21世紀の日記 |
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20世紀の日記 |
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93年5月の日記は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。
当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。
電気、ガス、電話,銀行口座が終わって、残るのは保険だけとなりました。
これは「Assurence de locataire : 賃貸者保険」とでも言うべきもので、加入が義務づけられています。ただ、大家さん自体が保険をかけて、掛け金が家賃に含まれているケースもあるので、契約の際に確認しましょう。
保険の内容は、盗難、災害、事故等による被害の充填及び、自分が加害者になった場合の損害補填です。特に、水漏れ事故などを起こしてしまった場合、この保険に加入していないと悲惨な目にあうこともあるそうです。盗難に合った際、盗まれた物だけでなく鍵やドア等の破損も保険の範囲でカバーされます。
保険の加入は家の近くにある保険会社の事務所で行える他、学生であれば学生の共済組合で安い保険に加入できます。ここでの加入を希望する場合は、学校の「Securite Sociale」に赴きましょう。
というわけで、以上で多分無事に(?)生活を開始できると思います。
これまで不定期かつ時には長文のアップとなり、一部の方にはご迷惑をおかけしたのではないかと恐縮しております。これまでに述べた事はあくまでも私の経験に基づくことです。今後多くの方がフランスで学生生活を送ることと思いますが、少しでもそのお役に立てて頂ければ幸いです。不確実な事柄も多々あったと思いますが、私の書いた内容はあくまでバージョン1.0 ですので、今後生活を送られる方に随時バージョンアップして頂ければ、数年後にはなかなかの資料になるのではないかと思います。
【留学のために】シリーズとしてはこれで終わり。
プチ・ラルースによりますと、プロヴァンス地方は元々古代ギリシャの植民地であり、その後ローマ帝国の属州となって小ピピンの代にフランク王国領となった由です。地理的にはコルシカ島とともにイタリアの影響が強いところです。とはいえ、18世紀までのヨーロッパは「国家」という概念が今日とは大幅に異なっていたため、「イタリアの影響」という表現は本当のところ正確ではありませんが...。中心はAix-en-Provenceとなっておりました。
ポジション的には薩摩というより琉球やアイヌに近いのではないでせうか? この地方の歴史はフランク王国、神聖ローマ帝国、さらにイタリア統一戦争もからんで、えらく複雑ですね。
私メの母親がCarigraphieをやっておりまして、パリに遊びに来る際、色紙を何枚かみやげに書いて来て貰ったのです。今日、クラスで友人達に配ったのですが、想像を遥かに越えた受け方でした。絶叫に近い感じで「Genial!」の連発でした。
昨日Pantheon-Sorbonneに行った時のことである。Grande Ecoleのこじんまりした建物に慣れた私は、まず大学のでかさに今更ながら驚かされてしまった。教授の事務所を探すのも一苦労であった。
まあ、それはともかく、ここの校舎からだと実は我家まで歩いて帰れる。そこでサン・ミッシェル通りではなく裏の通りに向かった。すると、古惚けた建物に「Louis le Grand」という看板が出ていた。これは有名なリセなのだが、私のような数学科出身だと、単なる古いリセというのではなく、あのガロアの出身校という印象が深い。「このリセの図書館であの有名な方程式論の論文が書かれたのか...」とう感慨が一瞬沸いた。
実は昨末時から恒例(?)のSNCFストがありました。たまたまというか、ほぼその時間に私メの両親がロンドンからパリに到着したのです。まあ、旅行でちょっと、というわけですが、我々も空港に迎えに行きました。
到着予定時刻が19時35分、ところが8時を過ぎても表示版には「到着」とも「遅れ」とも出てこない。他の便は半分ほどが遅れ、残りは既に到着。ひょっとして、上空をぐるぐる回っているのかなどと思ってしまいました。
カフェで時間を潰していると、何やら英語の会話が怒涛のように聞こえてきました。再び表示版を見に行ったのですが、相変らず何の表示もなし。時間は既に8時20分。これはおかしいと思い、インフォメーションでどうなっているのか尋ねたら、担当の女性曰く、
「あら? 表示するの忘れていたわ。もうとっくに到着していますわよ」
約5分後、無事ゲートから出てきました。
ところがやたら軽装なのです。荷物はどうしたのか尋ねたら、何でも空港職員のストがあって、荷物は外で受け取るように言われたそうです。指定場所は28番ゲート。ご存じの方もいらっしゃると思いますが、ここは空港行シャトルの乗り場なのです。私の横にいたご婦人が、しきりに「La guerre!」と叫んでおりました。
実はこの日、荷物を持って階段を昇降するのが面倒なので、昨年12月からスタートしたオペラ座直行のRoissybusというRATPのリムジンを利用しようと思ったのです。乗り場は同じ28番。ところが事前にここを下見したら、切符の販売は全て自動販売機、しかもコインしか受け付けやせん。インフォメーションで聞いたら、通常窓口はないとのこと。大量に買うときはどうするのか聞いたら、売店で両替してもらえだと。6人で180Frs、こんな量の両替は確実に拒否されてしまう。まったく折角便利なものがあるのに、こんなことで利用できないというのは、あまりにフランス的なので即パスすることにしました。
ただ、個人や2人くらいで旅行される方や、パリから空港に向かう人には結構お勧めできる方法です。オペラから15分起きに出ています。
ここ3日ほど、レポートや原稿の締め切りが集中し、さらに日没が9時近くなったことで疲労がつのってしまったやうであった。そのためか、昨日は朝から頭痛がひどく、昼過ぎから学部の専用教室の机で寝込んでしまった。それでも頭痛がおさまらないので、仕方なくセルジー駅近くの薬局まで行って、アスピリンを買ってきた。
頭痛がひどいときは小さな文字を読むのが苦痛である。ましてやそれがフランス語となると、始めから読む気が起こらない。まあ、アスピリンなら服用の仕方に違いはあるまいと、説明書も読まずに飲もうとした。ところが、錠剤の大きさが尋常でない。アスピリンは錠剤としては大粒とはいえ、せいぜい小指の爪より一周り大きいだけであろう。ところが、買ってきたアスピリンは爪は爪でも足の親指の爪くらいあった。何かある、とは思ったものの、その時思考力はゼロである。ええい、飲み過ぎなければ死ぬことはない!と思い、錠剤を半分にしてコーラと一緒に飲み込んだ。
後で説明書を読んでみたら、このアスピリンは水に溶かして飲むタイプであった。マリー・ピエールに聞いたら、錠剤として飲むタイプは別にあるとのこと。そちらの方の大きさは、確かに小指の爪より一周り大きいだけだとか...。
今日は秋から進もうと考えているPantheon-Sorbonneの教授に書類を提出した。CVに貼るべき写真がなかったので、セルジーの駅にあるスピード写真で撮ろうとした。ところが、20Frs 入れても反応がないので、仕方なくリセットした。しかし、金が返ってこない。これはどこかに詰っているのかと思い、更に5Frs入れてみた。結果は同じで損害は25Frsに達した。
キオスクで機械の責任者は誰かと聞いたら、C'est pas nous. こんなことを議論してもラチあかないので、もう一度機械に戻って電話番号を探した。すると、何とレンズの所に抗議用のフリーダイヤルの番号が載っていた(Numero vert)。これだとカードがなくても公衆電話から通話できる。
早速近くの公衆電話から電話してみた。
- Allo?
