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20世紀の日記

*この日記について

94年8月の日記は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラムロマンス語派館」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。
当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。


1994年8月31日 分別ゴミ

 ちょっと説明すると、ビンについては専用の回収ボックスが、街のあちらこちらに置かれています。何種類かの大きさがあるみたいだけど、うちの近くにあるのは、直径が1メートルくらい。小さめですね。
 緑色で、角のビンを突っ込む口がぐるりとついており、そこからワインの空き瓶を突っ込むようになっています。でも、元旦翌日とか革命記念日翌日なんかは、たいてい、その周囲に入りきれなかったビンが溢れているんですよね。モンマルトルとかサン・ミッシェル、バスティーユあたりだと、破片が溢れていますが。

1994年8月30日 アダルトBBS

 あそこで紹介したアダルトBBSは、日本でいうところの草の根BBSです。ただし、その多くはミニテルでも平行してサービスしていますね。数からいったら、ミニテル系の方が圧倒的に多く、BBS専用っていうのはそんなに多くはないと予想しています。
 1200/75 っていうテレテルの規格(CCITT V.23)が、すでに時代遅れと化しているのはご指摘の通り。ニューズウィークからは、たしか「アメリカが情報ハイウェイなら、フランスは農道」と言われたんじゃないだろうか。フランス・テレコムでは 9600 化を進めようとしているようですが。
 テレテルを使っていて、いちばん腹が立つのはグラフィックス画面の表示なんですね。本来はこれが売り物のビデオテックスなんだけど、提供情報の中身は依然としてテキストなので、グラフィックスは単に課金を増やすだけです。

1994年8月26日 いつもの調子

 ええ、このメッセージはパリから書いています。きょう、25日はパリ開放50周年記念日でした。F2の生放送(これは衛星で中継されるかな?)では、ミッテランの演説やら記念式典やらを行っています。空港からはリッチにタクシーを使ったのですが、うちの近辺はパレードのため、そこいらじゅうが通行止めで、結局、近くの交差点から荷物を抱えて帰ることになりました。
 約一ヶ月の日本滞在のあいだ、24回の宴会・飲茶と15回の会議・打ち合わせをこなしました。てなわけで、出発の日、25日朝はいつものごとく完徹……って、自慢にならんわな。まあ、YCATでリムジンに乗ったときなどは、完全なゾンビ状態です。首都高横羽線に乗ったところまでは覚えているけど、意識が戻ったときには成田の第一ターミナルまで来ていた。うんたらしているうちに搭乗、そしてまたまた爆睡。とりあえずメシを食らうときだけしっかり目覚めたのだけど、食い終わってからは再びゾンビ状態。意識が戻ったときには二本目の映画がおわりかけ、飛行機はすでにモスクワ近辺に達していました。
 コペンでは3時間半待ち。が、しかし、うだうだとは過ごせない。日本で書き終えることのできなかった原稿を、持参の PB520を使って作成。まあ、なんとか一時間半で終了。次いで、名刺の整理とかをやっていたら、再び睡魔が襲ってきた。荷物を枕にして仮眠状態。気が付いたら、飛行機の出発30分前になっていたのでした。

1994年8月25日 初日から欠席です

 あと四時間半後にはリムジンにのらなきゃいけないのに、まだ荷造りをしていないのである。まあ、いつものこと。あはは……(←ひきつっている)。

1994年8月25日 Quincy

 下戸の江下がぶったまげたワイン、それは Quincy であった。白なんですが、あたしゃ、こんなに喉や胃に優しいワインを飲んだことがなかった。もともと、小杉のおいちゃんと我が家の近くのレストランに入ったとき、店のマダムが勧めてくれたんですね。さいしょ、なにかほかの白を頼もうとしたら、「きょうは飛びきりいいのが入ったから、それにしなさい」
 と、教育的指導をされたのでした。レストランで価格は70フランであった。
 その後、うちからムフタールに向かうパスカル通りのカーブで、偶然、同じ銘柄をみかけたんですね。もう、躊躇なく買いましたぜ。50フランくらいでした。さらに二週間後、ふたたび買いにいったのだけど、すでに完売。店のおじちゃんは、当分入荷されないと言っていた……。(;_;)

