21世紀の日記 |
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20世紀の日記 |
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93年7月の日記は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。
当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。
私メの髪は、昨年の6月から鋏みが入ってござらぬ。1年以上も伸ばしっぱなし。抜け毛だけを見ると、それがカミさんのか私のかは分かりませんね。
どうも70年代スノッブを未だに気取ってしまうところがあり、私はどうしても短い髪が好きになれないのです。最近は幸いなことに、パリでもだらしない長髪をむぞうさに束ねる男どもが増えつつあるようなので、私も安心して(?)マリーピエールに貰った「シュシュ」で頭をチョンマゲにしています。
でも、東京でその格好を続ける自信はさすがにないですねぇ。これはパリだから気にしないですむけど。それに、10月はカミさんの実家で法事もあるし、それまでには髪を落とさなければならないだろうな....と思うのでした。
ちょっと苦しいのもあったりして。そう言えば、CDシングルなんてあったっけ?
★ありそうでないもの
ポット(代わりに湯沸かし器を使います
札の使える自動販売機(ドイツやイギリスならあるす)
挽肉(あいびき)(中華街にもないのですね)
カートリッジ式カセットコンロ(キャンプ用ならありますが...)
油をためる缶(業務用や小さなポットのようなのはあります)
★なさそうであるもの
俎板(でも、肉切りにしか使わないやうですねぇ)
つま楊枝(あって当たり前か)
パンパース(まあ、アメリカブランドですから)
「こんなものは絶対にないだろう」といふものがありましたら、是非ともアップして下さいませ。カミさんともども意地になって?探してみますから。ただし、日本でもどマイナーなものはパス。
今日、私も在仏日本人会で運転免許証の法定翻訳を申し込んで来ました。料金は会員だと80Frsです。通常ですと金曜締めの火曜仕上がり、火曜締めの金曜仕上がりなのですが、現在は法定翻訳官がバカンス中だとかで、来週の金曜仕上がりとなるそうです。
ここでは大学、高校の卒業証明書、成績証明書の翻訳等も受け付けておりまして、会員料金は確実に日本の機関よりも安いはずです。緊急の書類以外は日本語の原文を持参し、パリで法定翻訳を依頼する方が経済的でしょう。
この会には当然パリ以外の在住者でも入会できますし、翻訳の依頼や受取等も郵送で行って貰えます。入会はシャンゼリゼのジョルジュV、カフェ・フーケの隣にあるアパルトマン5階の事務所にて行えます。
それにしても、今日は久々の夏であった....
またまた思い付いてしまったので、懲りずにアップします。
★ありそうでないもの
麦茶の容器(みんなビンに水を入れてるのだらう)
アイスマット(町田さん、その節はお世話になりました)
タオルケット(夏用の薄掛を使っているようですね)
防虫マット(日本から持参しました)
★なさそうであるもの
たくあん(中華街で売っているんですねぇ)
ハイブリッドのペン(最近輸入され始めたようです)
既に昨夏の一時帰国の際、自ら持ち込んだのでした(笑)。従って、この1年間私は信州戸隠蕎麦の蕎麦がらの上で寝ているのでございます。あの時はタオルケット2枚、毛布1枚とそして枕でしたから、もし税関で荷物を開けさせられたら説明に困っていたでしょう。
ところで、フランスでは通信機器を海外から輸入するには政府の許可が必要です。以前ミッシェルが話していましたが、コンピュサーブのEMALL でモデムを購入した際、「Computer Accessary」と明記するよう頼んだそうです。いろいろノウハウがあるわけですね。他方、コンピュータに関する本を頼んだとき、店がうっかりと「Computer Program」というレッテルを貼ってしまったそうです。郵便局で受け取る際25%だかの関税を請求され、「中身は本だよ! 嘘だと思うならここで開封してみようか?!」と主張したそうです。しかし、相手は「例え中身が本であろうと、プログラムと申告している以上、これはプログラムとして扱う。」という態度だったとか。結局、高い関税を払ったそうです。
外国語理解の仕組みは母語と根本的に違う点があるそうです。母語理解は大脳皮質で処理されるのはかなり狭い領域なのに対し、外国語は大脳の中で既に発達した様々な機能を借用する形で認識されるそうです。大脳の神経細胞は6才までにほぼ65%も発達してしまうとか。となると、我々は幼少期に獲得した能力によって外国語を理解しようとする、と考えることができます。
このことから、幼少期に多くの「音」に節する機会のあった人、例えば3才頃からピアノを習っていた人などは、外国語学習においても「耳」が強いという現象が生じてもおかしくありません。他方、私のように落書きばかりしていた者は、視覚への依存が大きいような気がします。
無論以上はあくまで環境要因です。生物の能力には環境以上に遺伝が決定的役割を果しますから、聴覚認知の発達した家系、視覚認知の発達した家系というのも存在するでしょう。
アジア人のフランス語の中でも、中国人のフランス語も「全身耳にしないと」分からないケースが多いですね。カミさんの友人にも何人かおりますが、b音がわかりずらいのです。イントネーションも踊っているような感じがありますから、馴れるのが一苦労。まあ、分かりずらいフランス語はお互いさまですか文句を言えた義理ではないのですが。
タイ人などのアジア人だと仏教の話題がよくでましたね。ただ、彼らの仏教は小乗ですから、日本や中国とは異なります。中国人だと仏教よりも儒教や老荘思想の話題が出ました。「日本人は子供の時は神道の祝福を受け、学生に至って老荘的虚無主義に浸り、社会に出ては儒教的勤労精神の元で働き、結婚のはキリスト教で誓い、死しては仏教に則って埋葬される....」。こんな話をしたら、不謹慎だと思われるか。
