というメッセージを書いた者もいた。そのメッセージに対し、「キャッシュマンは最悪のGMで、ペティットもリーバーも失ったくらいだから、松井だってそうならないとは限らない」と心配する者もいた。
一昨年のヤンキー・スタジアムのデビュー戦でいきなり満塁ホームランを打ち、その後も勝負強さを随所で発揮していることもあり、ヤンキース・ファンは松井にはかなり好意的である。多くのファンが愛称の「Godzilla」とか略称の「Matz」と呼んでいるのだが、最近では「Clutchzilla」という呼び方が目に付くようになった。「clutch(勝負強い)」はもはや松井の代名詞となっているが、それに「Godzilla」が合体したわけである。
こういう選手を巨人は失ったわけだから、いまの体たらくもやむを得ぬところか。まあ、ファンとしても、巨人の4番としてホームランを50本打つよりも、ヤンキースの5番として120打点を挙げるほうが「凄い」と思ってしまいますもんね。記録ではイチローにかなわないが、今年もし松井が100打点(あと19打点)を超えると、デビュー以来三年連続100打点超となるわけで、これはメジャー史上たしか四人目の記録である。三人目に達成したのが、カージナルスのアルバート・プーホールズだから、この記録はものすごい価値がある。
昨日夕方、カミさんの実家に到着し、今日は午前中から愛知万博の見物に行った。
前日、万博マニアの日記を読み返し、一応の作戦を練るものの、どうあがいても人気パビリオンは待たずに入れるはずがないので、とりあえずは瀬戸会場に向かう。ここで瀬戸日本館と愛知館を見物する。瀬戸日本館はすぐに整理券をゲットできたので、適当に時間を潰した後、ほとんど待つことなく入場できた。退出後もすぐに愛知館に入れたので、瀬戸会場ではあまり待つことナシ。
長久手会場にゴンドラで移動後、とりあえずトヨタ館、日立館、三井東芝館の様子を見にいったのだが、すべて当日整理券は完了で、午後5時以降の先着順の回しか入るチャンスはない。まあ、今日は断念しろ、という天の声でるな(笑)。で、ぼちぼち腹が減ったので、トラムに乗ってヨーロッパやアフリカのパビリオンのあるところを目指す。
万博の開始当初、弁当も持ち込めないという声が挙がり、総理の鶴の一声で弁当解禁となったわけだけど、んー、オレの意見としては、こういう万博のいいところは田舎でも世界の珍しい料理を賞味できるところにあるのだから、入場者はできることなら会場内でお金を落とすようにしたほうがいいんじゃないか、と思う。オランダ人じゃあないんだしさ。
で、我らは昼飯をアフリカ共同館のレストランKOKOで取ることにした。とはいえ、このKOKO、ほとんどファーストフードの店構えであった。料理ももうちょっとアフリカ食がほしかったな。牛肉なんて、完全に牛丼状態だし。まあ、一応、ダチョウのステーキとかもあったが、やっぱイモとかクスクスとかがほしい。それと、オレはレバノン風のサンドウィッチが好きなんだが、これもナシ。ギリシャ館周囲にギュロスの店があるかと期待したが、これもナシ。やっぱ弁当を全面的にアウトにして、エスニック系の屋台街でも並べてほしいところである。
さて、本日、いちばん楽しめたのは、前評判がすこぶる悪いアフリカのパビリオンである。どう評判が悪いのかというと、ほとんど物産展状態だ、というのだな。で、実際に行ってみると、徹頭徹尾、物産展状態(笑)。でも、それでいいんじゃないかと思う。ずいぶんと買い物もしてしまった。夏休み明けには、アフリカンなスタイルで出勤するかもしれんぞ(笑)。
アフリカ共同館でもうひとつ楽しめたのは、アフリカだとフランス語圏の国が多いので、スタッフと会話がはずむこと。向こうも英語を使う機会が多いためか、フランス語の使える客が来ると、周囲からヒマをもてあました人が集まってきて、わいわいガヤガヤとなる。そのうちの一人が、我らがパリで住んでいたところの近所の在住であることが判明した。
カメルーンのエリア前に人垣ができているので何かと思ったら、NHKの「英語でしゃべらナイト」のロケのために松本アナが来ていたのであった。なにやらアンケートをしとりましたぜ。
食事後はフランス館とモロッコ館に。モロッコ館も物産展状態だけど、前々からほしかったミント茶用のグラスを買えて満足である(笑)。夕方、めでたく冷凍マンモスを見ることもできました。夕食はトルコ・アイスを売っている店でドネル・ケバブをテイクアウト。ふー、足が棒じゃ。
……というわけで、人気パビリオンのトヨタ館も日立館も入れなかったけど、アフリカンな見物で十分にタンノウできました。
愛・地球博に行き、京都に出張し、原村に滞在し、所用で横浜に行き……と書くと、やたら忙しく感じるかもしれないが、時間の大半を原村で気ままに過ごしたので、かつてないのんびりとした夏休みとなった。もっとも、スズメバチの巣を二度にわたって駆除してもらわねばならなかったりして、それなりのハプニングには見舞われたが、過ぎてしまえばそれもまた由、である。
今年も八ヶ岳自然文化園のスターダスト・シアターに行くことができた。これで通算三回目だ。満天の星空の下での映画見物は、経験してみないと魅力はわからないと思う。大のオトナがドラえもんやら名探偵コナンやらのアニメに見入るわけだが、アニメそのものではなく、星空の下の野外ステージで映画を観るシチュエーションに、オトナたちも魅せられてしまうのである。