- Bonjour, Madame. J'ai une reclamation sur le photomaton a la gare de Cergy-Prefecture.
- Oui, je vous ecoute.
- J'ai insere 20Frs, heu...comme d'habitude, mais le photomaton ne marchait pas....
何と、事情を話たら何の疑いもなく、20Frs払い戻してくれると言うのだ。名前と住所を伝え、後は払戻しを送ります、とのこと。こういうところで信頼の原則が働いているというのが、何だか面白かった。
払い戻しが簡単にできて良かった、と思ったら、後から追加した5Frsのことを言い忘れたことに気づいた。ああもう一度電話しなければ....と思ったら、電車が到着してしまった...。
教授からこの本をゼミで報告してくれないかと突然言われ、ひいひい言いながら読んでいるところです。まだ最後まで読み終わってはいないのですが、途中で悲しくなるやら腹が立やらで、どう感情を抑えて報告するか悩んでしまっていることろです。
前々から感じていたことではありますが、フランスの日本、特に日本経済研究はアメリカに比べて10年から20年遅れているといえましょう。この本にしても、やたらと「総合商社」の脅威を強調したり、通産省の行政指導を保護主義の元凶のように非難しているのです。10年前のアメリカによる対日批判が、そのまま繰り返されていると見てよいでしょう。それに、この本は日本をいろいろと非難し、フランス、そしてヨーロッパを正当化している割に、統計データの比較もないし、たまに引用される数字も間違いだらけ。マスコミのセンセーショナリズムにそのまま便乗し、自己正当化だけを試みた内容と言っていいような気がします。例えばマイケル・ポーターの著作などと比較して、あまりの内容のなさに唖然としてしまいます。正直なところ、このような不見識な著者達が知日派として通用しているとしたら、これはむしろフランスにとって不幸なことでしょう。
最近こそフランスでも日本を研究しようという機運が盛り上がっているようですが、依然としてそれは極く一部にすぎません。しかし、フランスが世界4位の経済「大国」と自慢したところで、日米と比べれば周回遅れのトップにすぎません。日本にいると日本の社会問題がいかにも深刻で、とても「経済大国」などと自慢できる状態ではないと思われがちです。しかし、我々はまだ周回遅れの国に対しても学ぼうとする姿勢があるだけ「まし」だと思うのです。かつて世界を制したオランダが、ポルトガルが、そしてスペインが、現在完全に黄昏ている姿を私は単に本の上の出来事としか感じなかったのですが、この本を読んでいるうちに、イギリスやそしてフランスの「衰亡」が何となく実感できるような気がしてしまいました。EC統合の夢、なんだかそれは消え絶える直前の蝋燭の炎ではないかという気さえするのです...。
私メのシステムをお話し致します。
HD:Quantum 40MB、Maxstor 210MB、外付Quantum 210MB
Maxtor 210上:漢字Talk7.1、同バックアップ、System 6.0.7(英)
Quantum 210上:漢字Talk7.1、System 6.0.7(日)、System 6.0.7(英)
Quantum 40 上:System 6.0.2.4(日)、System 6.0.7(仏)
Mac II内にはHDを2台設置し、1台はフロッピードライブ用のスペースに設置してあります。2基の210MBをそれぞれ4つの論理ドライブで区切ってあるので、画面上にはHDアイコンが合計9個表示されます。ブートしてあるのは内蔵Maxtorの1パーティションのみです。4パーティションのうち、1つはシステム専用、1つはアプリケーション用、1つはデータ用、残り1つがアーカイバルです。
外付HDは事実上のミラーディスクです。また、システムが壊れると悲惨なので、当然フロッピーでもオリジナルとバックアップの2重保管しています。HDを細かく区切っているのは、クラッシュした時の備えとフラグメンテーション防止のためです。日本語システムを3バージョン備えているのは、まあ一種の保険でしょうか。DLスタッフでもありますし(笑)。
使っているシステムは漢字Talk7.1のみになりました。以前は仏文ワープロ利用時に英語またはフランス語システムを用いていましたが、システム7ですとメニューの文字バケを解消できるので、いまでは専ら日本語システムです。ただし、システム7はオリジナルのMac IIには荷が重いため、DayStarでパワーアップしました。別に利用しているPowerBookとのデータ交換のため、私にはシステム7が不可欠なのです。単独で利用するだけなら6.0.7で十分ですね。
Macの日本語システムを使う知人が周囲に居ればここまでものものしい装備は必要ないと思います。ですから、NAOさんや片山さんの来仏を、私メも首を長くしてお待ちしているわけです。
博物館の中にはラスコーの洞窟のレプリカの他に、原始人の足跡のレプリカもありました。昔「地球天文図鑑」でフランスのラスコーともう一つなんとか言う洞窟の話が載っておりまして、そこに原始人の足跡が残っていたと書いてありました。それを読んだ私はひょっとしてと思いながら、当時工業技術院の研究所敷地内にあった防空壕後を探検(?)に行ったのでした。今ではとてもとても懐かしい思い出です。今でも老後は遺跡掘りをして暮らしたいと思っているのですが。あの頃は、まさかレプリカとはいえフランスでその模型を見るなどと夢にも思いませんでした。をを...約30年前の思いで...。
家があって家具があって、あと必要なものは? そうそう、まだ電気・ガス、電話の申込、銀行口座開設、それに保険がありました。
電気・ガスはフランスではEDF/GDFが一括して扱っています。ここに申し込む一番てっとりばやい方法は、先住者と一緒に地区の営業所に赴いて、先住者が「私、引っ越します」、入居者が「私、入居します」と言って、その場で移転と新規の手続きをしてしまうことです。こうすれば、先住者の精算と新規契約を同時に済ますことができます。そうでない場合は、まず先住者に移転手続き及び精算をしてもらって、それから赴くことになります。
電気は申し込むと1週間ほどあとに検針が行われます。検針の日時は営業所で申込の際に決めます。また、この際、料金の口座振替の申込用紙を頼んでおきましょう。