以前は私も日本語、というか表意文字を用いる母語のコミュニケーションでは視覚依存の度合いが強いと考えておりました。しかし、いろいろと調べてみると、事は単に表意文字だから、というだけで済ませられないようです。
「日本語学」1990年11月号掲載の「文字の型と読みの速さ」(山田尚勇)では、要は馴れの問題であって認識のスピードと文字型は無関係であると論証しています。無論これが真理であるとは限りませんが、ローマ字でも文字列を一つのパターンとして認識しているとの分析は説得力があると思うのです。つまり、漢字では一つの文字をパターンとして捉えるのに対し、英語等では単語という文字列をパターンとして捉えるわけですね。
もう一つ、認知学の研究によると人間の情報処理は3つの記憶から構成され、一番「手前」に位置する層を「感覚記憶」と呼んでいるそうです。ここでは目や耳等の感覚器官から得た信号をバッファするわけですが、例えば私のこの文を読む時、多分頭の中で音読するわけですよね?ここから、感覚記憶では文字よりも「音」の方がより大きなウェイトを占めていると想像できます。反対に、速読の場合は視覚情報だけで認識しようとするのでしょう。
結局問題となるのは、認識の過程で表音文字の文字列(=単語)と表意文字の一字一字を全く同型対応するものと考えられるか否かです。もし同型であれば、すなわち我々が「無意識のうちに漢字を連想している」ように彼らも「無意識のうちにスペルを連想している」のであれば、両者に違いはないと考えられます。でも、我々だって会話の場面で「漢字を連想する」のは、「音」だけでは納得いかなくて「意識的」に情報を検索する場合だけではない?
文字はあくまで視覚的表現ですから、同音異義語が多いのは会話において本来「不便」なはずですね。それに中国語の豊富な音を考えると、表意文字と夥しい同音異義語の存在を関連づけるのは不自然のような気がする。どうもこのあたりは日本語の場合、所謂文化の均質性、すなわちコミュニケーションにおける認識の共有がポイントだと思うのです。また、「目をつぶって云々」という行為は、非言語コミュニケーションの表現手段ないしは比率の違いかな、などと漠然に考えていますが、これは単なる思い付きにすぎません。これに関してはまた後日思うところをアップします。
ところでその伝言ゲームはフランス語ですよね?だとすると、単に「音」での記憶に自信が持てないから「視覚的記憶」の助けを借りようとした所産ではないかとも思うのですよ。耳から入る膨大な情報をストックするためにはどうしても視覚情報の助けが必要になるとか。果してこれが音の貧弱な日本語を母語とする我々固有の問題か、あるいは異質な音の外国語を学ぶ者に共通して見られる現象なのかに興味があるところです。
Galetteのことでございますね。
クレープはブルターニュ/ノルマンディ地方の名産ですから、いろいろな種類がございます。具というかトッピングの種類の豊富なことは、以前のブルターニュ旅行記に書いた通りです。
クレープとガレットの違いの一つはトッピングです。クレープは砂糖やショコラ、マロンクリームなど、いかにも菓子というものなのに対し、ガレットは目玉焼きとかベーコン、果てはモツなどもあります。もう一つの違いが小麦粉で、ガレットに用いている粉は日本で言うところの蕎麦粉に近いそうです。
以上はパトリシアからの受け売りです。
それにしても、皆々大韓航空を利用しますね。これというのも日系キャリアが高すぎるからいけない。JALとKALでパリ発だと往復で3000Frs近くも違うのですよ。そのうちKALPACK?ばかりになるかも。
フランスで生活していると、あると思っていたのになかったり、反対に考えもしなかったものがさりげなく売っていたりします。日常の生活のままに、思い付くままにリストアップしてみませう。無論、これは私及び私のカミさんの経験に基づくものですから、「いや、あそこにあった!」というご意見もお寄せ下され。
★ありそうで(ナカナカ)ないもの
便座カバー(日本から送って貰いました)
80以下のAカップブラ(痩身の女性、要チェック)
無料のポケットティッシュ(これはなさそうでないもの?)
ホットプレート(電気コンロはいろいろあるんですがねぇ)
★なさそうであるもの
グリコポッキー(商品名MIKADOです)
思い付いたら(2)をアップします。乞コメント!
TF1で中継しているF1のインタビューですと、イギリス人は案外とフランス語で応じる人が多いですね。フランク・ウィリアムズはいつもフランス語で応じており、しかも案外と分かりやすい。FISA会長のマックス・モズレーも同様だったと思います。まあ、この人はコンコルド常駐だから当然か。
TF1の放送で一番困るのが英語のインタビュー。相手は英語で応えているのにフランス語の同時通訳が入るので、どっちに耳を傾けていいかわからなくなります。米語の場合は素直にフランス語に耳を傾けるのですが。(米語はわからん!アメリカ映画の放送はフランス語字幕の方が分かり易い)
昨夜FMを聴いていたら、突然日本語が朗朗と飛び出てきて驚きました。何やら詩の朗読だったようです。日本語朗読の後にフランス語の訳文を朗読しておりました。ちゃんとした日本語ならなかなか美しい響きでございますね。
うろ覚えで恐縮なのですが、日本語の場合は言語中枢が右脳に分布しているという話しを聞いたことがあります。もしこれが本当だとすると、日本語の巧い外国人のきき耳は左が多いなんて統計もあったりして。
そう言えば、何かを集中して聞こうとするとき、目をつぶることはありませんか? 私はそれこそ全身を耳にするため眉間に皺を寄せて、何て事もあったのですが、周囲には話しを無視するか寝ているかしか思われなかったようなのです。人が神経を集中させているのに、「Masa! Ne dorms pas!」ですもんね。がっくりきてしまう。トマなどは「N'execute pas de Zen!」でした。
目を剥いてディベートする連中だから、目をつぶって沈思黙考などといふ習慣はないのだらうか?
