2003年 4月30日

 ひさびさの仕事場。郵便物がずいぶんとたまっていた。

2003年 4月29日

 昼食後、急に外房の海を見たくなったので、カミさんと娘とともに勝浦を目指してドライブをする。アクアラインのおかげで、木更津までは30分足らずである。うみほたるからの眺めもいいし、片道2,320円は許容範囲といっていいんじゃないか。
 御宿の海岸に4時ごろ到着する。サーファーが三人いた。風が強かったので、波はそこそこ高い。
 中学生のころは、ときどき自転車で鎌倉の由比ヶ浜とか七里ヶ浜に行ったものだが、基本的にオレは湘南は好きではない。東伊豆や外房のほうが、海の色が綺麗だからね。まあ、ハマっ子の感覚からすると、湘南というのは、わざわざ行くようなところではないんだよな。

2003年 4月28日

 GW期間中なのだから道はスカスカ……と思いきや、浜崎橋手前で渋滞。事故があったようだ。
 研究室に置いてあるレーザープリンタのトナーを交換。印字の鮮明度がぜんぜん違う。これなら買い換える必要はなさそう。もっと早くトナーを交換していればよかった。
 5限の「漫画文化論」では手塚治虫について話す。あと数年もすると、手塚の死後に生まれた世代が大学生になるのだから、手塚治虫が誰かということから話さなければならなくなるのだろうな。まあ、そのときまでオレがこの大学にいれば、だが。

2003年 4月25日

 ゼミ終了後、コンパをしようという提案がったのだが、来週にしよう、ということに。今週はフル稼働状態だったので、さすがに今日はへとへとである。

2003年 4月24日

 二日間、遊んだおかげで、気分はリフレッシュできた。
 3限の「現代社会の諸問題」は、広告代理店の現職クリエイターが講師を務めてくれた。さすがに話がうまく、間の取り方とか話すスピードなどは、おおいに参考になった。講演の内容も自分の授業に使えるネタが多かった。

2003年 4月23日

 この日は全員別行動。すがやさんは朝8時にチェックアウトしてトヨタ博物館に行くと言っていた。オレはといえば、10時には在名古屋の友人と会う約束がひとつ。
 8時15分よりNHKの朝ドラを見て、それからゆっくりと風呂に入る。10時少し前にフロントに行きチェックアウトを済ませると、友人から電話が入る。ホテル手前の交差点に停車中とのこと。小雨が降っていたが、友人の車はすぐに見つかった。
 1時に別の友人と一緒に昼食を取る予定だったので、それまでは徳川美術館で過ごす。平日の午前中なので、美術館はすいていた。
 前日、たっぷりと肉を食ったので、この日の昼は魚料理に。ホテルのレストランに我らが到着してから20分ほどあとに、もう一人が合流。彼女たちと知り合ったのは20年以上も前なので、昔のことやら最近のことやら話題が尽きない。三時半ぐらいまで、ゆっくりと会話を楽しめた。
 5時すぐに名古屋駅に到着。チケット屋で新幹線回数券を購入し、すぐにホームに行く。5時半ごろのひかりに乗り、新横浜には7時に到着。

