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96年1月の日記は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラムロマンス語派館」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。
当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。
巴里で「安くてうまいレストラン」を見つける秘策をお教えしましょう。
それは……「フランス人がぎょーさん入っている店を探せ」ということ。
あ、ちょっとガクってきました?
だいたいフランス人はケチですから、こやつらがいっぱい入っている店ならハズレは少ないのです。だからこれがいちばん確実な方法ですね。
ただし、フランス人のディナー・タイムは夜8時以降なんで、7時ごろにあちこちのレストランを探して、「どこもすいているよー、みんなはずれじゃないの?」とは思わないこと(笑)。
スイスといえば不法就労……ってわけじゃないんだけど、去年、知り合いの小説家から、スイスでの不法就労について質問されたことがある。舞台設定で必要になったとかで。さっそく在ベルンの知人に調査を依頼したところ、スイスで日本人長期滞在者の世話をしているひとから、いろんなことを聞けたのですって。
まず、単なる不法滞在だけであれば、スイスはそれほどうるさくはないらしい。住んでいるだけ、というやつね。だから、もっとも安全な不法滞在は、スイス国内にアパートを借りるか居候して、イタリアかフランスで働くことだとか。ところが、スイス国内では不法就労の取り締まりはすごく厳しいらしい。とくにドイツ語圏では逮捕は確実だそうです。
やり口がいかにもスイス的なんですよね。まずは密告によって警察当局に通報される。「あの店、なんか最近は見慣れない日本人がいますよ」とかって感じで。
警察当局はそれから内偵によって容疑を固める。即逮捕はしないんだそうです。で、ある日現行犯逮捕をし、店の責任者も一緒に連行しちゃう。本人はもちろん国外追放だし、店の責任者も営業停止処分とか多額の罰金を課せられる、と。それでも日本食レストランとかには一定の需要があるため、不法就労の例はけっこうあるそうです。ただし表に顔が出る職種は目立つので、たいていは厨房仕事だそうですけどね。これは巴里あたりもおなじでしょう。
もぐりの通訳とか観光ガイドはいちばんやばいんだと。スイスはムラ社会で、こういう職種はユニオンの取り締まりがすごく厳しいうえ、狭い社会なので見慣れない顔はすぐにバレてしまう。即お縄だそうです。
観光地だとアクセサリー細工が定番ですね。ニッポンでも最近は繁華街で針金細工売ってるガイジンさんを見かけるようになった。あれ、経験者に聞いたらペンダントなんて原価30円だって。スイスでも観光地にはけっこういるんですが、儲けはたいしてよくないみたいね。むしろコンサートのおおいロンドンのほうがええみたい。巴里なんかだとメトロのなかでジャズかブルースを聴かせるほうが率はいいかも。これまでに一度だけ日本人のミュージシャンを見かけたことがある。メトロ1番だったと思うけど。
あー、これを読んでも決して不法滞在なんて考えないように>そこのあなた。合法的な滞在やら就労方法はいくらもあるんだから。
ドワノーのモノクロ写真は、以前グリーティング・カードでもらったことがある! 肖像権裁判で昨年話題になりましたね。あの二人は結局カメラマンに頼まれた「やらせ」で、モデルになったと称する女性がモデル代をもらってない、無断で公表された、なんて訴訟をおこしたんだったと思います。
この種のポスト・カードはポンピドー・センター近くにある Banque d'Images でたくさん売っている。秋に巴里を発つまえにキスシーンのモノクロ・ポストカードを大量に買って、年賀状がわりに使おうと思ったのだけど、結局ねずみの版画を彫ってしまった。
巴里の街並みはモノクロやセピア調の写真が似合いますね。写真の面影がそのまま現代にも残っているところがいいのかもしれない。これがニューヨークだと、ウェディング・ドレス姿のヤマトゴキブリのカード(8年前に流行った)なんだが。「決定的瞬間」と言ったのは……カルティエ・ブレッソンだっけ。
じつは hotel particulier は「特別なホテル」だと思っておりました(笑)。ついでに hotel de ville も「村のホテル」だと思っておりました。いまだから言えることだけど。
hotel に「庁」という意味があると知ったとき、「じゃあ税務署は hotel des impots なの?」と思ったら、本当にそうでした。
