21世紀の日記 |
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20世紀の日記 |
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92年8月の日記は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。
当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。
今日から引越をぼちぼちと始めました。明日には2ヶ月間住んだこのアパートともお別れです。思えばLes Halles界隈というのは本当に便利な所で、夏の間、実に気持ち良く住むことが出来ました。
同時にアリアンスの集中講座も明日で終わりです。2ヶ月間コースを供にした連中は、一部は既に帰国し、一部は明後日帰国し、そして一部はそのままパリに残ります。皆順調にコースを消化し、アリアンスに残る人は無事最上級コースに進級できたようです。
アリアンスは確かにクラスの人数が多すぎる(上級で平均25人くらい)という致命的とも言える欠点はありますが、メディアなどの施設の充実度、毎日のように行われる講演会、そして各国から集まる様々な生徒達と、時間を有効に過ごそうと思えばいくらでも出来るだけのポテンシャルがあると思いました。ただ、そのためにはやはり上級のレベルが必要だし、また、初中級は日本人生徒が極めて多いため、日本人には基本的に上級向けの学校という気がします。他の人の意見でも、初中級者にはもっと小人数で丁寧な指導を行う学校の方が効果的だとのことです。
2ヶ月間の授業で感じたことは、我々東洋人は二重のハンディを背負っているということです。第一が語彙力、そして第二が本場に接する機会です。語彙力で言えば、スペイン系やイタリア系は殆ど単語を覚える必要がない。スペフラ辞書やイタフラ辞書を見ると、同じ単語が左右に並んでいるだけのようなものです。これでは土台勝負に成りません。まあ、彼らにはディクテに問題有りということはありますが(実際、スペイン系は「Il se posait.」と「Il s'est pose.」を判別できない)、我々より遥かに有利である点は事実でしょう。
第二に、ヨーロッパの学生は夏休みなど実に気軽に本場の語学学校に行ってしまいます。それもほとんど国内旅行のような手軽さです。特に、イタリア人やドイツ人など、結構週末は家に帰ったりしていたようです。
まあ、これらの問題は何も昨日今日に始まったものではないのですが、一在留邦人としては、何らかの対策を施さねば永久に日本人は語学のハンディを負ったままになりかねないと危惧する次第です。第一の問題は言語系統の問題だから抜本的解消は無理にしても、だからこそ小学生の内から外国語教育を行う必要があるように思います。
第二の問題については、国なり自治体なり企業なりが欧州主要都市に寮を作り、そこを夏休み期間中は日本や他のアジア諸国の大学生、高校生に利用させ、他の時期は欧州に留学するアジアやアフリカの学生に利用させるような仕組みがあればかなり状況は変わると思います。そうすれば、アジアの学生が欧州を知る機会が増えるし、また、同時に「国際貢献」にもなるという一石二鳥だと思うのですが。
私は「国際化」という言葉が大嫌いだし、そもそも「語学力がある=国際人」などとは毛頭思いません。実際、自国の歴史や文化を知らないないで語学だけ達者な外国人は、ヨーロッパ社会では極めて軽く見られるそうです。議論で重要なのは語学力でなく教養で、また、他国の人間とのコミュニケーションで本質的に重要なのは、他の文化に対する寛容性と、日本人なら日本人としての根っこであるように思うのです。この点、語学はまさに「技術」そのものです。
「技術」としての語学がコミュニケーションの領域を飛躍的に広げることは事実であり、その重要性は今更申すまでもないでしょう。問題はその技術修得が日本の現状ではあまりに労多く、多くの場合その修得だけで力尽きかねない点です。
前述のように、やろうと思えば出来ることが結構ありそうなのに、何で状況が変わらないのか?語学でまさに苦悩している私には苛立ちを覚える次第です。
tutoyerに対する見解なり意見は人によって相当異なるのが事実のようです。家族間でもvouvoyerだというのはブルジョワの条件だそうですが、学歴や社会的地位の高い人であっても、年配者同士tutoyerという例は珍しくありません。例えば、私がお世話頂いている方はポリテクニック出身で大学付属の研究所長というバリバリのインテリですが、ある日お宅におじゃました際同席したフランス人女性(彼女はアメリカの大学で教授を努めています)と会話している時は専ら「tu」でした。両者の間に「キス以上の関係」があるのか否かは確認する術がありませんが、どうやら何か社会的関係(上司と部下、教師と生徒など)を特に強く意識する場合を除けば、親しい間柄では「tu」が優勢と見て良いようです。ただ、相手が年長者であまり直接の面識がない場合は「vous」ですから、件の手紙の女性はやはりそういう配慮があったのではないでしょうか?