2003年 4月22日

 今日は名古屋で1泊。名古屋在住の推理作家の太田忠司さんに誘われ、昼に櫃(ひつ)まぶしを食い、夜は手羽先を食うことが目的である。
 朝10時ごろに自宅を出て、横浜ダイヤモンド地下街のチケット店で新横浜・名古屋間の新幹線チケットを購入。東神奈川に着いたころに、マンガ家の水樹和佳子さんから電話が入る。新幹線の自由席をキープしてくれるとのこと。
 新横浜駅に到着後、15分ほどで、マンガ家のたらさわみちさんと合流。その10分後、乗る予定のひかり149号が到着し、水樹さんと合流する。名古屋までわずか一時間半。ほんと、速くなったものだ。
 名古屋駅には12時半ごろに到着。ほどなく太田さん、マンガ家のすがやみつるさん、SF作家の谷甲州さんと落ち合う。全員そろったところで、さっそく櫃まぶしの店に移動。
 正直に言うと、これまでずーっと、「ひつまぶし」は「ひつま・ぶし」だと信じていた。そうか、櫃に入れて出てくるから、「ひつ・まぶし」だったのね(恥)。で、正しい食べ方を太田さんに教えてもらう。一杯目は普通に、二杯目は薬味とワサビを入れて、そして三杯目は御茶漬けにして、と。ちょうどウナギを食いたいと思っていたところでもあったので、ひときわ美味に感じた。
 食後は名古屋城の見物に。戦国時代や江戸時代の風俗・習慣に精通しているすがやさんの解説付きだったので、いろいろと愉しむことができた。それにしても、昼日中から中年男女5名が城見物をしている姿は、どうみてもカタギには見えないだろうね(笑)。
 名古屋城から伏見まで徒歩で移動し、ホテルにチェックインをすませる。偶然ながら、すがやさんもおなじホテルに。まあ、「旅の窓口」で安くて便利なところを探すと、ほぼ必然的にこのホテルになってしまうのだが。
 夕方は手羽先唐揚げのチェーン店「世界のやまちゃん」に。太田さんオススメの店だが、ここの手羽先唐揚げは、ほんと、病みつきになりそうである。スパイスの頃合いが絶妙で、十人前がアッという間になくなった。手羽先以外の料理も旨いし、なにより安い! 料理以外にも、ビール、ウーロン茶はけっこう頼んだし、谷さんは「美少年」(日本酒です、為念)をぐびぐび呑みまくるし、それで一人三千円弱である。
 9時ごろに店を出て、日帰り予定の谷さんの出発時間まで、駅構内の喫茶店で一服。金シャチ風のシュークリームを注文しようとしたら、残念ながら売り切れ。
 ホテルに戻ったのは11時ごろ。前日、あまり寝ていなかったので、風呂にも入らずにバタンキューであった。

2003年 4月21日

 3限の授業で、私語がまったく止まない学生3人に退出を要求する。厳しすぎると感じる学生もいるかもしれないが、私語を愉しみたいのなら喫茶店に行くべし。
 学生よ、授業に集中できないのなら、いっそ授業をサボれ。その時間、友人と議論するなり、本を読むなり、あるいは旅に出るなりしたほうが、よほど人生の栄養になるはずだ。
 授業に出るのなら、教員の話をしゃぶりつくせ。義務感や惰性で出席するのは、単なる時間の浪費だ。それでは卒業できないなんて泣きを入れる者は、そもそも大学生に不向きなのだと知るべし。大学だけが人生ではないし、今の世の中、大学を出たってだけでは何のハッタリにもならん。
 避けるべきことは貴重な時間の浪費だ。貸したエ■ビデオと学生時代は二度と還ってこないのである。
 帰宅後、C公の原稿の仕上げに入る。明日から1泊2日の予定で出かけるので、なんとしても終えねばならない。午前2時ごろ、ようやく大山を越えたが、眠気がピークに達する。「明日の夜、ホテルで仕上げればいいじゃん」という悪魔の囁きが聞こえてくる。
 しかし、明日まで持ち越してしいまうと、パソコンを持っていかねばならない。気合を入れて追い込みをかけ、なんとか終えたと思ったら、時刻は5時に迫っていた。

2003年 4月20日

 C公論の原稿が9割がた仕上がる。あとは月曜の夜に追い込みをかければ、なんとか脱稿までたどりつけそう。この原稿、300枚の予定が500枚近く書いてしまい、なんとか350枚まで削った。昨日・今日で、さらに20枚ほど削って、あたらしい内容を25枚追加したので、差し引き355枚となる。
 アマゾンで本を2冊とDVD2作品を注文する。

  • ルイス・V・ガースナー 巨象も踊る
  • 三枝匡 戦略プロフェッショナル―競争逆転のドラマ
  • ショーン・コネリー他 ネバーセイ・ネバーアゲイン
  • ポール・ニューマン他 明日に向かって撃て!〈特別版〉

