21世紀の日記
20世紀の日記

*この日記について

93年3月の日記は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。
当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。


1993年3月27日 【留学のために】(3)手続き[3]

 さて、前のアップで示しました例の補足説明です。

(1)「sexe」は必要なし。

 これは「ne」で区別すること。言うまでもなく、女性なら「nee le...」。
 別に書いてはいけないということではありません。ただし、間違っても
 sexe : 3 fois par semaine au minimum
 などとは書かないように。

(2)国籍nationalite

 敢えて書く必要なし。フランスは原産地主義(?)なので、出生地の方が重要です。

(3)Formation

 何も学校の専門とは限らない。例えば会社で会計を覚えたなんて場合は、当然追加して良いわけです。

(4)学歴

 原則として高卒以降。無論、高卒の人が大学に出願する場合は高校を記入することになります。ただし、大学・専門学校出身の人は高校までは不要です。

(5)長期のバイトなど

 Stageとして記入しましょう。フランスでは実地経験が重視されます。ですから、専門分野に関連して長期のバイト経験があれば、Stage としてまとめましょう。例えば仏文で志願する人でフランス語語学学校でのバイト歴がある(仕事の内容不問)場合は、忘れず書くようにしましょう。

(6)社名

 実際にある呼称を用いる。日本の会社はたいていフランス語呼称がないので、通常は英文呼称または日本呼称をローマ字化して記入します。ただ、日本呼称を用いるときは、当該産業分類をフランス語で記入すると良いでしょう。産業分類のフランス語訳は通産省大臣官房経済研究所に問い合わせれば教えてもらえます。JETROの資料室にも通産省作成の対訳があるはずです。

(7)職名、所属部名

 何とかフランス語訳すること。課長、部長などは一般名詞なので、フランス語訳します。これは厳密でなくても構いません。係長=chef de profet程度で十分です。所属部名も同様。

(8)言語

「日本語」も加える。これは案外盲点ですが、「外国語」という見出しの元で外国語を列記するより、言語として母語と一緒に併記する方が好印象を与えるそうです。また、直接必要とされるフランス語以外は結構大胆に書いてしまいましょう。私は以前「chinois : lu」を付け加えたことがあります。
 また、当該語圏への滞在期間も加えると良いでしょう。無論、旅行や仕事で何度かにまたがる場合もトータルして月単位で記入しましょう。これを加えることで、ある程度語学力の保証になるそうです。

(9)特記事項

 必要に応じて記入。別に義務ではありません。

(10)欄があれば

 趣味 Loisirs も記入しましょう。
 例:Arts plastiques
 - Conception et realisation de presentoirs originaux ...
 - Realisations graphiques
 Rugby
 - Animation d'une equipe

1993年3月27日 ちょっとオブジェクション(?)

 実はパリのアリアンスでは、教師によって教え方があまりに違うことが、生徒をとまどわせるという問題があるそうです。これは私も私のカミさんも実際に見たり聞いたりして肯定していることです。実際、月初めの1週間は教師と相性の悪かった生徒のクラス変更がかなりあります。まあ、日本支店の場合はどうしても現地採用教師中心でしょうから、マニュアル主義にならざるを得ないという気はします。
 なお、夏休み中は講師の全体的な質が下がるという節がありますが、これはキャリアの少ないバイト講師を雇うからでしょう。
 私の聞いた話では、アリアンスの授業方針は一応ソルボンヌの教育方法に準拠しているとのこと。この辺、オーソリティの威光絶大のフランスならでわという感じがしました。教師はディプロム試験の合格率で査定されますので、教え方の工夫にも必死です。また、パリだとさすがに生徒も口うるさいので、中上級だと結構教育の方法自体にクレームなり要求なりをつけることがあるし、逆に教師の方で生徒の意向を聞くこともあります。
 ところで、現在主力テキストである「Espace」はパリのアリアンスの講師には結構不評なようです(これは昨夏書きましたね)。特に、このテキストは複数の国から集まった生徒による自由会話を前提にした部分が多く、日本で使うには不向きであろうと、私が習っていた講師がコメントしておりました。

1993年3月27日 小切手の顛末ですが...

