21世紀の日記
20世紀の日記

*この日記について

93年1月の日記は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。
当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。


1993年1月29日 ニュータウン

 セルジーのニュータウンは小生が現在通っている学校の所在地であります。RER A3線の Cergy Prefecture で下車致します。終点 Cergy St.Christopheは本当になにもない街ですが、巨大な学生専用ステュディオがあるので、そこだけはひときわ賑やかです。
 RER A線はChatelet-Les Halles、Charle de Gaule-Etoile、Auber-Opera、Nation、La Defance等で乗車できるため、メトロとの接続がすこぶる良い。ただし、La Defance から先が3方向に分れているため、Cergy St.Christophe行きであることを要確認。通常30分間隔、ラッシュ時10分間隔。ほぼ横須賀線と同じ頻度であります。
 他の有名なニュータウンとして、Evryなんてのもございます。これは旧SF1に出てきたので、ちょうどそのころ仕事でフランスに来たとき、思わず見に行ってしまいました。行方はGare de LyonからSNCF近郊線。

1993年1月29日 Oui

 実はちょっとカマ*トぶった感じの女性教授達も、息を吸いながら「Oui 」と言っていたやうな気がします。Marie-Pierreも時々そうする。
 あと、パリの女の子がちょっと気取って喋るときのイントネーションっちゅうのもありまして、マルセーユ出身のThomas COINTOTがしばしばわざとらしく真似して周囲の笑を買っています。さすがにそれをここで説明するのは困難でありますので、オフにてご紹介しませう。
 だいーぶ前の話だけれど、「フランス語なんてブタのくしゃみぢゃないか」と主張していた教師が私の高校にいた。

1993年1月26日 comprendreとentendre

 Communication ecrite の教師曰く、「comprendreは左脳、entendreは右脳」だとか。本当だろうか? 実は私も「entendre」とは聞いて理解、という程度に思っておりました。

1993年1月25日 Adiue My Fair Lady(再)

 ヘップバーンの魅力は、老け役でも醸し出される可愛らしさだと私も思う。非常に汚い表現で恐縮なのですが、私は彼女がウ*コをしている場面を想像できない。一種の妖精的な魅力を感じたのだと思います。(この辺はサユリストに通じるものがあるかもしれない)スピルバーグの映画で随分と糖の立った妖精を演じていましたね。
 思えば年齢に関係なく可愛らしさを維持するなんて、一種の天才かもしれませんね。バーグマンや、あるいはモローの齡それぞれの時期に現われる魅力を理想としています。若いときは若さ故の魅力、年輪を重ねてからはそれに応じた渋さ、ちょうど世阿弥の「風姿花伝」の世界ですね。ところがヘップバーンには「可愛らしさ」という普遍的な魅力が最後まであったような気がするのです。
 頭の中で「シャレード」を奏でつつ....。

1993年1月25日 savoir と connaitre

 実例としてどういう差が生じるか? 昨日たまたまCOINTOT に指摘された例でなかなか興味深いものがあったので、やや古いネタではありあすがアップします。
 ある料理を前にして。

(1)Je ne sais pas cette cuisine.
(2)Je ne connais pas cette cuisine.

(1)だと「この料理の作り方を知らない」という意味になる由。単に料理の名前を知らないのであれば、(2)の表現となる。だから、(1)の表現の背後には「Je n'ai pas encore appris...」というニュアンスがあるのだ、と。

1993年1月23日 懐かしきシャレード

 昨日、何気なくテレビをつけたらF2で「シャレード」を放送していました。私、カトリーヌ・ドヌーブに劣らずオードリ・ヘップバーンが好きなので、思わず最後まで見てしまいました。
 この映画、舞台はパリであります。途中に見覚えのあるメトロの駅が出てきたり、今も変わらぬ切手の市が登場したりするので、何となく楽しい気分になってしまいました。


 最近はすっかりと3月の国民議会の選挙が話題に上りつつあります。各種世論調査はおしなべて保守派の圧勝を示しており(例えばフィガロの調査によれば、社会党は現議席270から80 くらいまで大幅に後退し、保守派が400議席以上を占める可能性がある由です)、コアビタシオン(嫁姑同居政権)再現が確実視されています。
 そうなると誰が首相に就任するか?シラク元首相は就任を引き受ける意志はないと表明しています。TV報道などでは、ジスカール・デスタン元大統領が就任するのでは、との観測が出ております。

1993年1月23日 Adieu My Fair Lady

 オードリ・ヘップバーンって、亡くなられたのですね。しばし黙祷。
 実は昨夜「シャレード」の話題をアップした後Figaroをパラパラと眺めていたら、「Adieu "My Fair Lady"」というタイトルで半面さいた追悼記事が掲載されていました。63才ですか....。まだまだなのに。
 小生、特に「ティファニーで朝食を」のヘップバーンが大好きでありまして、5th Av. のティファニーの前に始めて言った時は、自然と「ムーンリバー」が頭の中に流れて来ました。「シャレード」もパリを舞台にした映画だったし、「おしゃれ泥棒」もそうでしたね。ううん、また悲しくなってきた。

1993年1月22日 Massa dit quelque chose...

 Marie-Pは現在日本語の勉強をしておりまして、私が「日本語には女言葉といふのがあって、丁寧な表現として男女共通で使うこともできるけど、男が使うと場合によってはヲカマだと思われることがある。」と言ったら、「フランス語でもそうよ。」とのことでした。機会があったら具体例を聞いてみましょう。
 やはり今日のMarie-Pierreとの会話で生じたOui-Non関連現象。
 Massa : ..., c'est pas suffisant!
 Marie : Oui, c'est insuffisant.
 一瞬、意表をつかれた感じがしてしまいました。

