「France News Digest」(France News Digest/発行)
江下雅之
日本のいわゆるブルセラ現象は、これまでにも何度かフランスのマスコミが取りあげている。実際のところ、使用済みの下着を嬉々として買う行為は、社会通念からすれば風変わりな趣味である。それが社会現象にでもなっていれば、外国のプレスがわざわざ取材したとて不思議はない。
ブルセラはフェティシズムの一つであるが、このフェティシズム、変な言い方になってしまうが、フランスにもかなり古い歴史がある。「自由人」サドの例はあまりにも有名であるし、かのルソーとて、『告白』のなかで少年期にスパンキング(お尻叩き)に恍惚としたと述べている。セルプリやロイックなど現代の人気BD作家もまた、「お尻フェチ」ともいうべき画風で知られ、日本にもファンが多い。また、インターネットの世界はどの国でもフェティシズムの楽園という側面があるけれども、yahoo.frなどの検索エンジンでフランスのフェティシズム系ホームページを調べてみれば、その百花繚乱とした賑わいぶりを認識できるだろう。ブルセラ趣味の人物がいるぐらいで、フランス人が驚くはずはない。
問題は、フェティッシュな嗜好が個人の趣味でとどまっているのか、それとも社会現象になっているかどうか、であろう。いかほど奇異な趣味を持とうが、それは個人の思想信条の問題であって、そこに盗難とか暴行などが絡まないかぎり、他人の預かり知らぬことである。結局のところ、日本のブルセラ現象なるものは、マスコミが社会現象として演出した幻影という側面が強いのではないか。フランスにも「濃い」世界はいくらでもあるが、特定の嗜好を持つ人の世界は、けっして社会現象とは扱われない。おそらくフランスにもブルセラ「的」な趣味を持つ人はいようが、あくまでもそれは個人の世界であって、メディアが大々的に取りあげるような対象ではない。フランスのメディアが日本のブルセラを報道したのは、それを社会現象のごとく扱ってきた日本のメディアの責任なのではないか。
混雑している電車で誰も老人に席を譲らなかったら、日本的発想からすれば、公衆道徳という視点から議論がおきそうである。また、深夜のマンションでピアノを弾く住民がいて、その音が外に漏れたとしても、同様の問題提起がなされるだろう。そこには個人の行為を社会常識に照らした上で非難する構図を読み取れる。もちろんこれは類型的な見方であるし、例外があることは否定しない。フランスでも同様の現象が発生することもあるだろう。しかし、席を譲る・譲らないといった問題、深夜のピアノ演奏が迷惑かどうかといった問題は、フランスでなら、まずは個人どうしの交渉に委ねられることが多いのではないか。
パリのメトロやバスのなかでは、席を譲ってほしいと要請する高齢者たちを見かけることがある。日本とフランスとを比べ、率先して席を譲る人の数はどちらが多いかは不明だが、譲ってほしいと主張する人の数はフランスの方が多いように思われる。ピアノの問題にしても、即座に演奏している人にクレームをつける人が多いだろう。こうした行動に見いだせる原理は、個人としての要求を当事者に直接ぶつけるという構造である。社会常識が持ち出されるとすれば、当事者間の交渉がもつれた時であろう。
老人に席を譲らない若者とて、疲労困憊しているのかもしれない。夜遅くにピアノを奏でる人にも、その日だけの特殊な事情があるやもしれない。交渉が先に来る構図では、各個人の意向や事情が尊重されやすい。しかしそれは同時に、自分がなにかを求めたいときは、いちいち主張しなくてはならない状況が生じることでもある。はじめに社会常識ありきという構図なら、相手がこちらの事情を斟酌してくれるだろう。斟酌しない人は、社会常識に欠ける者として非難される。似かよった価値観の持ち主どうしの社会では、こちらの構図の方が多くの人には気楽であろうが、支配的価値観からはずれた人は圧迫感を覚えるだろう。その点、はじめに交渉ありきの構図は、「異分子」には風通しのいい社会のはずである。
■多面鏡
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週刊新聞、France News Digest社/発行、1990年創刊
フランス在住の日本人向けに無料配布されている日本語の週刊新聞である。インターネットがまだ普及していなかった時代、OVNI、Jeudi Paris-Tokyoとともに、在フランスの日本人にとって日本のニュースを知るとともに、ヨーロッパのニュースを日本語で知るための貴重な情報源であった。
ニュース以外には個人情報を掲載する欄があり、帰国売り、アパートのバカンス貸し、ベビー・シッター募集などの情報が載っていた。在仏日本人の生活情報誌でもある。
なお、発行は週刊だが、わたしのコラム連載は隔週であった。