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94年1月の日記は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラムロマンス語派館」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。
当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。
マダガスカル近海のなまこが最近乱獲で数が減っている、というルポルタージュをF3でやっていた。取ったなまこは干物にして中国、韓国、日本に輸出されるのだそうだ。
このルポは海に関する何かの特集だった。たまたまテレビをつけたとき、日本の捕鯨をかなり長いこと紹介していた。批判も肯定もなく、ただこれが長年の伝統文化なのだ、という視点でとらえていたのが印象的だった。
「講師」「助手」に相当するのは、
enseignant
chercheur-enseignant
でしょうね。これが「講師」「助手」ぴったしの訳というわけではないんだけど、制度上、該当するのはこれでないかなぁ。
大学に貼ってあった公募広告によると、these を取り立てのひとを対象にしていたのが「chercheur-enseignant」であった。まあ、ほぼ助手と講師の中間という感じだと思うけど。「assistant」 だと事務系職員を指すような気もする。ちょっと自信ないけど、「秘書見習い」とか。
ESSEC でも「professeur adjoint」は使っていますよ。「Monsieur le professeur」もよく使いますね。気をつけなければいけないのは、偉い教授だと理事を兼ねていることがあるから、「Monsieur de direc-teur」としなきゃならんときも多い。
はい、○○科教官室です | Le bureau de XXX, bonjour. |
N助教授はいらっしゃいますか | Le professeur N, SVP. |
少々お待ち下さい | Ne quittez pas. |
現在席をはずしておりますが、10分後には戻ると思います | Il(Elle) n'est pas la. Il(Elle) va revenir dans 10 minutes. |
失礼ですがどちら様ですか | C'est de la part de qui? |
××出版社のものですが、また折り返しお電話します/伝言おねがいします | Ici,c'est X. Je vais rappeler un peu plus tard./Vous pouvez laisser mon message? |
「Ne quittez pas」はきまり文句ですね。
最後は「Vous pouvez transmettre mon message a ***?」でもいい。「もう一度かけて」は「Essayez encore une fois dansquelques heurs/apres-midi/etc.」なんてのもある。
「暫く席をはずしている」なら「Il(Elle) n'est pas la pour le moment.」でも大丈夫。これは当分いないの意味にもなるし。で、いつ何時に戻るか聞かれたら、「Je ne sais pas.」 って無情に言っちゃう。ただ、その場合には一応「Je vais laisser votre message?」と聞いてあげませう。
Sorbonne か Pantheon で授業がある日はいつも Mouffetardを通っていくんだけど、確かにそそられるようになるね、食欲を。いつだったか、クリスマス前だったと思うけど、キジ、ウサギだけじゃなくって、鹿がそのままぼてって置いてあったことがある。さすがにちょっと驚いたな。あと、猪が後ろ足を大股びらきの格好でショーウィンドウに釣り下げられたりしてね。
何度か調査でフランスを訪れたこともありますが、一応名刺交換はやりましたね。ただ、こちらが渡したから向こうも、という雰囲気もあった。日本のように挨拶代わりの名刺交換という習慣はないような気がする。確かポール・ボネさんの「不思議の国ニッポン」にもそう書いてあったと思います。事前にアポを取っているケースなら、手紙などで本人の会社や肩書きはわかるし、単なる通りすがり?程度のひとには名刺なんか渡さないし。
経験的には、一度交流があってからそれが中断ないし終了し、再び連絡を密にとる可能性がある場合に渡す、という一面があるような気もする。たとえば、ESSEC で集中講義をやった非常勤の講師などに、生徒は名刺をもらったりします。これは卒業後にも交流を希望するからです。このときは、まるで道ばたでティッシュペーパーを配るような感じですね(笑)。
一説によると、日本人の名刺交換の習慣は、武家社会で鑑札を提示するところからきているそうです。なんにせよ、これは便利な習慣だと思う。
ドイツで二度ほど独日両面印刷の名刺を貰ったことがあり、二度とも本人は日本語を全然知らない人だった。会って早々ぼくはその意味するところを説明するハメになった。「なんで片面日本語なの?」って聞いたら、「いや、ちょっとした流行さ」なんていうとった。その機関は別に日本と交流があったわけではないんですよねぇ(笑)。
家でとぐろ巻いてたから、そのデモはナマでは見なかった。去年の秋頃のデモ(設備改善要求)は教室にいたとき遭遇しましたが。
ぼくは大学一年のとき、「国立大学授業料値上げ反対」のデモに参加しましたよ(笑)。今から14年も前だけど。駒場から国会議事堂まで、ちゃんと警官の先導つきで。ぼくはデモ隊の前から二列目にいました。当時の授業料は 144KY/年 でしたね。その2年前は 72KY/年、さらにその2年前は 36KY/年でしたから、むちゃくちゃなペースの値上げでした。デモの甲斐なく、授業料は翌年 180KY/年 にあがってしまった。授業料免除制度のおかげで、ぼくは学費ゼロでござった。国立大学でしかも家が自営業者だと、たいてい免除を受けられるんですよ。今はどうかしらんけど。「成績優秀=留年していないこと」なんだよね。
パリ大学の年間授業料は 500Frs 程度。
ちょっと目についた表現を二つほど。.