1994年8月18日 テロリストCarlos逮捕

 25日にパリ帰りを予定するぼくには、じつはかなり気になるニュースであります。なにしろ、こういう事件だと報復が怖い。いちばん報復の対象になりやすいのが飛行機。空港の警備や税関のチェックも当然厳しくなるでしょう。
 今回は比較的無縁と思われるスカンジナビア航空だけど、でも、非常に利己的な本音を吐くとすれば、逮捕があと10日遅れていればな、などと思ってしまう。カルロスが一時収監されていたラ・サンテ刑務所は、うちから歩いて10分たらずのところにあるんですよね。爆弾テロが心配だ……。

1994年8月16日 冠詞

 冠詞の使い分けだけど、数学の quantificateur の発想を使うと、ちょっとは理解の助けになる。

 任意のx、全てのx → le/la/les x
 あるx、……なるxが存在する → un/une/des x

(例)
 (1) J'aime la femme.
 (2) J'aime une femme.
 (3) J'aime la femme qui resemble a PPP.
 (4) J'aime une femme qui resemble a QQQ.

 (1) 私は任意の女性を愛する。
 (2) 私の愛する女性が存在する。
 (3) 私は PPPに似た任意の女性を愛する。
 (4) 私の愛するある女性は QQQに似ている。

 定冠詞のばやい、集合概念がはいるんじゃないだろうか。
 Je drague l'homme.  :あたしゃどんなオトコでも引っかけちゃうのよ。
 Je drague les hommes.:あたしゃぜんぶのオトコを引っかけちゃうのよ。

1994年8月8日 アルファ・パージュ

 ポケベルの一般呼称はたしか「ページン・グシステム」じゃなかったっけ。ペイジャーだと商品名だったのでは。フランスだと「あるふぁ・ぱあじゅ」ですね。
 公衆電話の数は東京に比べれば多くない(といっても、東京が多すぎるともいえる)けれど、不便さはありません。不便といえば、テレフォン・カードの自販機がないんで、常時、度数に余裕のあるカードを持ちあるかにゃなりません。
 最近は Bi-Pop とかいう低価格の携帯電話がはやっているみたい。

1994年8月8日 夏なのか、秋なのか

 あ、そうだ! なにか伝えておこうと思って忘れてことがあったのね。それがサングラスだったの。フランスの夏には必需品です。なんといっても日照時間が長い。おまけに10時の西日なんてのがあるんで、5〜8月はこれがないと辛い。
 フランスで買えばいいんだろうけど、日本人の骨格には日本製のほうがいいみたいね。安物を買うとコーティングがしていなかったりするんで、それなりのを買うといい。

1994年8月8日 テレックス

 テレックスの最大の利点は、ほぼ全世界と交信できることでしょう。国によっては電話回線が少なかったり、ファックスがほとんどないなんてこともありますから。
 かつてはいきなり送信するっきゃなかったそうで、送信時間短縮のために、ピリオドのかわりに「X」を入れるなんて習慣もあったそうな。商社なんかだと、英文で送ったり和文ローマ字表記で送ったりと、けっこうまちまちだったようです。はかなり隠語があったりして、「sora」とあったら航空便の意味とか。
 最近だとテレックスの文面をOCR入力して、そのまま機械翻訳するなんてこともあるみたいですね。作業は夜の間にすべて自動化され、朝、出社すると、不完全ながらも和文の通信文書を受け取れるようになっているらしい。
 技術は進歩したものである。

1994年8月8日 回転の方向

 惑星天体などの運行は、天の北極からみて反時計周りが「順行」なんですね。惑星の公転や時点、衛星の好転や自転もほとんどそう。太陽の自転も反時計周りです。
 金星の自転は例外です。ちなみに、金星は公転周期よりも自転周期の方が長い唯一の太陽系惑星です。
 天王星は自転軸が公転面にそって寝そべっています。
 衛星になると、かなり例外が多い。月は自転・公転とも反時計まわりだけど、木星や土星の衛星には、逆行だったり母惑星の赤道面に垂直近かったりするのがある。
 彗星や小惑星を除く天体の名称は、ギリシャ神話からとることが多いんですね。木星の衛星なんかもそうです。
 で、一時的に順行の衛星は末尾が「e」、逆行は「a」にしようなんてことを始めたらしい。何年か前の天文年鑑に載っていました。
 でも、ボイジャーが大量の新衛星を発見したら、どうやら対応しきれなくなったみたい。