私なりに感じた「京都パリ類似論」(?)は次のようなものです。もちろんこれは私の一方的な感想であり、かつ、私は東京もNYも京都もパリも好きであると断って(弁解して?)おきましょう。
だいたいこんなところです。
東京NYは簡単に言えば、経済活動でも遊びでもエネルギーが充満している、せせこましい、空が狭いという3点だけですが、これだけでもNYにいた時は東京と変わらない印象を受けてしまいました。確かにステレオタイプという点では、パリはNYと同じですが、それ以外の点では京都との共通点が多いと思いました。
まあ、東京でも昔からの江戸っ子と戦後流入住民とでは全く気質が違うと言いますから、このてのテーマは所詮印象を論じるしかないですね?この続きはパリでゆっくりやりませいか(笑)。
18世紀くらいまでの数学者はたいてい物理学者や天文学者も兼用しており、ガウスは大数学者であることは勿論のこと、マックスウェル以前の最も偉大な電磁気学者と言われています。んなわけで、磁束密度の単位を「ガウス」としたわけですね。ガウスの法則なんて、昔の物理IIに出てきましたが、今はどうなのでせうか。
1から100までを瞬時に積算したというのはガウスの有名な逸話ですが、ガロアにも多くの逸話が残っています。まあ、一番有名なのは女の取り合いで決闘に敗れて死んでしまったことですが、本職である数学がらみでもいくつかあります。
まず、ポリテクニック受験の口頭試問で対数とは何かを問われた際、模範回答とは異なるエレガントなアプローチをしました。すると、試験官が細かいことまで突っ込み、ガロアは当たり前の事をあまりにくどくど聞かれるので、最後は黒板拭きを投げ付けて「これが僕の答えだ!」と叫んで帰ってしまったというのです。
もう一つ有名な例は、方程式論をまとめて学会に論文を投稿したとき、審査官のポアソン(統計で有名な人)が全く理解できず、しまいには字が読みにくいなどといちゃもんをつけて送り返してしまったことでしょうか。後日、再び論文を書き直して今度はコーシーに送ったのですが、この時はコーシーが論文を紛失するというチョンボを犯し、とうとうガロアはぐれてしまったそうです。
ガロアの死を最も惜しんだのは母校ルイルグランの教師でした。十数年後、ルイルグランにエルミートという数学の天才が現われたとき、その教師はガロアの例が忘れられなかったため、一時期受験勉強に専念させ、無事ポリテクニックに送り込みました。ガロアは5次以上の代数方程式が一般的には代数的に解けないことを証明しましたが、エルミートは後日5次方程式を一般的に解くアプローチを発見したのです。
私が初めてパリを訪れたとき、何となく京都の雰囲気に似ているような印象が強かったと記憶しています。これは街の雰囲気だけでなく、何となくパリっ子気質も京都人に通ずるところがあるような気がしました。もとより私は京都には住んだことがないのでえらそうなことは言えないのですが、何か共通点が多いような気がしませんか?特にニューヨークに対するパリと東京に対する京都のポジションを考えてみると、結構面白い比較になるのではないかと思いました。
なお、これは京都の人がパリっ子並みに性格が悪いという意味では全くありません、念のため(なんてわざわざ断るとかえって不自然だったりして)。
結論を言えば、日本人観光客はあまりに無防備で、これならどこの都市に行っても危険がいっぱい、と言われても仕方ないと思います。アメリカ人の同僚は「日本人は神経質過ぎる」と言っておりましたが、私の感想としては神経質な割に(?)、パリなどでは無頓着・無防備という感をぬぐえません。私の目から見てもこの人の荷物ならひったくれそうだな、何て思えるくらいですから、プロにしてみたら鴨ねぎの口でしょう。
具体的にどういうことか?まず、歩く早さやリズムが違います。パリの人はウィンドウ・ショッピングの際も店から店の間の移動は足早ですが、概して日本人女性はのそのそ動きがちです。また、住民は立ち止っている時ほど自分の荷物をガッチリ握り締めますが、観光客はえてして手が離れがちです。歩いている時も電車に乗っている時も、住民は必ず片手でショルダーストライプを握っていますが、日本人観光客、特に新婚さんはショルダーをたすきにかけて、両手をブラブラさせて歩く姿が多く見かけられます。
まあ、パリっ子でも無防備な人はいますが、以上は顕著な例です。
私が通常心掛けていることは、とにかく荷物からは絶対に手を放さない、なるべく早く歩く、動く止るのアクセントをはっきりさせる等です。あと、以前にもアップしたことですが、都市によって「やば地区」が決まっているので、そこには絶対足を踏み入れないことです。これらの心掛けだけで、パリの生活は格段と安全になります(と言っても、所詮東京とは比較になりませんが)。
