「France News Digest」(France News Digest/発行)
江下雅之
東京のサラリーマンは、交際範囲までも会社中心となりがちだが、パリで働く人は、会社の人間関係とプライベートな関係とは別物という意識が一般的であるといわれる。こうした指摘は日本のタテ社会を批判的に語るときに言及されるが、東京とパリとの職住の位置関係にも注目して考えてみるべきであろう。
高度成長期以降の宅地開発の過程で、東京は職住環境の分離が進んだ。千代田区や中央区は住民の「過疎化」が進み、これらの区の小学校は相次いで廃校された。オフィス街はパリ市にも存在するが、職場と住宅地とが物理的に離れている状況は、東京の方が徹底している。パリ郊外に居住しパリに通勤している人は多いが、大東京圏に比較できる規模ではない。
東京にオフィスのある多くのサラリーマンは、近郊都市から一時間前後かけて通勤している。都市社会学者の松本康らのグループの調査によれば、東京近郊に住む都心勤務のサラリーマン男性は、友人の大半が移動時間二時間という広範な地域に分布し、その多くは職場の同僚である。彼ら職場の同僚と職場の近辺で遊ぶしかないのである。郊外の自宅に帰り着く時間は早くても七時ごろ。郊外は都心に比べて遊びのインフラが乏しい。あらためて繁華街まで出たら遊ぶ時間がなくなってしまう。同僚は同僚で家は遠く離れている以上、どうしても退社後の帰宅前にオフィスの近くで一杯、ということになってしまう。その点、オフィスや住居、映画館やレストランなどが渾然一体となったパリは、職場と住居の移動時間が短いうえに、遊びのインフラは職場近辺にも住居の近くにも充実していることになる。別に会社の同僚と帰宅前に一杯やらなくても、遊びの相手や場所の選択肢は豊富なのである。「職」と「住」とが混在しているからこそ、そこに「遊」も混ざりあえるのである。パリもドーナッツ現象が皆無とはいわないし、閑静な住宅地もある。しかし、街のなかに職場や住居が混在することで、交際範囲が大きく広がる可能性がある点を見落とすべきではない。
日本人は屋内で靴を脱いだ生活、フランス人は履いたままの生活、だから靴に対する感覚は違って当然なのだが、そのあまりの差異に愕然とすることがある。実際、フランス映画のなかで、登場人物が靴を履いたままベッドに寝転ったりソファーに寝そべる場面は数えきれないほどある。たとえばジャン・ギャバン主演の「ヘッドライト」では、ギャバン演じるトラック運転手が途中の宿で泥靴のままベッドで仮眠していた。屋内に土足で立ち入るのにも抵抗を感じる人であれば、ベッドにまで汚れた靴を履いたままという感覚は理解できない。
ところがフランス人の中には、逆に「靴を脱いで変な感じがしないのか?」という疑問を日本人に投げかける人がいる。どうやらそのフランス人にとって靴は衣服の一部であり、人前で靴を脱ぐのは恥ずかしいという感覚があるようだ。これが平均的フランス人の感覚なのかは不明だが、年中靴を履いていれば、「靴は衣服の一部」という感覚があったとて不思議はない。冒頭に挙げたベッドの例も、我々には依然として違和感が残るとはいえ、理屈の上では納得できなくはない。
靴イコール衣服の一部となれば、靴下は下着ということになる。長距離電車では靴を脱いでくつろぐ日本人がいる一方、靴のまま座席に足を載せるフランス人を見かけることもある。日本人にとって座席に土足を乗せるなどもってのほかだが、フランス人にとっては公衆の面前で下着を晒すなどとんでもないこと、という反応になるのだろう。女性の前で男が靴を脱ぐというは特殊なメッセージとなりうるだろうし、映画の中にはそう思わせる場面も確かにある。
靴下が下着となれば、それを脱ぐのは部分的とはいえ裸になる行為に他ならない。であれば、砂浜や土の上で裸足になることも、夏の南仏やパリのセーヌ河畔でよく見かけるトップレス姿も、開放的な感覚をもたらす点で同じという可能性がある。しかし我々は、開放感とは関係なく靴を脱いでしまう。そこに深いマナーギャップが生じてしまうことがあるのだ。