電話も同様。申込の際に、ミニテル利用の有無、電話レンタル、電話帳等への番号公開の可否などを質問されます。なお、電話機は日本と同様に自分で購入することもできます。易い物は100Frs程度ですから、購入した方が徳でしょう。また、ファックスもPTT未認可品であれば3000Frs程度です。フランステレコムのジャックは特殊な形状をしておりますが、モジュラージャックとのアダプタはどこでも簡単に購入できます。日本から電話機やファックスを持ち込むという方法も考えられますが、通信機器は税関で見つかった場合にほぼ確実に没収されるはずです。また、通信規格、電圧の問題もありますから、やはりフランス国内で買った方が無難でしょう。ただし、モデムは日本で買ったものがそのまま使えます(製品には国内専用とありますが、実際は問題ありません)。
案外と難関なのは銀行口座開設です。東京銀行パリ支店では比較的簡単に口座を開くことができます。しかし、便利なCarte Bleueが発効されない、滞在1年未満の非居住扱いだと小切手が発効されない、万事手数料が高い等、不利なことばかりです。ここは極力フランスの銀行で口座を開くべく努力すべきです。
学生であれば、学校の近くにその学校専門の担当者がいる場合が多いので、その担当者に口座開設の「交渉」をしましょう。口座はフランス3大銀行で開設するのが何かと便利だと言われています(パリ国立銀行:BNP、クレディ・リヨネ:CL、ソシエテ・ジェネラル)。
口座開設に当たっては、居住を証明する書類及び身分証明書が必要です。居住を証明する書類としては、賃貸契約書、電気や電話の領収書などが用いられます。居住間もなければ賃貸契約書を使うことになるでしょう。
銀行口座開設は一つの契約ですので、交渉には1時間前後の時間がかかると考えて下さい。この間に、契約条項の一つ一つを文字通り確認するのです。私は送金のトラブルが若干あったため、実に2時間半かかりましたが、係員はあくまでも親切でした。この手続きの際に、Carte Bleueや小切手を申し込みます。フランスの生活で小切手は必需品ですから、忘れずに申し込んでおきましょう。また、契約の際に「サイン」が登録されますので、どのようなサインを用いるか事前に決めておく必要があります。私はいろいろ考えた末、漢字を大きくくずした字体を使いました。
交渉が終わると、CBや小切手は2週間ほどで郵送されます。また、この時交渉に当たった担当者が今後申込者の担当となりますので、何か事がある場合は必ずこの人と交渉することになります。この制度はかなり徹底しており、ちょっとしたことを他の人に依頼しても、「私はあなたの担当ではありません」と断られることがありますので注意。
住むところが決まったら、次は家具の調達です。無論、家具付きアパートもあるのは事実ですが、数としては家具なしの方が多いでしょう。
先住者が日本人の場合は、結構この方法で調達することができます。私の場合、冷蔵庫と照明器具をこの方法で確保しました。価格の方は使用年数に応じて交渉しましょう。
実際はこの方法が最も有効であると考えられます。パリ市内であれば帰国売りで必要なものは全て調達できるはずです。これも在仏日本人会やJUNKU などで掲示されているアノンス、あるいはオヴニーやフランスニュースダイジェストに出ているアノンスで希望するものをチェックします。それこそ、鍋釜、乳母車から自動車まで、ありとあらゆる品がアノンスされています。
なお、テレビを購入する場合は、必ず廃棄届けがなされていることを確認しましょう。さもないと、前所有者にテレビ受信料の請求が行くことになり、ちょっとしたトラブルの元になってしまいます。フランスはNHKほど寛大ではありませんので要注意。ただし、廃棄届のだされたテレビでは有料放送Canal+を申し込めません。
パリ市内ですと、日用雑貨ならレ・アールにあるHabitat、パリ市庁近くにあるBHV で購入できます。また、家電製品、AV機器等はパリ市内の至るところにあるDartyというチェーンが安くて保証もしっかりしています。細かいものはCarrefourのようなGrande surfaceで購入すると良いでしょう。
帰国売りで洗濯機やベッド等を購入すると、輸送の問題が生じます。無論、自身または友人が車を持っていればそれで輸送も可能でしょうが、そうでない場合は業者に頼む必要があります。パリにも日通など日本の引越業者がありますが、地元の業者でもベッド一つから輸送を引き受けてくれます。地元業者の連絡先はオヴニーのアノンスに載っておりますから、そこに当たってみると良いでしょう。オブニーに載っている業者のほとんどは、日本語で交渉できるようです。
料金は全て輸送する家具の量、輸送先の階数、エレベータの有無、さらには手伝いの人数によって算出されます。私の場合、エレベータ付き1階からエレベータ無し4階のパリ市内引越で、輸送物件がダブルベッド1、シングルベッド1、洗濯機1、テレビ1、カナッペ1、椅子6、机1、本棚1、収納棚2、それに手伝い(つまり私自身)1人という条件で、税込み1200Frsでした。
私は学生時代引越のアルバイトをしておりまして、大体見積りを立てることもできるのですが、この分量で1200Frsというのは安目といえましょう。
今日、Telecom Parisの講師による授業があったので質問してみました。やはり、大学がドメインの中に含まれていなけらば、INRIAに直接申し込まなければならないそうです。この場合、個人の資格で申し込むととんでもなく高くついてしまうため、大学の教授を経由するなりして何とか大学予算でカバーしてもらう必要があるそうです。
私が実際に現在のアパルトマンを探したプロセスをご紹介します。季節は6月下旬、この時期ですと、バカンス貸しの短期物件がかなりあるほか、まだ留学生の多くが日本にとどまっておりますので、物件探しの上ではやや有利な状況であったと言えましょう。
日本からはなじみの2ツ星ホテルのシングル・ルームを1週間予約しました。1週間勝負と考えたのです。とは言え土日が入るので実質5日間勝負です。
住む場所としてパリ市内、学校のあるセルジー、そして両者の中間にあるデファンスを候補に考えて情報収集を始めました。まずはメモとペンを持って日本書店JUNKUに直行です。
JUNKU のアノンスで目ぼしいものをまずメモしました。当然長期貸しが対象なのですが、ひょっとしたら「はしご」しなければならない可能性も考え、バカンス期間中の短期物件もチェックしておきました。ついでにここに置いてあったオヴニーを貰って、喫茶店でやはり目ぼしいものをチェックしました。
この後、京子食品やオペラ座近辺の旅行業者にもアノンスが出ているので、それらを一つ一つ訪れながら物件をチェックして歩きました。パリの場合、店が開いている時間が短いので、全て短期決戦です。
