21世紀の日記
20世紀の日記

*この日記について

2003年1月の日記は、勤務先の学生有志が自主的に運営していたサイトに掲載していたものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、当時は掲載しなかったテキストの一部を復活させています。


2003年 1月31日 負けた

 授業はないが入試関係の会議で登校。
 昼までにレポートの採点を終える。会議後、卒論の採点も終え、成績をすべて教務課に提出する。
 帰りの首都高で、めっちゃくちゃコーナリングの速い車が一台いた。平和島の左高速コーナーで、追いすがるどころか離されてしまったのである。こうまで見事な「負け」は、過去二年でこれが二度目だ。
 

2003年 1月30日 送別会

 木曜だけど月曜最終授業である。
 6時から林先生の送別会があったが、6限に授業があったので欠席する。授業が終わってからは研究室でレポートと卒論の採点をする。
 4科目分のレポートともなると、かなりの量ではあるが、最初の一ページを眺めれば、出来具合はあらかた想像できてしまう。キチンと書けているレポートは、キチンとした体裁で書かれているものだ。雑な体裁のレポートは内容も乱雑である。
 

2003年 1月29日 これも研究の一環

 月曜の授業を行う日だが、この日はすべて自習。浮いた時間でレポートと卒論の採点に取り組む。
 こんな変則日程になったのも、すべて国のせいである。まったくアホな祝日ばかりこさえてくれるもんだ。祝日がむやみに多いから会社員は有休消化が進まず、結果的に観光地は祝日がらみの連休に人出が集中するから、ロクなことがないのだ。国民が真面目に遊ぼうとしないから、こんなバカな事態になるのである。
 学生よ、遊びにこそ真剣に取り組め!
 ……というわけで、八王子で買い出しである。

  • OFF堀之内
    • HWC 千引きの石 山岸涼子 100
    • HWC 汐の声 山岸涼子 100
    • Kibo 雲竜奔馬 4,5 みなもと太郎 @100
  • いとう東中佐藤書房野
    • JC 侍ジャイアンツ 7 井上コオ/梶原一騎 200
    • JC ど根性ガエル 19 吉沢やすみ 500
    • 花ゆめC すきすきビッキ先生 2 望月あきら 400
    • CM すみこみ学園 柳沢きみお 400
    • SC 虹をよぶ拳 7 つのだじろう/梶原一騎 1000
    • HC 赤き血のイレブン 4 園田光慶/梶原一騎 1000
    • GC カムイ外伝 1 白土三平 300
    • KC マダラ 木村えいじ 300
  • 佐藤書房
    • SC アゲイン 4,5 550
    • SC 虹をよぶ拳 6 つのだじろう/梶原一騎 700
    • CM パットマンX 5 ジョージ秋山 1000

2003年 1月28日 タイヤを戻す

 D社のIさんと打ち合わせをするかもしれなかったが、コアメンバーの一人と調整がつかずにお流れ。C公の原稿の直しに取り組む。
 仕事場に行ってタイヤをノーマルに戻す。作業中、K泉さんがMGで戻ってきた。なんでも急に大分まで行かねばならなくなったそうだ。こちらはタイヤ交換後に八王子でまたまた古本屋デートである。

2003年 1月27日 サーバーだめっぽ

 昨夜、今朝と、ME-NETに日記ファイルを送ろうとするも、二度にわたって user unknown で戻される。サイバーテロ発生か?……なーんて、きっとサーバを移行させたときの設定ミスであろう。ラウンジで偶然出くわした富澤くんに状況を報告する。
 4限の時間帯に、警備員さんから内線電話。「車のライトがつけっぱなしのようです」。げ、やばい。あわてて雨の駐車場に行き、ライトを消す。バッテリーの状況チェッカを見たら、さすがに放電過多となっていた。それにしても、この学校の警備員さんは、細やかなところまで気を配ってくれるので助かる。
 帰りの首都高は今日も快適な流れであった。でも、ハンドリングには、いまだになじめない。明日はタイヤをノーマルに戻すことに決めた。

2003年 1月26日 クロカン挑戦

 午前中、八ヶ岳自然文化園でクロスカントリースキーに挑戦。クロカンは初体験だったが、15分ほどでなんとなくコツがつかめた。オリンピックのクラシック・スタイルを思い出しながら滑走。けっこういい運動になる。
 二時間ほど滑ってから山小屋に戻ると、娘が「変な鳥がいる!」と指摘。なんなのかと思ったら、庭先にキジがいたのであった。あわててデジカメを取り出して写真を撮影。キジのほうは落ち着いたもので、悠然と庭を散歩し、ときおり木をつっついて芽だか虫だかをついばんでいた。生キジを見るのは十五年ぶりぐらいか。
 2時ごろに原村を出る。高速は渋滞前だったので、すいすいと帰ることができた。中野トンネル近辺は新ルートが開通していた。猿橋バス亭付近の拡幅が終われば、中央道の渋滞もかなり緩和されるかも。北海道や山陰の高速などいらんのだから、早くこういうところを改善してもらいたいものだ。

