「France News Digest」(France News Digest/発行)
江下雅之
日本人旅行者の中には、アラブ系の人が多くいると、何となく不安を抱く人がいるらしい。彼らが睨みつけるから、というのがその理由だが、実際のところ、これは決して人種的な偏見ではなく、アラブ人のコミュニケーション行動の特徴として指摘されることである。日本では、相手を睨むことを「ガンを付ける」と表現することがあるが、少なくとも目線の交錯は好意的なメッセージとは解釈されない。だからこそ、不用意に目をあわせることを避けるわけだが、文化圏によっては、それが逆に敵意を示すメッセージともなりうる。非言語コミュニケーションの中でも、「目」は多くのメッセージを持ち、その意味するところが、文化圏によって異なるから注意が必要なのだ。
コミュニケーション学者のA・マレービアンや行動学者のE・T・ホールの研究が示すところによれば、公共の場で親愛の情を示すとき、アラブ人やフランス人は、相手を見つめあい、身体的な接触にも積極的な傾向が見られるという。日本人の感覚は正反対だ。小津安二郎映画は日本的美意識の粋と言われるが、それを支える表現様式の一つに、目線の避け方があると分析する評論家がいる。日本人の伝統的なコミュニケーション感覚では、公共の場で目をあわせることは避けられる。日本では対人恐怖症の例として、視線恐怖という現象が発生するが、フランスなどではそもそも「対人恐怖」に相当する単語がなく、逆に「誰にも見られないことの恐怖」が存在するという。
相手の目に投げかける視線に関しては、情熱的なラテン系の人よりもアラブ系の人の方が強烈だ。押しの強いアメリカ人でさえ、アラブ人の視線の強さにはたじろぐという。旅行者に視線を投げかけるのは、アラブ人にとっては好奇心の表現にすぎないのかもしれないし、ただ単に公共空間に存在する一人物を眺めているだけなのかもしれない。「目は口ほどにものを言う」とはいえ、その中身を勝手に解釈するのは、異文化圏では誤解のもとなのである。
アメリカの店では客が百ドル札で支払おうとすると、場合によっては拒否されることがあるという。偽札の可能性が高いから、というのが理由だ。フランスでも五百フラン札は、高級ホテルや有名ブティックなどはともかく、小さなカフェやレストランでは歓迎されないことが多いし、タクシーなら拒否される可能性も高い。もちろん、釣りが面倒という事情もあるだろうが、実際のところ高額の紙幣は、あまり信用されないものなのである。日本では一万円札が当然のように使われているが、世界的に見れば、高額紙幣が歓迎されている事態が例外的な現象なのである。
こうした違いの背景には多くの要因があるが、そのなかでも、「売買では何が信用されるのか」という視点が見逃されがちである。フランスの場合、紙幣そのものではなく、客自身の支払能力に信用が置けるのかどうかが問われるのである。そのことは、銀行口座を開設するときの手続が、日本に比べてはるかに煩雑であることが証明している。支払能力とは、口座にきちんと入金できること、でもあるからだ。紙幣という偽造可能な「物」の方が信用できるのか、それとも消費者の支払能力という目には見えない「事」の方が信用できるのか。単純な比較はできないが、少なくともフランスでは、支払能力を重視した制度が築き上げられているのである。
日本でも八〇年代からキャッシュレス社会ということが言われている。しかし、クレジットカードの利用が増えればキャッシュレスになるわけではない。そこには「何を信用するか」という視点の転換が必要なはずである。ここ数年は、インターネットでの電子マネーが世界中で注目されている。米国やフランスなら、個人小切手以来培われてきた個人の信用照会システムを土台にできるが、依然として現金重視が実態の日本では、取引の慣行が劇的に変わりでもしない限り、これもしょせんは一過性の話題で終わってしまうのではないか。
■多面鏡
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週刊新聞、France News Digest社/発行、1990年創刊
フランス在住の日本人向けに無料配布されている日本語の週刊新聞である。インターネットがまだ普及していなかった時代、OVNI、Jeudi Paris-Tokyoとともに、在フランスの日本人にとって日本のニュースを知るとともに、ヨーロッパのニュースを日本語で知るための貴重な情報源であった。
ニュース以外には個人情報を掲載する欄があり、帰国売り、アパートのバカンス貸し、ベビー・シッター募集などの情報が載っていた。在仏日本人の生活情報誌でもある。
なお、発行は週刊だが、わたしのコラム連載は隔週であった。