2003年 2月28日 オープンエア

 京都のホテルを11時ごろにチェックアウト。地下街の名店街にある福寿園という店でお茶を3セット購入する。京都土産は緑茶と決めているのである。
 昼、一乗寺に車で移動。石川古本店の店主、石川栄基さんに取材。石川さんは京都手塚治虫ファンクラブの創設者であり、手塚コレクターとして、この方面ではえらく有名な人である。現在は京都漫画研究会を主宰し、古い手塚本の復刻活動などをおこなっている。昨年は『リボンの騎士』なかよし付録版を復刻された。
 多くの人にぜひ知っておいてもらいたいのは、復刻はカネがかかるという事実だ。とくにカラー原稿は、新刊当時に雰囲気を出そうと思うと、どえらい手間とコストがかかる。一般に、復刻本は価格が高いので、主宰者がボロ儲けをしていると勘違いしている人が多い。そういう人は、いちど自分で復刻をしてみるといい。完売したところで、どれだけの持ち出しが生じるかがわかるだろう。
 1時半ごろ、石川さんのところを後にする。帰り際に、原画を製本したものを貸してくださった。本一冊、すべてが原画で構成されているという逸品。こういうとんでもないものを、惜しげもなく貸してくれるのが、石川さんのすごいところである。
 石川さんへのインタビューで関西での予定は完了。京都東インター手前のスタンドで給油し、次のアポがある名古屋に向かう。天気がすごくよく、時間にも余裕があったので、最初のパーキングに立ち寄り、車の幌をあげてフルオープンにする。快晴の空の下、名神高速をオープンエアで走るのは爽快だった。80キロでのんびり走っても、名古屋には予定よりも早く到着。

2003年 2月27日 フランス人と漫画談義

 今回の関西出張のメインイベントの一日が始まる。
 昼、アニメ制作のために来日中の研究者と、つい最近来日したばかりの写真家という二人のフランス人を相手に、日本のマンガやアニメについて意見を交換することになっていた。
 待ち合わせの時間より15分早く、待ち合わせ場所のホテルグランヴィア・ロビーに着く。椅子に腰掛けて本を読んでいると、ほどなく、二人を紹介してくれた翻訳家のY本さんが来る。それから待つこと5分、ヴィオレーヌとサミュエルの二人が到着。挨拶もそこそこに、伊勢丹10Fの伊太利亜屋に移動。
 まとまったフランス語をしゃべるのは、おそらく2年ぶりだと思う。まあ、なるようになれという感じで店に入る。ラテン民族二人と、何語であろうと喋るのが好きな日本人二人が囲むテーブルは、周囲から完全に浮き上がってしまった。
 前日に古書店で購入した松本零士のマンガを何点かヴィオレーヌに見せる。フランスでも人気の高い松本零士の作品だけあって、興味深そうに眺めていた。津雲むつみのレディコミを見せたところ、読者層を質問された。
 ランチタイムが終了するころに、ヴィオレーヌ、サミュエルともに別件の用があるとのことで散会となる。昼食に2時間半以上かけたことになるのだが、ほとんどがしゃべっていてばかりで、食っていた時間は30分ほどか。
 ヴィオレーヌに紹介したマンガ家の作品の書影がパソコンに保存してあるので、夜、ホテルからメールで送る。楳図かずおと山岸涼子に、ずいぶんと関心があるようだ。

2003年 2月26日 古風な喫茶店

 朝、今日会う予定の有斐閣のO前さんと、落ち合う場所と時間について電話で打ち合わせる。
 京都駅地下街のPRONTOで朝食を取る。やや食い過ぎたので、京都駅前の漫画喫茶に入り食休み。村上もとかの『龍』の最新刊ほかを十冊ほど読むと、待ち合わせの時間が近づいたので、ホテルには戻らず、地下鉄に乗って移動。
 待ち合わせ場所は河原町の丸善前。地下鉄で四条烏丸まで行き、そこから徒歩。烏丸・河原町間は車だとすぐだが、歩くとけっこう距離がある。2分前になんとか着いたが、すでにO前さんが到着していた。
 挨拶も早々に、四条を高瀬川沿いに少し下ったところの喫茶店に入る。京都らしい渋い店であった。
 2時間半ほど、現在の仕事のこと、いくつかプランを練っている企画のことについて話す。このときもそうだったのだが、最近は波長の合う人を前にすると、ついついしゃべりまくってしまうのだ。相手にとっては災難かもしれない。
 6時ごろ京都駅に戻る。飲食店街のトンカツ屋で夕食をすます。なかなかうまいロースカツであった。