2003年 1月25日 結氷した諏訪湖

 今日から原村の山荘で1泊2日、久々に家族総出で外泊である。
 昨日、諏訪湖で二度目の御神渡りが見られたというので、諏訪インターまで直行し、岡谷方面の抜け道を使って諏訪湖畔に出た。諏訪湖は全面結氷しており、釣り人も多数。写真は諏訪湖上から八ヶ岳を撮影したもの。手前の雪原が結氷した諏訪湖です。

2003年 1月24日 アンケート結果

 今日で金曜の授業は終わり。二つの講義で学生に授業評価アンケートを依頼する。けっこう高い評価をしてくれたので、ほっとした。けっこう緊張するんだわ、これは。
 夕方はゼミ生を連れて神田神保町の古書店街で資料収集実地演習。まずは中野書店に行って、先日注文しておいた雑誌を受け取る。そのほか、昭和30年代の雑誌を数冊とコミックスを購入、けっこう収穫があった。

  • トモブック 恐妻番付 白路徹 800
  • JC ふしぎなトーボくん 6 ちばあきお 400

2003年 1月23日 忙しい一日

 家を出たぐらいのときにアラレが降り始める。埼玉に入ったあたりで雪に。スタッドレスのままにしておいてよかった。

 10:00〜10:25 教務課でシラバスの確認
 10:30〜12:10 臨時教務委員会
 12:15〜12:55 世古典担当者ミーティング
 13:10〜13:45 印刷業者と『大学入門』の制作打ち合わせ

 昼はいつ食ったかって? 13:00〜13:08に蕎麦大盛りを一杯@学食ね。
 今日も帰りの首都高はスムーズな流れ。小菅JCTあたりで一瞬車のグリップがなくなったような感じがして、ちょっとアセる。いつもよりスピードは落としていたのだが。HONDA Beat みたいにハンドリングのシャープな車は(リア・ミッドシップだかんね、なんたって)、タイヤの性質が変わるとフィーリングが歴然と違ってくるので怖い。

2003年 1月22日 次から次へ

 一つの仕事が終わっても、まだまだ急ぎの仕事が続く。デートの約束があったのだけど、泣く泣くキャンセル……というか、一週間延期。
 タイヤをノーマルに戻そうと思ったが、明日、雪が降るかもしれないとの予報が出たので、スタッドレスのままにしておく。
 オリエンテーションで使う『大学入門』の編集作業を再開する。
 C公論新社のG司さんに電話をかけ、12月に送った原稿の修正個所について打ち合わせ。ついでに先日送った企画の打診もする。

2003年 1月21日 書きまくり

 朝からひたすら原稿の追い込み。午前2時ごろにようやくアップ。ファイルをI泉さんにメールで送る。ふー。
 去年の10月から怒濤の原稿モードに入り、なんだかいつもいつも原稿を書いていたような気がする。ためしに10月以降の執筆枚数を数えたら、800枚を超えていた。こりゃ疲れるわな。でも、3月までにあと300枚(わははははは←ヤケクソ笑い)。

2003年 1月20日 久々の授業

 月曜の授業は一ヶ月ぶり以上だった。
 5限の漫画文化論では、すがやみつるさんに講義をお願いする。本職が作画技法を実際にデモをしながら話してくれたので、学生の反応もかなり熱かった。
 今日はこの授業のレポート締切日。まだざっと見ただけだが、力作が予想以上に多いのにびっくり。レベルも相当高そうだ。
 しかしなー、天気予報はあたらないなー。雪のない道をスタッドレスで走るのは、タイヤグリップの感覚が違うので怖い。首都高の銀座S字で一瞬ふらつきそうになった。
 米倉先生が紹介してくれた本をアマゾンに注文する。