 実に味気ない結果というか、結局RATPの引き落としがえらく悠長だったために、不渡りという事態には至らなかったのです。月初めに送られてくる取引明細(何しろ通帳という制度がないものですから)をつぶさに調べてみたら、あの時点ではなんと1月末にやはりRATPに支払った小切手の引き落としすら来ていなかったのでした。これ、3月10日に落ちてましたから、実に支払から1月のラグがあるということになります。従って、びくびくしていた3月1日使用の小切手は恐らく4月の引き落としとなるでせう。前にこの話をマリー・ピエールにしたところ、「マイナスが利くから大丈夫よ」と言われたのでした。もう少し詳しく聞いてみたら、不注意による不渡り予防のため、当座預金にはある程度マイナスが認められるそうです。サラリーマンで給与振込をしている人はだいたい月収相当額、学生の場合は3000F位を限度にそれが設定されているとか。
 パリの地下鉄でもうたたねは決して安全なはずはないのですが、路線によっては治安が良いせいか結構こっくりやっている人がいる。また、RERでは通勤距離が長いせいか、メトロ以上に舟を漕いでいる人がいるのです。我が親愛なるZoubidaは「パブロフの犬になった」といいながら、RERに乗ると即舟漕ぎでございます。

1993年3月27日 【留学のために】(3)手続き[2]

3
 履歴書の作成例
 架空の人物を想定した例を以下に示します。これだけでも結構長文なので、細かい注意は次の書き込みを参照のこと。


MOHEJI Henoheno
2-3,Inaka 1-chome,Dokoka-shi                (Photo)
999 Koko-ken, Japon
Tel 0000-11-2222, Fax 0000-11-2223
Ne le 31/12/65−28ans a Dokoka
   Formation mathematique et informatique 【専門】

Situation Professionnelle 【現職】
   chef de projet de Nippon Corp.

Etude 【学歴】
   Maitrise esCCS(N)> Science (Universite de XXX)
 1987-1989 : Institut des Sciences
      (2ans. cours de maitrise : 3e cycle)
 1985-1987 : Faculte des Sciences(2ans. 2e cycle)
      Specialisation mathematique et informatique
 1983-1985 : Faculte des Arts-Liberaux(2ans. 1er cycle)

Stage 【研修歴/バイト歴】
 1987 : Fabricant electro-menager YYY (2 mois)

Experiences professionnels 【職歴】
 1989-1993 : chef de profet de Nippon Corp.

Langues 【言語】
 japonais : lu, ecrit, parle
 francais : lu, ecrit, parle (8 mois de sejours en France)
 anglais : lu, ecrit, parle (1 mois de sejours aux Etats-Unis)

Aptitude 【特記事項】
 Langage de programmation (FORTRAN, Basic, C)


1993年3月27日 【留学のために】(3)手続き[1]

 履歴書(Cariculum Vitae)の書き方をご紹介致します。
 CVのひな形は和仏辞典にも載っておりますが、コミュニケーションの教授に例を見せたところ、やや冗長すぎて今のフランスでは一般的ではないとのことでした。ここはその教授の指導で作成した例を元にしてみましょう。

1 明記すべき内容

(1)氏名、及び連絡先(現住所)
(2)専門(Formation。複数ある場合は全て明記)
(3)学歴及び職歴

2 作成にあたっての注意

(1)「CV」といったタイトルは不要。手紙の中で「CV同封」と明記する。
(2)なるべく1枚に収める。ただし、論文、研究成果、雑誌原稿等が多数あ
 る場合は「Annexe」として別頁にまとめる(量はいくらでも可)
(3)できれば単なるクーリエ体の平打ちではなく、ポイントを変えたりボールド体等を使ってアクセントをつける。
(4)右上に必ず写真を貼る。(スピード写真で可。白黒)
 実例は長文になりますので、次の書き込みを参照のこと。

1993年3月26日 「うそーっ!」はふら語では?

 今日はうっかりと別の方向のRER に乗ってしまった。ChateletからのRER A線は、セルジー方面の他に、ポワシー方面、デファンス止りの3系等が同じホームから出ている。このうち、最も本数の多いデファンス止りは車両が異なるので間違えようがない。残るセルジー、ポワシー行は同じ車両で、僅かに行く先コードが事なるだけである。それが、うっかりとポワシー方面に乗ってしまった。デファンスで終点のアナウンスがあるので、一応いつもこれを確認してからうたたねに入るのだが、
 Ce train est en direction de ... Poissy.というのを聞き、間違いにようやく気づいた次第である。
 本当ならここで下車すれば3分ほど待つだけでセルジー行に乗り換えることができる。しかし、折角座ったのだから行けるとこまで行っちまえと思い、3つさきの Maison de Laffite まで行った。これが大大墓穴。
 朝の通勤時間帯、セルジー方面行はなんとこの駅を通過してしまうのである。無論、この事実をしったのは学校に着いてからであった。結局この駅で待つこと35分、ようやくセルジーに到着したのは本来の到着時間の40分後であった。
 事の顛末を皆に説明すると、即座に出てきた言葉が、
 C'est pas vrai!!
(音としては、「せっぱーーぶれーー」。「ぱ」に強いアクセント)
 これ、日本式に表現すれば「うっそーー」とか「まじぃ?」だろうか...。

