21世紀の日記
20世紀の日記

*この日記について

95年4月の日記は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラムロマンス語派館」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。
当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。


1995年4月21日 ストとデモ多し

 今年は4月なのにやたらと greve と manif が多い。なんか世情が不安定だ。95年ってのは日本の厄年ってだけじゃなくて、世界の厄年なのかいな。

1995年4月15日 坂本龍一って

 先週、モロッコ人の友人宅に行った。そこに彼の友人がふたり遊びに来ていて、ひとりはレンヌに住むモロッコ人であった。彼がレンヌに住む日本人の話題を出すので、「ひとり知ってるひとがいた。ダンナがキヤノンに勤めているんだけど」というと、「レンヌに住んでる日本人なら、たいていキャノン関係者だよ」と笑っていた。
 と、彼は「そうだ、女性でひとり、Concervatoire で教えている日本人がいる。彼女は有名なジャズマンの前の奥さんだった」と言い足した。
 かなり有名なジャズマンだそうだ。CDのコレクションをあさり、このひとだ、と示した。それは坂本龍一だった。
 疑問一。坂本龍一はジャズマンなのだろうか?
 疑問二。坂本龍一に「前の奥さん」っていたのだろうか?

1995年4月14日 白菜

 中華街のスーパーでは Chou chinois を売っています。Place d'Italie から徒歩数分にある陳氏大市場(Tang Frere)は、フランス人にもわりと人気があります。 白菜は日本よりも安いんじゃないかな。最近買ってないんで忘れたけど。味は日本のものよりも甘味がやや強めですね。
 鍋物に使える野菜なら、スーパーでポトフー・セットを買うのがいちばん経済的です。タマネギ、ニンジン、カブ、ジャガイモ、そしてタイムが二人分パックになっています。
 うちでは日本から土鍋を持参して、巴里で一卓の電気コンロを鍋物ように使っています。カセット・コンロは数年前に輸入禁止になったそうで、いまでは売っていません。ガスはまだ売っているのだけど。不思議なことに、韓国製は輸入が許可されているらしく、韓国食品店で買えるという話しあり。
 材料は野菜、魚、肉、いずれも豊富なので、わりといろいろな鍋ができるんですよ。うちでも冬はよくやります。

1995年4月13日 タレかけご飯

 先日、モンパルナスの焼鳥屋にいったときのこと。カウンターの客は、半分ほどがフランス人でした。こちらはコ字型のはしっこにすわり、客全体を見渡せる位置でしたので、彼らがどんな食いかたをするか、それなりにおもしろい観察ができました。
 となりのフランス人カップルは、味噌汁・ご飯つきコースを頼んでいました。まず味噌汁を片手に持ち、それをレンゲつかってのむ。やっぱりすするのは抵抗があるのでしょう。だけど、はしさばきはなれたもんです。焼き鳥も brochette ですから、食いかたで悩むことはないでしょう。
 で、最後にそれがおこった(笑)。ご飯がずっと手つかずで残っていたんです。彼ら、やおら焼き鳥のタレをそこにぶっかけ、うまそーに食っていた。ひょっとすると、鳥丼とか鰻丼で、タレのかかったご飯を気に入ったのかもしれませんね。

1995年4月10日 SNCFってばケチ?

 SNCFはなかなか払い戻しをしたがらない。去年の5月に Beaune を旅行したとき、さいしょは Dijon から TVG に乗り換えて巴里に戻るチケットを自動窓口で買いました。ところが接続を調べてみると、Beaune から Dijon まで乗る予定の特急が Paris-Gare de Lyon 行きだったんです。しかも、Dijon での乗り換えには連絡時間が1時間あって、結局この特急に乗りっぱなしでも、巴里到着は5分違うだけでした。
 で、窓口で即座に TGV のキャンセルを申し入れたんです。そしたら、
「TGV のほうが速くて快適じゃない」
「いったいどういう理由でキャンセルするのっ?」
 といった調子で、とにかく「このまま TGV にすればっ!」という攻勢でした。
 こういうときは論理的に経済性を訴えるに限る。敵も納得してくれて、めでたく払い戻しが認められました。ただし、その場で rembourser してくれたわけじゃないです。身分証明書を提示したうえで、こちらの連絡先を申告する。で、向こうがコンピュータをたたいて、必要事項を入力する。それから払い戻しの証明書とあたらしいチケットをくれました。
 二週間後、払い戻し額相当分は、小切手で郵送されてきましたです。だから、旅行者の場合だとその換金手数料、しかもフランから円への換算もあるから、3000円ぐらいの差はないのと同じでしょう。