認知科学というのは、ごく簡単に言えば「理解の仕組み」を解明しようとする心理学といえましょう。人工知能ブームで一躍注目を浴びた学問領域で、情報科学やシステム科学を研究するものであれば、多かれ少なかれ関与せざるをえなくなった分野です。
大御所が確かピアジェというフランス語圏スイスの学者ですので、優れた文献や論文の多くがフランス語で出版されているそうです。実際はアメリカで研究が進んでいるらしいですが、元々フランスは心理学の盛んな国ですから、認知学への入れこみもナカナカなようですね。
認知学と大脳生理学とは前者がの理論的解明を進め、後者が実証するというような補完関係もあるそうです。以前私が言いました「バイリンガルは多かれ少なかれ二重人格云々」と言ったのもその一成果です。
結構面白い分野ですので、ご関心があれば「学習と環境 講座:現代の心理学」(小学館)などをご一読されると宜しいかと思います(これ、私のタネ本の一つです)。これ以外では、東、波多野、佐伯といった諸先生の著作が新書などで出ていたと思います。
経験的に思っていたことの多くのことが納得いくデータですね。経験的にというのは、フランス人の英語以外に次のようなことがありました。
(1)ドイツ人の英語は聞き取り易い。
(2)アメリカ人のフランス語は分かりずらい。
(3)ドイツ人、スラブ系民族はフランス語の発音がスムーズ。
日本語の音はスペイン語に近いという話しもありますね。他方、中国語はフランス語に近いとか、朝鮮語は日本語は近いとか。日本語はドイツ語に近い、と言えば、確かに「日本語のように話すドイツ語」の方が「日本語のように話す英語」よりもネイティブっぽい、と感じたこともありました。
発音しやすさには音以外に母音と子音の組み合わせ構造も関係しそうですね。例えば英語だと母音で完結する単語がないから、日本語だけでなくラテン系言語にも結構四苦八苦するとか。例えば英語圏の人間はまず私の名前を的確に発音できたためしがありません。「えした」が大抵「いーすたー」になってしまいます。ふらやイタスペだと完璧です。
聞き取り能力に関しては、前出の認知学や大脳生理学などの研究によりますと、7才頃までに認知の基本となるシナプスが形成されてしまうそうです。従って、外国語教育は遅くとも7才までに開始しないと、後はいかに努力してもネイティブの域には到達できない。無論、経験を積むことでネイティブ的に振る舞うことは可能だそうですが、三ツ子の魂100 までではでなく、バイリンガルは7才までに、ということですね。
結論から言って、教科書通りの言動をするのが何よりの原則だと思うのです。確かに教科書は無謬ではないし、時流によってミスマッチが起こるのは当然でしょう。しかし、たかだか一個人の積む経験よりも、遥かに多くの英知が凝縮されているのも事実です。明確に否定できる根拠を自分なりに見いだせない限り、先人の知恵に従うのが第一だと思います。
手紙の場合、私は日本語でも比較的格式ばった文語調が好きだということもあるのですが、親しみの中にも格式を尊重する事が大事だと思うのです。特に相手からよっぽど何度も「もっとくだけていいのよ」とでも言われない限り、慎むことが美徳であると思うのです。それに、フランス語は案外この種のプロトコルが豊富ですから、丁寧すぎる方がかえってマッチするのでは?
迷ったときは「許容されない」と判断するのが賢明ではないか、という気がします。個人的意見ですが。
私がアテネに通っていたころ、中級まで習っていたルールム先生という方は丁寧にnomにMonsieur/Madame/Mademoiselle を付けて呼んでおりました。ところが、上級になってから習ったペレ氏は専らPrenomで、たまにCitoyen なんて言い方もしておりましたね。生徒が自分を呼ぶときもMonsieur PERRET ではなくて、Jean-BatisteまたはCitoyen Jean-Batisteと呼ばせていました。
学校でも教師が生徒の名前を覚えた後は、たいていPrenomで呼ぶようです。反対に生徒が教師を呼ぶときは結構ケースバイケースで、授業時間以外で例えばかなりくつろいだ状態だとPrenomです。一応vousvoyer ですが。そして普段生徒同士の会話で教師の名前を出す時などは、面識のある教師だとPrenomで引用し、本で知っている程度だとnom で引合に出す。名前を覚えるという行動パターンにしても、面識が有って覚える場合はPrenomを覚えるというデフォルトがあるのかもしれないなどと思いました。
日本の特に男社会だとPrenomを使う機会は非常に少ないですね。
マリーピエールを招いてお好み焼きをごちそうしたときは、最初 Crepe で、次第に galette となりました。まあ、具の内容からすると galette かな、何て思いました。
お好み焼きも地域によっていろいろ流儀?があって面白い。広島のお好み焼きと言えば、目玉焼きを敷いたやつですね。大阪だと店に必ずマヨネーズが置いてあったのと、箸でなくヘラで食うのが一般的であったと記憶している。