1993年3月26日 語学レベル

「必要のないものに集中力を発揮するのは難しい」という説、まさしくその通りでございましょう。思うに、初級から中級に一つのカベがあるのは、初級のうちは知識が増えること自体に結構インセンティブがあるけれど、中級に入ると難しい内容が増えるうえ、そろそろ新鮮味も薄れる。さらに20代後半以降になると一次記憶の衰えが急カーブを描くから、へたすると覚えることより忘れることの方が多いなんてことも起こりえる。語学の場合、特にサボるとテキメンですから。そうなると、インセンティブより苦痛が増えることになる。これを打ち破る最も有力な動機はやはり必要性とか、あるいは某かの憧れでございましょう。
 当然、中級から上級にもカベがあるはず。特にこの段階になると、「あの本を読みたいから」とか「旅行で不自由しない」といった基本ニーズや憧れを結構充足してくれますので、案外こっちの壁の方が厚いかも知れない。
 私のカミさんは来仏前に2ヶ月ほど日仏学院に通いましたが、その後5ヶ月ブランクとなったので蓄積はほぼリセットされたと考えて良いでしょう。ですから、実質的にフランス語は12月から始めたようなものです。無論、カミさんの場合生活でどうしても必要ですから、嫌でも覚えなければならない。で、アリアンス通学後4ヶ月にして一応エスパスの1巻が終わり、今では友人の家に一人で遊びに行ったりしています。無論、共通語はフランス語でございます。
 フランスで学ぶ方が当然多くの利点を有しておりますし、毎日授業があるという点も見逃せません(普通コースで一日1時間45分)。とは言っても、それについて行くというのは生活の必要がなせる術でございましょう。実際、本人はかなり必死でございました。
 しかし、必要最低限のレベルが満たされた今、やはり多少緊張が緩み負担感の方が大きくなりつつあるようです。私自身、目標は2巻終了に置くようアドバイスしましたが、実際、生活で必要なフランス語はこの段階で十分といえると思うのです。ですから、それより上というのは単なる日常生活での利用以上の「何か」がないと厳しいでしょうね。
 長くなりましたが、結論として、仕事で必要になるケースを除けば、映画でも本でも何でもいいからとにかくフランス語に関連するものを徹底的に好きになることが唯一の truc であるような気がします。

1993年3月25日 ジャンルを超えて

 個人的に思うのは、キワものはやはりキワものでしかない、ということであります。ただ、何がキワもので何が新しいパラダイムなのかは非凡なる人のみが認識できることなのでしょう。「伝統」も「本流」も始めは皆アバンギャルドなはず。仏教だってキリスト教だって、バラモンやユダヤにしてみたらキワい新興宗教だったわけですから。
 ところでところで、ジャンルを越えた人の集まりというのは、かつてパリでこそ演じられた展覧会ですね。世界的に見れば決して大都会とはいえないパリが、確かに世界の「都」の一つという顔を持ちえたのは、ひとえにこの「展覧会」の賜物だと思うのです。かつて「国際都市とは、他の国の人がやって来て世界に情報を発信する都市のことである」という話しを聞いたことがあります。東京がまだ今一歩欠けている点がここにあると言ってよいでしょう。
 実は私もスケールは小さいながら、様々なジャンルの人と交流することが結構ありました。ただ、話題が決まって「猥談」なのです。とはいえ、医学、動物学、心理学、社会学、民族学、言語学等々の立場から徹底的に「猥談」に熱中しますと、言い訳ではないのですが、かなりマジな話ができる。実際、笑はほとんど出ませんから。まあ猥談ヲタクなどはちと不気味かもしれません。
 落ちた話を何とかフォローしますと、アメリカ科学の黄金時代、プリンストン高級数学研究所にそのような雰囲気があったそうです。実際、アインシュタインとレヴィ・チビタの雑談を聞くために、昼の食堂は超満員だったとか。割と最近ではゼロックスのPARCがそうだったといいますね。やはり、エポックメイキングな事をやらかしたろころというのは、特殊な場の作用があるのでしょうね。

1993年3月25日 【留学のために】(2)情報収集[3]

 多忙モード中もいろいろと資料を探してみたのですが、「L'etudiant」という雑誌をフォローするのが最も多くの情報を得られそうです。もともとこの雑誌は高校生を対象とした内容が中心なのですが、2e Cycle、3e Cycleの情報もかなり収録されています。未確認ですが、「Formation 特集」という増刊号がある由で、フランスの大学で修得可能なDEA、DESS の一覧が載っているそうです。機会をみて確認しておきます。

