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94年9月の日記は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラムロマンス語派館」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。
当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。
Cafe avec Glaces だと、いわゆるコーヒーフロートじゃないだろーか?
ガレットにアイスをのっけるくらいだから、ホットコーヒーにぼてって乗せても不思議はないように思うけど。
この夏日本にいたときは、とにかくアイスコーヒーを飲みまくりましたぜ。ニッポンの味だからねえ。
スイスのベルンで「あいすこおひい」といえば、「コーヒーひとつ」って意味になりますね(笑)。おそるべし、スイス訛である。
ぼくは別な意味でマルチメディアに思い入れがあるんですよ。
会社に入って最初にやった調査が、某市のテレトピア計画実施計画書づくりでした。ニューメディア・ブームのまっただ中にいたわけです。いまにして思うと、まったく別のアプローチな必要だったと悔やむことしきりですね。
で、いまのマルチメディア本なんかを見ると、10年前のパターンそのものでしょう? 会社の後輩にそれを言っても、まっただ中にいるとなかなか納得できないみたいで……。そんなわけで、いま出しているマルチメディア本の企画は、10年前の復讐戦といったおもむきがあります。
もう一つ、自分でもうまくやったなあ、と最初に思ったプロジェクトがデータベースの調査でした。そのテーマがマルチメディアだったんです。
86年の5月、その関連でアメリカにも調査に行ったんですが、このときNYで開催されてた National Online Conference で、はじめてパソコン通信のデモ――たしか Delphi だったと思う――を見て、どえらくショックを受けた覚えがあります。それだけじゃなくて、マイクロソフトが第一回CD-ROM会議で発表した、マルチメディア電子百科事典に打ちのめされた。
こりゃ、とんでもない時代になるなあ、と思ったんですよね。
わしらの校舎って、進学前年に建ったばっかだったのね。だから、当然全館冷暖房完備だったのだ。おかげで夏は寒かった。工学部の連中が、すげえ羨ましがってたのである。
黒板も電動スライド式(うう、なんかえっちなひびき)で、ボタンひとつで上下が入れ替わったんだよねえ。初めてみたとき、けっこうたまげてしまった。
3年の冬に、フランスの大数学者グロタンディック(だったと思う)が、集中講義をやっていたような気がする。
あ、おれってじつは、あのでかい図書館は一度も行ったことないの。学科図書室はあるけど(当たり前か)。
ぼくがもといた会社では、たしかにワーキング・ハイってのがありましたよ。忙しさがピークを超すと、異様にハイな気分になってしまう。
チームでやっている仕事になると、ほぼ全員が同時にハイ状態になることもある。まあ、野郎ばっかでしたから、それこを下ネタをかっとばしながらキーボード叩いているんですわ。ハタから見たらキチガイ集団でしょうね。
年間残業タイトル四部門というのがありました。年間トータル、月間最高値、三ヶ月トータル最高値、深夜残業比率の四部門です。これまで三冠王はいるんですが、四部門制覇はいませんでしたねー。達成する前に過労死しそうだけど。在職中では、年間約 1,500時間、月ピーク 254時間、三ヶ月トータル約 450時間、深夜比率約 70%というのがレコードだったと思う。ほんま、身を削る商売……。
セナの「神を見た」は本当だと思っています。もちろん、それは錯覚や幻覚といって片づけることもできるでしょうが、選ばれた人間のみの体験できる奇跡の一瞬というものが、たしかに存在すると信じています。まあ、大脳生理で説明できるかもしれないけど、「奇跡の瞬間」といったほうが、ロマンチックな響きでもあるし。陸上短距離の選手でも、「神を見た」現象はあるみたい。こういう一種のトリップは、われわれ凡人にもあるんじゃないでしょうか。神がかったような状態になるってやつですね。
ぼくも仕事で文章を書いていて、「手に神が宿る」ような気になったことが二度ほどあります。まあ、ギリギリ追いつめられていたときなんですけど、キーボードを叩く手が、次々と文章を仕上げていく。この日一日で、ぼくは400字詰め換算で240枚の原稿を書き上げました。ただ、その翌日から三日ほどは、完全にだしがら状態です。たぶん、絶望的状態で、右脳にターボがかかったのでしょう。「火事場の馬鹿力」ですね。でも、どっちかというと、ぼくは神よりも稿料振込通知を見たい。
一度こういう甘い汁を吸ってしまうと、「原稿なんぞいつだって書けるぜぃ」というゴーマン気分になり、途端に納期破りの常習と化してしまう。
サマー・タイムといえば、始まる日は一時間損した気分になり、終わるときは、朝、余分に一時間眠れる歓びに尽きます。個人的には、絶対にサマータイムはあったほうがいいと思う。そして、できれば標準子午線を、明石ではなく根室あたりに設定する。となると、夏の日没が東京で九時ぐらいになるんじゃないだろうか。
こうなると、ぜったいに働こうという気分がなえるので、体にはいいと思うのですが。
PowerBook の購入では、このバカンス遅れに助けられました。アメリカの業者がうっかりパリに送ってしまったのですが、業務の滞りのおかげで(笑)、通関前に返品することができたんですわ。もし通関させとったら、日本よりもケタ違いに高い関税&間接税が待っていた。
その店に昨日別件でファックスを送ったら、
I recall the terrible trouble you had to go through.