1993年1月21日 Lexique de telematique

 今回は完璧に「をたくバージョン」となってしまいました。技術的にもサービス分野でもかなり専門的な領域まで含まれています。フランス語に対応させている内容は日英ごっちゃです。このレベルになると英語をそのまま日本語化させている例が多いので、なるべく併記するようにしました。

francais日本での用語


Reseau Telephonique Commute (RTC)電話回線
reseau numeriqueデジタル通信網
Reseau Numerique a l'integrationISDN
du Service (RNIS)(サービス統合デジタル通信網)
RNIS bande-etroite (RNIS-BE)狭帯域ISDN(N-ISDN)
RNIS large-bande (RNIS-LB)広帯域ISDN(B-ISDN)
exploitant telecomcommon carrier(第1種に相当)
systeme de communication par satelliteVery Small Apperture Terminal(VSAT)
dereglementationデレギュレーション(規制緩和)
la fible optique jusqu'au domicileFTTH(Fiber To The Home)
alphapageページングシステム(ポケベル)
commutateur de paquetsパケット交換機
auto-commutateur priveP(A)BX(構内交換機)
classe de debits通信速度
Transmission Temporelle AsynchroneATM(非同期転送モード)
libre appel ("numero vert")フリーダイアル("0120")
numero universelユニバーサル番号サービス
reseau prive virtuel閉域接続
refuse d'appels selectif着信スクリーニング

(注)フランスにおけるISDNは「Numeris 」と呼ばれています。これはあくまでフランステレコム提供のサービス名で、RNISは一般呼称です。日本では一般呼称がISDN、サービスとしてはNTTのINS64/1500 が相当します。

1993年1月19日 パリの色

 私のイメージ、実は灰色がかった白ってイメージなんです。白っぽい灰色と言うべきか。これはユトリロの絵に引きずられたためかもしれません。結果的に町田さんのイメージに近いかもしれない。
 初めてパリを訪れたのは仕事のためだったのですが、少ない自由時間、とにかくユトリロが描いた街を見たかった。だから2度3度とモンマルトルに行きました。観光化されたとはいえ、そこには確かにユトリロのイメージが残されており、未だにその印象を引きずっております。時期は5月という最高の季節で、他にも様々な印象を持ったはずなのですが、実はパリの次の訪問地がニューヨークで、パンナムビルを見た瞬間に他の印象が消し飛んでしまったようです。そんなわけで、パリに居住するに至った今に至るまで、パリの事をイメージするとどうしても灰白色のベールがかかったようになるのです。
 住んでみるとパリの色よりパリの匂い(臭い)というものが意識されるようになっただに思ふ。オレンジ色の夜という言葉を見て新宿をイメージする私はまぎれもない俗物であらう。
 HITOTAさん、パリを訪れて帰郷したような心地好さを感じる人は案外多いようですね。私は雑踏育ちで所謂「故郷」を持たないので完全には理解できないかもしれませんが、何となく「昔と変わらぬものへの哀愁」なのかな、なんて勝手に想像しております。と当時に、私は変わらぬものの倦怠感も感じてしまうのです。時を楽しみながら暮らすにはパリはやはりはまり役だと思うし、仕事を思うと東京やニューヨークのダイナミズムがたまらなく懐かしくなります。

1993年1月19日 屋根上散歩

 夏の間レ・アールの屋根裏部屋に住んでいたころ、向かいのアパートの屋根の上を散歩している連中を時々見かけたことがあります。
 パリの地下ツアー(下水道めぐり)はオルセー美術館の近くで行われているそうです。いつか行ってみやうと思っておりますゆえ、いずれレポートしたいと思います。

1993年1月18日 映画の古典とは?

 古典といふからには時間を越えた輝きを持つものでありましょう。ショーペンハウアー曰く、「ベストセラーは流れ星。世間があれは何だ、と思っているうちに消えてしまう。流行の作品は惑星。しばしば他の星を圧して輝くが、所詮まがいもので、太陽が消えればそれも消える。古典とは恒星。その輝きは永遠である。」と。
 技法的なものに古典の要素を求めるのは、基本的に無理のある考えかただと思う。また、歴史的あるいは記念碑的作品と古典とは厳密に分ける必要があると思う。技法のみに注目するのなら、それはやはり記念碑的と呼ぶべきでしょう。かつてサイレントからトーキに移ったとき、トーキによる最初のミュージカル映画が確かアカデミー賞を受賞しておりましたが、それもエポックメイキングな技法の賜物でありましょう。
 ところで、私は結構SFが好きなのですが、11才の時にエドモンド・ハミルトン「時果つるところ」を読んだ感動が未だに忘れられません。現在に至るまで年に1度は読み返しており、既に30回以上読んでいるというのにその都度新たな感動があります。映画でも本でも人それぞれにその人の古典があると言ってよいでしょう。

1993年1月18日 地下室の陰気さ

 我がアパートにも地下にカーブがありまして、私も1区画貸して貰っています。パリのアパルトマンのカーブはトリュフォの「終電車」にも出てくるように、ナチ占領下ではユダヤ人をかくまうために使われていたところも多かったとか。私の所のカーブも「終電車」に出てくるのと同じくむき出しの石ブロックで囲まれ、随所に誇りがうず高く積もり、ドアも無造作な木戸であります。暫くはがらくたすらも置く気になれませんでした。こんな所で毎日死の恐怖に脅えながら隠れ住むなんてことは、まず普通の人にはできないでしょう。私なら多分3日ともたないと思う。
 なお、カーブには何代か前の住人が放置したマットレスがあるので、ご宿泊をご希望される方には場を提供しますぞ。

1993年1月17日 わさび初体験

 日本語のスピーチコンテストなどに行ったものだから、どうしても日本食を食いたくなってしまった。ならばとばかり、例のごとく6区の「やまに」に向かった。
 度々紹介した通り、この店は6区のアパート街の中にあるため日本人観光客は極めて少なく、今日もほぼ満員を占めていた客の構成は半分がフランス人、そして残りが観光客にはちと見えない日本人であった。ご主人が北海道出身ということもあってジンギスカン鍋がメニューにあるため、それをつっ突くグループが2、3あった。
 我々の隣にはフランス人家族であった。大人達はジンギスカン鍋を頼み、1人いた子供は刺身を注文したようである。鍋が来ると彼らはまず食べ方を店員に教えて貰っていた。その間、子供は一人で無造作につかんだ箸を使ったり、あるいは時々手掴みで生魚と格闘していた。
 数分後、子供が突然奇声を発して飛び上がり、そのまま店の中を走りまわりはじめた。ところがテーブルの大人たちは大爆笑である。何があったのかと覗き込んだら、どうやらわさびを刺身の一種と勘違いして、まともに一塊食ってしまったようである。
 状況が周囲に伝わりだすと、まわりもつられて爆笑を始めた。少年はようやく席に戻って水とコーラを交互に飲んでいた。