2003年 2月25日 夜の買い物

 午前中、ホテルのロビーで資料読み。昼から共同翻訳中の文献に関する打ち合わせ。アポ自体は一件のみだったが、資料を読むのに忙しく、あわただしい一日だった。
 昼食は翻訳の相棒とともに、今出川通りの一本北にあるフランス料理屋で取る。京都には、いいフランス料理屋が多いのだ。この店はリヨンで修行を積んだシェフの伝統的フランス料理が食える店とのこと。伝統的、というからには、かなり塩分が強いと予想されたが、さすがに日本向けに多少は手加減されていた。
 夜、コミックショック八条口店で買い物。松本零士のサンコミものがまとめて並んでいたので、ごそっと抜き取る。状態から考えて、@1000円は買い得とみた。

  • KCYM ハロー張りネズミ 20 弘兼憲史 250
  • You ウェディング・イブ 津雲むつみ 200
  • SCM 思春期100万年 松本零士 1000
  • SCM ナスカ 松本零士 1000
  • SCM ザ・ステテコンドル 松本零士 1000
  • SCM 火星令嬢 松本零士 800
  • SCM 魔境惑星の恋人 松本零士 1000
  • SCM 聖凡人伝 1 松本零士 1000
  • SCM 闇夜の鴉の物語 松本零士 1000
  • King 柔道一直線 10 永島慎二/梶原一騎 800
  • HWC 笑い仮面 前後 楳図かずお @100

2003年 2月24日 呑み会

 予定よりも30分ほど早く京都に到着。横浜を出たのが9時半、京都のホテル着が16時なので、途中の休憩を入れて6時間半の移動であった。走行距離は約500キロ。御殿場ですこし雪が降っただけで、浜松以西は晴れていた。
 わがビートはリッター18キロ前後は走るものの、燃料タンクのキャパが24リッターしかない。満タンでスタートしても、途中で一回の給油は必須である。今回は豊田インターの先にある上郷SAでピットインの予定で走った。が、うっかりと見過ごしてしまったのである。
 通常は35キロ前後置きにあるSAだが、運悪く、上郷の次は60キロ以上離れた養老なのである。途中、燃料計はE目盛りを割った。養老SAまでの距離標識が見えた時点で、推計燃費からの逆算によるガソリンの残は3〜4リッター。しかし、前の給油時にスタンドでどこまで詰め込んだかによって、2リッター前後の誤差は出る。
 今回は、マジ、ガス欠になるんじゃないかと冷や冷やした。ちなみに高速上のガス欠は道交法違反である。まあ、なんとか養老SAにたどりつき、給油できたが、21リッター入ったので、残は3リッターであった。けっこうきわどい。
 ホテル到着後、まずは軽くシャワーを浴びる。待ち合わせは6時半、場所はホテルグランヴィアのロビー。5分前に行くと、ほぼドンピシャのタイミングで、関大のO田氏と合流する。もう一人は遅れるとのことで、とりあえず二人で先に適当な店に移動することになった。
 京都駅伊勢丹8Fの加賀屋で30分ほど刺身をつついていると、佛教大学のT田氏が到着。あらためて乾杯。T田氏とは初対面だが、おなじ問題意識でおなじジャンルの研究をしているので、お互いに論文や本などで名前を知っており、初めて会ったという気がしない。そもそもO田氏と会うのもこれが二度目である。
 2時間半ほど、大学のことやら研究のことやらを話しあう。あっというまに時間が過ぎてしまったが、近々また会いましょうということでお開きに。

2003年 2月24日 京都出張

 いよいよ今日から京都である。ここ数年、年に二度は京都に遠征している。関西で仕事があるときは、かならず京都で宿泊するようにしている。
 理由その1。移動はいつも車なのだが、名神高速は京都東IC〜吹田ICが年中渋滞している。京都に泊まれば京都東ICで降りられるので楽なのだ。ちなみに京都南IC近辺は関西随一のラブホテル街である。
 理由その2。定宿としている某シティーホテルは「旅の窓口」で予約すると激安で、しかも駐車料金が無料。大阪や神戸で仕事があるときでも、京都から電車で移動したほうが時間的にも交通費の点でも経済的なのである。
 理由その3。手ごろな料金の飲食店が多いので、大阪方面の人でも気軽に上洛してくれる。
 理由その4。京都は道がわかりやすい。「まるたけえびすにおしおいけ、あねさんろっかくたこにしき、しあやぶったかまつまんごじょう」という童歌を覚えておけば東西の道はバッチリである。南北の道も、ごく大雑把に「西大路・堀川・烏丸・河原町・川端・東大路」と覚えておけばいい。
 タクシーの運転が荒っぽいのでも有名だが、ハマっ子の運転もいい勝負なので気にならない。一般に、関西人の運転は攻撃的だといわれるが、オレの感覚にはマッチしているので、かえって運転しやすい。