  • ロナルド・H・コース 企業・市場・法
  • ケネス・J・アロー, 村上泰亮 組織の限界

2003年 1月19日 タイヤ交換

 今晩から雪かもしれないというので、仕事場に行って車のタイヤをスタッドレスに交換する。
 駐車場で、仕事場の隣室に住むK泉さんが車のメンテをしていた。この人はMGのオープンカーに乗っていて、昨夏は二度ほど一緒にツーリングに出かけた。写真は昨年8月27日に乗鞍岳畳平前で撮影したもの。手前がK泉さんのMG、奥が我がBeat。
 出入りしているガレージで、MGクーペがタダでもらえるのだけど興味ありますか、と聞かれた。エンジン関係だけが悪いだけで、ボディーの状態はいいらしい。ちょっとそそられる。

2003年 1月18日 007シリーズ

 9時ごろ起床。
 いちど書き上げた原稿の推敲をする。
 DVDをアマゾンで大量注文。なにしろ007シリーズのボックスがでかい。ちびちび買うよりは楽だ。

  • 007 製作40周年記念限定BOX
  • アマデウス ― ディレクターズカット スペシャル・エディション

2003年 1月17日 朝ドラ

 7時半前に起床。NHK BS2で朝ドラ『まんてん』を見る。夜更かししても毎朝起きるコツは、NHKの朝ドラを惰性で見ることである。このドラマも浅野温子の出番が減ってから、おもしろくなってきた。浅野温子は嫌いではないけれど、演技がリアルすぎて、このドラマでは浮きまくっている。『オードリー』の大竹しのぶと同じだな、このパターンは。
 2限・3限と、めいっぱいしゃべりまくる。2限メディア史の時間に、受け手の参与性・補完性の説明で、古事記を「おかず」にできるかという例を出した、という話を早川さんにしたら、「ぜったいにできる!」と同意してくれた。
 帰り際に、入試広報課・石月さんから、パンフレット原稿はできましたか、と聞かれる。げ、すっかり忘れていた。研究室に戻って速攻で書き上げ、ファイルをメールで送る。
 帰宅後、漫画家のすがやみつるさんと、月曜の特別講義の件をメールで打ち合わせる。劇画系マンガの掲載誌をいくつか、こちらで準備することに。

2003年 1月16日 ピットイン

 外気を吸うのは先週の金曜以来である。
 朝の首都高の流れは今日もわりと良好……だけど、浜崎橋近辺で腹痛。無理に我慢して事故るのもイヤなので、銀座出口でいちど降りる。昨年もおなじパターンがあり、銀座出口の先の雑居ビルにトイレがあるのを知っていたのである。そこからだと、京橋ランプからすぐに首都高へと戻れるので好都合なのだ。
 あいにくとそのトイレには先約あり(涙)。しかたないのでトイレのありそうなところを探す。二ブロックほどでドトールを発見。180円のエスプレッソを注文し、すぐにトイレに駆け込む。
 トイレリタイヤのタイムロスは約10分。学校には10時15分ごろ到着する。論文の採点をすませる。副指導担当者何人かに論文のチェックをお願いする。
 夜7時ごろ学校を出る。首都高はガラガラで、家まで一時間ぐらいで着いた。夜の首都高は、直線だけはやたらカッ飛ぶセダンが多いので困る。こういう「直線オヤジセダン」はコーナーでやたら減速するから迷惑だ。

2003年 1月15日 スランプでもないけど

 水曜は仕事が進まない。次の日は出校日なので、どうしても夜なべ仕事ができない。2時までには寝なければ、と思うと、それだけでペースが狂ってしまう。徹夜や夜更かしが効率的だとは思えないが、勢いのあるときに書け上げられないと、やっぱり量はこなせない。
 I泉さんとゲラまでの段取りをメールでうち合わせる。

2003年 1月14日 仕事のスタイル

 昼前に起床。眠気覚ましにカフェラテを一杯。
 いつものようにコタツの座椅子に座り、ノートブックを起動させる。今年に入ってから、いちばん時間を過ごしている場所は、間違いなくコタツの前の座椅子である。気分は少女マンガ家(とほほ)。
 日付はとっくに15日に入り、第二章の最初の2セクションがアップ。ファイルをI泉さんにメールで送る。午前3時の真夜中なのに、外ではカラスが啼いている。横浜駅近辺のカラスは完全に夜型になっている。

2003年 1月13日 成人式やめちまえ

 いつも思うんだけど、成人式も成人の日もやめちまえばいい。テレビでいくつかの成人式風景を映していたけれど、オレには七五三とおなじにしか見えない。
 Dモンドの原稿、第一章がアップ。編集のI泉さんにファイルを送る。あっと、もう14日の明け方じゃん。
 寝床に入るまえに、「明日も原稿がはかどるぞ!」と三度念じる。人間、自己暗示も重要である。

