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96年5月の日記は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラムロマンス語派館」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。
当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。
RATP は毎年定期値上げしています。パリに住み始めたときは、carnet がまだ 34 Frs だった。でもあのときは 1 Fr = 25 JPY っていう円安だったんで、円ベースでは上がったり下がったりなんですけどね。
よみがえれ! 1年前の円高! あんときゃ 100 JPY = 5.85 Frs って両替屋もあったぞ。
モナコGPは4年ぶりにニッポンのテレビ中継でみました。でもチェッカーがわずか4台というのは、はじめて見る苛酷なサバイバル・レースです。
レース結果は「初めて」とか「久々」づくしですね。パニスの勝利はもちろん初めてだし、無限ホンダ・エンジンも初勝利。フランス人のモナコ優勝は88年のプロスト以来、フランスのチームがF1で優勝したのは、いったいいつ以来だ。だいたいTF1でさえ、リジェなんてほとんど注目せずに、ウィリアムズばっか贔屓にしてた。
じつは「幻の横浜グランプリ計画」というのがかつてあった。14年前ぐらいかな。横浜の青年会議所が誘致に乗り出し、FOCAもかなり乗り気だったそうです。コースは根岸か磯子の港近辺の公道を使うというもので、フィージビリティまでやったのだとか。だけど開催費で交渉が難航したうえ、F1レースをやると轟音が10キロ先まで届くというので警察がダメといい、それに平行して進められていた鈴鹿が契約しちゃったので、具体化寸前までいきながら幻に終わってしまったのですね。
日本からはモナコ、スパ、シルバーストーンあたりが人気ツアーになってます。あ、そういえばベネトン・チームのパドックで、ゴクミがアレジを激励しているシーンがテレビに映っていたぞ。まだ続いてたのね。
しかしまあシューマッハはだらしないよな。弟の方がすぐに追い抜くような気がしてきた。ラルフ・シューマッハは26日に富士スピードウェイでフォーミュラ・ニッポン第三戦です。
安いレストランで注文する手順はこんな感じです。
東洋人を蔑視するフランス人もいれば、尊敬するフランス人もおります。より正確には、東洋人の何人かを軽蔑するフランス人もいれば、東洋人の何人かを尊敬するフランス人もいる、というだけですね。人種に対する感覚なんて個人のイデオロギーですから、普遍化して語ること自体がナンセンスだと思います。
ぼくは3年半フランスに滞在して、蔑視を感じる仕打ちを受けた経験がありません。単に鈍いだけかもしれないけど。もちろんこれは一個人の体験にすぎないわけですけどね。ただまあ、強いていうのなら、平均的日本人のほうが平均的フランス人よりも、よほど人種差別意識は強いんじゃないか、と最近は感じております。
街路樹であればchemin よりも avenue と呼んだほうが気分が出ます。
ぼくは勝手に巴里の Champs-Elysees、紐育の 5th Avenue、東京の銀座通りを「世界三大 avenue」と呼んでいます。もうちっと広ければ銀座通りが最高だと思うんですけどね。わずか4車線というのが残念。こじんまりとした雰囲気という点では、コリドー街のほうがいいかもしれない。
しゃれた街にはしゃれた通りとしゃれたカフェは必須アイテムだと思います。ヨコハマだと山下公園通りがいい。とくに銀杏の落ち葉がじゅうたんのようになる12月上旬ね。夏のしんしんとした雰囲気もいいですが。唯一残念なのが、Hotel New Grand がむやみにでかくなったこと。むかしのようにこじんまりとしていたときのほうがよかったのに。
巴里のほうでは、アパート前の Boulevard de Port Royal もいいんだけど、その一本裏の Avenue d'Arago のほうが街路樹はきれいです。4〜6月はときおりキツネの嫁入りがあるんですが、そんなときは、水滴をたたえた街路樹が本当にきらきら光る感じがして。だから巴里からは足抜けできません。
滞在許可はいろいろと複雑で、titre de sejour のカテゴリーそのものはetudiant、employe、visiteur の三つしかない。ところが、visiteur にはサブ・カテゴリーともいえる statut があって、その多くが個別判断になってしまいます。
比較的手続きが確定している statut は、artiste、chercheur invite の二つです。前者は絵画、写真、音楽、舞踏などで実際の活動歴を証明すれば、VISA も滞在許可も比較的スムーズにおりるようです。chercheur invite は受け入れ先の書類がそろえばこれも手続きは定式化しておりますね。家族VISAも visiteur に属するのですが、これは配偶者が滞在許可を取れば連動してます。
VISA は発効されないけど statut として手続きが定型化しているのが、自由職業者(profession liberale:P.L)です。フランス国内で翻訳や通訳をやっている学生以外の正規滞在者は、ほとんど P.L でしょう。現在では、学生身分から合法的に労働ができるもっとも簡単な道が P.L への切り替えです。
で、ほんとに最近になってわかったのは、それ以外の statut もかなりありそうだ、と。昨秋の出国寸前にわかった journaliste independant もそうですが、今回判明した chercheur independant も、ですね。ただし、これらは VISA を発給する省が警察とは別組織ですから、滞在許可申請で「なんだそれ?」という対応をされる危険性があります。
流しの研究者(笑)には昨日フランス大使館から連絡があって、なんとかVISAはおりたのである。でも正直いって、あっけないくらい簡単におりてしもたので、滞在許可がいまから心配。また口八丁手八丁やらないとあかんのか。
自由職業者のvisaが下りた。あっけなく、といっていいぐらい、スムーズに下りた。もちろん、書類を揃えるのはたいへんだったが、正直なところ、いちどで通るとは思っていなかったのである。これで再渡仏の準備を予定よりも早めなくてはいけなくなった。
それにしても、今回の手続きで対応をしたフランス大使館領事部の職員の傲慢さは、いま思い出しても腹立たしい。もともとフランス大使館内に対応のいい日本人職員を見た試しがないが(何度か接するうちに、多少は柔らかな応対をする職員はいたが)、今回の職員のひどさは特筆ものである。何度、横っ面をはり倒したくなったかわからない。
口のききかたが悪いとか、顔つきがケンノンなぐらいは我慢できる……というか、こういう機関の職員なら、さもありなんぐらいには思っている。ところがこやつの場合、用意するべき書類の部数といった基本的な説明がコロコロ変わるわ、受付終了時間前なのに、間に合いっこないから出直せと言いはなったりするわ、職員としての基本的な姿勢がなっていない。それで可愛い気がないとくれば、こちらの不快感が増すばかりである。
フランスで滞在許可証を担当する役人の対応もひどく傲慢である。対応もけっこう気まぐれだ。まさか領事部の職員は、それがフランスのお役所仕事の標準だと思っていたわけではないだろうに。
(2006.3.12記)