2003年 2月23日 タイヤ交換

 明日からの関西出張に備え、車のタイヤをスタッドレスに替える。雪のおおい街に行くわけではないのだが、2月・3月の東名・名神では、御殿場付近と関ヶ原付近で雪に降られる可能性があるのだ。天気予報では、なんとかもちそうな感じではあるが、タイヤ交換を惜しんで事故っても意味がない。
 アマゾンにレポート本の参考文献を注文する。

  • 外山滋比古 思考の整理学
  • 二木麻里・中山元 書くためのデジタル技法
  • 古郡廷治 論文・レポートのまとめ方

2003年 2月18日 ちょっと真面目に

 キャリアデザインとか授業方法に関する本をアマゾンに注文。ちょっと真面目モードである。

  • 高橋俊介 キャリアショック―どうすればアナタは自分でキャリアを切り開けるのか?
  • 藤田哲也 大学基礎講座―これから大学で学ぶ人におくる「大学では教えてくれないこと」
  • 高橋俊介 成果主義は怖くない―「仕事人生」を幸せにするキャリア創造
  • バーバラ・グロス・デイビス他 授業の道具箱
  • B.G.デイビス他 授業をどうする!―カリフォルニア大学バークレー校の授業改善のためのアイデア集
  • 読売新聞大阪本社(編) 潰れる大学、潰れない大学

2003年 2月16日 中野でゲット

 まんだらけ中野店に行く。収穫は『どうどう野郎』ぐらいか。

  • SC まだらの恐怖 楳図かずお 200
  • AC BARレモンハート 18 古谷三敏 350
  • JC どうどう野郎 川崎のぼる 400
  • ぱふ 全国まんが同人誌地図 100
  • 創 マンガの鬼 200

2003年 2月14日 本命チョコ

 なぜかバレンタインデーは教務委員会が開かれる。これも伝統か。女王さま御下賜のチョコを会議中に皆で頂戴する。
 自宅に帰ると本命チョコが二つ、宅急便で届いていた。むふふふふふ。
 九年間、フリーランスの生活を続けていたおかげで、友人比率はほぼ半々である。出版ギョーカイというのは、実力第一の世界なので、他の業界に比べれば女性差別は少ないほうだ(もちろん皆無ではないし、セクハラもかなりひどい)。なので、このギョーカイで食っていくと、男女まんべんなく人脈が広がる。
 ニッポンの中年男性の寂しさは、友人イコール会社の同僚、それも男オンリーという点だと思う。これじゃあ、人生、おもしろくないと思うぞ。

2003年 2月13日 神保町でゲット

 神保町の中野書店で買い物。『クマさんの四季』をようやくゲット。

  • King わんぱく先生 1 貝塚ひろし 800
  • SC うなれ熱球 2 荘司としお/相良俊輔 1000
  • 単行本 クマさんの四季 和田慎二 2500

2003年 2月7日 NTT東日本よ……

 午前中に仕事場の電話回線がADSLモアに。が、セットアップCDROMが届いていない。NTTのサポートに文句をつけようとするも、フリーダイヤルは常時話し中状態。数回のダイヤルでなんとかつながったが、セットアップ関係は別の番号にかけろ、だと(怒)。
 しかも、それまでの説明は、やたらのったりとしたテープ音声だったのに、その番号を言うときだけ突然普通のスピードになる。しかも一度しか言ってくれないので、メモできなかった。結局、再度かけ直すハメとなる(怒)。
 そもそもセットアップ用のファイルぐらい、サーバーに登録しとかんかい>NTT東日本。対応に出た係に思い切り愚痴をぶちまけ、ファイルをメールで送信してもらうことにした。が、サービスに不慣れなNTTのこと。念のために116に電話をかけてクレームを付け、最寄りの局でセットアップCDROMを受け取れるように手配してもらった。
 昼食後、電話局経由で仕事場に行く。3時半ごろ仕事場に到着。郵便受けを見たが、やはりセットアップCDROMは届いておらぬ(怒)。それはさておき、ADSLモデムを回線につなげると、なんとかリンクが成立。PowerBookにケーブルをつなぎ、セットアップCDROMを入れて必要なソフトをインストール。再起動すれば開通のはず……だが、ここから約5時間の奮闘が待っていたのである(涙)。
 
