実家に行って車を借りる。六尺長の板材を学校まで運ぶには、ミニバンが必要なのだ。まずは仕事場に行って資材を積み込み、そこから学校に向かう。途中、混雑箇所が皆無だったので、二時間足らずで到着できた。
庶務課で山本さんに台車を貸してもらう。そういえば、山本さんが岩槻勤務なのも、今日が最後だ。この人こそ、事務のプロである。「必殺仕事人」が岩槻を去ってしまうと、手続きで困ったときに頼れる人がいなくなってしまう(;_;)。
時間がまだ早かったので、研究室で資材の加工を始める。本館三階に、ドリル、ジグソー、グラインダの音が響き渡る。夕方までに下半分が完成する。
帰宅後、インターネット通販でホワイトボードを注文する。
姪っ子と娘が「イチゴ狩りに行きたい」というので、箱根から御殿場に出て東名に乗り、清水ICに向かう。清水の国道150号線沿いに、イチゴ狩りができるところが集中していたはず。そこに行ったのは20年近く前だったが、三保の松原の近くだったと記憶している。
天気がすこぶる良く、静岡県内ではサクラがすでに8分咲きだった。道もすいていたので、三保にはすぐに到着。羽衣の松を見てからR150に。海岸沿いのルートに出ると、すぐにイチゴ狩りのエリアに。
持ち時間は30分、子どもたちは50個以上食べたらしい。オレは30個ぐらいでアウト。
昼ごろ、両親と姪っ子を連れて箱根に。今日から一泊、箱根一の湯で湯治である。
この旅館のことは、経営学者の米倉誠一郎氏に教えてもらった。何百年と続く老舗旅館だが、現在の若社長になってからインターネット予約を大々的に取り入れ、IT革命の成功例なのだそうだ。サービスの質を維持したままで宿泊料を6,800円(食事別)まで下げたというので、前々から一度泊まってみたいと思っていたのである。
建物は多少ガタピシいうが、たしかにサービスもよく、浴室は伝統的なスタイルだし、いやほんと、ここが6,800円で泊まれるのだから、人気が出るのも当然と納得。食事のメニューや配膳なども、じつによく考えられている。
この旅館、先代がバブル期に手を広げ、一時的に経営が厳しくなったそうだ。それを現社長が大転換させたわけだが、昨今、経営改革に成功したところは、どこも若い経営者が奮起している。
だいたいだなー、既得権益だの成功体験にドップリと浸った老人に、本格的な経営改革ができるわけがないのだ。バランスだの調和だのといって、逆風を走り抜けられるものか。経営の枢軸に60歳過ぎの年寄りを配置する経営者の言う「危機感」を、オレは一切信用しないことにする。そんなのは、「危機感、なんちゃって」である。
まあ、年寄りを追い落としきれていないオレら40代にも、責任はある。一の湯の湯にひたり、年寄りどもを蹴散らすべし!……という思いを、いっそう深めるのであった。
仕事場近くのホームセンターに、注文しておいた資材を取りに行く。仕事場で穴を開ける位置や削るべき場所にマークを入れる。
朝8時ごろ、クレールが成田エクスプレスに乗るため我が家を後にする。荷物が多かったので、駅まで車で送る。昼前には、サミュエルとヴィオレーヌの二人も東京に。6日間、にぎやかな時間を過ごしていたので、3人が去ってしまい、なんだか気が抜けたようか気分になってしまった。
クレールには最後の日本滞在の日、サミュエル、ヴィオレーヌの二人には、京都に戻る前の日、我ら家族とともに、鎌倉に出かけた。まずは鎌倉駅から小町通りを通って八幡宮に向かう。ほんの十分ほどの距離なのに、あちこちの写真を撮ったり、店に入ったりで、一向に進まない。サミュエルなど、漬物店を見つけるたびに、ひととおり試食をするのだから、時間がかからないわけがない。
途中、みな歩き疲れてしまい、昼食を取ることに。サミュエルたちは焼きうどんを、オレは山菜うどんを注文。デザートに白玉あんみつを頼んだら、甘い物好きのヴィオレーヌがすっかり気に入ってしまった。
八幡宮を見物してから、サミュエルとヴィオレーヌからは大仏を見たいというリクエストが。クレールは海を見たいとのこと。江ノ電で長谷に行き、それから稲村ヶ崎に向かうことにする。
稲村ヶ崎の海岸では、クレールが真っ先に波打ち際まで歩む。海水に触れ、「太平洋に触った」と嬉しそうにいう。そういや、オレも初めてブルターニュ半島で大西洋の水に触れたときは、なんとなく嬉しい気持ちになったものだ。