1993年1月17日 日本語スピーチコンテスト

 なるものに行ってきました。主催はInternational Businesse Communications Council というところ、他に日本大使館、朝日新聞、フランス教育省等が後援しています。内容は、1:日本語スピーチ、2:日本に関する作文、3:日本をテーマにしたスピーチの3部です。2は高校生、3はグランゼコールの学生が行い、1のみが日本語、2、3はフランス語で行われました。
 第1部のスピーチのテーマは次の通り(順序は発言順)。

  • L'ecole au Japon
  • Rencontre a Amakusa
  • Le Japon tel qu'il apparait par le language
  • Redecouverte du Japon a travers la Grece
  • Le Japon et moi
  • La cuisine japonaise et moi
  • Le bouddhisme japonais et moi
  • Ma perception des religions chez les japonais
  • Probleme de communication entre la France et le Japon
  • Technologies de pointe : l'enfer ou la cordialite entre les hommes

 この部はさすがにINALCOの学生が大半を占めておりました。私が会場に着いた時には既に6、イタリア系フランス人女性による日本料理とイタリア料理との共通点に関するスピーチでした。日本語のレベルとしては、まあスピーチをするくらいですから皆当然それなりのレベル、特に7の発表をしたMagnani 君は発音といい、イントネーションといい、かなりネイティブに近いものがありました。ただ、全体的に間の取り方がいまいち、ただ、これは話す経験不足によるものでしょう。
 第2部は最終選考で選ばれた上位3人の発表でした。予めテーマが3つ与えられ、各テーマのトップによるコンテストという形でした。テーマは日本社会、日本経済、日本語・日本文学です。まあ、私はこう思う、というのではなく、こういう事実がある、ということをまとめたという内容でした。
 第3部は日本の企業行動を勉強したり、日本での企業研修経験のあるGE学生によるスピーチで、ここにはそれなりの主張がありました。ただ、個人的にはそれほど目新しい視点は感じられず、皆それなりの視点でそれなりに主張しているなという感想を持ちました。
 テーマは次の通りです(発表順)。括弧内は私のコメントです。

  • Sanitaires(風呂やトイレの違いについて)
  • Trois angles de vue(四国での生活体験)
  • Decouverte du Japon(三島文学、日本庭園、日本映画について)
  • Soleil Levant(日本の生活様式、日本の企業行動の特徴)
  • RAN ou l'adaptation japonaise d'un drame occidental(黒沢映画を題材に日本人の生活様式について)
  • Notation du temps su Japon(分刻みのサラリーマン生活、無常感など日本に様々な時間観念が混在することについて)
  • La double vie du Japon(サラリーマンの就業時間とアフター5)
  • L'image du Japon en France(メディアを通じて得られているイメージ)
  • Societe-Environnement, recherche de plus d'harmonie(企業における集団主義の特徴など)
  • Hiroshima, mon amour(これはさっぱりわからんかった)

 個人的には6がなかなか面白い視点から捉えているな、と感じました。それ以外は概ねジャーナリズムの平均的視点を要約したものの様な内容だと思いました。最後の10は詩の朗読のようなトーンで、私には何を主張したかったのかさっぱりわからんかった。

1993年1月15日 交通整理中に

 信号の止まった交差点での行動...
 同じラテン民族のフランス人の行動から類推するに、イタリア人なら完全に麻痺状態の交差点で運転手がてんでに降りてきて、早速口喧嘩をおっぱじめるのではないか、などと考えてしまった。
 先月見かけた別の風景。サン・ミッシェル広場前の交差点にて。
 おまわりさんが道の真ん中で交通整理をしておりました。信号はちゃんと作動しておりました、念のため。赤信号待ちしていた車の最前列の1台から、運転手が突然降りて交差点を斜につっきり、そのおまわりさんに近付きました。一体どうしたのかな、と思ったら何やら道を尋ねている様子。おまわりさんも交通整理を中断して、かの運転手に身振り手振りを交えて教えておりました。その途中、信号が代わったので、運転手はあわてて....いゑいゑ、結構悠然と車に戻っておりました。おまわりさんも思い出したやうに交通整理を再開していたりしたし。

1993年1月15日 デギュスタシオン

 デギュスタシオンを食せるやうなレストランとは縁のない生活をしているものですから(専ら1食12Fの学食専門です)、正確な量は分かりませぬ。ただ、伝え聞いた話によれば、ズボンやスカートは若干弛めの方が好ましいとのことですよ。量に関してはイタリアの方が凄いようですね。友人が皆、スパゲティが前菜だというのが良く分かったと入っておりました。
 パリで中華料理ばかりといふのは案外正解だと思いますよ。特に13区中華街なら圧倒的なコストパフォーマンスですね。因みに適当な値段でしかもギャルソンが結構英語を話すレストランは、レ・アール/ポンピドー近辺に多数あります。
 パリのレストラン情報をついでに一つ。
 クレープのいい店はモンパルナス近辺に多数あります。メトロ4番Vavinからモンパルナス通りをタワー方面に100mほど下りまして、通りの左側に入ったブロックに店が集中しています。ブルターニュ出身の女性に連れてきてもらいました。「豚のモツのクレープ」なんてキワモノもございます。1皿20から35FFくらいです。

1993年1月14日 けふの一日:3題

朝...
 交差点の信号は相変らず作動していなかった。これで3日連続である。幸いお巡りさんが交通整理をしていたので、車の流れは平常通りであるが、歩行者は命懸けの横断である。といっても、いつも信号など皆無視しているから、これも平常通りといへば平常通りであった。

昼...
 最近PowerBookをノート代わりに使っている。今日は朝から夜までの授業だったので、予備バッテリーを2本持参した。これだけあるとさすがに重い。このPB、故障のため11月にマザーボードを交換したのだが、それ以来えらくシステムが不安定で困る。特に休止状態のHDが再起動する際に爆弾がよく出てくる。今日も一通り入力が終わり、今のうちに保存しようと思った瞬間やられてしまった。思わず「Merde!!」を発した。日頃から「フランスにハイテクはない」と馬鹿にしているものだから、ここぞとばかり「ハイテクに頼るからそうなるんだ。紙と鉛筆を使え!」と言われてしまった。
 注1:「爆弾が出る」=システムエラーが生じたこと。画面に爆弾が出てくる
 のでかやふに表現する。通常リスタートを強いられる。Mac用語。

夜...
 交差点の信号はついに丸3日作動しなかったことになる。夜8時、お巡りさんの姿はなかった。交差点は完璧に4つ巴の凄まじい絡みあいとクラクションの嵐である。信号も交通整理もないとどうなるか、という貴重な実例を見させてもらったわけである。
 アパートの門をくぐっていつものごとく郵便物を取ろうとした。ところが、どこか違う。よくよく見たら、鍵を突っ込むべき鍵穴が丸ごと消失し、本当の穴と化していた。当然、鍵などなしで明けることができる。管理人は不在であった。中に郵便物が詰まっていたので、ひょっとして管理人が気をきかせて鍵をはずしたのだらうか?

