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95年11月の日記は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラムロマンス語派館」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。
当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。
フランスでの生活って、ニッポンの昭和40年代を思い出させるものがある。うちでも風呂の排水は年中詰まっていたけど、原因はワタシの長髪でした。カミさんよかおれのほうが長いしね。で、排水が悪くなると栓をば抜いて、針金ハンガーをバラしてこさえた棒でもってほじくりだす。ただ、管そのものは髪の毛以外でも詰まるので、定期的にアルカリ溶剤で手入れしなきゃならない。
フランスはあまりゴミのリサイクルをやらない。で、その理由が二説あって、ひとつはリサイクルが面倒くさい。もうひとつは、フランス人はドケチなので、モノは徹底的に使う。だから捨てられるころには、リサイクル不能状態になっている、と。どちらもけっこう信憑性があります。
マクロ・レベルの国民経済について、日本とフランスとで、決定的に違う部分がひとつあります。住宅投資です。フランスでは築百年のアパートが珍しくもなんともない。巴里のサン・ミッシェルあたりにいけば、築三百年で現役なんて建物もけっこうあります。だけど日本じゃ築30年のマンションなんてボロですよね。
だから、当然ながら日本では住宅投資のフローがかなり発生します。これは Produit National でかなりの比率を占める。あるエコノミストに聞いた話だと、実質成長率で日本の2パーセントとフランスの0パーセントは、経済成長の点でほぼおなじことなんだと。
自動車なんかでも買い換えサイクルは短い、ニッポンは。なんというか、戦後の日本経済の構造自体が、ストックを増やすよりもフローを拡大することに走ったから。もっとも、ヨーロッパのストックなんて、15〜19世紀に世界中の富を搾取した結果だけどね。
フランスで食ったトマトがやたらなつかしい。熟れ具合とかではなく、そもそも「養分が違うぞ」って感じ。きょうもスーパーでトマト眺めてきたけど、なんか違う物体のように感じてしまった。プチトマトはうまそうだったが。
茄子の場合、ゴマ油で揚げて鰹節まぶして食うという方法に限ってのみ、日本のほうがええ。フランスの茄子のほうがお味はおおむねいいのだけど、揚げたときにべちょっとなる。さっぱり茄子揚げだけはニッポン製を取りたい。
やっぱり日本は土がヘタってきたんじゃないかなあ。うまい野菜はやっぱりうまいみたいだから。
この週末は八ヶ岳山麓の原村に行ってたのだけど、冬の星座がすげー綺麗でした。なにしろ巴里では星空がろくに見えない。もしかすると空気は東京よりも悪いから。よほど澄んだ日でも三等星がせいぜいです。
月曜の夜に村を出たのだけど、雨上がりの空はひたすら透明でした。カシオペア座からオリオン座の西にかけて、淡い天の川がほんのり見えた。双眼鏡で眺めたら、アンドロメダ大星雲、オリオン座大星雲、プレアデスなどがくっきり。ええもん見ましたわ。
一等星の数では冬の星座が圧倒的に多いのですが、天の川のいちばんきれいな部分が夏の星座にあるため、にぎやかだけど、どこか寂しいのが冬の夜空の特徴ですね。だけど夜道を走っていて、ゆるいカーブを切ったらいきなり正面にシリウスが見えたりして、けっこうときめいた。
フランス滞在中はもっぱら巴里ばかりだったので、あまり夜空を眺めたことがなかった。2年前にレンヌの郊外、ちょうど CCITTの本部近くを夜ドラしたときに、車越しで見たのが印象に残っている程度です。
いやだけど、帰国三週間で鬱積したものをだいぶ払拭した。漫画読みまくったり、おでんやら納豆を存分にくらったり、露天風呂につかったり。ようやく逆カルチャー・ショック(笑)から脱しつつあるのですが、カネの不便さだけはまだ馴れることができない。なにせこの三年間、外出時にはせいぜい三千円相当分しか持ち歩かなかったので、現金社会では困ることしばしです。なして小切手が使えないんだよ。CDだって24時間やってくれたっていいじゃねーかよ、なんて思ってしまうわけで。パソコンを安く買えるのは無条件で評価しちゃうけど。
友人に誘われて尻焼温泉に行く。これまでベスト温泉は北海道知床のカムイワッカの滝だと思っていたが、尻焼はそれ以上かもしれない。眺望はカムイワッカのほうがいいが、温泉としての楽しさは尻焼のほうが上だ。河原を掘れば湯がわく温泉はいくらでもあるけれども、川全体が温泉になっているのはここぐらいのもの。しかも幅が10メートル以上もあるのだから。
夜の宴会では、酔っぱらっいたちにロン毛をおもちゃにされ、聖徳太子風に結われてしまった。
オープニングでいきなり「TOKYO GAGAGA」の大絶叫ではじまり、どえらく騒々しかった。日本側のおもなコメントは中森昭夫がやって、あとはコミケの風景を流したり、社会心理学者のコメントをはさんだり、なつかしのDカップねーちゃん中村京子の出張SMショーなんてのも映しておった。
二時間番組だったけど、途中で飽きました。それほどおもしろいとも鋭いともおもわなかった。あんなの放送するよか、中島梓さんの『コミュニケーション不全症候群』を翻訳したほうが、よっぽどええと思うわ。でも悪文満載のこの本、翻訳は至難だと思うけど。
バラデュールは「伯爵」というあだ名があったくらいで、とてもゆったりしたテンポ、抑揚はどちらかというと大波、よくいえば気品があっておおらか、悪くいえばボケたしゃべり方をするのが特徴なんです。だから物まね番組ではいつも引き合いに出されていました。
大統領選挙前は、よくミッテラン、バラデュール、ロカールの物まね討論がいろいろな番組でされてました。「ミッテラン」が風格あるしゃべり方でしょーもない話題を出し、それに「ロカール」がせっかちでせわしない仕草で突っ込み、「バラデュール」が場違いな発言をしてボケるというパターンですね、だいたい。
バラデュール内閣が支持率を上げたのは、ウルグアイ・ラウンドのときでした。あのときフランス政府代表となったバラデュールは、最後まで妥協しなかった。ハタから見ればエゴ向きだしだけど、フランス国民にしてみれば、自分たちの利益を守ってくれた首相、というわけですね。
フランスでもぼちぼち「オタク(otaque)」という言葉を耳にするようになった。テレビでも報道番組で特集されたことがある。しかし、そのスタンスは「現代ニッポン社会に見られる新たな精神病理学的現象」といったところで、やたらと風変わりな光景ばかりとモンタージュしたという印象をぬぐいきれない。だいいち、番組でコメントしていた日本の専門家じたいが、オタク現象を正確に把握していたとは思えないのだ。
ただ、日本の紹介といえば、歌舞伎やら能やら相撲やらに限定されたことを思えば、ある意味で一歩前進かもしれない。フランスで本当に日本を紹介したいのなら、アニメや漫画を抜きには考えられないはずなのだから。
(2006.2.24記)