2003年 4月19日

 火曜が丸一日外出だったため、週末に入って疲れがドカっと出てきた。月曜の授業の準備を少ししたあと、C公論の原稿を手直しするも、半日ぐらいは寝て過ごす。

2003年 4月18日

 今日も幌を上げて走行。やっぱ、オープンカーはオープンエアの状態で走るものである。まあ、10月・11月のほうが、空気が澄んでいて景色はキレイだが。
 午後、C公論新社のG司さんに電話。不在だったので伝言を依頼する。「週明けには原稿をメールで送ります」。自分で自分を崖っぷちに追いやったのであった。
 5限にゼミ。最初の顔合わせなので、今後の方針を説明する。
 ゼミ終了後、コーヒーを飲みにラウンジへ。漫研の部会を覗いてから帰宅。赤木さんをラウンジで見かけたので、同乗を進める。我ら二人の車内での会話は、当然ながらマンガ・アニメが中心である(笑)。

2003年 4月17日

 朝、道がすいていたので、9時半ごろ学校に到着。2限の授業で使う資料をラウンジの塚原さんに渡し、コピーを依頼する。基幹科目なので100名以上いるはずだから、コピーには時間がかかるはず。
 ふと、今日が世古典初日であることを思い出す。てことは、一年生は確実にクタクタのはず。教室には10:30に入るが、10:40開始と告げる。飲み物でも買いに行けと言ったら、かなりの数の学生が自販機や売店に向かっていた。
 いくら若いとはいっても、現社一年生は、日曜に一日休みがあっただけで、月曜は基礎科目がビッシリ、火曜・水曜も授業、そしてこの日は始業前から席取り合戦なのだから、疲れていないはずがない。授業のほうは、全体スケジュールの話を中心におこない、時間を10分早めて終える。いちおー、これも配慮である。

2003年 4月16日

 娘の体調が悪かったので学校を休ませる。仕事場に行くのもやめ、一日家で過ごす。明日・明後日の授業の準備をすませる。

2003年 4月15日

 昨日からヴィオレーヌが上京。ジブリに行くと言っていた。もしよかったら一緒に来ないかと誘われていたが、授業があるので断った。
 今日は松本零士氏との面談。松本氏とは11時、ヴィオレーヌとは10時45分に面談場所のホテルのロビーで待ち合わせたが、11時を過ぎても二人とも姿を見せない。11時10分ごろ、ようやくヴィオレーヌから電話。地下鉄で迷ってしまい、ようやく駅に着いたとのこと。その電話の直後に、松本氏からも電話。渋滞がひどく、30分ほど遅れるとのことであった。
 11時半、ヴィオレーヌと合流。ロビーの先にある喫茶に移動する。その30分後、松本氏が到着。1時から別件があるとのことで、面談時間は40分ほどしかない。
 時間は短かったが、ヴィオレーヌにとっては、かなり実り多い面談であったらしい。その後、松本氏と入れ替わるように、アニメ制作会社の国際部長と打ち合わせ。オレは帰ってしまってもよかったのだが、スタジオの見学でもどうかとヴィオレーヌに誘われ、なんとなく残ることになった。
 先方、さすが国際部長という肩書きがあるだけあって、流ちょうな英語で交渉が進んでいた。ところが、途中、ヴィオレーヌの方が英語に詰まってしまい、結局オレが通訳をすることに。その後、スタジオでもおなじ展開となった。
 スタジオは八王子の近くだったので、帰りは八王子の佐藤書房に立ち寄る。この古書店、マンガ専門ではないのだが、数年前からマンガ古書マニアのメッカと化してしまっている。漫画文化論の授業用に、赤本を二冊購入。