夕方からはチェックした物件をパソコンに入力し、地図で場所やメトロの最寄り駅を確かめながら、いろいろな条件に照らして評価してみました。この際、地図としては警視庁発行の冊子が有効です。
午前中、セルジーの不動産情報センターに赴き、物件を2つ紹介してもらいました。一応私は休職だったので、在職及び過去1年の収入を「合法的」に証明できたで、不動産業者の斡旋を受けることができたのです。なお、この不動産情報センターは学校の学長に教えてもらいました。
午後はパリに戻り、在仏日本人会の入会手続きを行いました。同時に、ここにある大量(!)のアノンスから物件をいくつかチェックしました。実際、アノンスの量はここが最も豊富でした。
この日も結局情報収集で終わり。ただ、午前中にセルジーの不動産情報センターで紹介してもらった物件の担当業者に赴き、後日部屋を見せて貰うアポを取り付けておきました。一応、この段階で1件確保できたわけです。
土日の間、チェックした物件の中から候補に挙げたところに片っ端から電話をかけ、部屋を見せて貰う約束をいくつかとりつけました。電話をかけた半分ほどは既に先約済みという状況でした。この2日間はまさしく椅子を暖める時間がなかったくらいです。合計5件見せて貰いました。
この5件のうち1件が現在住んでいる所で、在仏日本人会のアノンスで見つけた物件です。ただ、ここが既に8月まで短期で借り手がついてしまったとのことで、9月以降という条件がついていました。
幸い、当面の滞在許可申請のための居住証明をパリで唯一の知り合いが「作成」してくれることになり、また、適当な家具付き短期物件もあったので、全て決着となったわけです。この間、カミさんには電子メール経由のファックスで状況を説明し、一応の了解を取り付けておきました。
というわけで、ホテルの予約を1日余してめでたくヤサが確定したわけです。
【教訓】
生活を始める上で一番大変なことは、当たり前のようですが「住むところを探す」こと。これは外国では本当に困難を極めることで、企業駐在員ならいざ知らず、ゼロからとなると七転八倒と言って良いでしょう。にも関わらず皆無事にどこかで(?)住んでいるということは、結局「何とか」なるのです。
まずはヤサ探しからはじめましょう。フランス、特にパリで日本人が居住先を探す方法は次の通りと言えましょう。
このうち、(1)(2)は特殊例なので省略します。ただ、(1)の例では物件を見ずに契約せねばならないので、絶対にお勧めできません。
(3)については入学先にしかるべきサービス機関があるはずなので、教授等に相談して斡旋してもらいましょう。パリ市内の大学だと多少難しいかもしれませんが、郊外や地方の学校ならかなりの確率で部屋を確保できるはずです。フランスの大学教授だと生徒個人の生活まである相談に応じてくれますので、ためらわず相談を持ちかけましょう。ただし、夫婦で滞在する場合は実質的に利用できません。
(4)はかなり有効な方法です。オヴニー、フランスニュースダイジェストにステュディオ、アパルトマンの短期、長期貸し情報がアノンスされていますので、候補をいくつか挙げて電話しまくるのです。更に、パリ市内では在仏日本人会や日本書店JUNKUに大量のアノンスが出ていますので、パリに来てから足しげく通って出物を待つわけです。
(5)は現在かなり厳しい状況です。と言うのも、家主保護のために、借り主は家賃の3倍の月収があることを証明しなければなりません。これは法律で決まっていることなので、外国人学生への物件斡旋を拒否する業者が少なくありません。企業派遣留学生以外はまず無理と考えてよいでしょう。
パリで学生の身分として滞在許可を申請する手順は次の通りです。必要書類については前回(4)を参照して下さい。
パリに居住する日本人学生は、全てここに出頭することになりました。場所は次の通りです。学生以外は居住地のPrefecture de Policezです。
13, rue Miollis, 75115 Paris(ユネスコ本部の近く)
Metro Cambronne または La Motte-Piquet
建物の地階に向かい、チケットを取って自分の番号が来るのを待ちます。このチケットは後で必要になりますので、捨てずに取っておきましょう。季節にもよりますが、最低30分待つものと覚悟した方が良いでしょう。学生が集中する9月はかなり混雑するようです。自分の番号が表示されたら、同じく表示される窓口に向かいます。ここで書類を一通りチェックされるのですが、その対応たるや....でございます。尤も先方もわけのわからない相手を多数対応しているのですから、ここはじっと我慢。私の経験では、午前中の方が応対が親切なようです。
受付で書類のチェックに合格すると、チケットにサインしてくれます。これを持って、「天国の1階」に上がり、再度番号を呼ばれるのを待ちます。また、申請用の書類をくれますので、1階で待っている間に記入します。黒のサインペンを忘れないこと。申請窓口の対応は極めて親切です。ここで入国日時その他簡単な質問に応えます。質問しながら、担当官がデータを端末に入力します。スムーズに運べば、ここは大体15分で終わるでしょう。
申請が終わると、滞在許可受取の署名入り引替券をくれます。これに日付が記入してあり、この日以降の適当な時期に再度このCentre d'etudiantに出頭します。券を受け取った時点で、手続きは完了です。
(注)写真やコピーは全てCentre d'etudiantで作成できますので、忘れたからといって、落胆しないこと。ただし、1フラン硬貨を忘れずに。
申請から約20日後以降に、再び出頭して滞在許可を交付してもらいます。今度はチケットを貰わず、受付の向かいにあるついたてのところで引替券を提示します。この時、パスポートを忘れたらアウト! 滞在許可証というと独立した身分証明書と思われるでしょうが、学生の場合は件数が多いせいか、パスポートにシールを貼ってくれるだけです。ですから、交付窓口で行うことは、パスポートの空き頁にシールを貼り、そこに押印をするだけです。この際、手数料として200Frsの印紙が必要ですので、事前にタバコ屋で買っておきましょう。郵便局では売っていませんので注意。
滞在許可自体に必要な手続きは(4)で終わりですが、2ヶ月ほど経つと、移民局(OMI)から健康診断の出頭命令が郵送されて来ます。出頭命令とともに受診手数料の振込用紙が入っていますので、適当な手段で支払います。1992年の手数料は300Frsでした。