 まず、TCP/IPコンパネの状況がガイドブックとは違っている。図版をよくよく見たら、Apple Remote Accessが入っていないとあかんことが判明。そのぐらい前提条件として書いておけ(怒)>NTT東日本。だいたいだなー、オレはずーっとFreePPPでダイヤルアップをやっていたのだ。そういうユーザはApple Remote Accessをはずしてるもんだぞ。
 念のために入れたソフトをアンインストールし、Apple Remote Accessをロードさせてから再インストールする。これで万全……のはずが、なぜか「ダイヤルトーンが検出されない」とのエラーメッセージが出る。Remote Accessが内蔵モデムを使おうとしているわけだが、コンパネその他の設定を見る限り、ちゃんとADSLモデムが指定されている。すぐにNTT東日本のサポートに電話をするも、約20分間、話し中状態であった(怒)。
 
 ここから先が試行錯誤の連続となるのだが、どうもサポート係はMacOSには詳しくないようで、オレがとっくにトライしたことしか言ってこない。なので、向こうが何を言っても、「それはもうやりました」。すると先方、「少々お待ち下さい」。この繰り返しで結局3時間ぐらいが経過した。その間、状況はまったく解決されなかった。
 午後7時が過ぎ、向こうもついにサジを投げる。ADSLモデムが初期不良かもしれないとのことで、月曜か水曜に係を派遣して確認作業をしたいとのこと。
 しかしだなー、ってことは、週末はインターネットを仕事場では使えないっつーこと? 一応、自宅では使えるからいいものの、これってかなり問題じゃないのか? サポート係に聞いたところでは、ADSLは接続トラブルが多いらしい。だいたいNTTはISDNをさんざん普及させようとしながら、いまさらアナログに切り替えてADSLをやっているわけだ。なのに、セットアップファイルをサーバに置かないわ、サポートの対応はワンテンポずれているわで、こんなんでインターネットのバックボーン事業ができるんかい?
 おまけに、である。もしも週末に接続が果たせたら、その旨をフリーダイヤルで連絡してほしいというのだ。あの、まったくつながらないフリーダイヤルに、である。そんな時間の無駄を、わざわざすると思うのか?>NTT東日本
 
 やれやれと思い、とりあえずモデムを買ったヨドバシカメラに電話をかけ、「初期不良の可能性があるのだが、それでも交換してもらえるか?」と尋ねたら、「すぐに使えないとお困りでしょう。交換品をご用意しておきますよ」との即答。サービス業っていうのは、こういうもんだぞ>NTT東日本。
 時間はすでに8時過ぎ。やや気を取り直し、もう一度だけ挑戦することに。Macを使いはじめてすでに16年。これまで何度も「人柱」になった経験を振り返り、「わけのわからんトラブルが起きたときは初期設定ファイルを疑え」という法則を思い出す。で、「初期設定」フォルダのモデム関係を見たら、ぬわんと、US版のモデム設定ファイルが残っていた。
 原因が判明した。要するに、ADSL接続ツールやRemote Accessコンパネの設定は、すべて日本語版システムのモデム設定ファイルに反映されていたのに対し、実際にRemote Accessが動作したときには、US版の設定ファイルを参照していたのである。だから、おなじエラーが繰り返されていたのだ。で、US版の方を削除したら、あっけないほど簡単に開通したのである。時刻は9時15分。
 
 それにしても、NTT東日本のADSLガイドブックやwebガイドの貧弱なことといったら。詳細な情報がなにひとつとして書かれていない。セットアップによって、どのパラメータがどう変化し、どんなファイルが作成されるのか。せめて付録にでも書いておいてくれれば、かなりの試行錯誤をしないでもすんだはずだ。おそらくは初心者向けにブラックボックス化しているのだろうが、それでは役に立たないっつーの。
 ADSL経由でメールにアクセスしたら、最初にクレームを付けたサポート係がセットアップファイルを添付で送ってくれていた。が、そのファイルはWin版であった。とほほ。
 NTT東日本のサポート係の名誉のために書いておくが、彼らは誠心誠意、誠実に対応してくれた。しかし、だ。「インターネットを使う」ということを、NTT東日本が理解しているとはオレには思えない。こりゃ要するに、サービスを企画・運営している連中があかんのだな。丁寧に応対するということと、客の要望に応えることとは、イコールなのではないんだぞ>NTT東日本。

2003年 2月6日 ADSLモデム

 明日、仕事場の電話回線がISDNからADSL兼用のアナログ回線に切り替わるので、ヨドバシカメラに寄ってADSLモデムを買う。NTT-ME製で8,800円也。ルータ兼用タイプだと17k円なのだが、この値段だと、ADSLモデムとルータを別々に買ったほうが安い。NTT-MEも変な価格設定にするもんだ。