2003年 4月14日

 健康診断という苦行から中一日で授業スタート。オレはまだフレッシュマンに行かなかったら、間に三日間、休める時間を取れた。しかし、担任兼教務委員は、7日からフル回転状態である。一年生もほとんどおなじスケジュールなのだから、たぶん、新入生もへろへろの状態なのではないか。
 3限のインターネット文化論は、教室が満員状態であった。授業後、教務課に行き、来週からは2301教室に変更してもらった。
 8時半ごろに帰宅。今日は「ちゅらさん2」に間に合った。

2003年 4月13日

 朝、便意とともに目覚める。ようやくバリウムを体外に排出できるわけだ。で、排出後、トイレ掃除を15分。なぜかといえば、バリウム入りのウ○コはヘビー級なので、うちのトイレでは流れてくれないのである。排出の管が、ちょっと上に曲がってからメインの管につながっているため、オブジェを水流で上に持ち上げなければいけない。ノーマル○ンコなら問題ないのだが、バリウムで密度を高めたウン○は水流ごときでは流れてくれないのである。
 ではどうするかというと、トイレ掃除用のブラシでオブジェを細かく砕いてやらねばならない。さすがにこの作業をカミさんにやらせるのは気が引けたため、15分間にわたり、バリウム入りのブツを砕き、なんとか流し切ったのであった。ちなみのこの日、午後にも便意をもよおし、そのときも事後15分のトイレ掃除が必要であった。
 やはりバリウム入りは、断固として学校で排出させるべきだった。学校のトイレなら、排出の管が真下に伸びているので、ごくごく簡単に流れてくれるからである。

2003年 4月12日

 今年もバリウムの季節が来てしまった。
 体重は昨年よりも2キロ減。健康診断に備えて炭酸飲料およびチーズ、チョコレートを控えた成果であろう。問診は、今年はひときわぞんざいであった。あれで本当に診断できるんだろうか。正直、信用しきれない。
 最後はバリウム(;_;)。なぜこれが辛いか。健康診断では、前日の夜9時から飲食を控えねばならないわけだが、その結果、ノドがカラカラ、腹が超空腹という状態で、最初に口にするのがバリウム、となるわけである。これでは気持ちが悪くならないはずがない。
 バリウムといえば、白いウ○コ。しかし、これがまたやっかいで、なるべく早く排出しないと、体内で超重量○ンコと化してしまうのである。検査後、下剤をくれるのだが、オレは普段から下痢気味なので、ほっとけば帰宅前に放出できる……はずなのに、なぜか腹の調子が安定してしまい、ウン○が出そうにない。

 帰宅途中、神田神保町の中野書店に向かい、取り置きを頼んでおいた「手塚治虫漫画館全22巻+1」を購入する。これは、昭和20年代の手塚初期単行本の復刻版で、通常、9万円ぐらいするのだが、中野書店で7万円で出ているのを発見したのだった。

2003年 4月11日

 オリエンテーション終了。今年も燃えつきた。「真っ白」である。
 2時すぎ、松本零士氏に電話し、ヴィオレーヌとの面談について約束を取り付ける。火曜の昼に会っていただけることになった。
 3時半に、今年度からコンピュータ演習1を担当する北湯口のおかーちゃんが来校。彼女はベテランのテクニカルライターで、9年ほどまえに仕事で知り合った。その姉御的性格から、誰からともなく「おかーちゃん」と呼ばれるようになったのである。学校では「ゆかり先生」で通したいそうだが(うぷぷ)。

2003年 4月10日

 オリエンテーションの後半戦が始まる。オレの出番は三年次オリエンテーションなのだが、9時に出校し、早めに始まった二年次オリエンテーションの様子を見に体育館へと行く。体育館では声がわれてしまい、説明には向いていない。
 1101教室に行くと、事務局からの説明がおこなわれていた。話すべき内容の確認を兼ねて、事務局説明をひととおり聞いておく。細かな点はほぼ語り尽くしてくれていたので、オレの出番では重点項目を指摘するだけですみそうだ。
 三年次オリエンテーションは大過なく終了。顔なじみの学生が多いので、気楽にしゃべれる。