出頭命令に受診の場所及び日時が指定されています。当日、どうしても出頭できない場合は、その旨手紙を書いて、呼出状をOMI宛郵送します。すると、1、2ヶ月後に再度呼出状が届きます。これは特に書類には記載されておりませんが、私がたまたま受診日と試験が重なってしまい、OMI に問い合わせたところこのように指示され、そして実際に行った例です。
健康診断は日本で一般に行われているものと同じです。身長、体重、視力、レントゲン、検尿、血液検査等を指示されるままに行います。検尿がありますので、受診前に「出しきらない」こと。実際、私はこれで苦労した。
検査が終わると、医師による問診があります。聴診、咽の検査の後、2、3簡単な質問があります。内容は持病とかフランスでの滞在目的など。病名などは専門用語が多いため、必ずしも全ての質問を理解できるわけではないのですが、一般的な事柄に応えられれば十分なようです。
問診が終わると、受診証にサインしてくれます。
以上で終わりですが、この健康診断そのものは滞在許可の初回申請には特に関係ありません。重大な病気が無い限り、滞在を制限されることはありません。にもかかわらず受診しなければならないのは、フランスの社会保証目当てに入国する病人をチェックするためだそうです。また、フランス国内で労働する場合、雇用者から公的機関の健康診断を要求されることがあるため、その証明としてこの診断結果が利用されるそうです。
(以上、手続き編終わり)
フランスで3ヶ月以上に亘って滞在するためには、滞在許可証を申請しなければなりません。「学生」の身分でこれを取得する手続きをこれから何回かに分けてご説明致します。まずは必要書類について。
Centre Etudiants が発行している「Etudiants Etrangers」によりますと、初回請求の際に必要な書類は次の通りです。ただし、これはパリで申請する場合であり、都市によっては多少内容が異なることに注意して下さい。また、内容は1992年7月現在のものですので、その後変更されている可能性もあります。
オリジナルを申請時に提示するとともに、必要頁のコピーを1部用意します。私は新式パスポートを知らないので、多少事情が変わっているかもしれませんが、必要箇所は、写真、家族構成、ビザのある頁です。
もし自分の名前でアパート等を契約したのなら、契約書(これは政府発行の書式があります。詳しくは生活編で述べます)、フランステレコムまたはEDFの最新の請求書、及びこれらのコピー1部を用意します。
下宿、寮、居候、同居等、自分の名前に基づく賃貸契約書がない場合、住居名義人のサインが入り「居住証明書(Attestation d'hebergement )」を作成します。証明書用紙は滞在許可申請場所で用意されたものを用います。区役所等でも居住証明書はありますが、これは通用しないので注意して下さい。私はそれを知らずに印紙代200Frs損をしました。
居住証明書以外に必要なものは、居住先宛フランステレコムまたはEDF の最新請求書及びそのコピー1部、さらに居住証明にサインした名義人の身分証明書(フランス人であれば身分証明書、外国人であれば滞在許可書)のコピーを1部用意します。
在日フランス大使館でVISA申請の際に提示した入学許可証とそのコピー1部を用意します。さらに、国立の高等教育機関以外の場合は、授業時間を証明する書類が要求されます。これは入学予定先のディレクターに作成してもらいましょう。書式は自由です。これもコピーを1部用意します。
これは学生VISAの事ですから(1)に含まれます。
VISA申請の際に外貨購入証明または送金証明が必要なはずですから、その時用いた書類をそのまま用います。通常、TCの領収書、または外貨送金伝票が用いられるはずです。奨学金を給付される人は、給付機関の証明書がその代わりということになります。
「十分な資金」の算出根拠はフランス政府給費奨学金の70%とされています。それによると91/92 年で月額2400Frs、年額で28800Frsです(領事館では30000Frs とされています)。初回申請で許可される期間は最大1年なので、この年額分の送金証明があれば、証明上は「十分」となるわけです。
なお、ビザ申請の際に保険の証明が必要だと言われると思いますが、初回申請では必要書類の中に含まれておりません。ただし、担当官によっては請求することもあるので、念のために用意しておいた方が無難でしょう。初回申請の際はほとんどの人が海外旅行保険を利用すると思われますが、証明書は各保険会社のパリ事務所で簡単に作って貰えます。
土曜、散歩がてらちょこっと行って参りました。
行き方は前にも書いた通り、RER A1線1本です。運賃はAuberから12Frsです。A1線はオフピーク時でもほぼ15分に1本の割合で出ています。
Nanterreを過ぎて河を越えると、東京で言えば成城か田園調布を思わせるような高級住宅地が続きます。建物を眺めているだけで結構楽しめます。程なくトンネルに入ると終点St.German en Laye到着です。
駅を出ると右手に教会、左手に城がすぐ目に入ります。城は1015年の建設で、今では国立古代博物館として利用されております。入場料は20Frs 、1時間半ほどで全て見学できます。展示物は旧石器時代の化石(人骨を含む)からローマ帝政初期のゴール人の装飾品まで。
城の横には「Pavillon Henri IV」 なる建物があり、入り口のアーチには「NAQUIS LOUIS XVI」とありました。城そのものはルイ14世が愛人を囲っていたところとか。周囲の堀はとっくに涸れています。
城の前庭は典型的フランス庭園です。運河等が既に道路や住宅地に造成されてしまったにも関わらず、かなり散歩しがいのある広さです。庭の端にある見晴らし台からは、デファンスの高層ビルや遥かエッフェル塔の頭を眺めることができます。
教会の左手の小道を奥に進むと商店街です。なかなかシックな店の作りは、まさしく小京都的(?)と言えましょう。わざわざ観光に来るほどの面白さはないかも知れませんが、デファンスと組み合わせて「ちょっと散歩に」というのには手頃かもしれません。
6ヶ月以上買った事を証明する領収書があれば、例え税関で引っ掛かっても大丈夫だと言われています。「私は学生であり、日本語のソフトを使う必要もある」など、留学生としての特殊事情を説明すれば完璧でしょう。
私の場合、パソコンの持ち込みは次のように行いました。
(1)入国時に持参したもの(最初の入国)
・機内持込手荷物:PowerBook 100、大型トランス(1200W)
・預かり荷物
・外付HD、StyleWriter、モデム、フロッピー
注:大型トランスは8Kgくらいします。
(2)別送品として送ったもの
