「France News Digest」(France News Digest/発行)
江下雅之
バカンス前は、夏のソルド(バーゲン)の時期でもある。エルメスをはじめとするブランド店の前には、開店前からソルド目当ての客が列をなす。その大半はけっして日本というわけではなく、フランス人のご婦人の姿も多数見かけられる。また、この季節には買い物を目当てにバスで乗りつける中高年のドイツ人観光客も多い。日本人のブランド好きはつとに有名だが、かといってヨーロッパ人がブランドに無関心というわけではない。買い頃の値段になれば、ほしい人はいくらでもいるのだ。こうした点は日本人と大差ない。とはいえ、ヴィトンやグッチのバッグを持ち歩く学生の姿というのは、パリではめったにお目にかかれない。東京とパリの学生を比較したら、外見への投資額は東京の学生の方が多いだろう。フランスのガイドブックには、パリっ子たちは金をかけずにおしゃれを楽しむと書いてあることもあるが、これは好意的な解釈というべきだ。学生たちの姿格好は概して「ダサい」。学生に限らなくても、夏の暑い日など、かなりラフな格好をした老若男女をそこここで見かける。
もちろん、右岸のモンテーニュ通りや左岸のシェルシュミディ通りに行けば、ブランド物を颯爽と着こなす人の密度はすこぶる高い。このあたりはTPOに応じて着こなしを変えるというよりも、金のある人は金があるなりの格好をし、金のない人はないなりの格好をするという社会的な認識が徹底しているのではないか。BCBGはそうした了解のもとでの枠組みといっていい。学生など、金のない身分の代表のようなもの、そんな学生が「ダサい」格好をしているのは当然のことなのだ。こういう発想は階級社会的な考えからくるものだが、階級なき大衆社会のニッポンでは、隣人の持つアイテムが「世間並み」の水準となってしまい、それを維持するためだけにやたらと金が出ていってしまう。その点フランス社会には、いらぬ背伸びをする必要がないという気楽さがある。
行動学の研究によれば、挨拶の原理は「敵意がないのを示すこと」だという。軍隊であれば「捧げ筒」がそうだし、個人間であれば、後頭部の急所を相手にさらすこと(お辞儀)や双方で利き腕を取り合うこと(握手)が、具体的な意思表示として行われる。相撲の土俵入りで掌を上から下に反転させるのも、武器を持っていないことを示す意味があるといわれる。日常的な挨拶の場面で具体的にどの行為を取るかには、文化圏による傾向の違いが見て取れる。一般にラテン民族は、日本人に比べて個人が取る間合いが狭い。日本では会釈や軽く手を振る行為が一般的な挨拶だが、これは握手や抱擁よりも間合いが広い。逆に言えば、個人間の間合いが狭い文化圏では、身体の一部を接触させる挨拶が浸透している。フランスなら男どうしは握手、男女間あるいは女どうしならアンブラセ(抱擁)だ。フランス人以上に間合いが狭いアラブ人の間では、男どうしでも抱擁が行われている。
おなじ抱擁でも、頬を接する回数や時間は文化圏によっても個人によっても微妙に異なる。フランスの場合、パリでは左右に一回ずつ、合計二回というのが最もよく見かけるパターンだ。アンブラセに関するコミュニケーション研究によれば、頬どうしの最初のタッチで「Bonjour,(名前)」、次のタッチで「Ca va bien.」と挨拶するリズムなのだそうだ。これが地方になると、さらに左右にもう一回ずつ、合計四回というパターンが一般的だ。パリのような都会では、挨拶一つにしても、随分とせわしないということだ。アンブラセはおおむね右頬から開始することが多いようだが、こちらは文化的背景によるものではなく、個人の「癖」に属することだ。実際のところ、「利き腕」ならぬ「利き頬」のようなものあるようで、左から始める人が皆無ではない。「利き頬」が一致しないときは、積極的な方が主導権を握る。アンブラセのような日常的行為のなかにも、都会と地方との生活リズムの違いや個人の癖がずいぶん絡み合っているのである。
■多面鏡
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週刊新聞、France News Digest社/発行、1990年創刊
フランス在住の日本人向けに無料配布されている日本語の週刊新聞である。インターネットがまだ普及していなかった時代、OVNI、Jeudi Paris-Tokyoとともに、在フランスの日本人にとって日本のニュースを知るとともに、ヨーロッパのニュースを日本語で知るための貴重な情報源であった。
ニュース以外には個人情報を掲載する欄があり、帰国売り、アパートのバカンス貸し、ベビー・シッター募集などの情報が載っていた。在仏日本人の生活情報誌でもある。
なお、発行は週刊だが、わたしのコラム連載は隔週であった。