マヨネーズもナカナカでありますが、チョップチーズやスライスチーズを入れたもんじゃやお好み焼きは絶品でございますね。和洋折衷、実に日本文化的な食い物だ、なんちゃって。
定期購読でお勧めの雑誌は
50 millions de consommateurs
でございますね。国立消費研究所が出している雑誌で、商品の比較レポートやら簡単なテクニカルレポート、社会動向に関するエッセイなどが乗っています。割と薄い雑誌で語学学校の中級レベルの語彙力があれば読みこなせます。フランス人の消費生活の一端が分かって面白いですよ。AIDS騒動の時はコンドームの比較レポートもありました。
購買の申込は直接又は丸善、紀伊国屋経由で行えます。別冊及び郵送費込みで年間1000Frsくらいだと思います。
一般に経済力のある国の国民は外国語が「苦手」なのだそうです。必然性が相対的に少ないということですね。反対にバイリンガル、トライリンガルは経済的に自立できない証拠でもあるそうです。実際、GNP 上位国の中で外国語を比較的不自由なく喋れる国民はドイツ人だけでは? アメリカ人やイギリス人など「英語」しか喋れない人が圧倒的でしょう? 一部エリートを例外として。
秋葉原の店員は結構英語が達者ですね。C&Gもアキバに行けば多少意見を修正したのでは?これはサントノーレのブティックと同じ理由でせう。
アメリカ人の旅行マップによれば、日本は普通に英語の通じる国だそうです。
斜に構えて日本の「遅れ」を非難するのは、明治維新以降の伝統的なインテリ・スタイルですね。細かく見ると、このような現象は天智朝、信長時代、幕末・明治維新、そして戦後から現代にかけて特に顕著なようです。このようなインテリと日本スタイルの葛藤は、三島由紀夫の「絹と明察」に面白く描かれているところでもあります。
日本の文明サイクルは盲目的な摂取の後に必ず内向きのエポックがやって来ます。だから、伝統的インテリはこのような過渡期の典型的現象、失業する日?も遅からずやって来るであろうと、私は案外のほほんと見ているのです。
思えばかような風潮を根付かせた幕末・明治維新というのは、一面実に悲劇的結末を導いています。いつか片山さんが「あれほどの人物がいながら....」とおっしゃっておりましたが、幕末の群雄の中で一流の人物は維新の途上で死に絶えたか、あるいは第一線に出ることなく終わってしまったのですね。横井小楠、坂本龍馬が暗殺され、勝海舟は主流となれず、西郷、大久保、木戸の三人があれよあれよという間に死んでしまった。細かく話せばキリはないですが、これを原因とする不完全燃焼が太平洋戦争敗戦まで辿りつく、というのが私の
「幕末はペリーからマッカーサーまで」という史観の基本なのです。
(長くなるので次のMesに続く)
外国人に日本を非難されたら誰が弁護するのか? 誰が改革を行うのか? これは我々日本人しかいない。非常に悪い例ですが、政治スキャンダルにしても、非難の尻馬に乗ることは易しい。仮にフランス人の友人がスキャンダルを非難したとしましょう。「そうだよ、日本人はバカで民主主義なんて理解していないからね。ハハハ」と応えるのは簡単なことです。
でも、何かおかしいと思いませんか?天に向かって唾をはくのと同じだと思いませんか?
私は何も問題を正当化しろというわけではない,ただ、当の国民でありながら簡単に相手の非難に同調するというのは、あまりにも傍観者的すぎるのではないか、と思うのです。本来ならば、ここでなぜスキャンダルが起こるかを分析し、なおかつそれをどうすべきかを堂々と論じるのが筋でしょう。尤もかく言う私自身、「いやぁ、民主主義なんでFabrique au Japonぢゃないから元々うまく機能しないのさ。それより賄賂の額がお前達の国の10培というのは凄いだろう」などと、煙にまくのが精一杯で....。情けないことに。
まあ、話しは逸れましたが、こういうことを逆にフランス人に突っ込むと、結構激しく切り返して来ると思います。決して非難の尻馬に乗ることはないでしょう。私は美しい愛国心だと思う。結局自分の国を良くするのは自分達しかいない、そういう意識を特にフランス人は強く持っているように思う。「世界で一番好きな国は?」という質問に、堂々と「フランス!」と応える彼らに私は称賛を惜しまない。
何が言いたいかというと、コクサイ派が結局「こいつらどこの国のやつらだ?」という所が問題の本質をついているように思うのです。いくら国際社会とは言え、信頼関係の基本の個々人のアイデンティティだと思うのです。その一つが宗教であり、また文化を背景とした「国」であると思うのですね。コクサイ派というのは国という一つのアイデンティティを自ら捨てているように思う。そういう連中って、欧米でもアラブでも一番信用されない類だと思うのですよ。