一つ注意が必要なのは、「危険」というのが「治安が悪い」という意味の他に、「雰囲気が異様」というのがあり、ガイドブックなどではどちらも「危険」でいっしょくたにしています。後者は身に危険が及ぶ訳ではないのですが、雰囲気として何となくうさん臭いとか、ジロジロにらまれるなど、どこか異様な感じがするというものです。実際、観光客をからかう人もいるそうですから。パリで言えば、10区のChateau d'eauからGare d'est辺りがそうで、ここは南米・北アフリカ系移民が多く、アラブ人独特の鋭い視線や失業者がちょっと観光客にはとっつきにくい雰囲気を醸し出しています。街としては色々な商店があり、パリっ子にも人気のある面白いところなのですが。
確率論や「パンセ」で有名なパスカルは狂信的なカトリック教徒であったといわれ、彼が数学を志した目的は神の存在を証明することであったそうです。で、パスカルが最終的に行った証明というのが、「神には全ての属性が存在する。その属性には存在性も含まれる。ゆえに神は存在する。」であったとか。
数学の世界に厳密な証明が賦されるようになったのは、実にガウス以降であると数学史は語っております。
数学モデルと言えば、現在最先端の数理論理学にスペンサー/ブラウンの「形式の代数学」とかいうのがあって、社会学や心理学のモデリングへの応用が進められているそうです。この理論は従来0と1の2値しかない数理論理学(ブール代数)を拡張し、論理値の解として無理数どころが虚数値まで持たせるという不気味な世界だそうです。例えば、論理値ルート2があるダイナミックな状態を表すとか。
現代数学というシロモノはライプニッツの昔に比べて格段に表現手段を増やしています。もとより、数学が万能だと主張する気は毛頭ありませんが、少なくとも数学的にモデル化された高度なコミュニケーション手段ができても不思議ではないような気がします。
フランス語のクラスでは、完全にtutoyerでした。生徒同士、教師が生徒を呼ぶとき、また、時には生徒が教師を呼ぶときもtutoyerでした。他のクラスでも概ね似た様な状況でしたが。ただ、先生が言うには、年長者をtuで呼ぶときは、本当なら一言断って許可を求めるのがエチケットだそうです。という話しがでた途端、最年長のスペイン人が「誰も許可を求めなかった」と笑っておりましたが。
今日から始まったGEのコースでも、生徒間はいきなりtutoyerでした。尤も、私を含めた外国人数人だけはvousvoyerからスタートしましたが。ただ、教授に対してはさすがにvousvoyerでした。
会社でtutoyerはさすがに特殊な例みたいですね。特に親しい関係がある場合にのみtutoyerだということです。この「親しい関係」には同じGE出身というのも含まれます。従って、秘書がtutoyerするなんてのは、よっぽど気さくなボスと長年一緒に仕事をしていたベテラン秘書、なんて間柄ぐらいでしょうね。
必ずしも一般論とは言えないかもしれませんが、おおよそ数学者(特に日欧)は自分の仕事が何に役立つかなんて意識は希薄でしょう。先般、フィールズ賞を受賞された京大助教授が「100年もすれば何かに役立つかも知れませんねぇ」と応えていたのが、まさしく数学者の一般的反応だと思います。数学者は自己満足の美学に浸っていると言われており、何のためにと問われても回答不能かも知れませんね。
一方、最近は数学の細分化・専門化が著しく進み、特に20世紀半ば以降の体系を理解するためには多くの「常識」を学ぶ必要があります。巷の数学の教科書は基本的に「用語解説」であり、私も担当教授から「教科書なんて雑誌や論文を読むための基本単語帳のようなものだよ」と諭されたことがあります。こんなわけで、一般の数学の教科書が定理や公理の目的を明示的していないのも、やむをえないような気がします。それと、物理や経済で利用する数学は数学者や数学科生には「過去の遺物」ですから、両者の要求にギャップが生じるのは無理からぬことと思うのです。そうなると、物理学者なり経済学者なりが執筆したほうが、遥かに目的志向のテキストができるということになりましょうか。
そうそう、ブルバキは現代の数学を全てゼロから再構築(当然、自然数の定義から)しようとするもので、フランスの若手数学者複数が執筆し、セールやグロタンディックといった大御所が評議するというものです。日本では「原論」というタイトルで膨大なシリーズが翻訳されています。数学科生には必携ですが、これははっきりいって相当難しい!私が学生の頃は、ブルバキは一通り勉強をした後の整理に読むものだ、という雰囲気があったように思います。ぼちぼち勉強するためのテキストにはちと不適ではないかな、って気がします。まあ、それでも20代で助教授になったバケモト達は、中学・高校のころからブルバキに親しんでいたというから驚きですが。
