「France News Digest」(France News Digest/発行)
江下雅之
カルチャー・ショックをもたらす要因の一つに、衛生感覚のズレがある。清潔さを好ましいとする価値観は共通しても、具体的にどういう点の清潔さが重視されるかには異なってくる。フランス人と日本人とが接するとき、お互いに相手の衛生観念の乏しさを嘆く事態も発生する。たとえばフランス人の中には、むき出しのバゲットを車の座席に転がす人がいるが、日本人には抵抗のある光景だろう。トイレで用を足した後で手を洗う人の割合が日本人よりも低いとか、入浴の回数が少ないという意見が在留邦人から聞かれることもある。しかし、週刊誌レクスプレスが九五年に行ったアンケートによれば、フランス人の九割以上はトイ
レを出るときに手を洗い、シャワーの平均使用回数は週五回強である。数字を見る限り、決して「手を洗う人が少ない」とか「入浴回数が少ない」わけではない。そもそもシャワーや入浴の回数ともなれば、当然ながら気候風土の影響も出てくるはずである。
もちろん日本人側の衛生観念についても、評価されることもあれば、非難された時代もある。安土桃山時代に来日した宣教師ルイス・フロイスは、著書『日本史』の中で日本の家屋の清潔さを絶賛したが、三百年後の明治時代に清潔大国のイメージは覆った。日本語のローマ字表記で有名なヘボンは、日本人を「不衛生で不道徳」とまで断じている。当時の日本では、伝染病に対する予防という感覚が一切なかったからだ。清潔に神経質な現代ニッポンの社会とて、フランス人の目から見れば、衛生感覚の欠如と捉えられる現象もあるはずだ。
衛生問題は誰でも気になるテーマであるために、たまたま目にした特殊なケースを一般化して語ってしまいがちである。しかし、衛生感覚のズレは、時には深刻な対立へとつながることがある。衛生感覚も生活習慣の一部である。異なる文化圏の人の日常的な行動に不潔さを感じることがあっても、その背景にどういう社会的関心があるのか、習慣があるのかを見極めないといけない。
日本のマスコミ報道では、東京の物価水準が世界一であることを当然のように書いていることが多い。しかし、実際にフランスに暮らしてみれば、価格破壊が進んだ日本の方が、多くの点で“割安”であることに気づく。たとえばガソリン価格は、レギュラー相当がフランスではリッター六・五フラン前後、一三〇円ほどなのに対し、東京近辺では九〇円前後だ。電話料金もNTTの市内通話はフランステレコムよりも安い。パリのメトロの運賃は随分と安い印象があったが、現在では回数券で一枚あたり五・二フラン、約一一〇円となり、東京の地下鉄やJR初乗り運賃と大差がなくなっている。パソコンやテレビなどの電化製品は、日本が世界一安い。
にもかかわらず、多くの物価比較データは、東京が依然として世界一の水準にあることを示している。その理由の一つは、客観的な物価比較を行うのに、統一的な消費モデルを作らねばならない点にある。このこと自体はデータ処理上当然とはいえ、消費構造というものが、その地域の住民の生活様式に深く関係していることを考えれば、統一的な消費モデルそのものが矛盾をはらむことは明らかだ。フランスで納豆やタクアンを食べようと思ったら、高くつくに決まっている。逆に日本で上等のワインやカマンベール・チーズを日常的に消費すれば、エンゲル係数は相当高くなるだろう。物価比較というものは、全体水準の高低を判断するのではなく、生活様式の違いを読み取れることにこそ大きな意味がある。
日本とフランスとの間でそうした違いを痛感させるのは、旅行に関する物価であろう。とりわけ宿泊施設の利用料金の差は大きい。これもまた、何週間という単位で一ヶ所に滞在することもあるフランス人と、あわただしく一泊か二泊で集中的に金を落とす日本人との違いを反映している側面がある。長引く不況で日本人の労働時間は減少したが、余暇時間もまた減っているという。安くじっくりと遊ぶスタイルが未発達な状態では、バカンス大国化への道はまだ遠そうだ。
■多面鏡
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週刊新聞、France News Digest社/発行、1990年創刊
フランス在住の日本人向けに無料配布されている日本語の週刊新聞である。インターネットがまだ普及していなかった時代、OVNI、Jeudi Paris-Tokyoとともに、在フランスの日本人にとって日本のニュースを知るとともに、ヨーロッパのニュースを日本語で知るための貴重な情報源であった。
ニュース以外には個人情報を掲載する欄があり、帰国売り、アパートのバカンス貸し、ベビー・シッター募集などの情報が載っていた。在仏日本人の生活情報誌でもある。
なお、発行は週刊だが、わたしのコラム連載は隔週であった。