会話を持続させるのは語学力ではなく話題です。これは案外見落としがちなポイントですね。日本語で2時間喋れなくて、どうしてフランス語で2時間喋れるか? とはいえ、大脳生理学の研究によれば、バイリンガルは多かれ少なかれ二重人格を形成するそうなので、日本語では引っ込み思案でもフランス語では雄弁ということも可能ですが....。
ものわかり、と言えば、よくものの本にヨーロッパやイスラム圏の国では宗教について質問されることが多い、そのような場合、嘘でも仏教とか儒教とか応えた方が良い、などと書いてあります。
確かに、ごく表面的な方便としては正しいかもしれない。何か宗教を持っているというのは、人によっては人間として当然のことかもしれませんから。ただ、私メは素直に「*教」と応えるのがシャクなので、必ず「そういう質問をすること自体、日本を全く知らない証拠だ!」と切り返すようにしたのです。必ず説明を求められるわけですけれど、その際は「神の存在を信じるのと宗教は別問題だ」と言って、「神道の現人神とされていた天皇が昔は出家して仏教の坊さんになった」例を示すわけです。
フランス人というのはもともとが会話の好きな人が多いので、素直に*教と応えるよりもこういうヒネた切り返しの方が面白いと思うようです。これで必ずひとしきりの話題となりますから。
どこの国にも**人社会は存在するもの。中国人など世界中にコロニーを根付かせているし、日本のアメリカ人社会も実はかなり強固なネットワークがある。パリでもちゃんとアメリカ人向けのOVNIのようなミニコミ誌がある。
日本人が日本料理屋でたむろして悪いことなど全然ないし、それを悪しざまに言うフランス人を私はいまのところ知らない。異国にあって母国の社会が存在するというのは、何とも心やすまるものです。むしろ、一部の日本人が勝手にそれを非難しているだけのような気がしてしまう。日本人でありながら自らの同胞をいわれもなく非難することが一番の問題でしょう。こういう人間を国際派ではなく、単なる無国籍の根無し草と言うべきでしょう。
フランス語の会話で一番簡単な言葉は何か? これは「ウィ」でございます。何を馬鹿な、とおっしゃる方は一度試してみると良い。疲れて来ると必ずこれを連発しているはずですから。
「ウィ」というのは議論の終止符になってしまうのです。極端な話し、ウィの連発はそれだけで会話をぶちこわしてしまうことすらある。絶対に「ウィ」と言わないのは、会話力をつける上でも重要なポイントですね。そうすると必ず「Voila!」が増えてしまうけれど....。
「フランス人は、英語をわかっていても、フランス語で答える」というのは本当に神話化していますね。
でも、住んでみて痛感しましたが、本っ当ーーーーーーーーに英語が分からないフランス人が多いのですよ。パリの住民の平均的英会話力は東京並みと考えていいような気がします。GE出のエリートともなればそこそこ喋れるでせうが、一般的にはまあ通じればめっけものくらいでせう。このあたりの事情はドイツや北欧とは大違い。
「英語をわかっていても」という神話で生まれたのは、私が思うに、相手が何を言っているのか分からなくても、適当にフランス語で応対するか、あるいは言っていることは分かっても、英語をうまく喋れないから母語でまくしたてる、そんな類だと思います。外国人馴れしているのは事実ですから。
フランスは日本と並んで英語教育が貧弱なことで有名です。ミッシェルはえらく流暢でしたが。ある帰国子女曰く、「フランス人が英語を喋れると信ずるのは、ロンドンでうまいイギリス料理賞味できると信ずるのと同じだ。」
結局今年も見そびれてしまった。起きたのが午後2時では....。ニュースでパレードの光景を見ましたが、生憎の雨。「Merde! Il pleut!」と書いた傘をさしていた人がいました。ニュースと言えば、北海道の地震の被害もTF1などで報道されていました。
先日、カミさんがラファイエットで窓買い物をしていた時のこと、後ろで日本語で買い物をしていた人がいたらしい。ここまではパリのラファイエットなら別段変わりのない風景。ところが、日本語の後に必ずフランス語の応えが返って来るので、何事かと思わず見てしまったとか。そしたら日本人のご婦人がフランス人の店員にあれこれ日本語で質問し、店員がフランス語で応対していたという状況。不思議なことに、店員の方は決して日本語を理解していという感じではないのに、ちゃんと会話として成立していたとか。
こういう状況だと、方や売る人、方や買う人なので、結構意志が通じてしまうのかもしれない。因みにラファイエットは対応が丁寧だと専らの評判です。嘘か本当か知りませんが、外国で相手に文句を言うときは大阪弁を使うと効果的だそうです。確かにあれは迫力がある....。
ドイツの街だと6時で店が一斉に閉まってしまいますね。開いているのはレストランとカフェだけ。日曜ともなると開いているカフェもまばら。ヨーロッパを出張する日本人ビジネスマンにとって、「週末はパリ」というのがかつて鉄則でしたが今はどうなのだろう?