1993年1月14日 デギュスタシオン

 レストランでデギュスタシオンと言えば、本来一皿単位で注文しなければならない単品料理(ア・ラ・カルト)を少しずつ、そして一通り全て味わうことのできるコース(のようなもの)です。有名なレストランでは大抵このデギュスタシオンが供されている由で、あれこれ迷うよりこれを頼むのが一番てっとり早くてしかも充実しているそうです(以上、「美味しんぼ」より )。完全に懐石料理感覚ですね。
 冬のパリのレストランといえば「Fruits de mer」でございますが、これにもデギュスタシオンがございます。何種類かの牡蛎だの海老だの蟹だのの盛りあわせで、通常のレストランで1人前150Fくらいでしょうか。たいていこれに応じたワインのリストがメニューの裏などに付いております。
「味見、賞味」という意味では、たまに市場のおじさんが「Degustation gratuite !」と叫んでいるのを見かけることがあります。「味見は只だよ!」ですね。ちなみに「いらっしゃい、いらっしゃい!」は
 Allons-y! Allons-y!
 Allez, allez!!(イントネーションは「あれあーれー!」)
ですから、感覚的には逆の感じですね。

1993年1月14日 かえって危ない?

 私もサインは漢字を崩したものを使っています。理由は、未だに安定したローマ字サインができないからです。まあ、漢字のサインも一応それなりにデザインして練習しましたが。
 漢字のサインは案外危険です。私が以前聞いた話では、中国人や日本人のバイトを雇ってサインの偽造を行っていたケースもあったとか。こうなると、ただでさえローマ字圏の人は違いが分からないのですから、完全にお手上げですね。
 トラベラーズチェックは要注意です。通常の両替所はパスポートのチェックもしているので一応2重チェックが効いていますが、アメックスのパリオフィスは目の前でTCをサインするだけです。これって、もしTCを落として拾った人が悪意の日本人だったりしたら、どうしようもありませんね。
 何にせよ、漢字でサインする時も、相当気合いを入れて崩す必要があるのではないかと思います。そうなると、ローマ字だろうが何だろうが関係なかったりして。
 宛名が漢字だけの郵便物がちゃんと届きます。郵便受けには当然ローマ字しか表示していないので、これはミステリーよ言うべきか、PTT の職人意識と評価すべきか...。

1993年1月13日 Je suis Monsieur ***

 私の乏しい経験では、ですが、ごく一般の自己紹介で「Je suis Monsieur ***」はないと思いますよ。少なくともあたしは唯の一度も経験ありません。むろん、友人以外に会社の重役、研究所の所長、大学の教授等々を含めてのことですが。
 ただし、ある状況によってはそうするケースがあるようです。

(1)Docteur XXX
 ヨーロッパはアメリカや日本より「博士」のご威光が強いので、「Je suisDocteur ***.」というケースはありました。

(2)呼び出しに応えるとき
 これはヴォワ=エクスプレスの例と同じだと思いますが、アナウンスで呼び出しがあって出頭した時は「Je suis Monsieur ***」とする例もあるようですね。私は2度ほどロワシーで目撃しました。

(3)電話口で
 こちらから「Monsieur ***, SVP?」と依頼したとき、相手が等の本人だと「Je suis Monsieur ***」と応えるケースもあるようです。今の大家さんに電話した時がそうでした。

 以上、全て私の僅かな経験によるものですので、あとはいとうさん、たかのさんはじめ経験豊富な方々のコメントに頼りたいと思います。まあ、先方から「Monsieur *** ?」と問われない限り、自ら進んで「Monsieur」を付けることはないのではないかな、と思います。
 学校では、教授間、教授とベテラン秘書間は皆「tu」でございます。さすがに生徒が「tu」で呼びかけることはありませんが、時々生徒を「tu」で呼ぶ教授もおります。

1993年1月12日 信号の停電なんて...

 朝、メトロの駅までにある唯一の信号を横断しようとしたら、全く点っていなかった。それも歩行者用だけでなく、車の方もである。おまわりさんの姿もないし、一体どうするのだろうと思いながら横断した。
 夜、駅から帰ってくると、未だに信号は点っていなかった。車の方も同様であった。この交差点、変形5叉路だから、昼間はさぞやクラクションの嵐であったろうと、まるで他人事のように(事実そうだが)思ってしまった。

1993年1月11日 初対面の自己紹介

 私の場合、友人間だと握手しつつ(女性であればちゅっ!(*^_^*))
 私 :Masa
 相手:****
 で終わりです。ちゃんとした自己紹介の時は、
 Je m'appelle ESHITA, Masayuki ESHITA. Et on m'appelle Masa (Massa).
 としております。なんちゅうか、現在周辺はほとんど年下で、名字を呼び捨てにされる方が何となく抵抗を感じるんです。Masaだとあだ名みたいなものなので、かえって抵抗がない。完全に個人的な理由です。フランス人の間でもMasaは覚え易いし発音し易いというので、結構重宝しています。

1993年1月11日 パリの中華料理屋さん

 最近の中華街(13区トルビアック)は確かにベトナム系が激増しておりますね。純然たる中華料理店は確かに少なく、大抵は「Restaurant chinois」の後に「et Vietnamien」が続いています。
 ベトナム系の味付けだと、多分はっかくだの香のついたものを多用しているのではないかと思います。だから四川とも広東とも違った風味を感じるのではないかと思います。確かにギョーザではなく春巻の世界ですね。チャーシュはかなり甘口といふ感じがします。だから、広東飯も私にはいまいちピリっとした感じがなかった。

1993年1月10日 冬のミニスカートって...