・Macintosh II、モニター、キーボード
・電源延長ケーブル、二股、電源アダプタ
全て課税対象となりうるものですが、前述の通り、6ヶ月前に買った証明があればOKです。この場合、保証書やユーザ登録書は証明となりませんので、買った店に頼んで、宛名だけローマ字の領収書を作って貰いませう。書式は日本のもので構いませんが、宛名だけはローマ字でないとまずいそうです。
別送の場合もほぼ同じで、ヤマトとか日通のように、パリ事務所のある輸送業者であれば、申請書類を作成してくれます。この場合も、宛名ローマ字の領収書が必要になります。
Mac IIはかなり古いものだったので、業者に頼んで再発行して貰いました。
要は税金さえ払えば何でも持ち込めるのですが、ハイテク製品の場合、税率がほぼ100%だそうです。ビジネスマンがたまにワープロを持ち込んで課税されるそうです。私の知り合いで、5回入国して2回引っ掛かったとか(彼の会社では、輸送経費節約のため一時帰国の度に皆ワープロを買って帰るそうです。輸送費が高いから、2回課税されても十分元が取れたとか)。
フランスに持ち込むならMac が正解だと私も思います。Macだけはどの国でも同じハードウェアですから、周辺機器もソフトも、そして保証も完備しています。現に私は昨秋にPBのマザーボード交換をパリで行いましたが、日本の保証書で無償修理して貰えました。
DOS/V でも確かにほぼ同じ条件になり、実際フランスでも圧倒的にIBM コンパチ優勢ですが、保証を考えるとMac の方が良いように思われます。日米のシステムだけでなく、フランス語のシステムも使えますからね。また、電源も本体は概ねインターナショナル対応ですから、トランスなしで使えます。また、StyleWriter の電源が吹っ飛んだ時も、パリのディーラで簡単に買えましたから、ハードが世界共通であるという安心感はやはり絶大です。
ハードの値段ですが、最近の円高だと以前ほど「高い」という感じはなくなりましたが、それでも日本のステップとかマックギャラリーなどと比べると、まだまだ高いのは事実。ただ、HDやメモリは相当高いので、これらはに日本から調達しておいた方が無難です。
フロッピーはかなり高価ですね。3.5の2HDで一番安いGrande Surfaceで10枚120Frsします。fnacやDarty で160Frsくらいです。日本ですと例えばステップでTDKのMacフォーマット済みが1500円くらいですから、倍以上すると考えてよいでしょう。2DD はそれほど高くありませんが、2HD については、私は誰か日本からやってくる度に頼んでいます。
なお、Mac の周辺機器を購入するならアメリカの通販を利用して、個人輸入するのが一番安くすみます。ハイテク国家日本はフランスと違って機械輸入に関税がかかりませんから、郵送費を入れても今の為替なら絶対に安い。ただし、フランスでは当然税金がかかるので、これは日本滞在中に行うこと。
方法は簡単。MacWorld等の雑誌に載っている業者の中から適当なところを探し、FAXで注文するだけ。FAXには注文の品、個数、輸送先、それとクレジットカードの会社名、名義人、番号、有効期限を書くだけです。急ぎの場合は何日までに必着、在庫が間に合わなければ注文キャンセルと書けば十分。
一番大切なことは、日本語システムのバックアップは十分に行うこと。また通信環境は2重にしておいた方がよいでしょう。2月の帰国の際、持ち込んだシステムのうちディスクが1枚クラッシュし、一時期パニくったことがありました。通信環境もPB、Mac II いずれにもモデムを付け、万一(?)に備えています。HDも210MBを2台使っていますが、1台は完全にバックアップ用です。
何しろ周辺にMac の日本語システムを使っている人がいないし、壊れたら日本でないと手に入らないものが多いので、セキュリティはかなり気を遣っています。そんなわけで、今回キーボードもバックアップ用を求めたわけです。ソフトは圧縮してフロッピーにも保管してありますし。
通信環境は多少コストがかかっても確保しておいた方がよいでしょう。電子メールの威力は海外からアクセスすると絶大です。それに、パソコンでトラぶった時も、関連フォーラムで問い合わせることが出来ますから。PBがトラぶったときはFMACUGに質問を出したところ、翌日にはコメントがついていました。これで大体の目処をつけ、ディーラでその旨説明したのです。単に「壊れた!」だとなかなか交渉がスムーズに進まないと思いましたので。
「めぞん一刻」(Juliette, je t'aime)は私も結構見ていました。Julietteは無論、響子さん、五代君は何だったっけな?三鷹さんはFrancoisでした。主題歌まで「Jeliette je t'aime」でリフレインされました。今は「らんま1/2」を後番組としてやっています。
アニメの放映は水曜と土曜の朝9時から11時まで。TF1 が日本のアニメを4本一気に流します。「ドラゴンボール」はどうだったっけな....。
前大統領と言っても、現大統領が10年以上も続いているので、はてさて誰だったっけな?と思わず考えてしまいました。そーかそーか、王位継承権もあるとかいうあの人か、と1分ほどしてようやく思いだしました。
思えば、ミッテラン、レーガン、サッチャー、コールといわゆる西側指導者達は少なくとも数年は権力の座にあるというのに、この間日本では一体何人が位人臣を極めたのでせう? 上がコロココ代わっても経済的発展では他国を圧したということは、考えてみれば、それだけ人よりもシステムが有効に機能しているということなのか、それとも単に政治家が頼りないだけなのか、思わず考えてしまいます。
政治家を非難するのは容易ですが、今のシステムでは国民が彼らを選んでいるのですから、それは天に向けて唾をはくようなものでしょう。私はやはり「リーダー観」の違いを感じえません。東洋思想だと、存在を感じさせないリーダこそが最上とされているのですから、ヨーロッパ的な強力なリーダ像とはおおよそかけ離れておりますね。
外野席から眺めていると、宮沢内閣は結構健闘しているように思えるので、たまに読む日本の新聞であまり評価されていないのが不思議です。尤も、日本の歴代首相は在任中の指示率が低いほど、また、新聞受けが悪いほど後から評価されるという定説がありますから...。
フランスの前々首相って...そーか、サラダ菜か...。
伝え聞くところによると、日本のスポーツ新聞は最近Jリーグ一色だとか。そのあおりかどうか、F1の人気が急落しているという話も聞きました。野球の方は例の調子でしょうし、相撲も相変らずなのでせうか。