江ノ電に乗って、腰越漁港に向かう。そこの「池田丸」という船宿兼小料理店で夕食を取る。彼ら三人とも、大の刺身ファンだったので、いちど、船宿で刺身を味あわせてあげたかったのだ。
店からは江ノ島が眺められが、ちょうど灯ともしごろとなり、けっこうロマンティックな景色が窓からうかがえた。彼らが住み、長らく滞在しているパリや京都からは、海が見えないので、この光景にはすごく感動していたようだ。
刺身が出てくるや、彼らは歓声をあげて食しはじめる。サザエの壺焼き、イワノリなども追加。どれもこれも、彼らはすっかりと気に入ったようだ。
この日もサミュエル、ヴィオレーヌは商談のため朝から外出。アニメ制作のパートナー探しは、予算の問題が大きな障壁になっているらしい。ヴィオレーヌの企画に興味を示すところは多いらしいが。
夕方、サミュエルのみ早めの帰宅。ヴィオレーヌとクレールは友人と食事に行くとのことだった。前々からサミュエルが行きたいと言っていた中華街で我らは夕食を取ることにする。
中華街に到着後、まずは食材店を見て歩く。以前、食用サソリを見つけたという話をサミュエルにしたところが、ぜひ買いたいというのだ。残念ながらサソリは見つからなかったが、イグアナ酒を発見。酒漬けにされたイグアナは……どう見てもグロである。女王さまや○楠氏は、こういう酒でも飲んでしまうだろうか。
到着した時間が遅かったため、お目当ての店はのきなみ終了。かといって、マズイとわかっている店には入りたくない。かろうじて一軒、許せる店があいていたので、そこに駆け込む。
オレもサミュエルも、世界中あちこちの店に入った経験があるが、中国人店員は愛想が悪いという点で、今回も意見が一致した。ほんと、どこもビジネスライクなのだな。この店も例外ではない。まあ、ドイツ、スイス、オランダも同様だが。
今日もサミュエルとヴィオレーヌはアニメフェアでの商談のため、朝イチで我が家を出発。クレールは美術館・博物館めぐりに。
4時に東京ビッグサイトでサミュエルと合流。新木場に出て有楽町線に乗り、すがやみつるさんとの待ち合わせ場所に向かう。甘い物に目がないというヴィオレーヌは、新木場の駅の売店で大福を買い込み、車内でうまそうに頬張っていた。
5時半ごろ、すがやみつるさんとの待ち合わせの駅に到着。近くの喫茶店に入る。
自己紹介をすませてから、日本のマンガの歴史やアニメ業界の話をする。会話はフランス語、英語、日本語のチャンポンで進められた。
インタビューは二時間ほどで終了。帰り際、すがやさんからもらったマンガに、ヴィオレーヌはサインをもらっていた。彼ら二人のすがやさんへの印象は、「とてもインテリ!」というもの。
帰りの電車内で、いろいろなテーマについてサミュエルと議論をした。アニメのこと、イラク戦争のこと、9・11のこと。オレが会ったフランス人は、例外なく議論好きだ。一種の会話ゲームなのだが、家までの移動時間が、あっというまに過ぎ去った。
卒業式のため出校。昨年は国道122号線でトラックに追突されたが、今年は無事に到着できた。パーティー後、ゼミ生数人に卒論を返す。
この日は東京国際アニメフェアのビジネス招待日で、サミュエルに招待券を4枚もらっていた。赤木さんを誘ってみたところ、「行く!」と即答。二人で東京ビッグサイトに向かう。
会場でヴィオレーヌたちに会う予定だったが、電話がつながらないので、適当にあちこちの展示場を見てまわる。最初に入ったブースで、フェナキスティスコープの現物が展示されていた。メディア史の授業に使えると思い、デジカメで撮影。
5時すぎに、アニメフェアにまつわる賞の授賞式がおこなわれた。主催者の一人、石原慎太郎が登壇。生慎太郎は初めて見た。ちょっと得した気分。
6時すこしまえに、ヴィオレーヌと合流。サミュエルは商談の続きがあるので、帰宅は深夜になる由。ヴィオレーヌとクレールは友人と夕食を一緒に、とのこと。
3時半ごろJR中野駅に到着。ヴィオレーヌたちとは45分に北口改札付近で合流の予定である。携帯で何件か連絡すると時間はすでに50分。ところが、ヴィオレーヌたちは現れず。もしやと思い、南口の改札に行くと、サミュエルの姿が見えた。やっぱりなー(^_^;)。
ところが、そこにいたのは、サミュエル、ヴィオレーヌ、そして彼女の友人クレールのみ。前日もらったメールでは、フランス大使館があてがってくれた通訳が同伴のはず。そのことを尋ねてみたら、なんでも早々と帰ってしまった由。げ、それって、楳図さんのところでオレが通訳をやるってこと?