フランス人はそれぞれの個性が強いからパリジェンヌはこうだ、とはなかなか言えませんが、一般論としては「つん」と、とりすましたところがあると言われています。郊外や地方の女の子の方が遥かにサンパチックだという声はしばしば耳にしますね。あと、概して彼女達の立居振舞は粗忽の感を禁じ得ませんが、ヨーロッパ社会ではごく自然なことが多いようです。無論、いわゆる良家の子女は例外でしょうが。
まあ、小ばかにしたように見えるのは、多分にコミュニケーション文化の違いだと思います。もともと皮肉っぽく喋るのが好きな国民性のようですから。その点、イタリアの女の子は気さくで可愛いという意見が多い。;-)
聞き取りは永遠の課題ですね。私は初級から中級の際、とにかくテキストを読む、書く、聴くを何10回も繰り返し、テキストの文章を暗唱できるようにし、かつ、テープと同じ早さで話せるよう練習しました。結果的に、聞き取りには一番効果的であったように思われます。この方法はとある同時通訳の方に教えてもらったものです。それと、Sans Frontier 1とか2はテキストやディアログに実際日常良く使う表現が多いので、聞き取りだけでなく日常会話にも役に立ちます。あたしは今でも旧Sans Frontier 2のテキストとテープを持参しております。ただし、上級のテキストになるとやたら長いので、この方法は意味がなくなります。上級のテキストはむしろ大意要約が主眼のようです。
私はPowerBook100を使っています。機能的には一番劣りますが、用途を通信、ワープロに限定したので、軽量・コンパクトを重視しました。実際、フロッピー外付というのは至極気に入ってます。HDは40MB、メモリーは6MBに増設しました。ただ、通常は5年前に車の代わりに(!)買ったMac IIを利用しています。余談ですが、Mac IIの初期ロットは旧シリーズとの互換性が悪く、Appleはこっそり設計仕直したのですね。買ってから1ヶ月後に本体を丸ごと交換してくれという連絡がありました。当時はMac Golfが走るか否かがリトマスだったようです。
そうそう、PowerBookは9月に新シリーズが発表されるそうですね(尤もこのニュースは5月に聞いたので、変更されているかもしれない)。いわばPowerBook100の高機能版だそうで、M68030搭載で4ポンド(1.8kg)だそうです。
決闘で殺されたのはエヴァリスト・ガロアという19世紀フランスの天才数学者です。彼の伝記には「天才と狂気」というサブタイトルが賦されています。彼の打ち立てた方程式論(通常「ガロア理論」という)は数学の中でも珠玉の理論と言われるほど美しく、多くの数学科生はガロア理論に感激して数学を志したものです(あたしもそのクチね)。
フリードリッヒ・カール・ガウス(1777-1855)は所謂3大数学者の一人で、現代数学は全てガウスが基礎を築いたと言ってよいでしょう。ただ、ガウスは一種の数学ヲタクで、自分の発見を積極的に発表しませんでした。「ガウスが自分の発見を全て発表していたら、数学は現在よりも50年は先に進んでいただろう」なんてぼやきが後世の数学者から出ています。なお、ガウスの名文句として「数学は科学の女王であり、整数論は数学の女王である。この女王は時に物理学や天文学の教えを乞うが、玉座は常に数学のものである」というのがあります(だから数学や整数論は何の役にも立たない、と皮肉ったのは森毅かな?)。
あたしは現在会社を休職中という身分で、まあ、取敢ず帰るところはあるけれど、実質的には風来坊と同じというのが実態であります。会社の派遣だとある程度の生活保証はあるけれど、その分会社への拘束が強まるのですね。あたしはどちらかと言えば、退職するつもりでいたのですが、滞在中の身分保証もあって結局休職にした次第です。
アパートは夫婦者を嫌うというのではなく、夫婦で住めるだけの広さを持つアパートはそれなりの家賃で、所得証明やら保証人やらがうるさいということなのですね。学生単身だと2000フランくらいのアパートに親からの仕送りで暮らすよ、でたいてい済むみたいなんだけどね。