 1 自分の希望に沿ったUFRを探す。
 2 自分の希望に沿ったDEA/DESSコース等を探す。
 3 自分の希望に沿った教授を探す。

 この中で、日本にいて通常ルートで収集できる情報はどうやら(1)のみのようですね。主な方法をまとめると次のようになります(間違いがあったら訂正願います)。

 1.1 フランス大使館(文化部、科学部。要予約)
 1.2 フランス語教育新興センター(資料閲覧は午後。ただし、相談業務は午前中のみ。要予約。有料)
 1.3 日本事務所(HEC、ESSECは東京にあります)
 1.4 リスト、雑誌等をフランスから取り寄せる。
(例)L'etudiant(雑誌)
  Universites Mode d'Emploi(L'etudian付録)
 Annuraire National des Universites(同別売冊子)
(これが一番有益なようです。約1,200FF)

 2については、フランスの方に直接FAX や手紙で頼むことになるようです。1で該当するUFRを探し、Secretariatにコンタクトしましょう。通常、リストなどには連絡先、担当者氏名が載っているはずです。そして、UFR から送られるプログラム一覧に各コースの名称と担当教授の名前が載っていますので、ステップ3、教授探しにかかります。
 資料の要求は直接教授宛に行います。その際、欲しい資料を明記した手紙の他、次の書類を同封すると良いでしょう。これについては、次回以降の「手続き編」で述べます。

 3.1 履歴書(CV。写真付き) 1枚
 3.2 英文または仏文の推薦状(可能ならば) 1通以上
 3.3 フランス語力を証明する書類(同上) 1枚
 3.4 返信用封筒(国際クーポン付き) 1枚

 繰り返し念を押しますが、情報収集の段階で3.2、3.3は必須ではありません(尤もいずれ必要になります)。ただ、推薦状はあった方が絶対に好ましいと言えましょう。推薦者は大学の先生、会社の役員、その大学のOB等です。3.3については、DALFがあれば添付したほうが好ましいといえましょう。ただ、これも情報収集段階ではオプションです。
 次回は(3)手続きその1として、「CVの書き方」の予定です。

1993年3月20日 あるフランス人の死

 久々(?)のアップになりました。今週は異常に忙しく、平均睡眠時間3時間、ニフティもメールと会議室のダウンのみに近い状態でした。しかし、3、4時間しか眠らないなんて東京では普通だったのに、パリでは致命的に応えてしまう。すっかり頭が鈍ったかもしれない。
 この柔道チャンピオンの死は大衆紙やスポーツ紙では結構大きく扱われていました。内容までは知らなかったのですが、そうですか、交通事故だったのですか。しかし、在留邦人初心者マークの私ですら、2月の一時帰国の際に、道の横断の際は信号など気にもとめずにまず右を見てから(!)横断しそうになったことがしばしばありました。
 信号を守る習慣と無視する習慣、どちらが見につき易いかと言えば、無視する習慣の方が身に付きやすい。車の走っていない田舎道ですら頑なに信号を守っていた私のカミさんですら、パリに住んでからは極く当たり前に「横断」しているくらいです。それに、パリとかニューヨークだと信号待ちで突っ立っているのって、歩行者の邪魔になるばかりか防犯上よろしくないこともある。歩行者の信号無視を正当化する気は毛頭ないのですが、柔道チャンピオンの話しは全く他人事ではないように感じました。

1993年3月15日 6日連続晴天です

 一昨日は気温が17度まで上がり、すっかりと「冬が終わった!」という雰囲気になってきました。RERでデファンスを過ぎ住宅地のエリアに入ると、梅に似た花を満開にさせた並木道があります。セルジーの近くには桃に似た木も盛んに花を咲かせています。どちらもバラ科の植物だから、そのものでないにしても似たような種類の木なのでしょう。
 日の出も日没も7時頃ですから、朝7時に起きて夜11時に寝るとすると、活動時間の3分の2を日中の間に過ごすことになります。冬のヨーロッパしか知らないカミさんはこの劇的変化に驚くやら喜ぶやら。椅子を外に並べるカフェのおなじみの光景も3日ほど前から目につきます。昼間などは既に半袖のTシャツで過ごす人がおります。
 ところで、昨日気づいたのですが、セルジーの2駅手前のAchere Villeという駅の駐車場の脇に、「Espace Boris Vian」なる看板の建物があるのですが、あの Vian に関係あるのでせうかね?