吉祥寺に移動し、楳図かずお氏の仕事場に向かう。が、進むにつれて、景色が違うことに気づく。ありゃりゃ、道を反対の方向に行ってしまった。すでにアポの時間を5分過ぎてしまった。あわてて楳図さんのところに電話をかけ、10分ほど遅れてしまうと連絡する。
楳図かずお氏に一度でも会った人は、その人柄に崇拝の念さえいだくといわれる。オレも昨年の7月に『楳図かずお大研究』というムックを監修したとき、三度お目にかかる機会をえたが、まさにその通りであった。そして本日、楳図氏に会ったサミュエルとヴィオレーヌは、次の予定さえも無視し、完全に楳図崇拝者となってしまった。
ほんの三十分だけの予定のサミュエルは2時間、ヴィオレーヌにいたっては、1時間半の予定が3時間半にわたって面談したのであった。楳図さんも、「せっかくいらしていただいたのだから、もう少しお話ししましょうか」と言ってくださった。長時間の通訳は疲れたが、それでもヴィオレーヌたちの幸せそうな表情に接すると、いい仕事をしたという満足感が大きかった。最後は例によって「グワシ!」の記念写真。
面談後、ヴィオレーヌをまんだらけ中野店に案内する。4階マニア巻でヴィオレーヌは楳図さんのマンガを二冊、さっそく買っていた。セル画売場に連れていくと、もう完全に興奮状態である。……とそのとき、荷物を楳図プロに忘れたと言い出す。貴重品が入っているとのことだったので、あわてて楳図さんの仕事場に電話。さいわい、楳図さんがまだいらっしゃったので、いまから取りに行っても構わないかと尋ねると、どうぞ、とのこと。
再度の吉祥寺に行くと、雨がけっこう強く降り始めた。楳図プロに着くころには、けっこう濡れそぼってしまった。荷物を渡してくれた楳図さんは、我々に傘までくれた。ヴィオレーヌは「楳図さんがくれた傘だ〜」と、すっかりミーハー状態である。
吉祥寺駅前でクレールと合流。クレールとの合流も、じつは波瀾の連続だったのだが、書き始めると長くなるので省略。我が家に着いたのは10時過ぎであった。遅い夕食を取り、前日買っておいたチーズとワインをデザートに出すと、ヴィオレーヌは「日本に来て始めて食べる本物のチーズだわ」と感激してくれた。
11時過ぎ、サミュエルが友人に送られて到着。
確定申告の最終日なので、書類を持って税務署に。昨年は車で行ったのだが、駐車場待ちで30分近くも時間を取られてしまったので、今回は電車で行く。
申告を済ませてから仕事場に行く。帰りに町田のカルフールに寄る。明日からフランス人三人がうちに泊まるので、シャンパン、赤ワイン、チーズ4種類を買い込む。チーズはもちろん、すべてナチュラルチーズである。
京都漫画研究会の主宰者、石川栄基さんより、『大空魔王』の復刻版と『夢トンネル』の冊子版が届く。いずれも献本していただいたもの。すぐにお礼の電話を入れる。
マニアならぬ人には、「復刻版」といってもピンとこないかもしれない。要するにレプリカである。パイクやクラシックカートおなじだ。この『大空魔王』は昭和23年8月に刊行された手塚治虫作品で、元版は当然ながら数十万円する。それを今回、石川さんがレプリカの制作に乗り出したのである。
この種のレプリカは一冊数千円するので、事情を知らない人は、復刻する人が暴利をむさぼっていると勘違いするかもしれない。しかし、前回の日記でも書いたように、復刻活動というのは、やればかならず赤字が出るものなのだ。その点をよく知っておいてほしい。
今回の『大空魔王』も同様だという。それでも多くのマニアが復刻をおこなっているのは、マニアの心意気と作者・作品への尊敬の念なのだ。
『夢トンネル』は藤子不二雄A作品で、産経新聞に連載されていた単行本未収録作品である。これまた単行本化にはコストがかかるので、石川さんは持ち出しこそあれ、儲けなどないのである。
メールマガジン企画についてTさんと打ち合わせ。Tさんと打ち合わせをするときは、いつもいつも神保町である。打ち合わせが終了後は中野書店に。これも定番パターン。
7時より、秋葉原の寿司屋でM田さんの送別会。M田さんは4月より、某政府関係機関のパリ事務所に赴任となる。