1994年8月6日 ファックス

 ファクシミリは会社やホテルにはかなり普及しましたね。むかしは仕事のアポをとるにしても、テレックスを泣く泣く使っていたけど、最近はほとんどファックスで用が足りてしまう。
 ぼくはプライベートの旅行でも、ファックスでホテルの予約を取っていました。そんなことがあるんで、旅行ガイドに載っているホテルの連絡先にも、電話番号だけじゃなくて、ファックス番号もほしいと思ったりします。二つ星クラスでもわりと入れているところが多いみたいだし。
 フランスでもこの2年でかなり機械は安くなりました。ぼくは2年前に買ったのだけど、当時で 3.600FTTCが底値。いまは機種によっては 3.000FTTCを切っていたと思います。
 感熱紙は thermo なんちゃらっていうのだけど、当然、A4サイズしかござらぬ。これに見慣れると、日本の B4 幅感熱紙が妙に不格好に見えてしまう。はよう、役所でB判使うのやめてくれんかな。

1994年8月6日 VIDEOTEX

 ビデオテックスというのは、画像とテキストをデータベースに蓄積し、それを簡単な方法で検索できる情報通信システムの名称なのね。ちょうど10年くらい前におこったニューメディア・ブームの主役でござんした。CCITT で規格統一の話し合いが進められたのだけど、結局、互換性のない有力3方式を並立させる形で推奨案がまとまったのでござる。

 北米方式:NAPLPS
 欧州方式:CEPT
 日本方式:CAPTAIN(のち、CAPTAIN PLPS)

 規格の違いは画像の表現方法にござった。
 NAPLPSはジオメトリック方式といって、数学的な幾何学図形で画像を表現しようとした。長方形とか円の組み合わせね。商用サービスの代表がカナダの「テリドン」であります。まだあるのかな?
 欧州方式は、前に書いた通り、モザイク画面です……といっても、ボカシを入れるわけじゃないけど。なんちゅうか、タイル絵みたいなもんですわ。商用サービスの代表がフランスのテレテルであります。イギリスにも Seaなんたらってのがあったと思う。
 日本方式はフォトグラフィック方式といって、ピクセル表示だったのね。これだと一番精密な画像表現ができるんだけど、情報量が多くなってしまう。ジオメトリック方式も併用され、NTT が画像に入れ込んでいたことがわかる。商用サービスは日本のキャプテンね。
 CEPTは何の略だったかな。「P」は Presentation は Protocol だと思うのだが。いかん、忘れてもうた。
 CCITT(Commite Consultatif d'International Telegramme et Telephone)の本部はたしかレンヌにあったと思う。通信の世界では、フランス語が標準語ってことになっていますね。

1994年8月4日 暑い

 きのうの東京は38度あったそうな。こんな日に限って、予定が一日びっしりつまっていたりしました。
 A.O.M はしばしば経由地を買えたり、直行便になったりしますね。ぼくがはじめて使ったときも、モスクワ経由がヘルシンキ経由にかわったし。うちの姉夫婦のときも、直行便に化けたそうです。あの会社はなかなか面白い。

1994年8月4日 ホロン

「ホロン」という発想は、一時期、コンピュータ・ネットワークで話題になりましたね。いまから10年前くらいだったと思います。当時は「自律分散型システム」と呼んでいたと思いますよ。システムを人体になぞらえたんですね。
 基本的に人体の運動は「中央」の大脳に制御されている。しかし、各部位にも自立的な反応が許される。たとえば、目になにかが飛び込んできそうなとき、われわれは取りあえず考えたうえで反応しようとはしない。反射的に目をつむるわけですよね。熱いものに触れば手をひっこめるってのも、同じメカニズム。まあ、実際は大脳が関与しているかもしれんけど。
 各部位に全体トポロジーと同じ処理メカニズムがあるならば、これはフラクタル的ということもできます。