フランス人にいわせると、スイス人というのは「なにを楽しみに生きているのかわからない」国民なんだと。レストランなんかでもいつもつまらなさそうにしている。仕事はまじめだしソツなくこなすけど、これもまったく楽しげじゃない。だからスイス人の公務員は最高だけど、愛人にしたらこれほどつまらんものはない、というジョークが生まれたのでしょう。
姉の友人がスイス人と結婚してベルンに住んでいるんですが、「スイス人って、よーするにヨーロッパの田舎者ってことよね」と申しておりました。二人はニューヨークで知り合い、そのままNYに住む予定だったのが、会社(当然ながら金融機関)の都合で3年ほどチューリッヒに住むことになった。で、たしかにチューリッヒは3年だったけど、そのあとがNY復帰ではなくベルンになった、というわけです。
このご主人はスイス人でありながら、趣味がスキューバー・ダイビング。でもって、その友人が日本に帰省するときも空港までは同行し、通関後は別行動。ダンナはさっさと沖縄に行ってしまうんだと。
フランス人には日本人がスイスにすごくいいイメージを持っていることが、ほんとに不思議みたいね。いやべつにスイスにうらみはないんだが、アウトバーンでスイスに入国したとき、30 SFrs 取られたことが、いまだに釈然としないのは事実である。出るときはタダ(つまりドイツ側ではカネはとらない)なのに。
「particulier」という単語は、ソフトウェアとか CD-ROM を電話で注文するとき、ぜったいに覚えておかないとちょっととまどう。particulier が「一般人」「個人」という意味で用いられるのは、おおむね「法人」との対立として、です。だからなにか事務用品のようなものを注文するとき、「個人で買うのか、それとも会社が買うのか?」って質問をされます。単価が違う場合があるんですよね。
質問文はごくおおざっぱな場合は、「Vous etes particulier ou societe?」です。文法的にはもっときっちりした文章になるはずですけが。
スト渋滞の表現でも、perturbe より paralyse のほうが悲惨な状態です。ニッポンでいえば遵法闘争でダイヤが大幅に乱れているときは「perturbe」、ストで完全に止まっているときは「paralyse」ってとこかな。
Gyros スタンドで frites つきを頼むと、マクドでフライド・ポテトを注文するのがいやになる。おまけでついてくる frites は「頼むからもうちっとへらしてくれ」って量なのに、世界共通フォーマットのマクドではちょぼちょぼです。
フランス暮らしでわたしゃ牛肉が好物でなくなりました。とくにステーキが「ごちそうじゃない」と身にしみてわかった。まあ、日本でもすでにそうかもしれんが。Resto-U のステーキなんて、まじで草履食ってるようなもんだから。
郊外の大学になると、Resto-U とか付属 Cafe は貴重なたまり場です。Orsay なんて駅の近くに Distributeur さえない。その点、5区に校舎のある Sorbonne、Pantheon-Sorbonne、Rene De Carte はやっぱりいい。Jussieu もたむろ場所はありますけどね。
Luxembour 公園にたむろする学生ったら、Paris V がおおいのかな。アリアンスも近いから、授業帰りの生徒もおおいかも。Sorbonne や Pantheon-Sorbonne もそう遠くはないけど、たむろするなら Sorbonne広場のほうがちこおまっさかいに。
ここ1年ほどは、公園でパソコンを使う人が増えました。カフェでもそんなに珍しい光景ではなくなった。もちろん元祖風月堂でやったらどえらく目立つでしょうが。
カフェでノートブックを使うなら、柱のちかくの席を確保するのが鉄則です。たいていコンセントがついているので(笑)。
フランスとイギリスの大衆紙は国王ネタでよく罵倒合戦をするんですが、いつものパターンは、
フランス:「おめーらの王室の連中って、テイソー観念あるわけ?」
イギリス:「ばーろー、おめーらは国王の首なくさせちまったろーが」
ってなもんですね。
以前、ほとんど買おうかと思ったときに、端末の値段がふたつついていたんでなんとなく手を出せなかった。4000 FTTC ぐらいの「正価」らしきものと、1000 FTTC ぐらいの「キャッシュバック後」のようなものと。rembourse なんて出ていたから、購入時に正価をはらっても最終的にはかなり戻ってくるのかな、なんて思った。
GSMってたしか欧州共通インフラだったと思うのだけど、だとすると、近い将来、フランスの携帯電話をイギリスやドイツでもそのまんまつかえる、なんて考えていいのだろうか?
