21世紀の日記
20世紀の日記

*この日記について

95年10月の日記の一部は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラムロマンス語派館」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。
当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。


1995年10月17日 ELANの板

 スキー板でシェア世界一は Rossignol ですね、たしか。ヨナキウグイスのくせに、板のトップにはフランスのシンボルにわとりが描かれてる(笑)。
 Rossignol は日本市場で成功したフランス企業の代表ですね。ラジオなんかでもここの社長や役員は、年中インタビューに引っ張りだされています。ビンディングやスキー靴でおなじみの Salomon も、やはりおなじです。
 ぼくが愛用しているのはユーゴ製のELANですけど、ユーゴの板がいいというより、旧ユーゴの国営企業 ELAN が一部ミーハーには人気があったのですね。一部ミーハーというより、ステンマルク信者といったほうがいいかもしれない。ぼくがスキーに夢中になっていたころ、このスウェーデン人スラローマーはほんとに超人でした。スキーW杯リーゼン・スラロームで、不滅の15連勝の記録を樹立した。15連勝目がインスブルックの五輪だったと思うけど。このステンマルクが子供時代から愛用していたのが ELAN で、ワタシにはとてもまぶしいブランド・マークだった。もちろんこの板の感じがすごく好きだってこともあるけど。
 ちなみにかのジャン=クロード・キリーの愛用した DYNAMIC ブランドが復活したとき、やはりさっさとコンペモデルを買いました。やっぱりただのミーハーなのかもしれん(笑)。

1995年10月14日 待ち合わせの時間ジョーク

 以前考えた笑い話。
 午後7時に待ち合わせをした。
 日本人は5分前にやってきた。アメリカ人とドイツ人は7時ジャストにやってきた。アメリカ人は駆け足でやってきたので、息をきらせながら日本人と握手した。ドイツ人は時計をながめ、ジャストでることを確認した。
 30分後、フランス人がやってきた。そして8時半ごろ、エジプト人から「いまから行く」という連絡がはいった。
 ところで、友人の実家がアルマニャックの醸造をやっています。フランスではかなり有名な銘柄だそうで、Tour d'Argent でも人気ディジェスティフなんだそうです。日本市場に参入したいのだが、という相談を2年前に受けたことがあります。いろいろ調べたのだけど、コニャックより知名度の低いアルマニャックでは、並行輸入店以外は困難じゃないか、という指摘を受け、結局そのままになっています。
 一時帰国の折には何度かサンプルをみやげに持ちかえったのですが、飲兵衛の評判はなかなかよかったんですけどね。そのときは25年ものでしたが、35年ものもある。参考までに、銘柄は Cassagne et Freres といいます。

1995年10月4日 戦後の建築

 巴里市内のアパートの古いあたらしいは、戦前の建築か戦後のかで区別することが多い。ただし、戦前・戦後というのは第一次大戦のことですが。うちは戦後間もなくの建物で、比較的あたらしい物件にはいります。築70年ぐらいです。
 もちろん、最近は築 100年ぐらいのをぶちこわして、Tout neuf として売り出す物件もすくなくない。ただ外観がややのっぺりぎみで、ちゃちい感じがしなくもありません。新築物件は巴里市内よりも Peripheric 近辺、あるいは La Defence、Cergy あたりのほうが人気があるみたい。建物があたらしいだけでなく、街そのものがあたらしいですから。こういうところには Euromarche や Carrefour があるので、買い物も安くあがります。
 日本の場合は気候の問題があるから、なかなか築 100年というわけにはいかないのでしょうね。伊勢神宮を意識するわけではないけど、一定期間でリニューアルするというほうが、日本人のメンタリティにはあうのかも。知り合いの建築家の話だと、現代のビルだって法隆寺ぐらいの寿命は十分に持たせることができるんですって。ただ、商業建築にそんなことしたら、コスト的にまったくあわないとか。

1995年10月3日 パリのアパート

 賃貸が得か、購入が得かは、試算すると相当複雑なパラメータがからんでくるようです。単純に家賃やローンの積算だけじゃないみたい。税金の問題はもちろんのこと、なにか借金するときの担保としての価値とか。賃貸なら制約もありますよね。
 持ち家なら財産になるけど、借家だと自分にならないって指摘もあるけど、相続税まで考えたらどうなんでしょうね。それにマンションだって償却があるわけだから、大枚払ってもなんも残らんって結果になりゃせんかな。
 フランスは借家でもかなり自由度が高い。だから巴里は借家(アパート)がおおいのかな、なんて気もします。住宅ローン金利も日本と違って高いし。たとえばペットを飼うのは完全に自由だし、壁に鋲をさすのもお構いなし。ドリルで穴をあけるのも問題なしなんだそうです。「壁をぶち抜くのだけは許可がいる」そうですけど(笑)。
 現在我が家の家賃は 5,020 Frs(管理費込み)です。間取りは 2DK、広さはだいたい 45平米です。値上げ率も契約でちゃんと決められている。INSEE の発表するなにかの指数に対してどうのとか。賃貸契約書のひな型は国の作成したものが市販されていますから、どのアパートも条件は一緒でしょう。
 売買物件となると、地区と建物の質で決まるそうですが、うちあたりだとだいたい 15,000 Frs/m^2 が最低ラインじゃないか、ということです。平米あたり約30万円程度だから、なんだかすごく安く感じてしまう。買い取りでだいたい 70万 Frs といったところ。
 フランス人のわりと平均的なサラリーマンの年収は 25万 Frs ぐらいだったと思うから、だいたい年収の3倍程度ってところでしょうか。前に見かけた統計だと、たしか年収の 2.5倍ぐらいだったと思う。うちのあたりは相場の高い地区なので、だいたいこんな線なのでしょうね。
 東京近辺がバブル前で年収の6倍でしたっけ? 生活を考えると、3倍程度がせいぜいじゃないっすかね。


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経験したかった

結局、10月下旬に帰国した。ただ、アパートやら電気・電話の契約はそのまま残し、近所に住む友人に留守中の管理を頼んだ。一年以内に自由職業者のビザを取って復帰したいと考えている。それはさておき、日本に帰国後、パリでは史上最大規模の交通ゼネストが起きた。おまけにパリ市民の多くがストを支持しているので、じつに一ヶ月ものあいだ、公共交通機関がストップしたのである。日本ではちょっと考えられない。たしかに昔は5月になると国鉄がストを決行し、「スト権スト」のときなんかは、一週間近くもストップしたことはあったが、パリでは一ヶ月である。
 まあ、パリという街は案外と小さいし、職住混在環境なので、ストが起きても東京とは状況が異なるのも確かだ。そしてこの一ヶ月の長期ストの間に、パリ市民の多くは自転車やローラースケートで通勤したのだとか。こういう光景、そうめったに見られるチャンスはないので、そんなときに日本に戻ってしまったのはちょっと残念。
(2006.2.24記)