1995年4月6日 革命記念日はパス

 最初の年はちゃんと見に行く努力はした。でも、Metro 1 がパレードの前後は Palais Royal から Argentine まで駅が閉鎖されちゃう。そんで Palais Royal から必死に歩いたのだけど、人垣と通行止めに阻まれて、Roosevelt 広場に着いた頃には終わっていたのだ。だから、14 juillet見物は朝の早い時間からいかないとダメ。
 Place de la Bastilleの前夜祭はかなり怖い。治安がどうこうっていうんじゃなくて、爆竹の雨が降ってくる。滞在最初の年にいったのだけど、駅の階段を上る時点から、はやくも上から爆竹が降ってきて、足下でいきなりどかーんとくる(汗)。
 2年目はあっさりと寝過ごし、3年目は天気が悪かった。テレビを見たら「Merde! Il pleut.」ってペイントした傘をさしてたやつがおった(笑)。

1995年4月5日 治安の悪い地区

 巴里の治安はQuartier 単位で異なる。だいたい二百メートル四方ぐらいのブロックが安全地帯と危険地帯のユニットになっていて、これがモザイクのように入り交じっている。とくに Les Halles 近辺はこの混在がすごいので、旅行者にはちょっと危ない。ある程度住んでいると、雰囲気で「この
道から先は危ない」っていうのがわかるんだけど。
 だから、Les Hallesでも場所によってはすごく便利でいい。ただ、実際に経験したことなんですが、ビジネス街にある EDFの事務所に料金を払いにいこうと思ってちょっとショートカットしたら、突然雰囲気が一変して、街角のそこここには妖しげなおねーさんたちがうつろな表情で立っていた、なんてことがありました。

1995年4月3日 Mon cheri

 日本では二度ゲイにつきまとわれ、フランスでも一回、テレホン・ホモ電話に見舞われたことがある。電話口で野郎から「Mon cheri」と囁かれるのは、それはそれは気色悪い経験だった(笑)。でも最初は住宅環境に関するアンケートだっていうんだぜ。
 巴里のゲイたちの溜まり場ってえと、やっぱ Les Halles あたりが多いんじゃないのかな。そうだ思い出した。知人のはなしだと、ポンピドー・センター裏側の Beaubourg 通り沿いが有名なんだそうです。

1995年4月1日 Alliance のテスト

 3年前、最初に通ったのは Alliance Francaise でした。ESSEC の授業が8月末から開始だったので、7月ぜんぶと8月の前半は語学に全力をあげようと思ったのです。
 Allianceに決めた動機は、日本からの手続きが簡単だったから。たしかフランス語教育振興センターでもらったパンフレットをもとに、ファックスで申し込んだと思います。授業料の前払い金は日比谷にある Credit Lyonnais東京支店で送金用小切手を使い、書留便で郵送しました。さすがにおおくの外国人を受け入れているだけあって、書類などは非常に手際
よくそろえてくれました。
 ここは premiere inscription の際に、テストがあります。ただ、全員が一斉にやるわけではなく、テスト会場入り口に受け付けがあって、そこでテスト用紙をぽんとわたされ、空いている机でやる。時間無制限。すべて文法問題で、形式は5択方式です。
 できあがると回答用紙を受け付けにもっていく。そこでセルロイドを重ね、正答率がどのくらいかを grosso modoで判断される。
 中級以上と判断されると、こんどは自由作文を書かされます。だいたい15行程度。これがおわると、コンサルタントのところに行け、といわれます。ここで自分の希望する時間帯とかを言って、niveauも含めた割り振りが決定します。
 テストは文法中心なんで、日本人がやるとたいてい成績がいいんですね。すでに NSF3 をやっているひとなら、確実に niveau superieurをすすめられるでしょう。反対にスペイン系生徒は会話力があっても文法の穴があるんで、ほとんど不自由なく喋れても、初級クラスにいくよう指示されることがおおいみたい。


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パックの季節

4月になると、本格的に春が来た、という感じがする。フランスは3月に天気が劇的に変化し、いつから春が来たとハッキリ指摘できるぐらい、メリハリのきいた変化が起きる。空の色も地面の色も、ガラリと変化するのだ。そして4月は完全に春モードで、時間も夏時間だし日照時間はすでに日本の夏とおなじぐらいある。ほんとに彩り豊かなのだけど、この変化を満喫するためにも、11月からの長く暗い冬を体験しておかねば。
大学院の授業も4月は終盤という感じで、DEAの履修者ともなれば、ぼちぼちmemoireの目処を立てておかねばならぬころ。しかし当方、原稿書きの仕事が忙しくなり、しかも子持ちとなってバンバン稼がなければならない状況になってきたので、あまりのんびりと学校に通っているわけにもいかない。それだけでなく、だいたい自分の進むべき方向が見え、あとはそこに驀進あるのみという感じがしてきたのも事実だ。
フランスの大学院の授業料がバカ安くてよかった(笑)。なにしろ年額で1000フラン、2万円程度である。これがアメリカの私立大学だったりしたら、元を取るために意地でも居残り続けただろうが。
(2006.2.24記)