会話では圧倒的に「la」が多いですね。電話で「Christineいます?」って時も「Christine est la?」、応えて曰く「おりません」=「Elle n'est pas la.」です。また、「そこ!そこ!」も「La! La!」です。ただ、自分の方向を指して「こっちさこいや」ってときは「Venez (Viens) ici!」です。「こっちだよ、こっち!」も「Ici! Ici!」です。レストランやカフェで自分の手元の席に招く際はまさに「Venez ici!」で、離れた所を指示する際は「la」です。従って、「私」の近傍であることを強調するときは「ici」、それ以外は「la」ではないかと想像しています。会話で「そっち(あっち)」を特に明示する場合は「la」と言いながら指差したり顎をしゃくったりします。
今日、クラスで教えてもらったことなのですが、Grande Ecoles卒業生は連帯感が極めて強く、歳がどれほど離れていようと、また、どれほど社会的地位が違おうと、会話でも手紙でもtutoyerなんだそうです。例えば、diplome取り立ての若憎が大OBの社長宛に履歴書を送るときなども、「Camarade, tu trouveras ci-joint...」なんて書くらしい。まあ、Camaradeという呼び方が実に親しげで面白い。
一般論で言うと、最近はtutoyerが極めて優勢だそうです。特に、ポスト68世代は会社でも平気でtutoyerだそうですから、何やら「近頃の若者は...」というぼやきがいずこからか聞こえて来そうですね。店などでもきちんとしたブティックを除けば、結構「Tu」優勢です。また、外国人に話しかけるときは、親しさを示すときに好んで「Tu」を用いるそうです。
あたしはドイツ語は無知ですが、クラスのドイツ人美女によれば、南部はtutoyer優勢だそうです。彼女が研修で北部の会社に行った際、同年代の女性からvousvoyerされて目が点になったと。そしたら、北部出身の猛女が「17才以降はvousvoyerが普通よ」とうそぶいておりました。あたしは当然南部を支持しますが。;-)
独身だったらアパート探しは楽なんですよ! なにしろステュディオにしても寮にしても、一人者向け(?)は選択肢が極めて豊富で、多分、何の問題もないのではないでしょうか。反対に、私のようなカミさん持ちおじん学生はむしろ例外的存在であるため、いらぬ面倒までかかえこんだような気がします。カミさん持ちの外国人は、たいてい企業の駐在員ですからね。
テレビと言えば、もちろん帰国売り(だから当然中古)を買いました。フランスでは車だけでなく、まず中古を探すというのが常套手段のようですね :-) 。それと、受信料がかかるのはフランス国内で新品を買った場合だけですから、日本からの持ち込みには多分かからないと思います。ただ、問題は飛行機にえっちらかかえこむ場合はともかく、別送や輸出扱いにする場合は、通関の際に手続きを取らされるかも知れませんね。この辺は結構うるさいですから。パソコンなども6ヶ月以内の購入だと関税がかかり、ほとんど買ったのと同じコストがかかるそうです。私もMacを別送する際は古い領収証を紛失したため、わざわざ再発効してもらいました。
大数学者ガウスは学生時代に数学を取るかラテン語の道に進むかを散々悩んだそうです。結局、所謂代数学の基本定理(ガウス−ダランベールの定理)を証明したことが、数学者への道を歩ませたそうです。18〜19世紀当時はラテン語が数学者の共通語だったそうで、中でもガウスはその代表挌だったようですね。また、イギリスの数学者ハミルトンも語学ヲタクで、12才までに11ヶ国語をマスターしたことを、4元数の発見よりも自慢にしていたそうです。なお、ガウス自身も晩年ロバチェフスキーの論文を早く読みたいがために、60過ぎてからロシア語をマスターしました。
まあ、数学もシンボルを用いたコミュニケーション手段ですから、語学との関わりは必然的に強いはずですね。
昨夜、無事パリに戻りました。ここ数日ですっかり秋めいたとのことで、寝る時は毛布が必要でした。バカンス・シーズンもそろそろ終盤を迎え、夏もそろそろ終わりといった感じです。
日本には1週間だけの滞在でしたが、その間NIFアクセスは会社からの1度だけ。なにしろ、フランスはパソコンの持ち込みにうるさく、PowerBookを泣く泣くパリに残してきたためです。代わりにパリ出発直前にぶっ壊れたハードディスクを持参しました。
さて、遅ればせながらクスクスオフでは愚妻共々お世話になりました。私としてはM出さんがあまりにもイメージ通りなのに驚いてしまいました(別にM出さんのせいではないけどね;-))。なお、今回大量の味噌を買って帰りました。
Grandes Ecolesの制度はフランス人でも頭を抱えるほど複雑です。
