21世紀の日記
20世紀の日記

*この日記について

95年6月の日記の一部は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラムロマンス語派館」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。
当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。


1995年6月29日 天地無用

 きのうメトロに乗っていたら、むかいのサドルに座っていたにーちゃんが、「天地無用」の文字入りTシャツを着ていました。さすがに衣類だけあって、反対とうことはなかった。
 うちの近くの古書店で取材させてもらったとき(このときの内容は、丸善ライブラリー『世界の古書店2』に収録されています)、カリグラフィーの色紙を謹呈したんです。何日か後にいったら、やっぱりさかさまに置かれていました。

1995年6月24日 バカンスですること

 統計によると、バカンスで旅行に出かける Parisien/Parisienne は、全体の30パーセント程度だそうです。「みんなして南仏に出かける」というのも、一種の思い込みでしょう。巴里がもぬけの殻になるというのも、昇天祭の前後数日ぐらいのもんです。
 ただし、Boulangerie は3週間休暇とかを実施します。店に「ここが営業している」って貼り紙が出されるんですね。べつにチェーン店でもなんでもないのに。
 あと、カフェにバイトさんが増えるのも、バカンス・シーズンの特徴でしょう。バカンス休暇中に観光地でバイトするひとは少なくないですね。travail noirっていうんですけど。通常の雇用者はこういうことをしちゃあかんから。
 知人の話だと、休んでもなにもしないのがいいんだそうです。ノルマンジーに別荘を持っているような人でも、彼の地でぼけーっとしていたり、ゆっくり本を読んでいたりするだけってことが多いそうです。

1995年6月22日 Fete de la musique その2

 夏至の風物詩となった fete de la musique なんだが、じつはミッテランが始めたことなんだそうだ。昔からそうだったと思っていたのだけど、まだ十年ちょいぐらいの歴史らしい。でもこのころはパリはいちばんいい季節なんで、あちこちで始まる無料コンサートはナカナカ心地よい。もっとも、最近は生バンドのかわりにカラオケですます店も多いのだが。

 この写真は、うちの近所のカフェ Port Royal の前で始まったもの。
 予算が潤沢な店は、バンドを雇ってコンサートをやる。けっこう遅い時間までやっている店も多い。この写真も Brasserie Port Royal のものだが、最近景気が悪いらしく、この年を最後に無料コンサートはおこなわなくなってしまった。

1995年6月22日 Fete de la musique

 巴里で夏至といえば、fete de la musique……これが毎年楽しみです。今年で3度目、巴里のちょっとしゃれたカフェには生バンドが入って、そこらでダンスするひともいれば、酒盛りに励むひともいます。
 うちの近くの Brasserie de Port Royalでも、毎年バンドを入れてます。去年は規模の小さめのオケが入っていたかな。ことしはジャズ・バンドです。さっき眺めてきたけど、テラスの正面に、スピーカーやドラムを置いてカルテットが演奏してました。去年だと交差点にロックバンドが出ていたな。
 これを書いている時間が午後7時半。まだ太陽は見上げるような高さです。日没は10時過ぎ。おそらくそのころまで、巴里のあちこちでバンドが出ているでしょう。コンサートをやっている広場もあります。
 fete de la musiqueに日になると、夏が来るなーと感じます。そして2週間後のフランスGPで、いよいよ夏だなーと感じます。14 Juilletでその真っ盛りを感じ、そして昇天祭で夏のおわりをしのぶんですね。
 今年はずいぶんと fete de la musique が盛り上がっています。Brasserie de Port Royal に夜食をとりにいったのだけど、生でグレン・ミラーを聴きながら、という、なかなか贅沢なひとときでした。夜10時半、空はまだ薄明がたっぷりでした。
 昨年、交差点に出ていたロック・バンドは、今年、まったくはす向かいのカフェの前で、パープルやらなにやらで盛り上がっていました。バンドのまわりは3重の人垣で、空き缶に石をいれてリズムをあわせる者、手拍子をとる者、ひたすら踊りまくる者、ぼけーっと眺める者、それぞれです。このバンドがやがて移動を始め、ホコテンでもないのに道のまんなかに出て、しばし車をさえぎって騒いでおりました。もう信号なんてあってないような状態です。
 イタリー広場にのぼる Avenue des Gobelins はちゃんとホコテンにしておりました。坂のなかほどにあるカフェの前では、グランド・ピアノを何台も置いてあった。なにか野外演奏会があったみたい。くそ、気がつかなかった。
 今日は部屋をにわかディスコにして、徹夜で騒ぐひとたちもいるはず。去年のうちの上階がそうだった。
 Brasserie で夜食をくっているとき、大渋滞の道路の彼方から、とつぜん嬌声が聞こえてきました。見れば、ローラースケートはいた連中が百人あまり、のろのろ運転の車をぬって行進しておりました。あやつら、巴里一周でもやっとるんか。
 この fete de la musique が来ると、また1年、巴里に滞在したくなってしまう。11月ごろはぜったい日本が恋しいものですが。

1995年6月4日 ヘッドホン

 まえからちょっと不思議に思うのは、フランスで baladeur を聴く人のヘッドホンって、初代ウォークマン登場のころみたいなゴツいのがおおい。日本のいま時点の流行は知らないのだけど、あのこじんまりしたやつを使っているひとを、フランスではほとんど見たことがない。これって好みの違いなの?