2003年 1月12日 曜日無関係モード

 あれ、今日は日曜か。どうせ毎日仕事だから関係ないしー。
 さてと、原稿書かなきゃ。
 で、なぜか中野に行って、まんだらけで買い物をしたのであった。

  • AC どん亀野郎 バロン吉元 300
  • AC さわぎ屋たち バロン吉元 600

2003年 1月11日 そろそろ勝負時

 10時ごろ起床。ノドがまだ痛い。
 今日からの三日間がDモンド社の原稿の勝負どころ。最終目標は完成原稿で300枚。完全に体力勝負である。
 巴里在住時代に最も仲が良かったモロッコ人の友人からメールが届く。ここ数年、完全に音信が絶えてしまったのだが、先日、たまたまパリ13大学で彼が教員をやっていることを知り、そのアドレス宛にメールを送ったのだ。今日、その返事が来た。

2003年 1月10日 仕事始めだけど

 年明け最初の授業。でも、ずっと仕事漬けだったので、「あけましておめでとう」という気分にならない。
 新宿キャンパスの助手さんより、SPSSの価格表をファックスで送ってもらう。SASよりもずっと安い。入れるとしたら、こっちしかないかなあ。
 7時より日比谷で新年会。昨年の11月からずーっと激忙状態だったので、忘年会・新年会は、この日の会に絞った。
 メンバーは大学時代のサークルの先輩・後輩・同期生たち。約25人が出席。二十年ぶりに会う人もいて、とにかく懐かしかった。もうすっかりとオジサン・オバサンになっているのに、姿形も性格も変わってない人が多い。
 現役生が4人参加。同窓会名簿の校正を回覧したのだが、そのなかに「太田房江」という名前を発見。役職が「大阪府知事」になっていたから、あの太田さんで間違いない。おなじサークルにいたなんて、いままで知らなかった。
 10時ごろから二次会。みんな去りがたく、20人ほどで近くのカラオケへ。先輩のTさんがハイテンションで、キャンディーズとモーニング娘。をフリ付きで歌う。この先輩、某一部上場企業の若社長なので、みんな「しゃちょーっ!」とはやし立てる。
 ほんと、楽しくシアワセな新年会だった。が、騒ぎすぎてノドがひりひりする。
 帰宅したのは午前1時ごろ。2時間ほど原稿を書いてから寝る。

2003年 1月9日 中央環状いいじゃん

 昼も夜もない生活が続いていたので、朝起きられるかどうか心配だったが、すんなりと目が覚めてくれた。
 昨年末に首都高中央環状王子線が開通したので、さっそくそのルートを試してみる。この開通のおかげか、行きも帰りも流れはすごくよかった。
 内山さんより、SASを入れたいと相談された。統計処理パッケージはオレもほしかったので、関係各方面に打診を始める。
 学科会議で来年度のゼミ割が内定。
 帰宅後はすぐに執筆モード。7、8日と今日の三日間で、7時間分のインタビューからデータ原稿を92枚分作成。ようやくペースがつかめてきた。

2003年 1月8日 執筆モード

 明日から学校の授業が再開だが、依然として執筆モードは変わらず。
 早川さんよりメール届く。明日の学科会議の資料についての確認だった。
 Dモンドの編集さんに、原稿は週明けになりそうだとメールで伝える。

2003年 1月7日 外出

 昼過ぎに、娘を連れてヨドバシカメラで買い物。何日ぶりの外気だろう。
 夜十時ごろ、ようやく区切りがつく。書かねばいけない原稿量200枚のうち、とりあえず100枚分が完成。残るパートはデータ原稿を60枚分とりあえず仕上げた。一応、あと四日あれば脱稿できるメドが立つ。
 十時半ごろ、出来た原稿をメールで担当編集者に送る。三十分後、受領確認のメールが届いた。明日読ませていただきます、とのこと。
 K談社の原稿が一区切りついたので、Dモンドの仕事を再開する。とりあえずデータ原稿を一本作成。

2003年 1月6日 やばい

 ああああああ、今日が締切目標日なのに、最低限の量にも届きそうにない。編集さんから電話がかかってきたらどうしよう。
 今日で何日間、外に出ていないのやら。

2003年 1月5日 毎日が仕事

 相も変わらずパソコンに向かって原稿執筆。昨日までの三日間で、とりあえず仕上がった量は60枚ぐらい。明日中になんとか100枚に届かせたいところだが。
 世間では、明日から仕事始めみたいだけど、元旦以外、ずーっとフル回転で働いてきたオレには関係ない(涙)。