フランスだと、スポーツといえば圧倒的にフットボールでございます。昨日はサン・エチエンヌ対マルセイユのゲームがございまして、クラスでも教授まで巻き込んで大トトカルチョが行われました。レキップでもフットボールの扱いが一番大きいようですね。確かにヨーロッパのゲームは本当に格闘技という感があって、サッカーにあまり詳しくない私が見ていても面白いと思う。そのせかどうか分かりませんが、アニメ「キャプテン翼(通称「C翼」)はフランスでもなかなかの人気だそうです。私の世代ですと、サッカー漫画と言えば、
「赤き血のイレブン」なのですが。
今日は久々のSNCFスト。行きは例のごとくサン・ラザールから直行できましたが、帰りは何と4時で電車全てストップとのこと。結局、車で通っている同級生の一人が、RER A1線終点のSt.German en Layeまで送ってくれたのでした。
この街、当然初めてだったのですが、日本でならさしずめ「小京都」と言ったシックなところです。フランスですから小フォンテーヌブローでせうか。とにかく広い庭のある城、どっしりした造りの教会、そして古い町並みという3点セットが揃っているのです。
帰ってから「地球の歩き方」を見たら、一応「イル・ド・フランス」の中で紹介されていました。エトワールから僅か20分、パリ滞在中にちょっと時間が余った時など絶対にお勧めです。
今日は何やら学校でお祭り騒ぎがあった。ホールに仮設土俵(?)を作り、TVでよく見かけるだぼだぼの真綿を着込んで相撲取の格好になって組み合ったり、そうかと思うと、座布団ほどもあるグローブをはめてボクシングをしたり...。でもって、その横で何やら配っていた。何かと思ったらこれがコンドーム。ちゃんと使用説明書付きであった。これをカリムというエジプト人学生が大量にもらってきて、教室で皆に配っていた。「説明書はいらないよね?」とか、「使い方教えてあげようか?」などと聞きながら。
包の中を見たら、まず「厚さ0.05mm」というところが目に入った。横にいたXとの会話。
私:日本製だと厚さは0.03mmだぞ。
X:なに?もっと薄いのか?それは危ないだろう。
私:いや、1cm2あたり1トンの荷重に耐えられる。工業規格だからね。
X:比べてみたいから、ストックがあれば明日持ってきてくれ!
私:Oh, putain!
これ、授業中に普通の声の大きさで交わされた会話であった。
今日は暑かった。久々に半袖の人が目だった。
どうも日本から誰かが遊びに来ると、天気が悪くなるようである。4月末に会社の後輩が来たときは、やたらと雷雨が続き、M田さんの来仏後は気温が下がって風邪をひく人が続出。ところが週が明けた途端にまたまた汗ばむような日差しのもと、本当に暑いときた。
まあ、この時期の天気などあまりアテにならないので、決して皆さんの日頃の行いが**というわけではないのだらうが。
いきなり過激なタイトルを掲げてしまいました。
恥しながら、月曜の夜までベレゴボワ前首相が自殺したという話を全く知らなかったのでした。その日は新聞を読んだとはいえ経済欄しか見ず、たまたまクラスの連中がその話題で盛り上がっていた頃は、教室でシエスタしてしまっていたのです。結局、夜帰ってから、M田さんからこのニュースを聞いたのでした。おまけに、氏の遺体は私のアパルトマンから徒歩15分の所に安置されていたそうです。
その日、帰りのRERがデファンスの1駅手前でストップしてしまったのです。何でもシャトレとリヨンの間で自殺があった影響とか。これで結局帰りが1時間以上遅れてしまったのですが。翌日この話をしたら、皆まず私が知らなかったことに驚きつつ、結構フランス各地で触発(?)自殺があったという話をしておりました。少なくとも共和制に移ってから、フランスで前首相が自殺したなどということがなかったため、相当な衝撃が全土を走ったそうです。直前まで借入金疑惑で散々氏を攻撃していたジャーナリズムも、一転して氏の業績をたたえる記事ばかり載せるようになったみたいです。確かに死んだ人間を攻撃するのはタブーと言っても、複雑な気持ちを抱いている人も多いようですね。
いざ「生活」してみると、東京の超便利さが心底恋しいですね。私は元来が雑踏育ちでございまして、パリの騒音が実に心地良いのですけれど、生活の場をどこに求めるかと訪ねられれば、やはり躊躇なく東京を選んでしまうでしょう。日本のマスメディアはやたら東京の「都市問題」ばかり強調していますけど、あれだけの機能と安全性を備えた都市は空前絶後という気がします。その意味で、OVNI No310に載っていた「分散というよりもかえって東京の分解を助長しているだけのよう」というコメントには、目から鱗が落ちるような思いがありました(Vivre a Tokyo:在日フランス人のジョバンさん談)。
ただ、東京以外でとなれば私も断然パリですね。都市機能もヨーロッパの都市の中では群を抜いているようですし、何より職住混在の環境が良い。これは都市計画の専門家が一様に評価していることでもあり、実際に街に愛着を抱かせる最大の要素ですね。私なりに理解している「東京分解」の最大のポイントは職住分離だと思っています。今はまだ深夜残業や休日出勤の人のおかげで何とかなっておりますけれど。
もう一つパリの魅力は懐の深さと言えるでしょう。変なモノ(人?)が普通に振る舞える(?)。また、ピンからキリまで実に選択幅の広い生活が可能である等々、東京には確かにない魅力が多々ありますね。
「長期滞在」となると温泉がほしい。
昨日は午前中ゼミの発表があった。指導教授の趣味もあって、発表にはプレゼン・ソフトを使うことになっている。従って、パソコンに液晶の透過ディスプレイをつなぎOHPに乗せ、PowerPointとかPersuationを使う。この日、教授のちょっとしたミスで液晶を使うことが出来なかった。仕方ないので、ディスプレイを1台持ってきて、昔の視聴覚教室のように、皆で画面を眺めることとなった。
この教授、発表中にすぐ「喋りたがる」癖がある。すぐに「Deux Seconde!」と言ってその実15分位喋るまくるのである。ジェスチャーも結構大袈裟で、それなりに笑えるのだが、やはり時々うんざりすることがある。この日は普段になく「Deux Seconde!」多発であった。ディスプレイの向こうで、手を振り動きまわりのパフォーマンスである。退屈していたピエールが、プレゼン・ソフトのデモ用画面をいじり始めた。色々な場面を背景にして、そこに「Il est ...」というコメントが1行ずつついていた。
ある画面に達すると、思わず全員で大爆笑してしまった。画面に表示されていた一言は、Il est babarde.
