21世紀の日記
20世紀の日記

*この日記について

95年1月の日記は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラムロマンス語派館」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。
当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。


1995年1月30日 世間は狭い

 きのう、カミさんの元上司が出張でパリまでやってきたので、ムフタールにある馴染みのギリ飯屋にいったのでした。そしたら、これまた顔馴染みのギャルソンのひとりが、こんなことを話していた。

ギャ:ぼくの奥さん、JAL の hotesse d'airなんだよ。
わし:ほほー、んじゃあ、パリと成田を往復してるの?
ギャ:ううん、オーザカのあたらしい空港のほうさ。
わし:あ、カンサイの新空港ね。
ギャ:そうそう。んでさー、このあいだ seisme があったでしょう?
わし:うん。被害がすごかった。
ギャ:そのとき、ぼくの奥さんもカンサイにいたんだよ。
わし:ええ、まじ?
ギャ:フランスのテレビにもインタビューで出ていたの。
わし:あ、みたかもしれない!
ギャ:何度も放送されてたからね。
わし:被害とかはどうだったの?
ギャ:ぜんぜんなかった。

 ……というわけでした。世の中やっぱり狭い。

1995年1月18日 フランスでの地震報道

 18日の新聞はスポーツ紙をのぞき、すべて関西の地震を一面で大々的に報道しています。とりあえず概略だけご紹介。


InfoMatin
Le Japon en etat de choc
日本が衝撃

 一面には毛布をかかえ避難する住民の姿を伝える写真が大々的に掲載されている。2、3面はすべて地震の詳報にあてられ、寸断された高架道路に顔を突き出すバス、避難場所で毛布にくるまる被災者の写真などをまじえ、災害の概況を伝える。「地震は予知できたのか?」という問いかけで始まる記事では、ミノ・カズオ立命館大学教授が1月9日の段階で京都・大阪方面で大地震の可能性があると指摘したことを紹介している。


Le Monde
Un seisme meutrier a frappe le centre du Japon
Plus d'un millier de morts dans la region industrielle du Kansai
多数の人命を奪う地震が日本の中央を襲った
関西の工業地帯で千人以上の死者が

 一面にて地震の規模、被害の概況を伝え、2面では約三分の二ページにわたり、日本の過去の地震災害を図解入りで解説する。東京からの報道をもとに、地震対策や予知の難しさ、都市で発生したときの深刻さを伝える。


Le Figaro
Violent seisime au Japon -- Kobe : tragedie en 47 secondes
日本で大地震――神戸:47秒の惨事

 一面約四分の一を、ボロボロになった三菱銀行支店ビルが占める。8、9面では誌面の半分ずつをさいて、救済活動の状況や、関西が比較的地震のすくなかったことなどを伝える。また、超現代的な関西新空港が地震に耐えたものの、運行状況が大混乱していると報道。


Liberation
Japon : sous l'empire de la terre qui tremble
Le plus grave seisme au Japon depuis 1948 frappe Kobe
日本:振動する大地の帝国
1948一年来最も深刻な地震が神戸を襲う

 一面の半分が写真で占められる。2面には神戸在住の Daily Yomiuri 記者の目撃談(Brian COVERT氏)が一ページにわたり伝えられている。三面では地震のメカニズムについて、日本近辺のプレート図をまじえて解説している。四面では「何が起こったのか?」「予知は不可能だったか?」「フランスでも生じるのか?」といった問題を質疑形式で伝える。「地震は日本では cultureの一部だ」との解説も(注:これは「身近な危機として生活に組み込まれている」と解釈すべきでしょう)。
 5、6面はほぼ全面が写真。東京が同様な被害にあったら、世界経済に深刻な影響が及ぼされるだろう、との短評が最後に出ています。


France-soir
La ville fracass{e : Le s{isme du Japon a fait des milliers de morts
破壊された都市:日本の地震は千人以上の死者をもたらした

 一面は横になぎ倒された高架道路の写真で占められている。3面も TF1テレビ画像から撮った写真が全面に。4、5面はすべてこの報道にあて、被災者の声を中心に被害の深刻さを伝える。また、フランスでも年に地震が千五百回発生していることや、マグニチュードの意味なども解説する。


Le Parisien (Page 2-4 に詳報)
Le cauchemar : terrible seisme au Japon
悪夢:日本の恐るべき地震

 上空から撮った火事現場の写真が一面のほぼ全面を占める。2〜4面はすべてこの内容にあてられ、「目の前で家が動くのを見た」などの目撃談をまじえ、地震の恐怖を伝えている。TF1 インタビューにも登場した Air France クルーの談話も伝える。日本政府が海外からの援助申し出を断っていると、神戸と姉妹都市のマルセイユ市が、災害救助専門家の派遣を準備していることなど報道。

L'Humanite
Japon : trois villes eventrees
日本:三都市が裂かれる


 一面に高架道路倒壊の写真入りで短評。2〜4面のほぼ全体を報道にあてている。40秒という短い時間に巨大なパニックが生じた状況を伝える。大阪からの記者報告として、被災者が疲労と不安でぐったりとしていること、余震が無数生じていることなども。4面全体をつかい、地震のメカニズムを解説するとともに、地震予知でまだいろいろな議論が残されていることをしめす。