なんて書いてありました。
アルバム「Lose Again」が好きです。「Blue Bayou」と「It's so easy」は、ほぼ同時期にビルボードのトップ10入りしましたね。それぞれ、3位、4位までいったんじゃないかな。たしかあの時期は、デビー・ブーンの「You Light Up My Life」が11週連続トップをとったときだったような気がしますが……。夢中になってAT40を聴いていた時代でした。
その次のアルバムが、たしか「How Do I Make You?」でしたっけ? 突然ニューウェイブに走っちゃったんですよね。でも、エルビス・コステロの曲がこれまたリンダの声にぴったしだったなあ。(T^T)←遠い目をしている。
欧州中央時間との時差は、今は7時間、もうすぐ8時間ですね、サマータイムが終わるから。
きのうのTF1は、アレジの初ポール・ポジションでエキサイト気味であった。
テクニカル・タームなら案外と英語が通用すると思うでしょう? けっこうこれがあきまへんねん。エンジニアやプログラマは大丈夫なんですが、学校の研究者なんかだと、フラ語ぢゃないと駄目なことが多いんですよ。
今でも思い出すのが、表計算ソフトを使ったときのことです。ぼくは「乱数」を使いたかったのね。でも、フランス語版エクセルは、関数の略号もすべてフランス語基準になっていた。だから、RAND()なんてのがないんです。
でも、わしゃ「乱数」をフランス語でなんちゅうかなんてわからんかった。こりゃ、困りましたね。相当英語の得意なやつでも、意外と random って単語を知らなかった。で、あれやこれやで、ようやく aleatoireに到達したのでした。
あと、「階乗」なんてのも困りましたね。まあ、これは「!」っちゅう記号が万国共通なんで、すぐになんとかなりましたが。
プリンタのインク・カートリッジを買うときも苦労しましたぜ。なにせ、cartouche なんて知らなかったから。
字体を「police」というのは、字体名が都市の名前だから、という説がありました。本当かどうかしらんけど。
南仏では食いまくりでございました。いやー、実際、胃がくたくたです。とくにニースのピザはすごかった。当分はお茶漬けで充分ですがな。
今回の旅行で見かけた単語や表現でござる。
(1)autoroute にて見かけた標識
Fatigue - Danger
Detente - Securite
Utilisez le frein moteur
「アクセルを緩めよ」はデンタントなんですね。
(2)レストランにて
Installez-vous!
「どうぞお座り下さい!」は、s'installer だったのね。
ついさっき、南仏小旅行から帰ってきたのである。
予定は二転・三転したけれど、細かいはなしは後日旅行記をアップするまでお待ちあれ。
今回、一番印象に残っているのは、モンテ・カルロの Monte de Beau Rivage 頂きから眺めたハーバーであった。
たいていのガイドブックには、「端数を払っても理解してもらえない」と書いてることが多いと思います。ぼくもかつてコラムに同じようなことを書いてしまった。でも、おつりの渡しかたは、どうやらかなり変化しているみたいです。
例1:46,60Frsの買い物をした場合
スーパーであれば、ほぼ確実に端数分の小銭を要求されるでしょう。また、要求されなくても、サンチーム部分は客のほうから出す場合が圧倒的に多いように思われます。
レジを使わない一般商店の場合、サンチーム部分は要求される可能性が高いし、客も進んで払う場合が多いと思う。ただ、単純に 100,60Frs とか 106,60Frs 払った場合は、店のひとをとまどわせるかもしれない。
例2:52Frs の買い物をした場合
駅などでは端数を要求する可能性が高い。現にきょう、ぼくは駅で Carnet を買ったけど(41 Frs)、「1フランないか?」と聞かれました。
で、日本式に端数を払うための方法というかコツがあります。最初に「○○フラン△△(←端数分)あるよ」と宣言しちゃうんですね。こうすれば、たいていの店でも希望通り(?)の釣り銭がもらえると思います。
例1であれば、こんな感じになります。
- Ca fait 46 francs 60, Monsieur.