1993年3月15日 お上りさんしました

 天気が良くてしかも授業のない日が続いたので、一昨日、3日前とお上りさんをしてきました。3日前はオペラ座通りを散歩して、遂にあの有名な Cafe de la Paix に入りました。いやー高かった。カフェが19FF、あとはみな26FF以上。同じ有名カフェでも Deux Magot の方が安いですね。
 一昨日はモンマルトルに行ってみました。天気の良い日の眺めはやはり絶品です。パリの平らな町並みの中でポンピドーセンターが浮いている光景も、天気が良いと一層クリアーです。ただ、広場の絵書きの「襲撃」が前にも増して激しくなったような気がします。広場に通じる通りに数人ずつ待ち構えていて、フランス語で始まって、英語、そしてさらには日本語で−登録完了−話し掛けて来ます。その日本語の内容が悲惨で、「コンニチハ」は兎も角として、「ウタマロ」だの「テンプラ」だの要は知っている単語を並べて気を引こうとしているだけ。
 ここでまた一つ要注意。最近連中は共同戦線を張っているようで、話しかけられて立ち止ったりすると、別の一人がそそくさとスケッチを始め、いつの間にやら1枚出来上がりとう事態になってしまうこともある由。無論、あくまで拒否すればよいのでしょうが、過剰防衛のためか、ついつい払ってしまうケースも多いようです。
 旅の思い出に1枚と思う人、立ちん坊でスケッチブックを持っている人は下手クソだとの専らの評判ですのでご用心。広場で構えて描いている人とは雲泥の差だとか。まあ、広場の方が相場は上でしょうけれど。

1993年3月15日 狂気、なんちゃって

 フランスの有名な数学者ガロアの伝記には「天才と狂気」というサブタイトルが冠せられています。科学者の多くもやはり活動の中で「狂気」に酔いしれることがあるようです。一種の没我の境地なのではないかと考えています。実際に研究で一番困難なのは論理で追及できない領域を開拓することでしょう。そのブレークスルーにはやはり「狂気」に似たエネルギーが必要ではないかと思う次第です。無論、開拓後の整地に理性や論理が必須であることは言うまでもないことですが。

1993年3月11日 都市住民

 都市は一般に「冷たい」と言われますが、昔からその都市に住み続けている人には親切な人が多い、というのが私の感想です。これは東京でもパリでも同じような気がするのです。東京でも月島とか中野・高円寺あたりの住民は驚くほど親切でございました。
 都市といえば膨張するもの。仮の宿とする人も多々ございましょう。まだどっしりと根を下ろしていないがゆえに、人との応対もどこかドライにせざるをえないところもありましょう。「都市が冷たい」という一般論は、どうもかような悲しい現実があるように思うのです。
 とはいえ長所と短所は裏表。都市のドライさ、冷たさが、同時にある意味での住み心地の良さを提供しているのも事実でありましょう。
 ヨーロッパで犬や猫などのペットがもてはやされているのは、都市の冷え切った人間関係の所産という説があるそうです。パリやロンドンで一番信用できるのは愛玩用の犬、次が赤ん坊だそうです(信用できるというのは、人に危害を加えないという意味です)。だから、犬や赤ん坊を連れて歩く人は、その恩恵を一緒に被ることができる。パリで犬や赤ん坊を連れていると、周囲の人はそれはそれはにこやかに話し掛けています。これ、私も実際見て確認済みでございます。

1993年3月10日 すっかり観光シーズンです

 昨日、今日と真青な空が広がっています。昨日はオペラからバスで帰宅したのですが、オペラ座通りやルーブル近辺は、すっかり日本人観光者でごった返しておりました。3月ですから学生さんの卒業旅行というやつでしょうか(あたしらの頃は、まだそんな習慣がありませんでしたが)。確かに学生とおぼしきグループが多数派のようです。
 実は2月に東京から帰るとき、飛行機の中で女子大生グループに囲まれることを密かに期待していたのは私です。でも、現実には前が韓国人のオジさん、横が身長190cm以上のスウェーデン人のあんちゃん、隣のブロックが日本人ビジネスマンと、すっかり期待がはずれてしまいました。
 感じた事を一つ。皆さん、歩くときに無防備過ぎますね。ポシェットやショルダーを無造作にたすきにかけ、両手ぶらぶら歩きなんてのでは、後ろから紐を切られてひったくられてしまう危険がある。バッグはいかなるときも手で確保しておかなければいけません。
 また、道の真ん中で地図を見るために立ち止るのも危険です。最近は3人位のグループでスリ、ひったくりを行う連中が多いので、これではあっさり取り囲まれてしまう。それと、歩く速度がやはり遅すぎます。
 これから旅行されるかたはご用心、ご用心。

1993年3月9日 CAMPUSって...