フランスでも地方の街ともなると、昼から何やらけだるい静けさが漂っておりますゆえ、勉学にいそしむには手頃でせうか? でも、学校の近辺にはやはり古本屋と場末の喫茶店がほしいところではあるが....。
「リモージュ」を皿のブランドだと信じていたのは私です。
道路をはさんでウチの向かいにあるレストランが、これまたガイドブックにでも出てきそうな感じの良いところなのですね。そもそもの入り初めは、私の両親とその友人達がパリに来たとき、ちゃんとした?レストランで食事したいというのがきっかけでした。何しろ敵は英語もフランス語もダメですから、注文から何からこっちがやらにゃならない。とてもぢゃないけど星付きレストランはおろか、遠いところもパスしたい。では手近なところでここなら値段も手頃、店の作りもパリらしいってんで入ったのでした。
店内は50才くらいのオジさん、マダムがきびきびと切り盛りしておりまして、それはそれは愛想が良かったのでした。7人で入り、3人がアントレでテリーヌを頼んだのですが、愛想の良いオジさん、テリーヌは自家製で自慢の一品だから、皆さんで味わって下さいと言って、大きな容器ごとくれたのでした。これ、自慢するだけあって絶品。また、デザートでもチーズなどをオマケに付けてくれました。ウチの親達は、「フランス人ってぇのは、こんな感じがいいもんなのか?」と驚くやら喜ぶやら。
その3週間後に再びアメリカから帰国のついでに立ち寄った後輩と行ったのですが、オジさんマダムともに顔を覚えていてくれたのでした。今度もテリーヌやらつまみやらをおまけに付けてくれたし、ワインを注文する時も「あまり詳しくないんだけど....」といふと、「ワタシがいいのを選んだげるから、任せなさいよ!」てな具合です。
概してオペラ座やシャンゼリゼ界隈は「お高い」という評判で、カルチエラタンは感じの良い店が多いということですが、ある程度当たっている気がします。無論、いくらでも例外はあるでせうが。
明日、といふか日本時間の今日は皆さんご存じの革命記念日。昨年も軍事パレードを見に行ったは行ったのですが、地下鉄の駅閉鎖といたるところの通行止めに阻まれ、シャンゼリゼに着いた時にはパレードは終わっていたのでした。結局、パレードの模様は夕方のニュースで見るという、大ボケを演じてしまったのです。明日はこれを教訓に朝から行ってみようと思うのですが、何しろ最近は朝昼逆転生活、ほとんどアメリカ東部時間で生活しているようなものですから、果して起きれることか。
今日は前夜祭があります。これは夜なので行けそう。尤もバクチクの雨あられでしょうが。
昨年は7月上旬が一番暑かったのですが、今年はかなり様相が異なるようです。確かに6月から7月にかけては暑い日が続いたものの、フランスGP以降はまるで晩秋のような気候です。ウチでも3日前、しまっていた毛布を再び出して使っています。出歩く時は当然サマーセーターが必要です。
ところがヨーロッパの気候のいやらしいところと言うか、過ごしやすいところと言うかはなんなのですが、歩いていると結構心地良い汗が出てきて、適度に暖かくなってしまう。無論、日陰に入った途端に肌ざむさを感じるのですから始末におえない。周囲を見ると、いつものパリらしくTシャツ1枚の人もいれば、革ジャンまで着ている人もいるしまつ。着るものの選択が難しい。
ヘミングウェイでしたっけ、「青春時代をパリで過ごした者には、一生パリがついてまわる」とか何とか言っていたのは。ヘミングウェイの住んでいた家が小生のアパートの近くとかいふので、一度のぞいてみたいと思っているのですが。
一生ついてまわる、というココロは青春時代を一昔以上前に過ぎてしまった私メにも、何となく感じることです。恐らく、極端にエキセントリックな存在が異様に古いモニュメントの中で自然に呼吸している、さういふ懐の深さが、その理由の一つではないか、と思うのです。ところが、悠久のパリもさすがに現代経済の洗礼の例外とはなりえず、一昨年あたりから古い建物が次々と立て変えられようとしているのです。ヨーロッパの都市と言えば、何年経っても変貌しないもの、というイメージを持っていましたが、今はそうも言ってられない時代なのかもしれない。
8月はスイスに住む姉の友人宅で2、3日過ごす予定であるが、その打ち合わせで電話をした。3日前にも電話をして、今日の夕方7時に再度電話をすることとなった。
彼女の旦那はスイス人で、日本語は全く話せない。住んでいる場所はベルンでドイツ語圏であるが、英語が通じるだろうと思って何の心配もなくかけた。ところが掛ける時間を間違えたため、彼女は留守で代わりに子供が出た。ドイツ語の東北弁と言われているスイス・ジャーマンで少年が何やら話している。もとより私はドイツ語を解さない。
何度か英語でトライしたがラチがあかず、結局「後で掛け直す」と言った。彼もこれは理解したらしい。
一時間後、今度は一発で彼女が出た。事の顛末を話したら、
「なによ、日本語で話してくれれば良かったのに(笑)。ウチの子には家では日本語を使うように言ってあるのよ!」
でも、父と子の会話はどうしてもドイツ語だろうなぁ、と思うのであった。
多分、出生証書の代わりということで間違いないでしょう。結婚証書の代わりには戸籍謄本が用いられます。法定翻訳の方は確か抄本も謄本も殆ど変わりがなく、謄本の場合も奥さんの旧姓を書き込むだけだったと思います。
フランスでは結婚しても男の姓が変わることがないので、申告書類で家族関係の記入欄がある時、母親の旧姓を記入しなければならないことがあります。私の家ではオヤジが入婿の形になっているため、姓と母親の旧姓が同じになってしまう。滞在許可の初回申請で担当者から質問されまして、その時、日本では男の方が姓を変える事もある故を説明しなければなりませんでした。
証明書の類はまずフランス語でなければ駄目だと思っていた方が良いですね。銀行の残高証明でさえ、フランス語訳が要求されます。唯一の例外が日本のフランス領事館で受け付けてくれる書類(例えばTCの領収証や送金伝票)だと思いますよ。だから、書類はフランス語で揃わなければ、日本語で持っていた方が確実だと思います。
あっと、無論大学等に提出する書類は別です。あくまでもオカミに出す書類はフランス語でなければ、という意味ですから。
東京海上のいい点は、ヨーロッパ地区のサービスセンターがパリにあり、しかも全て日本語で対応してくれるのですよ。私のカミさんが風邪をこじらせた時も、私が不在でございまして、全て日本語で連絡し医者の手配から何やらして貰ったそうです。学生共済だとこうはいきませんから。
スリにあった時の対応も全てパリセンターで教えてくれたそうです。
学生VISAですと滞在許可申請は書類受理から大体3週間でテンポが発行されます。受付でやいのやいの言われますが、VISA取得と言い長期滞在の行政手続きでは一番簡単と言ってよいでせう。