- Euh... J'ai 6 francs 60
- Tres bien.
- Voila 6 francs 60...et ...cent francs.
(このとき、6,60Frsをまず出して、少し間をあけてから 100Frs 札を出す)
- Dix et cinquante, qui font cent francs!
(相手は、おそらく 60Frs と品物を添えて「100Frs」というはず)
彼らの内的計算を推測するに、106.60 - 46.60 = 60 とはやっていないと思います。6,60Frs を確認して、まず 46.60 - 0.60 = 40 とする。だから、この段階で、彼らの脳裏には「40Frs のブツを売る」という変換が行われるんじゃないだろうか。で、店は「40Frs のブツ+60Frs の現金」とぼくの 100Frs を「交換」する、と。
三日ほど南仏に行ってますんで、多分、アクセスできないと思います。
すごーく有名なジョークだけど……無人島に男二人、女一人が漂流したら……。
イギリス人なら、誰も紹介してくれる人がいないので、男は二人とも手出しをしかねるだろう。
アメリカ人なら、三人で毎日よろしくするだろう。
(注:アメリカ人には複数バージョンあるらしい)
フランス人なら、女は一人と結婚し、もう一人とコキュするだろう。
「二人の社会」というのは、対立と妥協の単純な構造があるだけですね。それに対し「三人の社会」になると、必ず陰謀が加わる。だから、ストーリーとして格段に面白くなる。
中国史の中で三国時代が群を抜いて面白いのは、やはり三分鼎立構造があったから……とすると、話しが大げさすぎるか。
話しを戻すと、最初、A、B、Cの三角関係があったとする。ぼちぼちBが勝ち、Cが負けるという決着が付きそうになったとする。そこに、Cの友人Dが現れAB関係をぶちこわし、今度は新たにACDトライアングルができる。ところが、Cには長年の恋人Eがいた!
ACEトライアングルが水面下で進む。さらに、冷たい恋人Cに嫌気がさしはじめたEとDがいつしか深い仲に。AとC、EとDで収束に向かうかに見えた関係に、最後はBの復讐の陰謀が……。
やっぱり三角関係は無限の螺旋構造を生み出す要素でんな。
8月のバカンス・シーズンが終わり、会社の後輩(カミさんの同期)とM田さんが偶然同時期にフランスを旅行で訪れたので、せっかくだから一緒に南仏でも行こうか、ということになった。ホテルの予約も取らず、とりあえずアビニョンに行ってから先のことを考えよう、という気ままな旅行である。
パリからアビニョンまではTGVですぐである。現地に着くや、いつものようにまずはインフォメーションに行って宿を手配した。バカンス・シーズンは過ぎていたので、すぐに適当な部屋を見つけられたのだったと思う。ただ、どんなところに泊まったのか、いまではまったく記憶に残っていないので、たぶん、街中の安い二つ星クラスのホテルだったのだろう。いつも泊まるのはそんなところばかりだった。
アビニョンの街はそれほど大きくはないので、一日でめぼしいところはまわれた。というか、橋以外はあまり覚えていないのだ。ただ、もう一回ぐらい訪れてもいいなと思ったことだけは記憶しているので、それほど悪い印象ではなかったのだろう。
その先をどうするか。M田さんの提案で、レンタカーを借りることにした。じつはこのころカミさんが身重だったので、すでに安定期に入っていたとはいっても、電車で小刻みに動くのは避けたかったのだ。駅前のHertzで車の予約をおこない、空車の配送がすむまでのあいだに訪問地をリストアップした。いろいろと考えた結果、カマルグ、オランジュ、ニース、グラース、モンテカルロあたりをまわろうか、ということになった。