1995年 6月9日 映画館前での映画撮影

 わがアパートの隣の隣の一階には映画館が入っているのだが、なぜかそこは映画の撮影に使われることが多い。今日も小さいロケ隊がなにやら撮影をしていた。

1995年6月9日 mechuiの思い出

 このメッセージを書いているのは現地時間で午後10時15分です。きょうは一日曇りがちの天気でしたが、外はまだかなり明るい。サンセットは8時どころか10時ごろ、薄明は11時過ぎまで続きます。
 この季節になると、河原で Mechouiをやるグループが増えてきます。ぼくが最初に通っていた ESSEC は Cergy にあり、あちこちに森林があって、 Etoile から RERで30分とは思えないのどかな地域です。そのとある河原で、2年前のいまごろ、授業の打ち上げをやりました。
 クラスメートに「何時頃までやるの?」と尋ねたら、「暗くなるまでね」と言われました。照明の設備がないし、あかりを持っていくのが面倒だったからですね。
 その日は雲ひとつない天気で、午後5時頃には30度近くまで気温があがりました。フランスは太陽の南中が午後2時ごろなので、4〜5時がいちばん暑いんです。これに慣れないうちは、ぐったりと疲れます。
 Mechoui の雰囲気は、日本でやる普通のガーデン・パーティとおなじようなものです。適当に雑談の輪ができて、3、4人ごとに騒いでいるって感じですね。10時過ぎにようやく日没、そしてだんだんと黄昏が深くなり、天頂あたりに2等星ぐらいまでが見えるころになると、雑談は一服です。みな腹もくちてきて、適当にチーズをつまむ。
 こういう雰囲気になると、誰かが飛びきりのジョークを披露し始めます。よく「ジョーク集」などに出ている、一種の小咄ですね。たいていはシモネタがらみですが、学識ある学長自らそういう話しを切り出します。
 だいたい4人ぐらいが話し終わると、周囲の顔もほとんどわからない薄闇です。懐中電灯を使って時計を見ると、すでに12時でした。もう終電がない。ぼく以外に巴里から通っていた者が3人いたけど、誰もそんなの気にしていなかった。結局一人が車を出して送ってくれましたが。最初からそ
の計画だったのかもしれんけど。
 ぼくが巴里に住み始めたのは3年前の6月でした。当時はいまの Gobelins ではなく、ポンピドー・センターの近くに仮住まいしていました。一番日の長い季節にやってきて、午後10時に西日のさすステュディオに住んでいたのです。
 そんなこともあって、ぼくにとって夏の巴里のイメージは「西日」ですね。すごく気怠い夕方が延々と続き、午後の遅い時間になってから、湿度も温度も上がる。寝るときは窓全開という日も多かった。
 ところが朝は涼しい。真夏でも半袖だけじゃ寒い。だから、サマーセーターが不可欠ですね。ぼくが好きなのは Hobbs のパステル・カラーね(笑)。


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6月の花嫁

日本にいるあいだは、ジューン・ブライドがなぜシアワセになれるのか、まったく理解できなかった。6月といえば梅雨のイメージが強いので、6月自体にあまり肯定的な印象を持てない。もちろん、国が違えば気候風土も違うのだから、6月が最高の季節というところはあるだろうし、そういう土地なら6月の花嫁はみんなに祝福されるに違いない。
で、実際にヨーロッパのベスト・シーズンは間違いなく6月である。暑すぎず、寒からず。気温が適度に過ごしやすいし、適度に乾燥している。なにより天気が安定している。だいたい朝はスカっとした晴天で、街路樹がきれいに茂っているので、外を歩いているだけでウキウキした気分になれる。日没は午後10時過ぎなので、太陽さんさんの時間がほぼ丸一日続く感じなのだ。これだけ長時間、太陽光線を浴びていれば、ハイテンションな気分になることは間違いない。
考えてみれば、日本だって6月はいい季節なのだ。学生時代、あちこちにいちばん出かけた季節は、6月と10月だった。6月の信州は、とりわけ新緑が綺麗なのだな。かつては紅葉に比べて新緑など地味だと決め込んでいたが、上高地や乗鞍の緑のグラデーションを見てから、意見はガラリと変わった。6月の早朝の上高地なんて、本当に「神のいる高地」という感じだ。
ただ、やっぱり都会だと6月はうっとうしい。湿気が一気に高まるし、サラリーマンにとっては祝日のない季節でもある。新年度の仕事もぼちぼち忙しくなるころだし。やっぱり日本では6月にシアワセなイメージを求めるのは無理なんだろうな。
(2006.2.24記)