Un fort seisme, entre 6,5 et 6,7 sur l'echelle de Richter, a secouehier matin la region de Los Angeles, ... |
ラジオでは「マグニチュード」と言ってたけど、新聞では「echelle de Ri-chter」 であった。ミリバールとヘクトパスカルみたいなもんかいな。.
Le cout des degats se chiffrera en milliards de dollars.
「被害額は〜と予想される」ってとこでしょうが、和仏だとこういう簡単な表現がナカナカ出てきませんね。
仏文の出典は「InfoMatin, 18 janvier 1994」であります。
舌禍事件をおこしてしまった。
加害者も被害者も自分自身。
だけど、深く傷ついてしまった。
食べるものも、満足に喉を通らない。
後から悔やんでも仕方がないが、
朝飯くらいゆっくりかんで食えばよかった。
そうすりゃ、舌をかまずにすんだのに……
「Non Smoking 」の最初の選択肢は、確か「あのとき食事の誘いを断っていたら……」だったかな。あとは最後のシーンしか覚えていない。たしかにあの映画は、なにかをストーリーで訴えようというものではなかったように思う。軽妙なやりとりで笑いを招く、そんな映画だという印象がある。だから、きっとフランス語圏以外の国で上映されても、あまり受けないのではないかという気がする。
で、一番記憶に鮮明な箇所は、冒頭の乾杯で「Sante!」とやったあと、「Merde! les autres!」(ほかのやつらなんて、クソくらえ!)と叫ぶ箇所なのであった。結構ケッサクな下ネタがあったけど、メモしとけばよかったとちょっと後悔。
今年はいよいよ会社を辞職するかもしれない。休職期限が8月で切れるのだ。ま、仕事をやめてもなんとかなるだろう。
日本アニメのタイトルは前にも話題になりましたね。去年はときどきTF1で見ていて、いくつか覚えていたのだけど。もうすっかり忘れてしまった。それに、フランス語タイトルがわかっても、日本語原題がわからないという事情もある。マジンガーZとか、せいんと星矢(だっけ?)はなんかあったな……。
ちなみに毎週水曜と土曜、TF1の朝9〜12時は日本製アニメを4本続けて放映します。オープニングは以前は「めぞん一刻:Juliette, je t'aime.」で、いまは「らんま 1/2」であります。高橋留美子は人気あるのだ。驚異的につまらない番組ばかりのフランスのテレビ放送にあって、日本アニメとアメリカ映画はやはりキラリと光っていると思ってしまう。
JUNKU の地下一階マンガ売場も、フランス人の小学生だか中学生だかがわんさか集まっている。
今回もまた、パリダカのスタートをみそこねてしまった。早朝のスタートだから、知っていても行けなかったと思うけど。時折テレビのニュースでもやっているようですが、いまのところ京都1200年号の姿ならびに噂に接したことはありません。ラジオでもまだ聴いた記憶はないですねえ。耳に入るのはもっぱらシトロエンとミツビシばかりです。
取りあえず、当日のワインリストなど。
(1) Chablis Beauroy Premier Cru, Jean-Baptiste Bejot 1992
(2) Bordeau Cru Bourgeois Chateau les Hauts de Pez Saint-Estephe 1990
(3) Brut Imperial Moet & Chandon Champagne
(4) Collection privee D.Cordier Sauternes 1986
(5) Domaine Daniel Defaix Chablis Premier Cru "Les LYS" 1988
実際に開けたのは、(1)(3)の2本であった。残りは次回まで持ち越し。牡蛎ということで、やはりシャブリが集まったのであった。Moetの脅威的な口当たりの良さは、江下には真に恐怖であった。今晩はわずかばかしの残りを使って、キール・ロワイヤルでものまうかと思うのである。
Saint-Emilion の方は、とにかくカミさんがぐびぐび飲んでいたので、かなり旨かったのではないかと推測しております。下戸の江下はひたすらトホホでありました。
白ワインの方は、ちょっと渋みを感じたのですが、これは以前飲んだ白ワインのせいかもしれません。
Quincy Domaine des Bruniers, JEROME de LA CHAISE