Les Echos (Page 2-3 に詳報)
Un seisme devastateur paralyse le Kansai.
地震の被害で関西は麻痺

 経済専門誌にもかかわらず、一面トップで地震の情報を伝える。関西地区が日本の PIBの五分の一を占め、日本で二番目の人口集積地であると報道。2、3面はすべてこの詳報にあてられている。AFP に入った知らせとして、関西在住のフランス人に犠牲者はいないが、フランス系企業にも物質的被害があると報道。また、関西経済が麻痺状態であると伝える。


nice-matin (火事全景の写真入り、最終面に詳報)
Kobe, ville martyre : Apres le seisme japonais le plus meurtier depuis 50 ans
神戸の受難:過去50年で最大の死者をもたらした日本の地震のあとで

 一面の四分の一ほどをさいて、Le Parisien とおなじ写真を掲載(これはロイターが提供したもの)。最終面のほぼ全体をさいて、神戸のこうむった被害を伝える。また、囲い込みのなかで、ニースと神戸が緊密な関係にあり、92年のコート・ダジュール祭では神戸市が模擬店を開設していたことなども伝える。

1995年1月15日 朝はパリ、やふやふ白くなりゆく……

 はじめてパリを訪れたのは9年前の五月、チェルノビル・メルトダウン当日でした。仕事だったので、ホテルは凱旋門近くの四つ星です。
 五月だと日は長い。でも、朝はわりと遅いというか、日本の夏至みたいに四時代に日が昇るなんてことはありませんです。だいたい六時ぐらい。だから、7時頃の雰囲気がいいんですよね。重い太陽光線、まだほこりっぽくない空気がひんやり気持ちよくって。ホテルからでて散歩すると、凱旋門がだいだい色に見えた。ちょっと深みのある青空をバックにして。ぼくはこの情景だけでパリが好きになったようなもんです。
 日の長い季節の朝は、いちばん幸せな時間ですね。ホテルからシャンゼリゼに抜けて、そのままコンコルド広場まであるいてみたりもしました。朝のモンマルトルなんかも行ってみましたが、時間が早いとなにかういういしい感じさえします。
 夜は左岸……なんていうと、まるで枕草子みたいなリズムだけど(笑)、サンミッシェル、ソルボンヌ、レアール、そしてバスティーユあたりの夜もいですね。いつまでもクダ巻いている連中がいて。夏至の頃は夜十時の西日を受けながらペリエを傾けていたりして。なんともけだるい時空です。

1995年1月8日 初心者向けの辞書

 初心者向けというと、かつては「クラウン」が定番でした。いまの版は色刷り&イラスト入りとなったので、いっそう使いやすくなったような。うちにもカミさん用とぼく用の二冊あります。これは中級ぐらいまで使えるから、持っていて損はない。
 電子ブック版を買うって選択肢もあります。辞書本体部分は 20MB 程度なんで、HDに専用辞書を常駐させるなんて使い方もできる。
 クラウンは例文も豊富で適切だと思います。熟語もかなり出ているから、商業翻訳みたいな本格利用以外であればほぼオールラウンドに近い。初級〜中級はクラウン、上級はロワイヤルっていうのが、まあわりと多いパターンじゃないでしょうか。

1995年1月2日 Meilleur voeux @ tous!!

 あけましておめでとうございます。パリで迎える新年はこれで四年連続ですが、あいかわらず家でゴロゴロでした。新年の瞬間は、大掃除の最中に過ぎてしまいました。あわてて新年 RT をやりにアクセスしたのですが、システムがトラブってて入れませんでした。
 個人的には 94 年はかなり激動の年でした。十一年籍を置いた会社を退職してフリーとなったわけですが、人間関係が完全に変化しました。これが一番エキサイティングな出来事です。
 年末には二度目の滞在許可更新がすみ、今年の11月末までは合法的に住む権利ができました。二年目は正直言って惰性で暮らしていたような気がします。一年目みたいな緊張感がなくなったし、大学は授業時間が短いので、話す機会がどっと減ったんですね。会話能力は確実に下がったでしょう。


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1995年1月

日本の阪神淡路大震災のニュースは、フランスでも大々的に報道されていた。地震の直後、いつも聴いているラジオからも速報が流れた。フランス時間の夜10時(日本時間の午前6時)をちょっと過ぎたぐらいだったと思う。そのときは、「大きな被害は報告されていない」というアナウンスだったので、とくに気にかけることなく寝てしまった。
朝になってからテレビのニュースを見たのだけど、神戸の惨状が映されていた。昨夜のラジオの報道は、要するに、被害がなかったのではなく、被害が大きすぎて現地では報告すらできなかった、ということがわかった。インターネットで新聞社のサイトにアクセスしたり、NIFTY-Serveの会議室を読んでいるうちに、未曾有宇の大惨事であることが次第にわかってきた。現地の1月18日の朝刊は、すべての新聞が一面に大震災をニュースを掲載していた。
関西には多くの友人が住んでいたが、さいわいなことに、亡くなった人はいなかった。ただ、家屋が全壊に近い被害を受けた者はいたが(改築を計画していたそうで、結局、実質的な被害はほぼゼロだったらしい)。
こういうとき、海外にいては直接なにかを手助けする、ということはできないが、あちこちの電子会議室のメッセージを整理したり、メールを中継することだったら、どこにいてもできることなので、自分の関与できる範囲で情報整理を行った。もう一つ、コミュニケーションを研究する者として、こういうケースに今後どのような対応が必要なのかを分析するため、多くのコミュニケーション記録を残す必要があると考え、fj newsgroupや草の根BBSを含め、電子掲示板や電子会議室のメッセージ記録を収集することにしたのである。
(2006.2.24記)