引越の煩わしいところは、嫌でもまとまった時間と労力を取られるうえに、高い費用がかかっても、資産を増やすわけでも生活の潤いをもたらすわけでもないことだ。なるべく手間も費用もかけずにやりたいと思うのは当然のことである。これが海外引越となると、どんな手続をすればいいのかもわからない。そもそもどの業者なら信頼が置けるか、費用はどれぐらいかかるのか。日本から渡航するときは日本の業者を利用はできるが、帰国時となると現地の業者を利用せねばならない。もろもろの不安の上に、交渉時のコミュニケーションの不安も重なるものである。そういう下地があってか、日本人の長期滞在者が多いフランスでは、国際引越業務を行っている業者主催の「引越セミナー」が盛んである。日系企業の現地法人が行うこともあれば、日本人スタッフのいるヨーロッパ系企業が開催することもある。日本語新聞などにセミナーの日時や場所がしばしば掲載されるが、たいていは昼食付き、会によってはワインの試飲まである。もちろん参加は無料だ。
先日、日本人スタッフが采配するヨーロッパ系国際引越業者のセミナーに参加してみた。参加してみて、非常に大きな違和感を覚えた。より正確には、参加者たちがセミナーの内容に違和感を覚えていないことが、私にはすこぶる意外だったのである。
セミナーが開催された場所は、日系航空会社のオフィスにある会議室だった。狭いスペースには三十人分ほどの椅子が用意され、開始予定時間頃には満席となった。参加者の大半は「駐在員の妻たち」といった雰囲気の人たちだったが、バカンス期間中でもない平日の午前十時という日時を考えれば当然のことだろう。私以外の男性は留学生風の者が二人、サラリーマン風が一人やや年配の方が一人であった。参加者は二つある横長のテーブルを囲むように座り、各人に資料とメモ用紙、筆記道具が配られていた。資料の内訳は、業者の会社案内、日本での提携先業者の概要、引越保険の案内、通関申告書の見本、免税品店からの案内など。分量はかなりある。正面のテーブルには業者の代表者とこの日の司会役を務める社員、日系航空会社の人、免税店のスタッフが並んでいた。
予定時刻よりも若干遅れてセミナーは始まった。まずは型どおり、司会役から正面に並ぶ人たちの簡単な紹介があった。続いて引越業者のプレゼンテーション・ビデオが十五分ほど映し出される。内容はヨーロッパに本社を置く同社の活動を紹介するものだ。ここまでは前置きで、ビデオが終わると業者の日本人代表者より、国際引越業務の基本的な流れが説明された。約一時間ほどのその説明、話は明確でわかりやすかったといっていい。電話で連絡をすれば、最初から日本人スタッフが対応に出る。見積は代表者が必ず行い、引越当日にも日本人スタッフが立ち会ってくれる。警察への道路専有の届け出から駐車場の確保、さらには帰国売りの家具の配送までも引き受けてくれるという。当然ながら引越保険もかけてくれるのだから、この業者に依頼すれば、自分からはほとんど何もしなくても海外引越ができてしまう。業者との連絡さえもすべて日本語で行えるのだから、至れり尽くせりといっていい。
電話一本で依頼すれば後はお任せ、ということはわかった。ではそのお値段はいかほどかと思ったところ、説明内容は引越免税へと移った。細かな契約条件は最後にするのかな、と思いながら聞いていたが、引越免税手続の説明の後を引き継いだのは、今度は航空会社の担当者。続いて免税業者のスタッフからお買い得品についての説明があった。帰国前に買い物をすれば荷物が増えるだけだが、滞在中でないと買えないもの、海外にいるからこそ安くかえる品々もあるだろう。そういう需要を考えれば、免税業者が引越業者のセミナーに関わっていたとて不思議はない。
さて、時間はいつのまにか正午を過ぎ、マイクは引越業者の代表者氏に戻った。これからようやく契約に関する細かな話を聞けるのかと思ったら、説明はそこで終わり、質問の時間となった。これでは積算根拠について質問の嵐になるだろうなと思ったところ、私の斜め前に座っていた女性が即座に手を挙げた。がしかし、彼女の質問は引越免税の細かな手続に関すること。もちろん誰が何を質問しようと自由だが、彼女に続いて質問した人もまた、免税についての確認だった。他に挙手した人はいない。誰も費用には関心がないのか?