2003年 2月4日 10万キロ

 今日も入試関係で出校するも、とくに仕事はなかった。昼ごろにお役ご免となったので、仕事場に立ち寄ることにする。
 仕事場に向かう途中で、My Beatのトリップメーターが100,000KMに到達した。前のオーナーが4万キロぐらいのところでメーターを交換したらしいので、実際にはこれで15万キロ近く走ったことになるのだが、エンジンは絶好調(多少のオイル漏れはするが)である。まあ、あと5万キロぐらい走ったら、換装したいとは思っているが。

2003年 2月1日 風雲児たち

 月日がたつのは早いもんだねえ。もう二月だぜー。
 午後から仕事場に行き、ディスクの整理をする。CDRを14枚ほど焼いて、たまっていたデータを追い出す。
 ディスクを焼いている間は、みなもとたろうの『風雲児たち』の20巻以降を読む。日本史に苦しんでいる学生よ、江戸時代の歴史は『風雲児たち』で覚えよう! きっと○木妙ちゃんも賛成してくれると思うぞ。


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10万キロ超

車のトリップ・メーターが10万キロを突破した。中古で購入した時点で58,375キロだったはずなので、購入から2年3ヶ月で4.2万キロ近く走ったことになる。まあ、通勤で使っているのだから、そのぐらいのペースは予想されたことだが。
この車、前のオーナーが4万キロぐらいの時点でメーターを交換したそうなので、10万キロに到達したということは、すでに14万キロ走ったということだ。3年前まで乗っていたCivicも14万キロまで乗ったが、12万ぐらいからさすがにエンジンのノッキングが気になるようになった。それに比べると、Beatのエンジンはまだまだ快調である。とはいえ、あと二年ぐらいしたらオーバーホールが必要だろう。


ようやくADSL

仕事場もADSLが入り、これで自宅ともどもブロードバンドの常時接続環境となった。使用頻度からすればダイヤルアップでも大きな障害はないのだが、いちど常時接続環境になれてしまうと、ちょこまかとネットに接続するという使い方になじんでしまうので、やはりダイヤルアップだとストレスがたまるのである。
しかし、ADSL導入までの道のりは長かった。そもそも仕事場のあるあたりは、神奈川県内ではわりとCATV化が早かったのだ。最初はCATVのインターネット接続を利用しようと思ったのだが、料金がバカ高いのにおどろいた。それ以上に、セールスマンの対応のトロさに唖然としたものである。ここは集合住宅なので、当然ながら、個々の部屋単位で入るよりもまとめて契約し、HomePNGにでもするか、そこまでいかなくても分配機までは共有したほうが合理的なはずだ。そこでケーブル業者に見積もりを頼んだところ、セールスマンからの返事が一向に来ない。一ヶ月後、あらためて連絡したところ、そのセールスマンは退職し、引き継ぎも一切なされていなかったそうだ。
代わりのセールスマンに見積もりを依頼したところ、これまた二週間たっても音沙汰がない。業を煮やしてクレームをつけたところ、ようやくその翌日に電話で総額を知らせてきた。その額というのが、なんと、そのマンションの全戸がすべて個別に加入した場合の合計額よりも高いのである。よくもまあこんな数字を出したものだ。「全員が別個に入るよりも高いわけですか?」と念のために確認したところ、「そういうことになってしまいますね」だと。仕事をやる気があるのかね、こいつ。
そんなわけで、ブロードバンドの選択肢はADSLかBフレットとなったのだが、この地区は局から遠いらしく、なかなかフレッツADSLのサービスが始まらなかった。他の業者も同様である。それがようやくこの2月に、とあいなったわけだ。
しかし、このときもNTTのサービス員のトロさに何度も切れかかった。だいたいセットアップ用CD-ROMを送らないでどうするの? 添付ファイルで送ってきたのがWin版というのはどうよ。あれだけMac版と念押ししたというのに。だいたいセットアップのファイルぐらい、webに公開しておけよ。まったくこんなトロい連中ばかりばサービスを担っていたのでは、ブロードバンド化なんてそう簡単に進むものか。


漫画好きのフランス人

京都出張の折、漫画が好きなフランス人と知り合った。好きなのも当然で、アニメの制作のため、日本に長期滞在しているのだから。人づてに紹介してもらったのだが、向こうにしても、日本の漫画に詳しく、しかもフランス語で(まがりなりにも)コミュニケーションがはかれる日本人と知り合えたのは、すごくラッキーなのだそうだ。3月にはアニメ・フェアで東京に来るらしい。