これは向かいのレストランで飲みました。アルザスの白を頼もうとしたら、マダムに半ば命令されるように、「白ならこれにしなさい。やっと今日はいったから」と指定?されたのがこいつ。レストラン価格で 90Frsだから、むしろ安ワインのクチでしょう。ところがところが、これはがとんでもなく旨かった。口当たりが極上で、これほど抵抗なく飲めたワインはかつてなかった。マダムに頼んで、ワインのラベルを貰って帰ったくらいなのでした。
ほぼ二ヶ月ぶりの「今週のワイン」です。「Coca de la semaine」ならいつでも書けるのですが。
Une invitee charmante 歓迎パーティーで、ミッシェルがかなり上等のワインを二本持ってきてくれました。
Saint-Emilion Chateau Le Conte Marquey 1986
Bordeaux Chateau Moulin Neuf Premiere cotes de Blaye 1990
(Concours general agricole, Paris 1992, medaille de Bronze)
味は知らん(笑)。なにしろわしはこのとき、水とレモン果汁ばかり飲んでいたのだ。でも、みんな旨いと言っていた。男一人、女二人でまたたくまに二ボトル空いたのだから、かなり口当たりもよかったのでしょう。カミさんが随分とくいくい飲んでいた。経験からすると、二本とも100Frs近いのではなかろうか。
大晦日には、牡蛎鍋を喰らうというので、近くのカーブから白ワインを一本買ってきました。
MUSCADET de Sevre et Maine 1992, 58Frs
店の人はとても軽くて生牡蛎にピッタリだ、と言っていたけど、わりと腰のある、どっしりとした飲みごたえがありました。コクが強く、牡蛎鍋にはちょっとあわなかったような気もする。
すごく評判になっていたようですね(伝聞調でしか言えない (;_;))。
カミさんは11月から「行く!」と宣言していたのに、結局行けずじまいでありました。実は最終日の1月2日に岳父と二人で美術館まで行ったのですが、あまりの行列にメゲてしまったそうです。
簡単に説明いたします。
(1) NTSC :RCA 方式、アメリカ、日本などが採用
(2) PAL :Philips 方式、フランスを除く西ヨーロッパ諸国などが採用
(3) SECAM:Thomson 方式、フランス、旧ソ連などが採用
(4) D2-MAC:ECの統一推奨方式だが、現在のところ採用される見込みなし
(5) MUSE :NHK 方式のTVHD、日本では既に商業放送開始
(6) HD-MAC:ECの統一TVHD方式だが、事実上プロジェクトがストップ
(1)〜(3)が現行のテレビ放送方式で、それぞれの互換性はありませんが、変換は可能です。また、マルチスキャン方式のテレビやビデオがあれば、複数の方式を一つの受像器/デッキで見ることができます。
ということで、
今日(3日)から早くも講義が始まってしまうのだ。
Pantheon-Sorbonne の授業は来週からなのに、Orsay が早々に始まってしまう。
くそ。去年の方が休みは長かった……。考えてみれば、会社に入ってからも4日までは必ず休みだった。もしかすると、1月3日から否応なく平常活動に戻るなんて、34年間で初めての経験かもしれない。
あ、そういや何か夢をみたはずなのに、すっかり内容を忘れていた。年末のあわただしさがないものだから、初夢なんてことを思いつきもしなかった。
SorbonneかPantheonで講義がある日はムフタール通りを使って往復するようになった。常設市場で有名なこの通りは観光客に人気がある。市場としては観光化され、けっして安くはないとの批判もあるが、それでも新鮮な肉や野菜、豊富な種類のチーズやソーセージを買うことができることは間違いなく、わたしもカミさんも頻繁に利用していた。
冬になって気温が下がると、ムフタールの肉屋は日本人から見るとちょっとショッキングな光景となる。ショウケースのなかには、ニワトリやハトの「死体」がそのまま置かれている。その上には羽を向かれた七面鳥がぶらさげられている。横にはブタの首が置かれている。中国人と同様、フランス人もさまざまな肉や内臓を食べるし、当然、新鮮なものが好まれるので、気温が低くて肉が痛みづらい冬になると、まさに皮をはがれた動物がズラリと並べられるわけである。
ムフタール通りでは、チーズ屋(cremerie)一軒、魚屋(poissonerie)一軒をしょっちゅう利用した。どちらも種類が豊富だった。とくにチーズ屋には100種類以上ものチーズが常時置かれていた。日本では考えられない品揃えである。学校の帰りに、しょっちゅうなにがしかのチーズを買ったものだ。いちばん気に入ったのはPoivreといって、白いシンプルなチーズに黒こしょうをまぶしたものである。買った頻度がいちばん高かったのは、ごくオーソドックスにブリであるが。
(2006.3.2記)