1994年8月2日 ガーター勲章

 さる貴婦人、公式の場にてガーターを落としてしまえり。それはそれはハシタなきこと、貴婦人なむ狼狽しける。
 そこに、とある貴族たちあらはれ、やおらガーターを広い、何気なく胸に飾ったとさ。
 むむ、ガーターを胸に……。
 意味ありげな笑いをするひとびとありき。
 かの貴族、それを見て曰く、「邪推を抱くものに災いあれ」
 以上、ガーター勲章物語であった。


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Black Bird

前の月に新しいPowerBookを購入した。500シリーズといわれた機種で、マニアのあいだでは開発コードのBlack Birdの名で呼ばれていた。stnモノクロ液晶の520、stnカラー液晶の520c、TFTモノクロの540、そしてTFTカラーの540cの四機種がリリースされていた。当時、TFT液晶は稀少な高級品だったので、一般個人は540cになど手が出ない。しかし、TFTの魅力は捨てがたかったので、540を購入したいと思っていた。
ところがこのシリーズ、発売前からMacファンの人気をさらっていたので、発売と同時に深刻な品薄状態になってしまった。アメリカ市場での販売が優先されていたため、日本ではずっと入荷未定である。フランスにも在庫はほとんどないし、なによりも値段が日米に比べて高すぎた。で、試しに以前Daystar PowerCashを購入したことがあるテキサス州の店にファックスで問い合わせたところ、520だったら在庫があった。しかも値段が日本の店頭価格にくらべてずいぶん安い。唯一の問題は、アメリカからフランスに送ってもらうと、間接税と関税が高くつくことだった。しかし、7月末に仕事の関係で日本に一時帰国する予定だったので、それにあわせて送ってもらえば日本の消費税だけですむ(本当は日本からフランスに持ち込む際に申告の義務があるのだが)。で、店には日本に送るように指示するファックスを送ったのである。
ところが、先方が変に気をきかせてくれたために、大混乱することとなった。商品の手配が予定よりも早くできたそうで、日本ではなくフランスに送ったという連絡がファックスで入った。こちらのフランス出発日を伝えてあったのだが、その三日前には確実に届くというのである。
向こうは親切のつもりだったのだろうが、とんでもない。元も子もなくなってしまう。仕方がないので、時間をみはからってテキサス州の店に電話をかけて担当者を出してもらい、フランスに送った商品を回収してすぐに日本に送り直すよう、クレームをつけた。向こうとしては親切で行ったことに対するクレームなので、かなり反発したようである。こちらの英語力では議論に勝ち目はない。仕方がないのでフランスで受け取ることにした。
ところが、である。到着予定日になっても荷物が来ない。FedExのフランス事務所に問い合わせたところ、まだ通関が終わっていないというのだ。そして、夏のバカンス期間中なので、まだ数日かかるだろうというのである。困った……のではなく、むしろ「しめた!」と思った。すぐに状況をファックスで知らせたところ、こんどは先方からこちらに電話が入った。さらに、この担当者、片言のフランス語を話せるとあって、電話の最初はフランス語だったのである。
こうなればこっちのものだ。こちらもネイティブではないものの、日頃からフランス語を使って生活しているわけである。向こうが一つ言い訳するたびに五倍ぐらいの反論を返した。それに、いくら向こうが親切でフランスに送ったとはいっても、こちらの指定に従わなかったという弱みがある。なおかつ現実に荷物の到着がこちらの出発に間に合わないとなれば、非は店側にあると認めざるをえない。
向こうが配送のし直しに消極的なのは、米・仏の往復分と米・日の送料を支払うとなると、利益がなくなってしまうからだった。最後は泣き声に近かった。仕方がないのでこちらから「米・仏の片道分の送料は別名目で負担してもよい」という妥協案を出したのだが、先方にとっては渡りに船だったのだろう。即応じたものである。まあ、こちらとしては払わないでもいい負担をするわけだが、それを含めても日本での販売価格より安かったし、なによりすぐに入手できることを優先させたのである。
そんなわけで、PowerBook 520が手元に届くまでにはいろいろな波乱があったのだが、このノートブックPCの性能は想像以上に良く、早く入手できて良かったと心底思ったものである。キーボードのタッチも気に入った。このPowerBookは、アップグレードをせぬまま五年以上使い込んだと思う。
なお、8月は一ヶ月近く日本に滞在したのだが、その間、合計で24回のオフに参加した。一応、仕事もそれなりにこなしたのだが。
(2006.3.3記)