ニッポンの携帯電話価格は大暴落だね。10月末に石○で 49.8K JPY で買ったのが、いまは 30K JPY 前後になっている。業界ルート(笑)で流通しているセルラー系のなんて、加入料込みで 12K JPY だそうだ。これだと端末価格分は 3K JPY ぐらいしかしない。もうめちゃくちゃ(笑)。
ニッポンの PHS はオーストラリア、シンガポールが採用しましたね。これ、モービルのデータ通信用には決して悪い仕組みではないと思う。問題はマイクロ・セルラーであるがゆえのカバー領域の問題だけど。わざわざグレ電の近くまで行って、ボックスの外で通信するってのもなんだかなあ。
ギュロス Gyros では肉を円すいに積み上げ、焼けたところをそぎ落としていく。羊の肉だけどスパイスたっぷりなのでクセはない。油が抜けきっているから、さっぱりしていてほんまにうまい。削ぎ落とした肉をバゲットかエジプト・パン(とぼくは勝手に言ってるけど、別の呼び名があったはず。丸くて平たいパンです)にはさんむ。それにサラダとフリットをたっぷりと足す。好みによって辛口ソースかタルタル・ソースをかけてもらう、と。
このスタンドがいちばんおおいのは、おそらくサン・ミッシェルでしょう。黄色いジベールの裏手に何軒か店が固まっています。味はどこもおなじようなものだと思う。もちろんギリ飯屋のおおいムフタールにも何軒かあります。ギリシャ料理店 La Crete のとなりも Gyros のスタンドがあります。Av.Gobelins をイタリー広場に向かってのぼる坂の左側にも、Gyros スタンドが二軒あります。どちらも13区・区役所のすぐ近くですが。
はじめて Gyros を食ったのはドイツの Stuttgart 郊外にある Heiningen って小さな街。インドで知り合ったドイツ人とキプロス人夫婦の家に遊びにいったときのこと。たまたま出張で Stuttgart に行った(といってもメルセデスに用があったわけではない)とき、じゃあちょっと会おうかってことになった。
あのときは、ドイツ郊外の家の快適さに度肝抜かれました。彼らが「このあたりでは普通の家」といったのが、地下室付きの二階建て。一階は広大なリビングとキッチンだけ、地下室には5人ぐらい入れるサウナとランドリー・コーナー、さらに卓球台付き。二階はベッドルームが4つにバスが2つありましたです。ヨーロッパの有名な「この世の天国と地獄」ってジョークの天国編に「ドイツ人の家に住む」というバージョンもあるんだけど、これは十分に納得できます。
それに比べると、Renne 郊外にあった知人の実家はかなり質素な造りでした。リビングはゆったりしているけど、大きさとしては日本の田舎とそれほどおおきな違いはなかったような気がする。
フランスというか独仏の resto-rapide といえば sandwich Grec、ギュロスです。羊の肉をそぎおとすやつね。たっぷりの salade に frites 付きで 20〜25 Frs ですから、こりゃぜったいにケンタやマクドよりオトクです。あー、ギュロス食いてー。Gobelins近辺に三件スタンドがあるんだよね。
ところで、フランスの学校の休みは Zone によって違う。Zone A が Grenoble、Montpellier、Nantes、Rennes、Toulouse とかで、Paris は Zone C。もうひとつ Zone B があるんだけど、これは Strasbourg とか Dijon、Rouen など。
最近のヨーロッパのリッチはロシア人成金ですね。民主化によって貧富の差が極端に拡大し、金持ちはとことん金回りがいいらしい。ミラノやモナコなどで、すさまじい散財をするそうな。
巴里でアパートを探すときは、近所のカフェの雰囲気をひとつの目安にするのが常套手段です。カフェは確実にカルチエの鏡ですから。場末の雰囲気のカフェがある街は、街自体がどこか殺伐としているはず。その意味で、ぼくはやっぱり5区、6区のカフェ、とくに Vavin、St.Michel、Odeon 近辺のカフェが好きです。
ただ、気合いのはいった(というのも変だけど)カフェとなると、8区、それもルーズベルトとか Av.Montaigne、Av.George V 近辺ですね。このあたりのカフェは、ちょっと気取った格好で入りたいところでもあるけど。
Palais Royal や Tuilerie あたりはちょっと観光ズレしすぎてる感じがしますわな。ギャルソンもせせこましいし。まあ、日本語が通じるから楽は楽なんだけど。はいっていきなり「ご注文は?」と聞かれると、ちょっとあせりますが。
フランスでも最近は携帯電話加入者が増えている。うちにもフランス・テレコムからセールスの電話がきたくらいだ。広告でも盛んに宣伝している。
携帯電話とは別に、Bi-Pop もけっこう人気があったような気がする。たしかこれは日本のPHSとおなじような仕組みだったと思うけど。
自動車電話や携帯電話の総称はセルラーフォン、フランス語なら celluleur-phone なんだけど、この単語はフランス人にもそんなに知られてないみたい。「それは telephone sans fils だ」なんて平然というひとが多い。まあ、日本でも「セルラー」ったら、電話会社の名前だと思うひとが多いだろうけど。
日本で携帯電話に加入したのは95年のことだったと記憶している。秋葉原の石丸電気で電話機を購入し、同時に加入手続きをおこなったのだが、たしか4万円ぐらいかかった。当時の携帯電話はまだアナログ方式だった。連続待ち受け時間は30時間、連続通話可能時間は30分程度で、ちょっと長電話をしようものなら、途中でバッテリーがあがる、なんて可能性もあったわけだ。もちろん、基本料金・通話料金ともに高かったので、携帯で長電話をするなんてことは考えられなかったが。
95-96年当時だと、むしろポケベルの普及がいちじるしかったように記憶している。友人のライターでも持っている人は多かったし、なにより女子高校生の普及率がすごかった。ベル・トークなんて使い方もあったはずだ。それだけ広がりを見せていたシステムが、結局その後は携帯電話に吸収されたわけだが、かえってそれが携帯の爆発的な広がりを実感させてくれる。
通信に関しては日本やアメリカに大きく出遅れるフランスでも、徐々に携帯電話のセールスが目に付くようになってきた。街中の電気店やカー用品ショップに、携帯電話が並ぶようになったのだ。日本よりもペースは遅いだろうが、いずれは普及するのだろうと感じたものである。
(2006.3.12記)