無論、様々な制約もあります。サラリーに基づく就業ができないのは当たり前として、実は運転免許でも労働VISA滞在とは異なるそうです。在仏日本人会で聞いた話しによると、法令が変わって学生VISAでの滞在者には、滞在年数に関係なくフランスの免許は交付されなくなったとか。従って、フランス国内で運転するには日本の免許に法定翻訳をつけるしかないそうです。尤も、人によって言うことの違うのが当たり前なフランスのこと、しらばっくれて県庁に行けばそのまま免許を貰えるかもしれませんね。
スポーツといふと、私のクラスにはフット狂が揃っておりましたゆえ、大きなゲームの際は必ずトト*ルチョがありましたね。放送を見るために授業時間が短縮されたこともありました。
ジャパン・レイルパスは日本人だと使えないのだそうです。無論、パス自体は日本国外であれば誰でも買えるのですが、これを実際に利用する際、JRの窓口で本物のパスに交換しなければいけないとか。実は策夏の一時帰国の際にこのパスを使おうと思って旅行業者に聞いてみたのです。そしたら、JR窓口で海外にかなりの長期間居住していることの証明を求められることがあり、ちゃんと示せないと交付してもらいねいとか。証明と言っても、国際結婚しているとか、帰化しているとかでないと証明にならないそうなのです。だから、実質的に使えないのだとか。
これって、一番短いパスだと東京大阪を新幹線で1往復するだけでモトが取れるのですよね。
まあ、我等にはユーレイルパスやDBパスがあると思って諦めるしかない?
東京海上で掛けた保険の内容と保険料は次の通りです。
傷害死亡:10,000K yen
傷害治療: 6,000K yen
疾病治療: 6,000K yen(以上3つは必須セット)
疾病死亡: 0K yen(!)
賠償責任:50,000K yen
携行品 : 400K yen
怪我で死ぬことはあっても、病気で死ぬことの確率はほぼ0であると独断しました。これが結構ミソで、疾病死亡を0にするとかなり保険料を節約できるのです。反対に、国が国だけに賠償責任と携行品は掛けた方が良いと判断しました。目一杯掛けても料金に大差なかったしね。
以上の内容で年額53,490円です。保険料自体はどの会社でも同じでしが、東京海上ですと前にも言った通り、パリ事務所でフランス語のAttestation をその場で作って貰えるのです。これはメリット。
学生共済だと確か800Frsであったと思います。ただ、実際に病気などの際の還付金が20% 程度だったのでない? その点旅行保険だと全額返って来ますから、どちらが得(?)かは結構微妙なところかもしれない。
Etat civilの法定翻訳は本当ーーーーーーーーに箇条書きなだけだから、ひな形があるなら絶対に自分でやることを勧めますよ。在仏日本人会から郵送されてきた翻訳を見て、「ええーーーーー、これで100Frsも取るのかよぉ!!」と思わず叫んだのは私です。ましては2万も取られたら、一生(一笑?)根に持つか、あるいはいつか法定翻訳官になって搾取する立場になろうと決意することでせうね。
それよっか飛−行機の方は?私は年に1度は日本に帰る用事があるので常に大韓航空の1年オープンを使っていますけど、2年間滞在しっぱなしなら当然ワンウェイ?ひょっとするとツアーチケットの帰り放棄の方が安かったりして。因みにパリ発東京のワンウェイは大韓で4,900Frs、AOMで3,900Frs、アエロフロートで3,000Frsです。不思議とシーズン変動は日本ほど大きくない。今の円高だとパリ発券の方が大分安いですね。去年のレートだとほぼイーブンでしたけれど、10月の料金改訂でどうなることやら。
以下に滞在許可申請に要求される書類をパリ警察署発行のパンフレットから抜粋します。
POUR UNE PREMIERE DEMANDE
(1) Passeport - voir dispositions communes .... A
(2) Justification du domicile - voir dispositions communes .... C
(3) Justification des etudes a suivre .... B
(4) Visa de long sejour
(5) Justification de ressources suffisantes (voir N.B.1)
produire les pieces presentees pour obtenir le visa et visees par le consulat
A defaut : suivant le cas, les documents mentionnes au .... D
A : PASSEPORT en cours de validite (original + photocopie des pages induquant l'etat-civil, la duree de validite du passeport et le visa)
B : ETUDES (originaux + photocopie)
certificat de preinscription ou d'inscription ou carte d'etudiant
* si l'enseignement suivi n'appartient pas a un cycle traditionnel se-condaire ou universitaire, le certificat doit presenter : la nature de l'enseignementCCS(N)> suivi, la duree d'inscription, l'honaire et le nombre d'heures de cours par semaine et attester le versement des frais de scolarite pour un trimestre.
C : DOMICILE personnel ou au nom de la personne qui heberge (original + photocopie)
* derniere quittance de gaz ou d'electricite ou facture de telephone ou contrat d'assurance-habitation
* hebergement par un particulier : produire egalement un certificat d'hebergement etabli par le logeur (modele dans les centre de rece- ption d'etrangers) et photocopie de sa carte d'identite ou de son titre de sejour
D : RESSOURCES
* Boursier : une attestation de bourse precisant le montant, la duree de la bourse et la nature des etudes suivies, etablie sur papier a en-tete de l'organisme.