 寒くないのでしょうか? ここ2、3日こそ暖かいといふものの、この時期パリは最高気温がマイナスでも全然おかしくないはず。なのに結構ミニスカートで闊歩してらっしゃる女性が案外多い。むろん、ストッキングをきっちりはいていらっしゃるのだが、果たして冷たくないのだらうか? 小生、実は学生時代、コンパにて短パンに網タイツといふ姿でローラースケートはいて騒ぎまくったことがあるため、あのてのものが案外暖かいといふことは十分に知っているつもりである。しかし、20度以上の室内と氷点下の屋外とでは自ずと事情も違うってぇものです。まあ、個人的にはパリでミニスカート姿が見られるというのは、憂鬱な冬のささやかな「華」ではあると思うのでありますが...。

1993年1月10日 国籍といへば...

 カミさんの滞在許可申請の際、ふむといふ経験がありました。警察に電話をして諸手続きを質問したのですが、まず最初に「あなたの国籍は?」と問われた。「日本人です」と応えると、即座に「それでは奥さんの国籍は?」と問い返してきた。
 自分が日本人であると応えた時点で、不覚にもカミさんも日本人であるとのデフォルト値が設定されてしまったため、相手の問い返しに一瞬返答を躊躇してしまった。考えてみれば、パリなら旦那とカミさんの国籍が違うことなど当たり前、当方が完全にうかつであったわけであります。
 フランスでは現在政治亡命以外の永住を認めていないので、事実上フランス人=フランス国籍保有者。ただし、フランスで生まれれば両親の国籍に関係なくフランス国籍を有する権利が生ずるはず。その点、確かに日本は至極閉鎖的であり、1985年の国籍法改正でようやく母親が日本人なら日本国籍を取得できるようになったそうです。まさしく日本は「日本人の日本人による日本人のための国」であるわけです。まあ「国際化」という意味でこれは多くの批判を招くようでありますが、外国で暮らしてみると、むしろその恩恵の大きさに目が行ってしまうのも事実でしょうか。

1993年1月10日 フランスのフランス料理

 昔一度だけミシュランの星の冠せられたレストランで夕食を取ったことがあります。たまたま接待を受けた時の事で、店の名前すら覚えていない。ただ、明確に記憶しているのは、とにかくしょっぱかったといふことです。
 うまい、というのを認めるに吝かでないのですが、とにかくしょっぱくって前菜ですら平らげることができなかった。ソースも妙にこってりとしていて、一口−登録完了−食べてはミネラルウォータを一飲みしてしまいました。そんな調子だったので、本菜が終わることには、私だけで水3瓶飲んでしまい、むしろそれで満腹してしまった感がある。
 デザートのチーズもかなり強烈なものに見舞われました。確かブルーチーズの類だったと思うのですが、なにしろこれも猛烈なしょっぱさ。最後まで塩味で辟易としたといったところです。
 同じフランス料理でもヌーベル・キュイジーヌは相当趣が違うと言いますが、そちらは全く経験なし。まあ、トラッドの世界で比較するならば、味のしつこさが日本のフランス料理と相当違うのではないでせうか?思うに、このレストランの味が典型的フランス料理のパターンであるなら、そのままでは絶対に平均的日本人の好みに合わないというような気がするのです。因みに私は干物と大根、キムチに米の飯があれば満足といふ味オンチであります。

1993年1月10日 Couscous fete a Paris

 様々な国籍の学生が集まると、各国の料理でパーティが楽しめる。年末は中国人学生が広東料理を振る舞ってくれ、今日はモロッコ人学生主催のクスクス・パーティがあった。明日は拙主催のすしパーティである。
 このモロッコ人学生、料理が好きとあって今日のクスクスも絶品であった。大皿に盛って皆でつっつきあうといふアラブ風の趣で、一同しばし会話を途絶えさせてスプーンを黙々と運んだほどである。アルジェリア人学生にモロッコのクスクスとアルジェリアのクスクスの違いを尋ねたが、彼女曰く、「年配の人は全く別物だというが、あたしにゃわかんない」とのことであった。
 宴半ば、モロッコ人学生がトリュフォの映画の中で日本語のメッセージが出てくるので、その意味を教えてくれと尋ねてきた。早速ビデオを再生して見せてくれたのだが、そのメッセージがこともあろうに「勝手にしやがれ」であった。まあ、これ自体は「laissez faire」とか「Comme tu veux」といった意味だと伝えたが、ゴダールの映画のタイトルがこのやうに訳されていると付け足した。ただ、フランス語のタイトルをど忘れしてしまったため、いまいちウケがなかった。
「勝手にしやがれ」の原題は何でしたっけ?

1993年1月10日 文化的寛容性

 侵略を度々受けた群小国の人達は、違う文化を寛容に受け入れるというよりも、受け入れざるを得なかったというむしろ悲しい歴史があるように思うのです。ついでながら、バイリンガルの国や民族を我々は羨みがちであるが、国際関係論の立場から見ると、それらの国は常にパワーポリティクスに翻弄された歴史を持つ。我々はむしろバイリンガルでないことを幸せに思っても良い位なのです。むろん、これは一側面からの見方でありますが。
 自立可能な経済規模を擁する国は、多かれ少なかれ閉鎖的側面というか唯我独尊的傾向があるのも事実でしょう。日本もその例外でない。「自立」という点で際だっているのがアメリカとフランス、日本は歴史的には特定の国に極度に依存する時期と閉鎖の時期を交互に持ち、依存している国の文化には寛容どころか無節操なまでに受け入れる傾向がある。以上の点は印象だけでなく、経済現象がかなり裏付けております。
 この視点から興味深いのがECの動き。さしものフランスもこと技術や経済では自信がゆらいでいる。人口数千万という規模では今の技術の領域をカバーしきれないし、市場としてもスケールメリットを得られる規模ではない。だからECという規模で自立を目指そうとするわけでしょう。ところが生活面ではむしろ細かいレベルでの民族自立の傾向が高まっておりますから、国家の概念をどう再構築するかが問われるわけです。
 思うに、私が結構フランス語を続けているのも、一部フランス人の唯我独尊を嘲笑するためかもしれない。また、歴史や文化に対する興味も、結局は文化的アイデンティティを求める行動だと思うのです。自文化に対する誇りがなければ自文化を尊重する気持ちも生まれない、しからば異文化を尊重する精神も生まれないのではないか、と。私はフランスに来て結構アラブ系の友人が多いのですが、彼らはやはり自国の文化に誇りを持たない人間は信用できないと言っていた。まあ、少ないサンプルでありますが。歴史学者はアラブ人は異文化に対し極めて寛容な民族だと認めておりますが、その背景も彼らが自分達の文化に誇りを持つが故でありましょう。
 アメリカ人とフランス人の中心意識は微妙に異なるのではないかと思う。まあ、私の交友範囲も限られているわけですが、フランス人は結構異文化の歴史的背景なり価値を認め、その上で「でも1番はフランスだね、フフン」とう感じだと思うのです。だから、「おかしい」と感じても、まあそれが世の中だと認め、否定はしない。その点アメリカ人は「アメリカは1番だ! 何で皆アメリカみたいにしないの?」。フランス人の方が擦れていて、アメリカ人の方が良く言えば真摯、悪く言えば地五郎のおせっかいという感じでは? アメリカのかような側面に対する批判は、アラブ人と話をすると出てくるわ出てくるわ。何にせよ、盲目的愛国者が徹底した唯我独尊であることは、全くもって万国共通でありましょうが。