一般に大学はアカデミック・スクール、GEはプロフェッショナル・スクールとされていますが、フランスの著名な数学者は殆どPolytechnicianですから単純にそうも言えません。また、工学や社会科学のように、基礎研究と応用との境界が曖昧な分野は、大学とGEの役割に差がありません。実際、最近は大学とGEで共通diplomeを発効することも多くなっています。ただ、実社会では依然としてGEのdiplomeの方が挌上と見做されているのは事実です。
Diplomeで見るとGEが発効するのはmaitriseまで、大学ではmairise/licenceの上にD.E.A(Diplome d'Etude Applofondie)、Doctorat/Ph.Dがあります。D.E.Aは博士号の前提条件です。従って、GEの卒業生が博士号を取ろうと思ったら、大学に入り直す必要があります。しかし、現実にはいくつかの大学と提携し、maitrise取得後はその大学のコースに編集されることになります。例えば、ESSECであればParis IV、Aix-Marseille III等と提携し、あくまでESSECに所属する形でD.E.AやDoctoratのコースを受講することが出来ます。
フランスでは「なんとか大学卒」ではなく、何の(どこの)diplomeを取ったかが重要です。そしてフランスは日本以上の学歴社会ですから、社会的地位を得るため幾つものGEのdiplomeを取ろうとする人が出てきます。
一方、GEによっては「どこそこのGEのdiplome」を条件にしているところがあります。更に、いかにもフランスらしいシステムが「equivalence」というやつで、場合によってはどこそこGEのdiplomeと同等の資格があると認められることが多々あります。そしてequivalenceが認められるか否かは学長の判断一つで、明確な基準というものがありません。
まあ、簡単に(?)まとめると、フランスではDiplomeが重要であるが故に、様々なはしごや乗り入れが行われ、高等教育制度を複雑怪奇・説明不能状態にしているといえましょう(何のまとめにもなっていない)。
パリ市内では大家さんと借家人が直接賃貸契約を交わすケースが多く、借家人が銀行口座を持っている場合は口座振替で直接支払うのが普通なようです。それ以外では、例によって小切手を送る、直接現金を持参する等の方法があります。大家さんによっては外国人の借家人の場合、3ヶ月分を事前に徴収する場合もあります。
賃貸契約書は日本と異なり一定書式に従います。そこらで販売されている法定契約書「Contrat de Location」に大家さんが必要事項を記入し、大家さんと借家人(場合によっては保証人も)がサインするというものです。ただし、この契約書には家賃の支払方法に対する規定は特にありません。
レジというのは多分「regisseur」だと思うのですが、確かに管理人を置かずに、ゴミだしや修繕などを管理会社に委任する例はあるものの、賃貸料の仲介というのは聞いたことがありません。
なお、公共料金の未払分はアパートを借りる際の注意事項です。電気/ガスや電話料金の請求は2ヶ月おきですので、この辺のチェックを怠ると住んで1ヶ月後に突然先住者宛の請求が来てしまいます。このようなトラブルを防ぐため、公式には次の様なセレモニーが交わされます。
余談ですが、フランスではテレビ受信料の徴収が厳しく、購入時に登録をさせられるので逃れるのは不可能だそうです。ところが中古市場に出回っているテレビは通常廃棄届けがなされているため、受信料を支払う義務がなくなります。逆に、中古売りするとき廃棄届を怠ると、処分した人に延々と受信料請求が届くハメとなります。ただし、受信料を払っていないテレビでは、有料チャンネルCanal Plusに加入できないという問題はあります。
10時に無事成田に到着しました。会社からこっそりアクセスしているところです。
出発時間まであと5時間程度となりました。一時帰国なので流石にスーツケースはスカスカです。まあ、帰りの便では大量の物資がつめこまれるでしょうが。
ここ数日、パリは連日30度を越す猛暑(!)で、昨日も最高気温が32度まで上がりました。東京に比べればたいしたことはないのでしょうが、日差しが長いだけに結構憂鬱です。そのせいかどうかは分かりませんが、昨夜、またしても外付けハードディスクがクラッシュしてしまいました。210MBを3つの区画に区切って使っているのですが、システムやアプリケーションを乗せている区画がパーです。ディスクユーティリティも一切受け付けられず、テストをするとハードウェアエラーと出るばかりです。
というわけで、今回の帰国はハードディスク持参ということになりました。こりゃ絶対に文句を言って返品させちゃる!