* Ressources assurees par des fonds en provenance de l'etranger :
- cheque de voyage, bordereau de change ou tout document prouvant que vous recevez regulierement des fonds en provenance de l'etranger et presisant leur montant mensuel (originaux + photocopie)
N.B.1) Est considere comme ressources suffisantes le fait de disposer d'une somme egale a 70% de l'allocation mensuelle de base d'une bourse du gouvernement francais soit 2.400F par mois pour 91/92.
N.B.2) Il vous appartient de faire, des a present, les demarches pour obtenir une couverture sociale. Vous devrez en presenter la justification lors du renouvellement de botre titre de sejour sous peine de refus.
法定翻訳はパリにある在仏日本人会ですべて扱っています。戸籍抄本・謄本、住民票、免許証等の公文書であれば、1通100Frsです。火曜または金曜締めの受付で、翌受付締め日出来上がりです。ですから、日本で高い金を払って作成するよりも、パリで作成した方が安くすむでしょう。郵送でも対応してくれたと思いますよ。
Assurence については、滞在許可証の初回申請では必要ない場合が多いのです。更新の時は要求されますが。とはいえ保険は必須なので、必ず取っておくこと。また、地方によっては要求されるかもしれません。一番簡単な方法は、海外旅行保険でしょう。私もこれを使っております。期間は1年ですので、満了の直前に更新を申し込みました。保険代は掛け方にもよりますが、数万円/年です。東京海上など大手の業者ですとパリに駐在員事務所があり、仏文のAttestation はその場で無料で作ってくれます。学生であれば学生共済の保険に加入するという方法もありますけどね。
必要な証明書は簡単に言えば、「学校」「金」「家」と無論VISA付きパスポートですから、これに併せてファイルしておくと良いでしょう。全ての書類についてコピーを忘れずに取っておくように。そして、仏文よりも日本文のオリジナルの方が重要ですからご注意。仏日の法定翻訳はパリで行えますけれど、日本語オリジナルは日本から送って貰わないかぎりどうしようもない故。
写真はフランス国内にもスピード写真機が大量にありますゆえ、あせって用意する必要はないでせう。4枚20Frs だからかえって日本より安い。ただ、フランス国内のフォトマトンはカラーが多いので、白黒を多少用意するのはいいかもしれない。オカミはカラー写真を受け付けませんから。学生証等はカラー等が使えます。
フランスでは滞在許可証保持者は国際免許を使えないそうですからご注意。日本の運転免許証の法定翻訳が必要なのだそうです。これも在仏日本人会で作成できます。ただ、フランス国外で運転する場合、仏文の法定翻訳が使えるのかどうか分からないので、この場合には国際免許が必要かもしれません。
そうそう、法定翻訳と言っても、実際はひな形に固有名詞をタイプしてあるだけで、翻訳費なるものは殆ど法定翻訳官ののれん代のようなものです。領事館で承認が貰えるなら、絶対にその方が得策ですね。
フランスに住んでみると、日本人の「便利さ」にかける執念のようなものを感じてしまいます。−登録完了−ほんと、パリでは生活に必要なものは何でも揃うのですが、これがあればちょっと便利、というものはことごとく高いか存在しないかのどとらかなのですね。この辺の傾向は消費モデルでも話題になったことがありまして、次の様な面白い傾向があります。
(1)日本人は便利なものをすべからくハードウェアにしてしまう。
(2)アメリカ人は便利なことをサービス業という商売にしてしまう。
(3)ヨーロッパ人は便利程度なら我慢する。ただし、大金持ちは全部人にやらせて自分では何もしない。
といふわけで、シャーペンという便利なものはあまり流通していないらしく、0.5mm芯を探すのがかなり困難なようなのです。一般の学生はペンを使うことが多いし、それ以外は鉛筆です。シャーペンは製図用ですね。業務用の道具を一般消費者向けにデチューンするのは日本人の最も得意とする技です。
あと、雑貨品につては種類といいデザインといい、日本が圧倒的に優れているように思います。文房CCS(N)>具も同様。パリで「をっ、これは」と思うのは結構日本製だったりしますから。とはいえ、色彩に関してはやはりさすが、という感じです。服にしても壁紙や包装紙にしても、本当に種類が豊富でしゃれています。
パリに住始めの頃は、しばしばドアの前で立ちすくんでしまいました。ドアは自動的に開いて当たり前、という間隔がしみついていたようです。
7月に入ると、日本でフォーラムの常連となった者のうち何人かが留学で来仏したほか、91年からフランスに在住していた日本人企業駐在員が会議室に登場し、一気に在仏組がフランス語会議室で増加した。もともと在仏日本人の数自体は多かったので、パソコン通信の普及率が高まれば、フランスからアクセスする人が増えても不思議ではない。さらに、世界最大のパソコン通信事業者CompuServeのノードからNIFTY-Serveに接続できるようになった。Tympassだと接続に1分70円かかったところが、CompuServe経由だと40円である。けっして安くはないのだが、この違いはかなり大きい。接続方法もTympassより簡単だ。
インターネットの常時接続が当たり前となったいま、通信コストのこのような問題は、なかなか理解できないかもしれない。しかも通信速度は以前として2400bpsが中心だったのだ。Bフレッツの100Mbpsと比べれば、じつに4万倍の違いである。しかし、技術的な差がこれほどあったにしても、当時のネットワーク上の「濃さ」は、けっして現在のblogに劣るものではない。結局、コミュニケーションそのものに対する需要さえあれば、利用者はその時点で利用可能な手段を駆使してコミュニケーションに努めるものなのだ。
(2006.3.1記)