 今日、明日、明後日と「CAMPUS」とやらで授業はなしである。この3日間にかやうなものがあるとは学校の年間予定で知っていたが、その意味するところは今日初めて知った次第である。
 要するに、学校ぐるみの集団会社説明会である。
 フランスの学生は3ヶ月も夏休みがあっていいなあ!などと思っていたら大間違い。その3ヶ月は企業研修の月なのである。特にグランゼコールでは最終学年で研修を義務づけているので、最終学年の学生は、この時期は受け入れ先企業探しに必死である。研修先がそのまま就職先となる可能性も高いし、何より研修歴がそのまま履歴書に載る経歴となるので、単なる「バイト感覚」では済まされないのである。1、2年生もキャリアを積んだり、あるいは最終学年での布石のため、夏にせっせと研修に励む学生が結構多いらしい。
 この日、各教室にはそれぞれ企業のリクルータのやうな人がやってきて、説明を求める学生に応対していた。普段はラフな格好の学生達も、今日は男も女もスーツである。この辺の光景は日本の就職シーズンと何ら代わりがない。私は今日レポートを提出に行っただけなのだが、前日友人から「ネクタイをしてないと浮くよ」と言われたので、一応、多少はそれっぽい格好をして行った。
 学生には事前にどの企業がどの教室で応対してくれるかを示したパンフレットが与えられている。そう言えば、私のレターボックスにも入っていた。内容の雰囲気は日本の大学祭のプログラムをイメージして頂ければよいと思う。また、友人に企業から配られる説明資料を一つ見せてもらったが、かなり金をかけて印刷した立派なパンフレットであった。企業側も優秀な人材確保のため、かなりこれには力を入れているようである。
 内容が学歴&資格社会のフランスらしい。職種別に研修期間、必要なディプロム、求人数等が示してある。さらに、具体的に学校名まで指定してある。日本の「暗黙の」指定校とは違い、はっきりと「こことここの学校」と明記してあるのである。
 一例。某社の一般管理部門。人事管理や組織管理といったレベルで職務が記され、学校欄には「HEC、ESSEC、ESP」等と指定してある。
 ここでもニッポン企業は大人気である。尤も、ニッポン企業というよりも、ソニーやキャノンといった多国籍かつブランド力のある企業の人気があると言った方が正確であろう。余談ながら、「日本」の紹介では盛んに「Nippon」だの「L'empire du Soleil levant」と表現されていた。私も「Japon」よりこれらの方が好きである。
 この学校ぐるみのリクルート活動、明日、明後日もあるのだが、私は家でしこしことレポート作業である。

1993年3月9日 日仏の所得差

 前でリクルートの話をしたが、たまたま教室ででくわした級友と収入について話をした。彼曰く「Massaはフランスで就職するの?」、我応えて曰く「その意志はないね。給料悪いから」。彼続けて曰く「でもこの学校のディプロムがあれば、年収**Fはいくよ。」
 彼の語った数字は2年前の私の年収の僅か3分の2であった。
 実際私はほぼ佐*急便の長距離トラック運転手並みの労働時間をこなしていたので、同年代の平均年収よりかなり稼いでいたのは事実である。しかし、彼が語った数字は1F=21円として換算すると、日本の33才大卒サラリーマンの年収として決して魅力ある数字でないことも確かである。人気職種のエリートでこの程度、と言っても決して事実には反しないだろう。
 改めて考えてみると、日本の国民一人当たりのPIB(GDP)は91年で3.5万ドルである。一方、ECでも上位に属するフランスは2.3万ドルである。因みにEC最強の旧西ドイツでさえ2.7万ドルである。労働分配率の差があるのでPIBだけでは比較できないものの、日本の労働者の平均年収はフランス人よりも4割程度高いのではないだろうか。彼が私に語った数字もこの差を考えれば何となく理解できる。(換算レートは1ドル=122円、1F=22円)
 換算レートに意義をとなえる人もいるかもしれない。実際、OCDEの購買力平価でみると、1ドル=175円、1F=27円程度である。このレートで換算すれば、彼の示した数字はほぼ私の年収に近いものとなる。
 しかし、購買力平価は確か旅行者のモデル出費を元に算出したものであり、これを所得水準の比較に用いるのは、かなり現実の生活実感からかけ離れた結果を招きかねない。私の実感では、1F=22円がだいたい購買力を反映した水準ではないかと思われる。ニューヨーク、ロンドン、パリ駐在の商社マン夫人を対象としたアンケートでもほぼ同様の結果が出たそうだ。
 生活コストや実労働時間を考慮しても、収入目当てに働くならやはり東京に限ると言ってよさそうだ。まあ、これはあくまで数字の上だけの話であって、通勤ラッシュや仕事の満足感などは念頭に置いていないが...。