2003年 4月7日

 ひさびさに仕事場に行く。ついでに近くのホームセンターに金具を何点か買いに。クズ板売場を見たら、けっこういい端切れを売っていたので、状態がいいものを買いだめした。これで椅子と台ぐらいは作れそうだ。

2003年 4月5日

 週末および月曜からのフレッシュマンセミナーで、岩槻でのオリエンテーションは一服。でもまあ、学校がない日のほうが、じつは忙しいのだけどな。これは授業が始まってからもおなじで、じつは出校日のほうが気楽なのである。だからオレは、いまだに「本職は物書き」と言うことにしている。

 物書きという商売柄、友人から献本してもらうことが多い。せっかくなので、なるべく紹介してみたい。今週は、もらった本が二冊あった。
 一冊は、推理作家の柴田よしきさんの近著『観覧車』。小説をあまり読まないカミさんも、柴田さんのファンである。柴田さんの本は、読み出したら止まらなくなってしまうので、急ぎの仕事があるときは、「封印」せざるをえない(;_;)。
 もう一冊は、久美沙織さんからいただいた『ここは魔法少年育成センター』。久美さんは守備範囲が広いので、○○作家とラベリングするのが難しい。SF、ファンタジー、ホラー、推理などなど。この人はとにかく小説が大好きな人。小説家志望の人は、久美さんが制作した『新人賞の獲り方教えます』を読むべし。

2003年 4月4日

 今日も朝からオリエンテーション。曇りがちだったので幌をおろして走行。
 オリエンテーション関係の仕事が終わってから、学校近くの材木店に行って木材を何点か購入。ホワイトボードを支える枠の補強をおこなう。

2003年 4月3日

 オリエンテーション初日。朝7時半に家を出る。天気が良かったのでビートの幌を上げて走る。浜崎橋が混雑していたので羽田から南大井で湾岸線に入り、新木場から箱崎に向かって6号線に。この時期の6号線は、隅田川のサクラが楽しめるのだ。いやー、爽快。
 学科別オリエンテーションで、最も基本的な事柄の説明をおこなう際に、しゃぶしゃぶの例を持ち出したら、つい調子に乗って脇道にそれてしまい、時間がまったく足りなくなった。
 午後、注文していたホワイトボードが届く。

2003年 4月2日

 自宅でオリエンテーションの下準備をする。コンピュータ演習の振り分けについて、女王さまと電話で打ち合わせる。

2003年 4月1日

 今日から新年度。顔合わせおよび教授会のために出校。
 学科会議終了後、研究室で書架の組立を再開。前日のおが屑は、キレイに掃除されていた。この学校の清掃担当者は、本当に仕事が速くて丁寧である。
 夕方までに土台部分を除いて書架が完成。反対側の枠組みも、タテ部分は終了する。ここから先は、書架を持ち上げなければいけないので、一人ではできない。大西研究室にいるであろう学生を何人かナンパに行くか……と思っていたところに、新三年生2人が遊びに来た。その後、もう一人加わる。
 彼ら3人に手伝ってもらい、書架が完成した。ついでに重い雑誌を移動させる。マルクス研究室状態だった屋内が、ずいぶんとスッキリとした。
 作業終了後、3人を連れて焼き肉屋に行く。けっこううまい肉が食えて満足。しかしなー、クリームソーダー食いながら肉食うのはよせよー(;_;)>Y岸&K原。


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ガイド付名古屋ツアー

名古屋在住の作家・太田忠司さんに誘われ、友人一同が名古屋に集まってオフをすることになった。名古屋には友人が何人か住んでいるものの、とくに名古屋の名所を案内してもらったことはない。どちらかというと、名古屋は京都の途中にあるところ、という感覚しかないのだ。なので、今回、太田さんにいろいろと案内してもらったのが、初めての名古屋体験みたいなものである。
それはさておき、40歳過ぎの中年男女数名が平日から名古屋城を見物に行ったり、櫃まぶしを食いにいったりする光景は、傍目的には「いったいどういう集まりなの?」という感じだったかもしれない。こういうことを平日にできるのは、自由業の特権といえば特権か。