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96年11月の日記の一部は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラムロマンス語派館」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。
当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。
ポトフというのはごく一般的な鍋料理みたいなもので、一般家庭でもなじみ深いもの。スーパーにいけばポトフ・セットが売っているくらいです。感覚としてはスキヤキセットみたいなもんだけど、スキヤキよりもなじみ深いものだと思います。
材料はニンジン、タマネギ、ポロネギ、ジャガイモ、カブ、そして豚肉(骨付きのまんま)です。これをコンソメスープでひたすら煮込む。香辛料のなんたら(ド忘れした)をタマネギにぶっさして香りをつけます。庶民的なレストランだと、秋・冬にランチメニューでポトフを出すところがおおいですね。
シラク大統領の訪日に関連して、現在、パリ日本文化館の館長をつとめている元NHKの磯村さんのインタビューがありました。インタビュアーは TF1 の名物女性キャスターだから、テレビでも放送されるのかな。ぼくは BFMで聴いたのだけど、たぶん、France Inter でも流していたと思う。あまりの流暢さに、最初はフランス人どうしが議論しているのかと思ってしまいました。
France 3 でも日本への envoye speciale たちのルポを放送してましたが、ここでは柿沢代議士が登場しておりました。カタカナ・フランス語ではあったけど、インタビューに応えただけでも偉いと思う。
秋の巴里の天気は、要するに「雪の降らない日本海側」である。
ひたすら曇る。さっさと雨が降ってくれたほうが、よほどすっきりする。一気に降って、それから晴れてくれ。さけびたくなるぞ。
ところが、降りそうでぜんぜん降らない。ようやっと降るときも、ちょっとしつこめの霧雨程度なので、傘が必要かどうか、微妙なところだ。たいていなしですませてしまうんだが、長時間歩いていると、けっこうぐっしょりと濡れてしまう。
11月6日はどえらくいい天気だった。空の感じは6月のようだった。天気がいい日はモンマルトル……というのがお約束事である。完全に観光化されたところであるが、それでも絵になるとは思う。サクレクール寺院の前庭には、一部で「鳥オジさん」と呼ばれる名物おやじもいる。あわよくばその写真が撮れれば、と思った。
前庭のいちばん下には、まだメリーゴーランドが稼働していた。子どもを二人連れた家族が乗っていただけ。ベンチにはサンドウィッチを食っていたアベックが、むらがってくる鳩をうるさそうに追い払っていた。
この日、鳥オジさんはいなかった。いつもなら階段をほとんどのぼりきったあたりで、浮動の姿勢で手のひらにパンくずを乗せている。それに雀が群がっているのだが、オジさんは若いころ、パレロワイヤル広場で彫像のパフォーマンスでもやってたんだろうか。
サクレクール寺院(写真左)から先は、いつものおきまりコースを歩いた。テルトル広場からキャバレー・ラパンアジル(写真中央)に向かう。途中の葡萄畑はすでに収穫されたあと。角のところでは、日本人の撮影グループがモデルを立たせて写真を撮っていた。
葡萄畑のすぐ上の通りが、モンマルトルの丘でもいちばんノスタルジックな雰囲気がある。豪奢な民家が二軒ならび、そのとなりがモンマルトル美術館(写真右)である。オフだからは、ほとんど人はいなかった。
11月に入ってから、街路樹の葉っぱがいっきに落っこちた。栗はまだしぶとくぶらさがっておる。歩道のうえは落ち葉の絨毯状態になった。
アパートからながめているぶんにはキレイでいいのだが、雨上がりはやっかいである。濡れた葉っぱはすべる。しかも踏まれていくうちにヘドロ化してしまう。夏の残雪とおなじで、こういうのは当事者になったらあかん。
翌日、清掃局の人間がスコップを持ち出して葉っぱを必死に処理していた。
小説家の高斎正さんから、時間があったらルノーのショウルームで確認してほしいことがある、という依頼があった。1902年におこなわれたパリ〜ウィーン間のレースで優勝した自動車の排気量が、手元の資料のデータがどうも信じられないとのこと。
たまたま航空機の予約をしに出かける用があったので、さっそく行ってみた。場所はシャンゼリゼにあるルノーのショウルーム。2階が小さな博物館になっている。
エスカレータをのぼってすぐ左に、「それらしき」車があった。壁のところにはモータースポーツの歴史があれこれと説明してある。1902年のレースの件についても、ごく簡単にふれられていた。
展示されていた車は、あいにくと目的のものではなかった。エンジンはド・ディオン・ブートン製。モータースポーツの開拓者ド・ディオン伯爵の話しは、その小説家さんが以前書かれた本で知った。
人によってはMとRがおなじってパターンもあります。日本で習う筆記体とフランス人の筆記体は、かなり違いますね。わりとありがちなのは、「t」と「r」がほとんどおなじだったり、「q」は日本で習う数字の「9」のように書いたり、とかですね。馴れるとそれなりに認識できるようになるから、そっちの方がこわい。
日本で習う筆記体だと、丁寧に書けば書くほどフランスでは通用しないと思います。かといってきたなく書けばいいってわけでもないんだけど。無難なのはブロック体ですね。
Dutroux 事件で思ったことは、ひょっとしたら『オルレアンのブティック』は都市伝説じゃなくて、本当の話しなんじゃないか、ということ。変な言い方だけど、たしかにオウム事件のほうが現代的ではあるけど、Dutroux 事件は逆に「病根」を見せつけられたような感じです。
11月に入り、街路樹の葉っぱが続々と落ちるようになった。アパートの表も裏も広い街路樹なので、この季節になると道の眺めが美しい。雨が降るとツルツルに滑るのだが、大きな枯葉に埋まった歩道は絵になる景色だと思う。
これから2月までの約4ヶ月間、重苦しい天気が続く。暗くなるのは早いし、明るくなる時間は遅い。かなりストレスのたまる季節だが、これを耐えるからこそ、3月半ばからの春が美しく感じるし、5月、6月の開放感が大きいのだ……と思って日々の重苦しさに耐えるわけである。
フランスの携帯電話に加入した。業者はSFRというところで、フランス・テレコム系のitinerisと並ぶ大手である。どうしても必要というわけではなかったが、カフェで仕事をする機会が多いので、あれば便利だろうと思ったのだ。
電話機はPanasonic製だが、日本のものに比べてかなりチャチな感じがする。もちろんPanasonicの責任ではなく、フランスの消費者にとってはこの程度で十分なのだろう。しかし、連続待ち受け時間が16時間、連続通話可能時間が10分とあっては、かなり使いづらいといわざるをえない。いちどの外出で一回使えればいい、という割り切りなのだろうか。
ただし、GSM規格なので、フランス国内だけでなくヨーロッパのほぼ全域で利用できるのはありがたい。ドイツやベルギーを旅行する機会があるだろうから、これで連絡がストップすることを避けられる。