1993年1月10日 ヌーベルキュイジーヌで出た話題

 そかそか、「しょっぱい」って東京地方の方言でしたね。そういえば、私のカミさんも「しょっぱい」とか「しゃっこい」が始めのうち分からなかっと言っていた。
 昨日のクスクスパーティでたまたまヌーベルキュイジーヌの話題が出てきました。アルジェリア人ズビダの経験です。
 ある日彼女がとあるレストランに夕食を招かれたところ、本菜で出てきたのは皿の真ん中に玉葱がポツン。その周囲に小さな肉片がいくつかあって、それらに3色のきれいな色のソースがかかっていたそうです。
 彼女、思わず「何これ?!」と尋ねてしまったとか。なにしろ彼女は常日頃多皿に山盛りの料理を皆でつっ突き合いながら食するという、アラブ風の食生活に慣れ親しんでいるのです。応えはむろん、「玉葱です」というのはご愛嬌。せっかくのディナーの後、彼女はサンドウィッチ屋に飛び込んだとか。
 それを聞いていた一同、「どうしてデギュスタシオンを注文せんかった?」。ズズ曰く、「メニューが少なかったから、デギュスタシオンに仕様がなかったのよ」。始めてのヌーベルキュイジーヌの感想は、「奇麗でおいしかったけど、私には哀しい料理だった」とのことでありました。

1993年1月10日 SOLDEでの買いだめ2

 先週辺りから妙にドイツ人が多くなったと思ったら、彼らも買い出しなのださふです。毎年恒例の現象とか。少なくとも3ヶ日明けは、あの(!)オペラ座界隈でさえ日本人よりドイツ人の方が多かったし、あの(!!)モンマルトルでさえ、アメリカ人並みの群れがあったやうに思う。
 因みに、わたしは今回が最後のボーナスでの買い物でした。

1993年1月9日 SOLDEでの買いだめ

 クリスマスデコレーションがすっかり姿を消して、代わりに街を彩っているのは「Solde」とか「liquidation」の札である。12月、1月はセールの季節と言われているが、今週に入ってから一斉に「Solde」という感じが強い。
 今日は一人2,500Fの予算で「買い出し」に出かけた。目指したのは一番コストパフォーマンスの良いぶてぃっく・チェーン(?)と言われているCELIO である。ここはMarie-PierreやThomasもしきりに勧めてくれた店である。パリ市内だけでも何箇所かにあるが、モノが一番ありそうなLes Hallesに行ってみた。
 実際、本当に安かった。私が買ったのはコーデュロイのズボン2本、ウールのセータ1枚であるが、これでトータル547F、約123,00円である。
 ついでにANDRE という安い靴屋チェーンでスウェードの靴を一足買った。私は以前からスウェード靴のファンで、日本にいるときも淡路町の平和堂でいつも気にいったものを買っていたが、ANDRE で似た靴があったので思わず買ってしまった。これも245F、約5500円である。日本では通常9000円くらいだし、しかもイタリー製だったので妙に得をした気分になったしまった。
 ここまでで買いたいと思ったものはあらかた買ったのだが、実にまだ予算の半分にも満たない。これはまだ革のブルゾンかパーカーを買えるな、と思っていた矢先に、Oliver Grantという英国調紳士服店のショーウィンドゥになかなかのパーカーが1,800FでSolde されていた。元値が4,500Fとなっていたように、かなりchicな感じであった。ううむ、といふ感じで店の中を覗き込んでいるうち、ここぞとばかり
 店員:Est-ce que je peux vous aider, Monsieur?
 と声をかけられてしまった。どうしやうかな、と思っているうち、思わず
 私 :Ouais...je peux essayer ce par-kar la?
 と応えてしまったから、後は敵のペースといふ訳ではないが、既に完全に買う気になってしまった。確かにモノはすこぶる良かったのだが、始めに試着したサイズが何とXXL 、店員は少し(!)大きめだがおかしくないといふ。それより小さいサイズはショーウィンドゥにあったXLのみとのことで、それも試着したが、ポケットに手を入れた時、腕を伸ばしても先まで届かないときている。それでも店員はしきりに勧めるし、カミさんもなかなかに良ひのでは、と云ふので結局、je prendsとあいなってしまった。
 というわけで、ズボン2本、セータ1枚、靴1足、パーカー1枚でトータル2,592Fであった。少々予算超過はしたものの、Solde 期間外の価格で換算すると6,000Fである。亭主満足、今から夏のSoldeが心待ちである。

1993年1月7日 新年の誓い

 今日聞いたところによりますと、フランスでも新年の誓いは存在するそうですよ。英語と同じ「resolution」を使うそうで、
 bonne resolutionと言うのださふです。結構、禁煙の誓いを立てる人が多いとか。でも、達成率が低いというのは C'est la vie.でせうね。
 そういえば、今日の授業の教授は実にブルターニュの近くに住んでいて、パリまでTGVで1時間半、パリからセルジーまで1時間、徒歩を入れて合計片道3時間かけて通っているそうです。むろん毎日ではありませんが。帰りにみんなが、
 Bon retour!と言っておりましたから、何でもbon をつけりゃあいいのかな、何て思ってしまう。

1993年1月5日 Lexique de telematique

 Lexique d'Informatiqueの番外編です。因みに、Ethernetは「えてるねっと」と発音されるので、なんだかすぐに情報が蒸発してしまいそうな錯覚に陥ってしまいます。

francaisjaponais


reseaux publics公衆通信網
reseaux a valeur ajoutee付加価値通信網(VAN)
reseaux generauxWAN
anneau a jetonトークンリング
bus a jetonトークンバス
norme internationale国際標準
le modele de reference OSIOSI参照モデル
la couche physique物理層
la couche liaison de donnees データリンク層
la couche reseauネットワーク層
la couche transportトランスポート層
la couche sessionセッション層
la couche presentationプレゼンテーション層
la couche applicationアプリケーション層

 注:フランスの主な標準化機関は次の通り。フランス語では公的規格を意味する場合は「normalisation」を用いるそうです。単に「standard 」と言った場合は「業界標準」、英語で「de fanto standard 」と言っている内容も含まれてしまうそうです。
 AFNOR : Association Francaise de Normalisation
 UTE : Union Technique de l'Electricite

1993年1月6日 日本文化の話になると...