前二人に続き、今度は私が質問した。もちろん内容は積算根拠についてである。基本料金表はないのか、モデル料金のようなデータはないのか、かなり細かな点までも相当しつこく尋ねたが、結果的に満足できる情報は一つも得られなかった。それどころか業者側からは、費用に関する質問が出るとは思わなかったという話が出たくらいである。たしかに周囲の参加者の気配をうかがうと、誰も積算根拠を知りたがっている様子はない。私の質問に業者が満足のいく回答をしなかったのは、業者の手落ちや準備不足ではなく、むしろ私の側が場違いなことを聞いてしまったような雰囲気だったのである。
この種のセミナーの主対象は、おそらく家族ともども滞在している企業駐在員であろう。一件あたりの引越費用もかなりの額になるはずだ。でなければ、食事やらワインの試飲までも付いた無料セミナーなど開催できまい。駐在員の引越であれば、費用は会社が負担してくれる。だからセミナーで細かな料金帯系を説明しても意味がない、それは業者と会社の経理部との問題だ、という発想につながったのかもしれない。その点では、引越業者の姿勢には一応の一貫性があると認めてもいい。とはいえ、最終的に誰が費用を負担するにしても、どういう根拠で費用が算出されるのかを事前に把握しておくことは、引越当事者の義務ではないのか。コストの発生源をきっちり把握できるのは、引越の当事者である業者と自分たちだけである。セミナー担当者は、複数の業者から相見積を取った上で依頼先を決めればいいと語った。しかし、具体的な契約条件がわからなければ、細かな比較などやりようがない。引越のように多く作業が混在するサービスなら、利用者はなおさら積算基準を知りたくなるものではないのか。セミナー参加者たちは、単に面倒な手続をせず発注できることがわかりさえすればよかったのか。
一切合切をお任せできるブラック・ボックス化されたサービスは、依頼する方にしてみたらお気楽きわまりない。しかしコスト意識を持つ者であれば、そこに透明性を求めるのが道理である。企業は損をしてまで商売はしない。どういうサービスが受けられるかを知ることは、何にいくらかかるかを知ることでもあるはずだ。サービスを直接利用する者がそういう点に無関心であるというのは、あまりにも当事者意識が希薄すぎやしないか。ヨーロッパ社会は自己責任の原則が貫かれている、とはよく言われることだ。しかもそれは、日本社会が学ぶべき点として語られることが多い。一度のセミナー体験から過剰に一般化する愚は避けねばならないが、少なくとも契約の最も重要な項目を把握しようとしない参加者の姿勢に、自己責任の原則を見出すことはできない。
※ この原稿のみ、英国ニュース・ダイジェスト紙に掲載
■多面鏡
|
週刊新聞、France News Digest社/発行、1990年創刊
フランス在住の日本人向けに無料配布されている日本語の週刊新聞である。インターネットがまだ普及していなかった時代、OVNI、Jeudi Paris-Tokyoとともに、在フランスの日本人にとって日本のニュースを知るとともに、ヨーロッパのニュースを日本語で知るための貴重な情報源であった。
ニュース以外には個人情報を掲載する欄があり、帰国売り、アパートのバカンス貸し、ベビー・シッター募集などの情報が載っていた。在仏日本人の生活情報誌でもある。
なお、発行は週刊だが、わたしのコラム連載は隔週であった。