一時帰国まで後2日、今日チケットの方も貰ってまいりました。クスクスオフも参加可能と分かり、今から楽しみにしているところです。
チケットを取りに行ったついでに(?)、パリに支店を持つ某都市銀行(以下の内容が批判的論調なため、あえて名を伏せる)まで口座開設に赴きました。窓口で日本語が通じるのは心底助かるもの、申請用紙も日本語が併記されているため、ク○○ィ・リ○ネで味わった苦労は皆無でした。係の女性が「口座開設には最低500F必要です」と言うものですから、私はてっきり開設時の最低預け入れ金が500Fだとばかり思ったのです。
しかし、記入後に貰った手数料一覧をみてたまげた。何と、口座を開設する手数料が500Fだったのです!また、各四半期の平均残高が6000F未満だと口座維持手数料を300F徴収されてしまいます。従って、例えば日本的感覚で1700Fを持ってきて口座を開設し、1年間そのまま放っておいたとすると、一銭(1サンチームと言うべきか)も使わなくても残高はゼロ、さらに、最悪の場合口座を解約されて(!)しまうわけです。
ちなみにク○○ィ・リ○ネでは口座開設手数料は取られなかったし、口座維持手数料を徴収されるという話しも聞いていません。隣人の話しでも、これは某都市銀行の「やらずぼったくりよ!」てな訳です。おまけに万人が重宝するCarte Bleueも発行してくれません(まあ、これは知っていましたが)。
どうも某都市銀行パリ支店では、口座は開設するものではなく、開設させて頂くもののようです。いろいろな苦労はあるにせよ、やはりフランス系銀行で口座を開設したほうがよさそうだという結論に落ち着きつつあります。
参考までに、某都市銀行の手数料の一部をお知らせします。
口座開設手数料(単一名義) | 500FF | 国内送金(支店コード明記) | 50FF |
同 (共同名義) | 800FF | 国内送金(支店コードなし) | 100FF |
口座代理人の登録 | 300FF | 定時定額送金(申込み) | 300FF |
口座管理手数料(各四半期) | 300FF | 定時定額送金(1回毎) | 50FF |
外国仕向送金手数料(1件) | 220FF | 各種自動引落し(1回毎) | 12FF |
送金小切手作成 (1件) | 450FF | 小切手作成(国内用) | 110FF |
各種証明書類発行 | 200FF | ・ | ・ |
それにしても、東京の物価がバカ高いというのは、実際にはウソではないかという気がしてきました。確かに食料品はパリの方が圧倒的に安い。公共料金やガソリンも若干安い。しかし、各種サービスの質の悪さとバカ高さはあきれるばかりです。その最たるものを銀行の手数料に見た気がします(まあ、送金などの手数料はどこも大差ないと思いますから)。銀行に口座を持つのはフランスでは社会的信用の一つと聞いたことがあります。確かに口座開設ではあれやこれやと追及されます(学生の場合は絶対に学校の近くで口座を開設すること!たいてい専用の担当者がいます。へたすると、口座開設を拒否されますから)。それにこれだけ手数料がかかれば、「口座なんていらねぇや!」って人も多いように思われます。実際、公共料金の支払は結構郵便局でやっている人が多い)。
昔から日本では「水と安全はタダ」と言いますけれど、それに「サービス」を追加する必要がありそうですね。
8月になって、アリアンスにも多数の新入生がやってきました。7月のクラスはスタート時に24人いた生徒が、7月最終日には9人まで減っていました。そして今日、そのうち6人が継続、1人が定員超過のためクラス変更、2人がサボリで、あとは18人の新入生です。
国籍は7月にも増して豊富で、今回はポーランド人、ニュージーランド人、デンマーク人、スウェーデン人、イギリス人等が加わっています。多数勢力は相変らずスペイン人、イタリア人です。東洋人は7月から一緒のマレーシア少女と私だけです。
7月のクラスと違う点は、やに体格のガッシリした女の子が増えたことでしょうか(しょーもないことにしか目がいかん)。喧嘩してもちと勝てそうもない方々が私の正面に並んでいました。彼女達を見ていると、よくオリンピックの女子競泳で金メダルを取れたものだと改めて感心します。それも14歳の少女が。