 私もフランスで生活するに当たって、当然日本のことをあれこれ聞かれるのではないかと予想しましたし、実際そうでした。今までのところよく質問される内容は、多分大方の予想通りであると思うのですが、経済、技術、歴史、宗教・哲学などです。日本の政治については殆ど話題に上ったことがない。
 経済、技術はさておき、歴史の話題などは、フランスやヨーロッパの重要エポックの時、日本はどうであったか、といった話題は結構受けます。ローマ帝国時代、シャルル・マーニュの時代、百年戦争の頃、大革命当時などなど。後は天皇家の歴史なども日本独自のものなので、結構話のタネになります。今上天皇が第何代かご存じですか?
 宗教・哲学について、フランスは世界の中でも東洋思想の研究に熱心な国です。そのせいか、仏教や禅、それに老荘思想などに関連した話題が、インテリ層と言われる人との会話ではよく出てきます。学生でも割と感心の深い人が多いようです。
 何にせよ、フランス人は日本を「文化のある国」と見てくれているようなので、この類のネタはあるにこしたことはない。個人的には、この辺の認識がフランス人の対米感情と対日感情の違いではないかと思っています。

1993年1月3日 たそがれ時、パート2

 ふっと思い至って、夕方モンマルトルまで行ってみた。今日はこの冬一番のとやらで、最高気温がマイナス3度、最低気温が同8度である由、ほぼ札幌並みであらうか。道は部分的に凍結していた。
 サクレクール寺院に着いたのはちょうど日没時であった。パリの街はすっかり薄もやで覆われていた。朝一番の中央本線で勝沼トンネルを抜けた後の、甲府盆地のやうな雰囲気であった。遠くのモンパルナスタワーやエッフェル塔が、まるで立ち枯れした木が沼に付き刺さっているやうな風情であった。赤黒い太陽はちょうどエッフェル塔の右脇に沈もうとしていた。この界隈に溢れている米国人観光客が盛んに「beautiful!」を連発していた。
 寺院の左側からモンマルトル広場に向かった。半月がドームの上に姿を現していた。今日はさすがに日本人旅行者は少なく、米国人以外にはドイツ人の姿が目立っていた。私が「今日は埼玉国民が多いやうだね」と言ふと、ドイツ贔屓のカミさんは嫌そうな顔をしていた。(注:ある人曰く、「ドイツはヨーロッパの埼玉だ」)
 日がくれると相当寒さがこたえてくる。早々に丘を下ることにした。ピガール広場に出た頃にはすでにたそがれ時も終わり、すっかり夜の空となっていた。ただ、さすがにピガール界隈はまさに「パリの歌舞伎町」と言われるだけの賑わいで、アベックが連れ立ってセックスショップに入って行く光景など、いかにもパリらしさがこもっていた。男女数人のグループが「Peep Show 」の看板がかかるストリップ劇場に入って行く所なども、何らいやらしさがなかった。
 ムーランルージュからトリニティ教会に下った。実は一本並行して走る道は例の女性達が商売されている所である。今日は寒かったので、そちらの方に迂回せず、まっすぐギャラリー・ラファイエットに向かった。松坂屋の看板の手前で、路上、お札を財布にしまっている東洋人女性のグループがいた。数瞬後、耳に入ってきた彼女達の会話はやはり日本語であった。こういう事は危険だから絶対に注意すべきである。尤もかやうな人々がいないと、泥棒も商売上がったりであらう。

1993年1月3日 Lexique d'Informatique E-F

 元旦といへば、横浜の実家の近くにある洲崎神社で初詣というのが毎年の恒例であった。場所は横浜駅から京浜急行の各駅停車で一駅川崎寄りに進み、そこから宮前商店街を下ったところである。因みにこの商店街通りは旧東海道。駅の近くにある寺は、明治維新当時にフランス領事館のあったところでもある。反対側の台町の坂を昇った所は広重の東海道五十三次にも描かれた神奈川の宿で、浮世絵の左隅に描かれていた田中屋といふ旅館は今も営業している。という話とは全く関係なく、情報処理用語「E-F」をお届けします。

anglaisfrancais


echo checkcontrole par echo
edit (to)mettre en forme, etc
editorprogramme destine a editer
eight bit byteoctet
eject (to)s'ecouler
emitteremetteur
encodercodeur
end of area flagdrapeau fin de zone
end of filefin de fichier
engineertechnicien
error ratefrequence d'erreur
even numbernombre pair
even parity checkcontrole par parite
feedalimentation
feedbackretour d'information, etc
feedercable d'alimentation
fetch (to)aller chercher
fieldchamp, zone
field serviceservice d'entretien en clientele
filefichier, dossier
file (to)classer, cataloguer, etc
file reelbobine fichier
finderdetecteur
fitmontage, ajustage
fixed lenght record systemsysteme d'enregistrement a longueur fixe
fixed point representationrepresentation en virgule fixe
floationflottant
floating pointvirgule flottante
floppy diskdisquette, etc
flow chartorganigramme
fontpolice
foreground processingtraitement de front
format (to)mettre en pase, etc
formfeedalimentation en papier
framebati, cadre, colonne
free formatprecadrage
full sizegrandeur nature
fuzzyflou