1993年3月8日 メトロにて

 週末といえどもレポートの締め切りは待ってくれない。けふも級友の家にてレポートづくりであった。
 7時頃、帰路に着いた。彼の家からはメトロ5番でイタリー広場に向かい、そこで7番に乗り換える。
 イタリー広場の1駅手前の駅のことである。私は1番前の車両に乗っていた。駅のホームにかかったところで急に電車が止ったと思ったら、運転席からおじさんが一人出てきた。何やらにこやかに運転手に挨拶していた。どうやら運転手の友人らしい。かれはそのまま駅の階段に向かって去っていった。
 数瞬後、電車は再びゆるゆると動きだし、駅に停車した。見ると、進行方向一番前には出口の階段がない。どうやら運転手は自分の友人を階段近くでおろしてあげるために、突然変なところで停車したらしいことが分かった。
 全く持って友人にはやたら親切なフランス人の一面を見たやうな気がした。

1993年3月4日 弱り目に祟り目

 悪い事は本当に重なるものでございます。
 2月の日本滞在中に円高が進んだため、日本からの送金をペンディングさせました。ところが、ちょっとした勘違いが起こしまして、3月2日時点の残高が519.5Fになってしまったのです。
 帰国中、なぜか口座のある支店のコードに変更があったらしく、Carte Bleueの切り替え通知が届いていました。現CBはまだ1年使えるのですが、支店コード変更の影響で、引き出しはできても預け入れが出来ないのです。それを確認するのに試しに100F引き出したため、3月2日時点の残高が419.5Fとなってしまったのです。
 ところが、3月1日時点ではそれに気づかなかったため、クーポンを小切手を使って購入してしまいました。これが442F!小切手の引き落としは使ってから2、3日はかかるのですが、このままでは不渡りといふことになってしまう。げげ、22.5Fの不足で。(@_@)
 実は数日前から残高に不安を感じていたので、入金しようとはしていたのです。しかし、古いCBでは入金も取引明細の出力も出来ない。昨日窓口に受取に行ったら、「なかなかいらっしゃらないので、郵送しました」とのこと。だのに今日はまだ届いていない。

1993年3月4日 【留学のために】(2)情報収集[2]

 私が現在収集している情報の例をお知らせします。

(1)Formationについて

 資料:Universite / Mode d'emploi
「INFORMATIQUE」という分類項目にDESSの欄がありましたので、その細目を調べました。小分類で「Informatique de gestion」とうのがあったので、その内容を見てみると....

 Gestion informatisee : Lyon 2
 Informatique de gestion de banques de donnees : Paris 9
 Technique de l'informatique de gestion, ... : Paris 9
 ・・・

(2)UFRについて

 :資料:idem
 パリから引っ越すのがいやなので、どうしても選択が限られてしまいます。
(1)の結果でヒットしたのはParis 1とParis 9でした。そこで両Facを調べてみると、それらしいUFRとして...

 Paris Pantheon-Sorbonne (Paris 1)
 UFR gestion et economie d'entreprise
 UFR de sciences economiques et de gestion
 Paris Daupine (Paris 9)
 UFR d'informatique de gestion
 UFR de sciences des organisations

(3)「教授」について

 Paris Pantheon-Sorbonneの方は面識のある教授がいましたので、早速電話を掛け、CV(履歴書)を郵送しました。Dauphineの方はSecretariatに連絡し、UFR de sciences des organisationsの資料を送って貰いました。資料には登録の方法、登録資格等の説明とともに、DEA及びDESSのプログラム名、担当教授のリストがありました。

(例)Diplomes d'etudes approfondies et leur Responsable
 101 Politique generale des organisations .... M.COTTA
 102 Marketing et Strategie ... M.Thietart