実はパリではなくて、...、なんてことはなくって、今日もパリの暑さにふーふー言っております。ここ数日は結構湿気もあり、メトロの中は東京並みです。
さて、クスクスオフですが、私もひょっとして参加できるかな、と淡い期待を抱いているところです。そこで申し分けないのですが、場所と時間を教えて頂けないでしょうか?現在の予定では8月7日5:30PM成田着で、少なくとも10日の夕方までは東京に滞在する予定です。その後カミさんの実家に向かいますが、13日には再び東京に戻ってきます。もし、東京滞在中にオフがあるのであれば、是非参加させて頂きたいと思うのですが。
閑話休題
一昨日の夕方、突然外付HDがクラッシュしてしまい、大パニックに陥りました。何しろ210MBの中にアプリケーションからデータまで入っていたので、もう顔面蒼白でした。生憎2台あるMacはそれぞれ40MBしかないので、バックアップも不完全です。あの手この手で何とかアクセス可能状態までこぎつけたのですが、今度は立ち上げる度に漢字Talkがクラッシュするという怪現象が生じ、挙げ句の果てにはPB本体のHDまでクラッシュする始末です。
まあ、こんな状態で何とか全て回復したのは今日(月曜)の昼、学校が休みで助かりました。結局原因はシステムソフトの一つが漢字Talkと相性が悪かったらしく、それを殺したら何とか秩序が回復した次第です。それにしても、今まで何の異常なく使えたシステムがある日突然牙を剥く...つくづくMacはおかしな機械だと思いました。
外国語フォーラムのなかには、すでに1989年の時点でジュネーブから接続に成功していた人がいた。しかし、その時点ではまだ本格的な国際データ通信で日本語を扱うことができなかった制約があったため、海外に長期滞在し、なおかつ日本のパソコン通信にも日常的にアクセスする人の数は、米国以外ではきわめて少なかったはずである。その例外的な数のなかにわたしが含まれていたわけで、巴里から外国語フォーラムとのコミュニケーションは、わたしだけではなく当時のフォーラム会員にとっても、一種の実験的な出来事であったといっていい。
会員数が全体では100万人を超えていたとはいえ、外国語フォーラムを日常的に利用する人の数は数百人レベル、そのなかでフランス語会議室を積極的に利用していた人となると、おそらくは常時数十人といったところだろう。その後のインターネットの巨大掲示板に比べれば、きわめて限定的な「仲間内」の世界であったといっていいと思う。ゆえに、電子会議室でのメッセージは、10人規模のメーリングリストにも似た私的な雰囲気を濃厚に持ち合わせている。
92年も8月に入ると、わたしの通学先も語学学校から大学院のサマースクールに替わる。日常的に交流する相手は、おなじ外国人からフランス人やフランス語圏の人間たちとなった。そのような状況で、外国語フォーラムで出るフランス語やフランス文化に関する疑問や質問をわたしが友人に尋ね、それをフォーラムで発表するといったコミュニケーションが活発になった。
わたし自身、異文化圏での発見を伝えるのが楽しかったし、それに対する反応がダイレクトにわかったので、ますます多くの事を知り、そして伝えようと思った。それだけでなく、こちらがつっかえたことを電子会議室で伝えると、多くの人から助言や励ましをもらうことができた。実際、サマースクールの法学の授業では、辞書にも載っていない専門用語が多々使われていたが、その意味するところを教えてくれたのは当時のフランス語会議室のメンバーだった。
わたしは巴里において日本人コミュニティに浸るということがなかった。というか、企業駐在員でもなく、しかも教授や先輩のつながりで訪れた留学生でもないため、巴里の日本人コミュニティとの接点がなかったのだ。それでも孤独に陥らずにすんだのは、通信ネットワークを用いたコミュニケーションのおかげである。
8月には所用で日本に一週間ほど一時帰国することとなった。その折りに外国語フォーラムの常連メンバーたちと会う機会を持つことができた。
(2006.2.27記)