1993年1月1日 8時間遅れで新年を迎えました

 京子食品で買った年越しそばを食してから、Marie-Pierre宅にて新年を迎えることとなった。
 年が変わると同時にシャンペンを明け、まず乾杯である。「Bonne annee 」とか「Meilleurs voeux pour la nouvelle annee」等と月並みの音頭に混じって、「新年おめでたう」とか「新年好」も唱和。外ではクラクションを鳴らしまくる車、クラッカーを鳴らす通行者、そしてベランダから「Bonne annee!」と絶叫するおっさん達など様々であった。
 年末年始にかけて、TF1で「クレイジーホース」の生中継があった。M-P.らと共にしばしTVでライブショーの観賞である。クレイジーホースのライブと言へば、当然スッポンポン。あそこの毛までTVに映してしまうおおらかさにしばし感動してしまった。
 で、新年早々宿題を一つやって参りました。
(1)..., qui se voit par la fenetre.
(2)..., qui se voit de la fenetre.
(3)..., qu'on voit par la fenetre.
 まず、3つの表現ともに全くおかしくはなく、ごく普通の表現として使えるのではないかとのことです。ただ、「par la fenetre」というとかなり積極的な行動を想起してしまう由で、「voir」程度であれば、むしろ「de la fenetre 」の方がより自然であろう、窓から身を乗り出して見るのなら兎も角、開いている窓から眺める程度なら、といふわけです。
 また、再帰代名詞で表現するか、人を主語に立てるかは、前後の文章での文体に依存するとのことで、どちらも抵抗はない。ただし、一般に会話で使うなら、「on voit 」の方がより自然であろうとのことです。
 総合的に判断すると、一般会話で一番自然と思われる表現は、
 ..., qu'on voit de la fenetre.
 といふことでありました。再帰代名詞下での「par la fenetre」については、「se voir」=「etre vu」と自動的に解されるので、特におかしいといふ感覚はないさうです。すなわち、「qui se voit 」と表現される場合、「qui 」は感覚的に能動態の目的語として解されるらしいので、そのため視線移動の違和感がないのださうです。
 以上、一フランス人の意見です。念のため。

1993年1月1日 本年も宜しくお願いします

 先ほど年明けRTを脱出し、このメッセージを書いています。
 みなさま、明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。町田さん、上西園さん、会議室泣かせかも知れませんが、今年も宜しくお願いします。昨年と変わらぬご活躍をされんことをお祈り申し上げます。
 ところで、春先にフランス旅行を計画されている方、歓迎並びに迎撃体制を整えてお待ちしますゆえ、是非ご一報下され。私は2月または3月に一時帰国するかもしれません。


 金星といへば普通は「ヴィーナスVenus」。ところが「暁の明星」と表現すると確か「堕天使ルシフェル」(=サタン。サンミッシェル広場で大天使長ミカエルに踏み潰されているあれです)を示したと思う。ただ、拙の辞書には「vesper」なる語も「ルシフェル」に関する語も発見できなかったので、この辺りの関係を調べることができなかった。
 パリで高い所といへば...
 モンマルトルの丘(特にサクレクール寺院の上)、凱旋門の上、エッフェル塔、モンパルナスタワーなどでせうか。新しい所ではデファンスの新凱旋門がなかなか。そして意外と「高い」のがポンピドーセンターなど。
 地上からの高さから言えば、エッフェル塔が一番高いと思いますが。ただし、見晴らしの良さで言えば凱旋門かな?ロハで見渡せるという点ではサクレクール寺院の前、ってとこでしょうか。


 昔、「The Book of List」なる本がありました。日本語訳もあって、タイトルは「ブックオブリスト:世界なんでもランキング」。タイトルからもお分かりの通り、何でもかんでもランキングをつけてしまえ、といふいかにもアメリカ人の好きそうな内容であります。中には「梅毒を患った有名人トップ10」なんてのもあった。
 この中で、「響きの美しい英語トップ10」なるものもあったに記憶している。確か、チャイムなんてのがあったと思う。日本語版の欄外注には、「日本語では「みぎわ」や「しおさい」などが美しい響きと云々」と書いてあった。
 フランス語にもそういうのがあるのでせうか?個人的好みで言えば、chの音がえらく美しく感じるし、さりげないc音やp音もナカナカ良い。だから、あたしも「crepsucule、いいですね。」に一票。
 尤も、こんな質問をSLに出そうものなら、即座に
「フランス語の響きは全て美しい。10だけ選ぶなど不可能である。」という反応が予想されますね。


Copyright(C) Masayuki ESHITA

NIFTY-Serve時代その6

長期滞在開始後、最初の元旦は学校の同級生宅で迎えた。日本と違い、ヨーロッパでは元旦も祝日のひとつにすぎず、大晦日は平日なら店も平常営業、1月2日も同様なので、年末年始を休み慣れた日本人には、ちょっと違和感を覚えるところだ。ただ、新年を迎える瞬間はヨーロッパの人たちも盛大に祝う。巴里の住宅地でも、年越しの瞬間はあちこちでシャンパンの栓を抜いたり、窓を開け放って「おめでとう!」と絶叫する人もいる。
日本の大晦日の恒例TV番組がNHKの紅白歌合戦なら、フランスはキャバレー・クレイジーホースのヌードショーである。この番組を、友人Marie-Pierreの自宅でのんびり見ていた。彼女の家には剽軽者のThomasやモロッコ人Abdelたちも招かれていた。つくづく級友に恵まれたと思ったものである。


じつは、巴里で新年を迎える8時間前に、もうひとつの年越しを経験していた。NIFTY-Serveにアクセスし、いくつかのフォーラムでチャットに参加していたのである。とりわけコミック・フォーラムは日頃からチャット参加者が多く、このときはピーク時に90人以上が「雑談」を繰り広げていた。新年の瞬間には、チャット参加者をリストアップするという「記念撮影」も行われた。
この日わたしは、コミック・フォーラムと外国語フォーラムのチャット・ルームとを何度も行き来した。他の人たちも似たようなもので、ルームを退出するとき、たいていの人は「ちょっと年始まわりに行ってきます」といったメッセージを残していった。チャットとはいっても、感覚的には宴席をハシゴするような気分が味わえたのである。
この年のことだったかどうかは失念したが、ある時、フランス、ドイツ、アメリカのメンバーがチャットで偶然居合わせたことがある。インターネットが普及した現在、こういうことはめずらしくもないが、1993年というインターネット普及以前の時代に、日本というローカルな地域の事業にすぎないNIFTY-Serveに世界各地の人間が「集まる」という現象は、ネットワークがもたらす不思議な感覚を実感させたものである。
(2006.3.1記)