オレがパリに住みはじめた92年、最初に遊びに来てくれたのがM田さんであった。もともとヨーロッパ旅行が趣味みたいな人だったが、以来、年に二度のペースで訪れてくれたので、パリでは入手困難な「物資」を持ってきてもらえた。便座カバーを頼んだこともあったな、そういや。
パリ在住のモロッコ人の友人よりメールが届く。4月のイースター休暇中に、もしかしたら家族で日本旅行をするかも、とのことであった。
日本滞在中はウチに泊めてあげるから、ぜったいに来るべしと返事を書く。向こうからのメールには、チケットがなかなか見つからないとあったので、HISパリ支店と現地最大手日系業者であるVoyageur au Japonの連絡先を教えてあげた。
ついでに、オーストリア航空の予約サイトも知らせておく。フランス・日本の往復は、オーストリア航空のウィーン経由便が個人的なイチオシである。サービスはいいし、なにより、経由地のウィーンで入国審査がすむのがいい。ドゴール空港は混雑するのだ。パリ・ウィーン間は国内移動扱いになるので、空港の規模が小さく、手続きが簡単なウィーンの方が楽なのである。
家族とともに原村の山荘に行く。1月に行ったときは、別荘地全体が雪に埋まっていた感じだった。さすがに3月ともなると、どこの庭も半分ぐらいは地面が露出している。それでも例年に比べれば雪が多い。もともと八ヶ岳は雪が少ないところなのだ。
八ヶ岳山麓は二十年以上前から頻繁に訪れているが、3月なのにノーチェーンでは走れない箇所がある、というのは記憶にない。もっとも、いまはネットなので、チェーンに比べれば着脱は信じられないぐらい楽である。
教授会のため出校。
レポート本の参考文献を注文。
2月に京都で知り合ったフランス人女性ビオレーヌがアニメフェアにあわせてやってきた。彼女の友人サミュエルとクレールの二人とあわせて三人がわがやに一週間滞在することになった。
日本の漫画家にぜひ会って意見交換をしたいというので、楳図かずお、すがやみつる、松本零士の三氏とアポを取った。最初に訪問したのは楳図かずお氏で、フランス大使館があっせんしてくれた通訳が同伴してくれると聞いていたので、こちらはアトリエまで案内するだけでいいと思っていた。ところが待ち合わせの中野に、通訳らしき人の姿が見えない。どうしたのかと尋ねたら、なんでも仕事の終了予定時間が近づいたとかいって、さっさと帰ってしまったそうだ。で、結局、通訳を引き受けるハメになった。
面談の予定時間は1時間だったが、途中、あまり遅くなりたくないので、できれば45分ぐらいで切り上げたいと彼らは言っていた。こちらとしてもそのほうがボロがでずにすむので助かるが、せっかく楳図氏と直で話す機会があるのに、たったそれだけの時間ではもったいないな、と思ったが、そんなことは心配する必要はなかった。楳図氏に会った二人のフランス人は、楳図氏にすっかりとハマってしまったのである。幽霊の話、食べ物の話、アメリカの話、作家性の話など、つたない通訳を介していたものの、彼らは非常に強い感銘を受けたようである。
楳図氏の仕事場を出たあと、ビオレーヌを中野のまんだらけに案内した。セル画やコスプレ衣装が普通に並ぶ店に、これまた強い衝撃を受けたようである。そのときビオレーヌが、荷物をひとつ、楳図氏のアトリエに忘れてしまったと言った。一応、楳図氏に連絡をつけたところ、たしかに応接室にあるとのこと。まだアトリエにいますので、ということだったので、ふたたび楳図氏のアトリエに戻った。
彼らは当初、三日ほどうちに滞在し、そのあとは東京に宿泊するつもりだったらしい。でも、東京までの移動がそれほどたいへんでないことから、結局、まるまる一週間我が家に滞在した。といっても、ビオレーヌとサミュエルは朝から夜まで東京でアニメ関係者との交渉があり、クレールはせっせと観光にいそしんでいたので、うちは寝床になっていただけである。ただ、一日だけ一緒に鎌倉を散策した。刺身が好きだというのでうまい店に案内したところ、次から次へと味わっていた。