Internetのことは聞きかじりですが、知っている範囲でまずお応えします。まず、国立高等研究機関(大学とかCNRS)では一応ノードが来ているそうで、「使えないことはない」そうです。ただ、普及は日本と比べてもイマイチだということです。また、フランスのノードは全てINRIA で集中管理されている由で、アドレスを取るためには結局INRIA に申請しなければならないとかいう話を聞いたことがあります(これ、多少不確定)。
大学関係者であれば、アドレス取得はそれほど難しくないそうです。知人の中でDaupineのInternet 関係プロジェクトに関係していた人がおりましたので、機会を見て詳細を聞いてみましょう。また、INRIA やCNRSに関することですから、電総研や科技庁に問い合わせれば多少分かるかも知れませんね。CNRSは日本事務所もあります。
私が通っている所はGrande Ecoleと言ってもPriveeなので、Internetのノードは設定されておりません。従って、利用しようと思ったら、INRIA に直接申請しなければなりません。国立系Grande Ecoleでは利用できるところもあるそうですが。
ということで、まだあまり普及していないけれど、利用可能であるということは間違いなさそうです。昨日会ったSolbone-Nouvelleの教授の話だと、ここ1年でCommunication関係の研究者が俄にInternetに注目し始めているとか。
(注)蛇足ながら、
CNRS : Centre National de la Recherche Scientifique
INRIA : Institut National de la Recherche Informatique et Automatique
昨日から今朝まで後輩夫婦が泊っていました。彼らは数年前ボストンに2年ほど住んでおりまして、今は東京で勤務しています。今回はアメリカまわりでヨーロッパに旅行、パリでは買い物を予定していたそうですが、あまりの物価高に躊躇してしまったとのことです。
東京と言うと、世界で一番物価が高いように思われがちです。実際に、多くの統計がそのような推測を裏付けているようですが、生活実感としてそれに疑問を投げかける在仏日本人は少なくありません。要は生活習慣の違いが、統計には何ら配慮されていないことに問題があるのでしょう。また、東京の物価は日本人の消費動向にある程度適合されているはずなので、例えばフランス人がパリで展開しているような生活を東京でも実現しようとすれば、物価が高いと感じて当たり前でしょう。
私なりに感じることは、パリでは生活必需品は全て手に入るし、これに関しては東京よりも安い傾向にあることです。例えば、食料品とか毛布とか。それに対し、「ちょっと便利」な財・サービスの類はとてつもなく高い。一般の消費者サービスからオーディオ機器の等、これは日本に比べてかなり高いと言えましょう。基本的にフランス人は「自分のことは自分で」を建前にしているようですから、サービス業が日米に比べて今一歩発達していない感じだし、必需品以外の消費には徹底的にケチです。
アメリカのような典型的消費社会ではこの点バカバカ循環するので、何でも安くなる仕組みもあるのでしょう。特に最近の為替レートだとアメリカの物価が異様に安く、パリが結構高いという感想もうなずけます。
私はそれほど詩には詳しくないのですけれど、北半球の星空にまつわる神話や伝承はそれこそ星の数ほどありますが(そもそも北半球の星座名は、ほとんどがギリシャ神話に由来しますから)、こと詩に関しては個人的には南半球の空の方が「詩」になるかな何て思っています。特に北半球の住民としては。
南半球の星と言えば、まず南十字星でしょう。多少星に詳しい人なら、ケンタウロス座のα、β、オメガ星団、大マゼラン雲、小マゼラン雲、そして竜骨座のカノープス、エリダヌス座のアケルナル等も思い浮かぶでしょうか。また、天の川が一番美しい部分と言われているのが南十字星付近ですが、日本からは見えません。見えないものは何となく気持ちをそそるのですね。
8年前オーストラリアに行った際、南半球の星に出会いました。メルボルンからシドニーに向かう夜行列車の車窓から偶然南十字星が見えたのですが、感激の余り涙が出ていました。南十字自体はそれほど美しい星座ではないのですが...。
大航海時代に「星」は測量の手段、だから感傷にふける対象ではなかったはずでしょうが、航海が終わった後にはその星こそが郷愁をそそったのでしょう。私も夜の林道を走る時は地図よりも星を頼ることが多かったので、星空を眺めると走ってきた道を思いだしたりします。車の荷台には携帯用の天体望遠鏡と双眼鏡が常備されていたので、峠ではしばし「レンズの中の宇宙遊泳」気分に浸ったものです。詩の一つもできていたら、ロマンチストと言って通用したのでしょうが、残念ながら...。
93年5月、フランス語会議室に登場したM村さんという人がフランスのInternetについて質問していた。M村さんは北海道の大学教員で、その年の秋からフランスに研究留学をする予定だった。すでにインターネット・メールなどを利用していたため、それをフランスでも利用できるのかどうかを知りたかったわけである。
1993年の時点で日本の最もポピュラーな電子メールはインターネットではなく、NIFTY-ServeとPC-VANのメールであった。どちらの事業者も会員数は100万を越えていたし、メールに関しては相互乗り入れが図られていたので、実用性の点ではインターネット以上だったのである。
一方、日本でもWide Projectという実験のもと、いくつかの研究所間でインターネットが用いられるようになっていた。そしてNIFTY-ServeでもWideとの共同実験を進めており、プロジェクト参加機関とのみ、インターネット・メールの交換ができるようになっていたのである。たしか当該機関数は13(!)であったと記憶している。
インターネットのことは在職中にアメリカ人の同僚から聞いていたので、電子メール、telnet、ftpの仕組みについては知っていた。また、1988年にフランスのINRIAを訪問した際、交換した名刺にインターネット・メールのアドレスが入っており、それが何なのかを尋ねたことがある。とはいえ、わたし自身はインターネットを具体的に利用したことはなかった。ネットワークといえばパソコン通信が圧倒的にメジャーだったのである。
(2006.3.1記)