2003年 1月4日 なんとか落ち着いた

 一日家にこもって原稿執筆。これで丸々三日間、外に一歩も出ていない。ほんとうならスキーにでも行く予定だったのだが、淡い初夢であった。
 ようやく腹痛がおさまる。当分、しゃぶしゃぶは食うまい。

2003年 1月3日 駅伝

 箱根大学駅伝の復路を見物に行こうと思ったが、雪がちらついたのでやめた。テレビの中継を観ていたら、去年、見物していたあたりのところで、駒沢大学が山梨学院を抜いてトップに立っていた。見にいきゃよかったな、やっぱ。
 駅伝を見終わってから執筆再会。資料の一部で未確認情報があったので、ニューヨークタイムズのデータベースを検索。この本、資料が英語ばかりなので、昨年末からすっかりと英語漬けになってしまった。ちょっと食傷気味。

2003年 1月2日 ウォシュレットほしい

 腹痛がおさまらず。お尻がヒリヒリしてきた(涙)。
 昼過ぎから原稿を書きはじめる。K談社の担当編集者には、年明けには渡すと豪語してしまったので、もはや崖っぷち……って、本当なら一昨年の9月に上げていなければいけない原稿だったのだが。
 テレビ東京の長時間ドラマ、今年は『忠臣蔵』だったので観ないつもりだったが、仕事をしながらも、結局最後まで観てしまった。
 今年のモットーは「バカを許すまじ」に決めた。ちなみに去年のモットーは「周囲の半分は敵でいい」であった。

2003年 1月1日 いきなり腹痛

 新年の瞬間は、昨年と同様、ベランダから横浜港の汽笛を聞いて迎えた。
 昼前には起床。大晦日ギリギリまで原稿書きに明け暮れていたが、元旦の今日ぐらいは休養したい。どうせ明日から仕事を始めないといけないのだから。
 午後4時ごろ、ラーメンを食ってから近所の両親宅に行く。夕飯はしゃぶしゃぶにしようと誘われていた。途中、娘を連れて神社で初詣。夕方なので、人の数はチラホラという程度だった。
 5時ごろ両親宅に到着。娘がお年玉をもらっていた。
 小腹がすいた程度だったが、すぐに夕食が始まる。これが新年早々のトラブル初めとなる。つい調子に乗って肉をバクバク食ったら、8時ごろから強烈な腹痛に襲われた。食い過ぎらしい。最近、あまりうまい牛肉を食っていなかったのが裏目に出たようだ。
 帰宅後、アマゾンに本とDVDを注文する。

  • 西谷祥子 奈々子の青春
  • 西谷祥子 花びら日記
  • ピーター・オトゥール他 アラビアのロレンス【完全版】 デラックス・コレクターズ・エディション
  • オードリー・ヘプバーン他 シャレード
  • オードリー・ヘプバーン他 パリの恋人
  • オードリー・ヘプバーン他 マイ・フェア・レディ 特別版

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諏訪湖の前面結氷

一月、両親を連れて原村に行ってきた。ニュースで御神渡りが見られたと報道されていたので、まずは諏訪インターに直行し、湖畔沿いの道に向かった。岡谷方面に向かう途中、湖畔で釣りをする人たちの車が何台も停まっている駐車場に入り、我らも湖の上を歩いた。
諏訪湖の前面結氷を見るのは二回目である。1984年だったと思うが、会社の同僚と年末に松本を車で訪れた帰りに諏訪湖に立ち寄ったら、氷の透明度はまだ高かったが、たしかに湖面が結氷していた。そのときに比べると、今回のほうが氷の層ははるかに厚そうだった。
最初はちょっと心配だったが、何人もの人が湖面を歩き回っていたので、多少慎重になりながらも湖上の散歩を楽しんだ。何ヶ所か氷がゆるんでいるところがあったものの、全体的にはかなり固い層になっており、クロカンスキーでもあればけっこう楽しめたのではないかと思う。
この年は八ヶ岳方面を低気圧が通過することが多く、原村の積雪量は平年をはるかにうわまたっていた。もともと原村は太平洋側とおなじ気候なので、冬型が強いときはかえって雪が少ないのだ。冬型が安定せず、低気圧がやたら通過するこの年のようなパターンのほうが雪に見舞われる。そして気温自体は低いので、降った雪が溶けずに残るわけである。
八ヶ岳自然文化園はかなりの積雪に覆われ、そのおかげでレンタルのクロカンスキーを楽しめた。クロカンの板を使うのは始めてだったが、クラシック・スタイルで滑ればわりと簡単である。アルペンよりも手軽だ。ただ、かかとが固定されていないので、下りはかなり怖い。