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92年6月の日記は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。
当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。
航空券も手配し、VISAもおり、当面の宿も確保し、後は出発を待つだけとなりました。おっと、その前に仕事を片付けておかないと蹴りが飛んできそうだ。
ところで、皆さんはヨーロッパを旅行されるとき、宿はどうされてますか?
あたしは出張の時は「どーせ会社の金だ!」と開き直って、米国資本のチェーンホテルを予約します。プライベートの時は、一転して料金優先ですが(何とセコイこと....)。
ドイツ国内はたいてい駅前の「i」を利用して、適当な所を探します。どっかしら空室はあるし、安宿でも清潔なので、宿探しは極めて楽なような気がします。
しかし、パリ市内などは結構苦労してしまいます。旅行社が手配するところはやたら高いし、「地球の歩き方」に載っている所とは手紙のやりとりが結構面倒だし、かといって、飛び込みではやや不安が残るし....。今は幸い「定宿」ができ、ファックスで簡単に手配できるようになったので不自由は減りましたが。
料金とファックス番号入りのホテルリストさえ揃っていれば、と痛感する今日此頃であります。
フランス国内へのパソコン持ち込みについて、事情をご存じの方がいらっしゃれば教えてください。
ものの本によると、フランスは現在外国からのパソコン持ち込みにことのほか神経質で、留学生による個人利用の場合でも、購入した際の領収証がいるとか、6ヶ月以前の購入でないとだめだとかいったことが書いてありました。
まあ、税関なんてほとんどの場合素通りなので、これが事実でも引っかかる可能性は低いと思うのですが。出張でノートPCを持って行ったときは全然呼びとめられもしなかったのですが、実際のところどうなのでしょう?
今月の渡仏当たり、いろいろエアラインを探してみました。
結論から言うと、価格、所要時間のいづれとも大韓航空(KE)がベストのようですね。私が頼んだチケットは、1年オープンの往復で16.3万円でした(FIXならもっと安い)。因みに同じ条件で、キャセイ(CX)の香港経由が20万、全日空(NH)、えあふら(AF)が23.8万円でした。話題のAOMは35日FIXのみの12万円です。
南周りではタイ航空(TG)やシンガポール航空(SQ)も安いと言われていますが、KEの方が最近は安いみたいですね。フィリピン航空(PR)はKEより安いらしいですが。
所要時間は直交便12時間(往き。以下同)に対し、KEはソウル経由、ソウル−パリ間直行で合計16.5時間です。CXの香港経由が19.5時間、SQのシンガポール経由が合計24時間ですから、KEがいかに短時間(!)でパリに到着することか。AOMは15時間弱ですね。KEは同じ日の内に到着でき、CXやSQは翌朝着になります。
上記料金はピーク期前のいわゆる格安航空券(?)の一部です。従って、時期によって値段は違いますし、また、パッケージツアーでこれより安い価格設定がされているものもあるでしょう。これらはある程度の目処にすぎません。
1ウェイでは今のところAOMが一番安そうですが、往復ではKEの魅力大ですね。尤も、このテのつてを多々有する同僚の話では、「限界まで安くしたいなら、パキ(PK)かバングラ、欧州系がいいならオリンピアが狙い目、でも無難な線ではやっぱコリアンだな」とのことです。
到着時間の問題はある。空港で取れるホテルは高いところが多い。あたしは夕刻着の便の場合は事前に1〜2泊分、ホテルの予約を取っておきます。最近はファックスがフランスでも普及しており、2ツ星クラスでもファックスで簡単に予約が取れます。サンミッシェル〜オデオン近辺で、現在バス、トイレ付きのツインで350FFくらいですから、まあ許容範囲内でしょう。
最近は、CXもSQもあまり引かなくなったようですね。あたしは個人的には、SQが大好きで、西海岸やオーストラリアもSQを利用しました。まあ、これは深い意味があってのことではありませんが(笑)。人気が高まるのも嬉しいけど、高くなってきたのは悔しいですね。
6月23日に渡仏しようと思い、即AOMのチケットを取ろうとしたのですが、6月中は全て一杯というつれないRES。1円でも節約したい私、コリアンかCX、さてはSQ、TGにすがるしかないのだろうか....業界通の友人は、「バングラ航空なら5〜6万で調達してやるぞ!」というのだが……。
一般個人がパソコンを使ったコミュニケーションを楽しもうと思ったら、この時代、まだパソコン通信しかなかった。もちろんインターネットはすでに存在していたが、それは一部の研究者が利用する公的なネットワークにすぎず、商用サービスは(少なくとも日本では)始まっていなかったのだ。パソコン通信にしたところで、けっして誰もが手軽に楽しめる、という状況ではなかった。通信に必要なモデムは高価で、しかも2400bpsのスピードしかなかった。この時期、電子メールを使っているといっても、ほとんどの人には「?」だったのである。
1992年当時の国内最大手のパソコン通信事業者はNIFTY-Serveであった。会員数ではNECのPC-VANがうわまわっていたが、サービスの充実ぶり、積極的な利用者数はNIFTY-Serveがうわまわっていたと考えられる。わたしは当初、米国のCompuServeを利用したいと思い、会社に申請してアカウントを申し込んだ。そのときの代理店がニフティ社であり、CompuServeのIDのオマケとしてNIFTY-ServeのIDも付いてきたのである。しかし、あくまでも利用目的はCompuServeを利用してオンライン・データベースにアクセスすることだった。たしか1988年のことだったと記憶している。
その後、1991年ごろから仕事の合間にNIFTY-Serveのいくつかの「フォーラム」を覗くようになった。フォーラムとは、一つのテーマに沿って設定された電子会議室の集合のようなものである。91年の時点でNIFTY-Serveの会員数は100万人程度、参加者の多いフォーラムの電子会議室では、かなり活発なコミュニケーションがかわされ、いわゆる「オフ」もしばしば開催されていた。
わたしが最初に参加したのは「コミック・フォーラム」であった。1991年の年末、フランスの大学院への登録許可が降り、翌92年の夏からパリで暮らすことが決定してからは、フランスやフランス語の情報を収集するため、当時の「外国語フォーラム」に参加するようになったのである。
いまでは考えられないことだが、91〜92年当時は国際データ通信への規制は厳しく、海外からNIFTY-Serveにアクセスするのは相当困難なことだった。しかし、当時の外国語フォーラムのメンバーの一人より、Tymepassという国際データ通信サービス事業者が「実験的」にフランスを含む海外からNIFTY-Serveなどに接続するサービスを行っていることを教えてもらった。そのおかげで、わたしはパリで暮らすようになってからも、日本の人たちと交流を続けることができたのである。
(2006.2.27記)