1993年3月2日 Doctratの期間

 建前モードで言うと最長5年です。ただ、このうち1年はDEAまたはDESSのプログラムですから、実際は最長4年と考えて良いでしょう。
 Programme doctrale は確かに年限を切られていないのが普通です。実際に、この間は講義はなくセミナーがほとんどです(DEAコースは多少講義があります)。その意味で、Doctrat の期間イコール論文執筆期間と考えるのは正解といえましょう。
 以上、建前モードでございます。
 実際には、最短で2年で修得可能なようです。DEAと併せて3年ということになります。更に、研究者としての実務経験が認められれば、DEA Programmeと並行してProgramme doctrale をこなすという裏技もある由です。そうなると、理屈の上では2年でDoctrat 修得可能となります。
 準備期間が3年に減る、というのはDEA期間を含めてでせうか? そうなると、正味2年ですから相当ハードということになりましょう。含めなければ現行の最長4年が3年に減ることになりますね。ただ、DEAやDESSは2年コースというもがあります。これは働きながら通学する人向けのものですが。
 このように、いろいろ柔軟なオプションがあるので、あまり期間を厳密に考える意味がそれほどないような気もします。余談ながら、私の母校では博士課程を全うして博士を取る人が殆どいません。大抵、途中で助手に就任し、助手の間に博士論文を書いています。日本でも結構期間はあってないようなものですね。

1993年3月2日 【留学のために】(2)情報収集[1]

 タイトルを変えました。これからはこのヘッダを続けようと思います。(1)では調子に乗って一気に3アップもしてしまいましたが、今回からはボチボチやっていこうかと思っています。パート2:情報収集の第1回は、いかなる情報が必要か、についてでございます。
 フランス留学ではどの教授につくかが重要です。重要どころか、DEA 以上ではそれが全てと言ってもよいようです。ですから、情報収集の第一のポイントは、「ターゲットの教授を探せ!」に尽きると言えましょう。オーソドックスな手順としては、

(1)Formation を全てさらって、自分の希望分野を選ぶ。
(2)選んだFormation のディプロム取得可能な大学/UFRを探す。
(注)UFR : Unites de formation et de recherche(学科ですね)
(3)探したUFR所属の教授の発表論文、執筆本、教育分野等を調べる。

 というようになりましょうか。
 ただし、これは極めてオーソドックスな手順であり、実際は資料が限定されたりしてこの通りできるとは限りません。身近に相談に応じてくれる先生や自分の領域が相当具体化しているのであれば、いきなり(3)にトライする方が合理的というケースもありえます。
 (財)フランス語教育振興センターで(1)(2)レベルの資料は入手可能と思われます(私は2度行ったきりなので、この程度の推測しかできない)。また、大使館に行けば各大学のパンフレットや募集要項は閲覧できるはずです。ただ、(3)についてはフランスにいても結構網羅的に集めるのが難しいのが実情です。ですから、やはり(1)(2)と調べて行って、(2)が済んだ段階で直接大学に資料を請求するのが一番てっとり早いような気がします。関連資料は当該UFRのSecretariatに請求すれば入手できます。
 なお、どのような資料を探せば(1)〜(3)に相当する情報が得られるかは現在整理中なので、次回のアップでいくつかご紹介できると思います。


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次への準備

3月というと、日本では大学の入試シーズンが終わり、合格者発表、そして下宿探しの時期である。学校歴が日本とは半年ズレているフランスの場合は、大学院進学の準備がだいたい3月ぐらいから具体化する。大学院には入試制度がないので、進学準備は履歴書送りでもあるのだ。
まずは希望先を見つけなければいけない。フランスの大学院探しは指導教官探しとほぼイコールである。日本であれば、学校の「格」が進学先探しでは一つの要素となりうるが、フランスではそんなことが一切ない。もちろん地域によって人気のある大学は存在するが、それはむしろ地域自体の魅力といっていい。つまり、パリ第4大学が人気なのは、パリに住みたい地方の人が多いにすぎない、ということなのだ。
このころわたしが第一希望に考えていたのはパリ第1大学(Pantheon-Sorbonne)である。後期に非常勤講師として授業を二ヶ月間担当したColette ROLLANDという教授の研究に興味を持ったのである。リアルタイムで進行する動的な現象を情報システム化するための概念モデルを提唱したもので、当時、ESSECの授業で習った静的なデータモデルを土台にした概念化手法よりも刺激的に思えたのだ。しかも、ROLLAND教授はDEA課程のプログラム責任者だったので、教授個人と交渉するだけですむ。この教授には真っ先に履歴書を送った。
あらたな進学先が見つからないと、8月いっぱいで日本に帰らねばならなくなる。それはそれでかまわないのだが、できれば三年はフランスに滞在したいと考えていたので、級友たちとも相談し、早めに準備をすることにしたわけである。
フランスの大学院探しのノウハウなど、日本にはほとんどなかった。大学院留学者の多くは、日本での指導教員や先輩のツテをたどっているので、わたしのような徒手空拳での学校探しはきわめて例外的なのだ。そこで、フランスにいて級友たちに教えてもらいながら模索していった内容を、そのままほぼリアルタイムでNIFTY-Serveに「連載」したのであった。
(2006.3.1記)